津賀寿つれづれ
視聴率のこと
(。_゚?)(゚_。?)6月 5日


   よく「最高視聴率は、どの番組の誰がなにしたところだった」などとTVで言っているが、あれは、どういうことなんだろうか。だって、チャンネルを小マメにまわしている人がいるとして、(だから視聴率が一定でないんだろうし)その人は、誰がなにしているか知らないでまわしているわけで、偶然、なんではないんだろうか?つまらなければよそへまわしてしまうだろうから、それは固定しないまでも、新しくまわす人、ていうのは、知らないでまわすのだから、その瞬間視聴率、なんて、自慢にならないんじゃないのかなぁ.......
  


芸のことその15
(^-^)6月 5日


   今日、またもや茂山家の狂言めあてに狂言の会に行ったのだが、はじめに和泉流の石田さんという狂言師の方の解説があって、とても面白かったのは、狂言というのは、舞台もこのまま、照明も明るいまま、語られる情報は少なく、小道具なども最小限ですから、ご自分達の想像力で補いながら見て下さい、TVのように、提示されるものだけをなんとなく受け取っていると........ボーッとしていると、ボーッとしたまま2時間が終わってしまいます、と。なるほど!
 お客様の知識や感性によって、違うものが感じられる、そこがまた面白いと思うお客様もいる、ということ。これは大事だと思う。提示する方も、わからないんじゃないか、ばかり心配しなくてもいいんじゃないかな。いろいろなお客様、つまり、はじめて見る人も、とても好きでくわしい方も、マニア、というほどくわしい方も、同じ客席にいるから、難しいが....
 私は、子供の頃にかぶきを見はじめた頃、細かいことはなにもわからなくて、わかっている人が同じ客席にいるのを感じ、うらやましいと思い、いろいろ本を読んだりしてはまっていったのを覚えている。それはいいことかもしれない。演者は、わかっている人だけでいいとも思わず、わかってもらおうとばかりも思わず、そのほどほどのところで、自分の芸を提示していくべきなんだろうなぁ。
  


読者のねたその17
(-.-)6月 3日


   「よろしかったでしょうかぁ、のこと」を読んだIさんより。

 「けど」について。広辞苑によると
「後の句を略し言いさしにして、ためらったり相手の反応を待ったりする柔らかな表現」
だから、いいんじゃないか、と。
 だよねぇ。
  


芸のことその14
( ̄^ ̄)6月 2日


   今日、一応所属しているある学会で、茂山家の方が実演するの目当てに、大会に参加してきた。実演のあと「語り」についてのシンポジウムがあって、能の方が、かぶきの演技がリアルな思い入れなどが多いことに対して、うらやましいとか、思われますか?という質問に対して、こう答えられた。
 我々も、型のある部分には、かえってリアルなところを作り、具体的な部分は、それをこわして抽象的なものを作る。だから、かぶきの方も同じような作業をしているのではないでしょうか、と。
 なぁるほど。型というのは、そういうものだろうなぁ。我々も、型がきっちりあって、それをなぞることに必死になるわけだが、すごいお師匠さんの演奏というのは、そこに、ものすごいリアルなものがある。型は、その工夫をするための道具とさえ言えるかもしれない。
 
 茂山千之丞さんの著書に、狂言の活性化を図る試みの際、一番大事なことは「伝承されてきた演技、演出を徹底的に学ぶこと、役者としては受け継がれてきた演技術を完全に身につけることです。」「伝統の正しい認識なしには伝統の破壊は不可能です。」「古典の活性化は、その古典の本質を肯定的に見きわめ、そこを唯一の出発点として批判の段階に入る以外に方法はないと思います。」と。千之丞さんは、狂言以外のさまざまな演劇に参加し、演出などしながら狂言を見つめて、そのすばらしさが本当にわかったそうだ。そして、それを本当に受け継ぐ、ということは、なにごとも無批判、無条件に受け継ぐことではない、という。

 まず、まねから。しかし、それに終わってはならない.......いつも思うんだけど.........
  


よろしかったでしょうかぁ、のことその2
(’’;)5月28日


   さっきTVのトーク番組に、歌舞伎役者のSさんが出て、3〜4年前、名古屋の芝居の時に「よろしかったでしょうかぁ」をあちこちで聞いて、方言なのか、とも思っていたのだけど、ついにお酒が入った時切れて、怒ってしまった、という話をしていた。彼が怒った理由は、過去形だろ、ということだそうだ。だよなぁ....
 でも、そこで司会のSさんの言うのは、へりくだって「これでよかったぁ?」というのと一緒でしょ?ということで、なんとなくそのニュアンスで使われているんだろうな、ということは、わかるかなぁ。「それでよろしいですか?」と言うよりは、えらそうではない、という..........んー、どぉかなぁ.......

 ついでに、そこで司会のSさんが別の番組で外人に指摘された、おかしな日本語。ホテルなどで「予約した○○ですけど。」というのは「けど」がよけいだ、というのだ。そぉかなぁ......「○○ですけど、予約、通ってますか?」というほどの意味だと思うんだけどなぁ。これの場合、お客なんだから、もっといばってていいじゃないか、と。そぉかなぁ......
  


読者のねたその16
('o')5月17日


   「よろしかったでしょうかぁ、のこと」を読んだOくんより。
 
  仕事で毎月仙台に行くOくんは、頻繁にこれを聞くそうだ。そしてやっぱりはじめはムカッとしたそうだ。でしょぉでしょぉ!!!
  


プロのことその8
p(^^)q5月16日
  
 茂山千之丞さんが1987年に書いた本によると、狂言は、それだけで食べて行ける時代ではなかったし、ご自分も、狂言のバリバリの家に生まれたのにもかかわらず、ご長男であるお兄様の千作さんはそれだけで生活するけれど、自分は他の仕事を、とずっと思って、いろいろなことを経験したのだそうだ。千之丞さんにしてそうとは.....
 これが時代のせいではない証拠は、千作さんのご次男、七五三さんは、ずっと銀行にお勤めをしながら狂言「も」やっていた。七五三さんのご長男の宗彦さんが「釣狐」を披く時に決心して、狂言一本になった。つい最近のできごとだ。
 そして、1987年現在で、いわゆるプロの狂言師は、88名、そのうちの70%ほどは他に職業を持っていて、専門の人は、全国でも30名くらいのものだったそうだ。現在の比率はどのくらいかは知らないが、七五三さんの例もあるし、茂山家のお弟子さんの中では、今でも、他に職業を持ちながら、という人が数人いる。

 すごいじゃないかっ!私は、すっかり大人になって義太夫をはじめたせいもあるだろうが、プロとしての心がまえとか、そんなことをずいぶんきびしく叩き込まれて来たので、二足のわらじ、ということと、プロ、ということは、ほぼ結びつかないように感じて来たのだが、できるんだ!それをスクスク育てている茂山家もすばらしいけれど、やればできるんだから、あんなにすごくできるんだから、我々も大いにがんばるべきだ!!人に対するわけへだてない考え方や、各々の、お互いの、分をわきまえた態度が、これらを生むことができるのではないかな。
  


読者のねたその15
(_ _)5月15日
  
 「よろしかったでしょうかぁ、のこと」を読んだIさんより。

 彼女は、国文系大学院生。やっぱり、国語学的にいうと、これはとても変、だそうだ。柔らかくする、というより、あいまいにする、のでしょう、ということで、関西のみならず、多摩地区では聞かれるそうだ。
 ただ、日本語の乱れは進化だ、という人もいるのだそうで「ら抜き言葉」も、日本語の変化であって、尊敬と可能の見分けがしやすくなった、という点で進化だ、という考え方もあり、らしい。

 いたづらに保守的だと、進化についていけなくなったりするのかもしれない。だけど、昔の言葉を扱う我々の商売は、その雰囲気だとか、ニュアンスだとかが、ますますわかりにくくなるわけだから、やりにくいわけだなぁ。
  


よろしかったでしょうかぁ、のことその1
(е_е;)?5月10日
  
 近頃、喫茶店などでよく「ご注文、○○、以上でよろしかったでしょうかぁ?」と言われる。今時の若者の言葉かなぁ、と思っていたら、妹弟子のTちゃん曰く「あれ、関西だけじゃないですかぁ?」....そういえば、そうかも.....それに、喫茶店やファーストフード店の若いウエイトレスさんたちの言葉のように思っていたら、そうばかりではなく、ある老舗の、かんざしや和装小物の店の店員さんが、古風な櫛を出してくれながら、これを言った。私としては、直感的に「似合わねぇ!」と思ったのだが、京都地元のYちゃん曰く、これは、言葉を柔らかくするためのものだ、という。柔らかいか?これ.....なんか、過去形、みたいな、かえってバカにされたような気がするのは、私だけだろうか.....
  

老舗のこと
(-0-;) 5月 9日
  
 「京都人だけが知っている」その続編ともいうべき「やっぱり京都人だけが知っている」という本が、少なくとも京都では、すごく話題になっている。京都出身の著者が、京都の本音を「あばいて」いる。キツいことが書いてある、という証拠は、追放覚悟、発禁覚悟、と、それぞれ帯にしるされている。まぁ、読んでみると、やっぱり、京都の自慢なのかな、と思わなくもない。京都というのは、それだけ歴史が古く、誇るべきものがたくさんあるから。

 その中で、なるほど、と改めて思ったのは、京都というのは、まったく保守的に見えるが、実はかなり革新的であって、なにごとも新しいものを受け入れ、それを、京都なりに消化しきってしまうすごさがある、ということだった。
 
 例えば、老舗、について。どんどん新しいものを吸収して考案している、リスクを恐れぬ店こそ、老舗、「老舗は継続してこそ老舗、古いやり方への固執こそ継続の癌」。
 ある和菓子屋さん曰く「昔からここの味は変わらへんねぇ、美味しいねぇて褒めてもらえる菓子に限ってじつは甘さ控えめになってたり、昔の製法と違うもんなんですわ」、はじめて緑茶のティーバックを売り出したお茶屋さん曰く「本物、本物いうまえに、まずコーヒー飲んでる人に日本茶に馴染んでもらわんとね」、ある刃物屋さん曰く「今ええもんだけがええんです。そんで、ええもんいうのは常にもっと良くなっていくもんのことです。同じもんを継承するだけで積み重ねがなかったら意味がありません」、ある宿屋さん曰く「みなさん古い物がいいとおっしゃいますが、古かったらどんな安物でもいいのかと私、思うんです」、また、ある金具屋さん曰く「みなさん手造りやいうだけで感心しはりますなあ。そんで『手造りにコダワリがある』とか言わはる。別にこだわってんのと違ごて当たり前のことしてるだけなんですけどねぇ」.......
 これらを、芸、におきかえても、全く同じことのような気がする。老舗は、一期一会のご縁をもって、お客と礼儀をもって接し、その関係の中から、ニーズにあった、時代にあったものをどんどん作り出していくのだ。

 京都の茂山家の狂言は「幸せのこと」に書いたように、お豆腐狂言、といわれ、それを家訓にもしている。茂山家のHPから、この部分を抜粋すると「豆腐というのはそれ自身それほど自己主張の強い食物ではありませんが、いつのまにやらみんなに好かれています。 私たちも、ごく一部の熱狂的なファンよりも、より多くの人たちに愛されたい。 八方美人といわれそうですが、いつも一方よりも八方を向いて、皆様のお口に合う、極上の豆腐でありたいと思います。」「お鍋の中で、ぐつぐつ煮ているうちに、まわりのおだしに上手に染まるあの豆腐の、自由さというような身上を見習いたいのです。今という時代にちょうどよい加減な表現。それが結局まっすぐで正直な次の伝統を創っていくことですから。」「いつの世であっても、より多くの皆様に笑いと、幸と喜びを、そして娯しみをと茂山家一同がそう願っています。そのためには、まず私たちが人一倍好奇心とチャレンジ精神をもって舞台に立つことを喜びたいと思います。」........なんという、老舗!

 我々伝統芸能の世界は、先人をまねる、なぞる、という段階を経てなんとか形になってきて、それから自分が少しずつ出せるようになってくる。この、なぞる段階が非常に長い時間かかってしまう我々にとっては、ただなぞるだけでなく、その上で常に時代にあった進歩をしていく、というのが、とても辛いことのように思われる。だけど、どこかで見切りをつけてちゃんと進歩していかないことには、我々は、立派な老舗にはなれずに、店をつぶしてしまう。K師匠は「わしは、悪いもんなら残らん方がええと思うねん」とおっしゃった。それでいいのか、私たち!
  


下座さんのこと
(^-^)5月 7日
  
 今年は、京都に滞在後、仕事で大阪に4泊した後、やっと東京に帰って来た。

 今年は、充実していた....京都で狂言1回、落語2回、コンサート1回、大阪で落語3回、USJに明石海峡大橋......なにしに行ってるのかわからない、とも言えるが、見るもの、聞くもの、すべてが、勉強である。
 
 で、大阪の落語は、はめもの、という、噺の途中で下座の三味線が入るものが多いせいか、わりに小さい会でも、生で下座が入ることが多いように思う。そして、下座が上手な場合が多いように思う。今回は、はめものは1つもなかったのだが、下座がたぶん、東京の寄席と同じ、2挺で弾いていると思われるのに、音の重層感、というのか、迫力が、まるで違う。もしかして、中棹を使うとか、なんか違うのかなぁ......でも、東京でいえば前座さんに当たる人がたたく太鼓もそうだ。間取りがキチンとして、迫力がある。TV中継で何度か寄席を見た時も、みんな上手だった。
 ある人の出囃子が、平作、といって、義太夫の「沼津」のはじめの小揚げという、ツレ弾きの入る部分を使っているものがあって、これを2度聞いたのだが(偶然、同じ人を2度聞いた)2度とも、その出囃子だけでワクワクして、これだけでも価値が充分あるなぁ、と思った。この出囃子は東京で聞かないように思うし、上方色の濃いものだろう。そんなことから考えると、もしかすると、義太夫発祥の地である大阪の、腹から出る迫力の音、という感覚が、どの曲に対しても同じように、下座さんにもあるので、義太夫にちょっと毒されてしまった私が、ちょっと江戸っ子のくせに、上方の下座のがすごいじゃん!鳥肌もんじゃん!と、勝手に思ってしまっているのかもしれない。
 
 それでなのか、帰る直前に行った落語会は、江戸落語の代表であった、昨年10月に亡くなった志ん朝師匠の追善公演だったのだが、座談会の前に、志ん朝師匠の出囃子だった老松、ゲストの矢崎滋が落語をやる前に志ん朝師匠のお父さんの志ん生の出囃子、一丁入りを演奏した時、なんだか乱れた。せっかく上手なのに惜しいな、と私は思った。もちはもちや、ということか?

 とにかく、私としては、またあの迫力の下座さんを聞きたいなぁ、と思う。
  


幸せのこと
\(^○^)/4月25日
  
 今月は京都に滞在していて、いつも、オフの日や、夜、なにか聞きに行くものはないか、と、情報誌をあさるのが常。主に、落語とかお笑い情報を求めているわけなのだが、妹弟子のKちゃんに見せたら「是非この狂言に行きたい」と言う。それは、京都の茂山家の狂言で、TVに出ていた、かわいい逸平クンも出ている。まぁ、私は、彼らが、花形狂言少年隊だったか、そういうのを組織して活躍している、というような知識はあったのだが、見たことはなかった。今の茂山家の総帥ともいうべき、千作さんは、千五郎時代に何度か見ていて、その中には、狂言でない芝居もあったと思う。もちろん悪い印象は全くなかったが、それほど、つまり、今ほど、ハマル、ことはなかった。そう、私は、その公演を1度見ただけで、茂山家の狂言に、はまってしまったのだ。

 まずはじめの印象は、いい大人がとってもかわいい、幸せをくれる、ほのぼの、一所懸命、和気あいあい....そんな感情から、変な言い方なのだけど、この人達は、絶対悪い病気になんかならないんじゃないかなぁ、ということだった。なんともいえない明るさがある。

 はじめに逸平クンが後見に出て来て、ちょっと手際が悪かったりしたので、私は「きっとこの子、ヘタなんだわ」と思った。あとの演目に彼が出て来て、花見客のどん尻にいた時も「あ、きっとヘタだからどん尻にいるんだわ」と思った。ところが、一声出した時にびっくり!すっごく上手なの!頼りなさげな、子供っぽい(まぁ、私にしてみれば、子供でもおかしくない年なわけで....)容姿の逸平クンが、なんて上手なの、やっぱ、ただ者ではないのだ、という感激。
 千作さんのお弟子さん3人組のおじ様たちがいて、狂言は、おもいっきり素顔で出てくるから、この人たちはまたなんだか身近だわ、と。背広着て出て来そうだわ、と。そのおじ様たちが、大真面目に柱を運ぼうとする。それも、とぉってもいいご主人様に仕える(なんたって、果報者、て役名なんだから)とぉってもいい人たちが、お互いとぉってもいい感じで協力しあってる...すごくいい風景なんだなぁ。
 それから、サラサラサラサラ、パッタリ、とか自分で言って、それが戸をしめる音だったり、ポッキリ、て自分で言って枝を折ったり、なにかする前に必ず全員揃ってお酒を飲み干してからやったり、とにかく、大真面目にやっていることが、いちいち新しくて可笑しい。最小限のセットや道具の中で、想像力を喚起したりするから、すごく、無限。それに、たとえば、酒の肴になにかしてくれ、というと、お坊さんが「経を読みまする」とか言って、すごい勢いでやろうとする間とか、まったく新しいのだ。絶賛!!

 凝り性の私は、早速、逸平クンとお兄さんの宗彦クンが狂言を案内する、という本を買い、茂山家の系図などを頭に入れる。そこに出ていたHPから、ファンクラブにも入会。そして、東京に帰って、たしか昔買った本に、彼らのことが出ていた、と、ひっくりかえしてみる。あった、あった。「お豆腐狂言勢揃い」として、茂山家の人々、奥様がた、お弟子さんがた、の集合写真がのっている。なぁぁんて明るいの!みぃんなとびきりの笑顔。中にはのどの奥まで見えてる人もいる。この明るさで、幸せをおすそわけしてくれるんだわ!そういえば、今年のお正月、朝日新聞の特集で、千作さんの笑顔がアップで出ていた。ほんとの、恵比須顔よね!

 ちなみに、この「お豆腐狂言」というのは、茂山家の家訓ともいうべきもので、晩のおかずに困ったらお豆腐にでもしとこ、余興に困ったら茂山の狂言にでもしとこ、と悪口を言われたことを逆手にとっているのだそうだ。すばらしい!!権威などクソくらえで、どこにでも出向いて身近に楽しく親しみやすく狂言をやってきた茂山家。その結果が、こんなすばらしい芸を産んだんだ。一族がふえて、ますますお幸せそう。

 こんなすばらしいものに出会えて、妹弟子のKちゃんには、感謝だワ。

 実は、私(Kちゃんも)、5月に、千作さんと千之丞さんと、同じ会に出られるのダ!!!
  


オーラのこと
(・・;)3月30日
  
 先日、深夜のTVで、見るつもりではなかったのに、見入ってしまった番組があった。年商何億、何十億、という成功している社長さんたち4〜5人が、札束を目の前に積んで並んでいるところへ、1人ずつ、何かの事業をはじめたいので、そのために投資してほしい、という人が入って来る。その人の説明を聞いて、投資しよう、と思ったら、その場でその札束を、社長さんが渡す。ただし、ある種のシビアな面接なので、かなり厳しい言葉も投げ付ける。カメラは人の顔をひたすらアップで撮る。ものすごく、生々しい。
 私が見た志願者は2人で、1人は不合格、1人は「この続きは、○日放送のスペシャルで!」といって、切れてしまった。

 1人の不合格の人は、女性で、ある社長さんに「あなたは、とっても幸せそうだ。私はその幸せをこわしたくないね。」と一喝され「我々は、地の底をはいつくばって生きてきているんだ、なりふりかまわず、すべてを仕事にかけて家庭に見向きもせずにいて、何度も家庭もこわしてきている。」などなどと言われ、ついに泣き出してしまった。
 もう1人の人に対しては、ある社長さんが、自分がはじめて日本に持ち込んだ商売の方式を利用した商売であったことと、目のつけどころが悪くない、ということから「本当はあなたにお金を出したい、とっても出したいんだ、だけど、あなたには、なにもオーラがない。それどころか、この辺に(左肩を指して)貧乏神でもついてそうでね、なんかみんな吸い取られそうな気さえする。」と。

 キッツイよなぁぁ、と思いつつ、こういう社長さんたちは、人を見ることに長けているんだな、と思う。なんでも同じなんではなかろうか。なにをやるにも、やっぱり、オーラ、いわゆる、そんなものが、人には必要だろうし、人ががんばっていくと、そういうものが身につくのではなかろうか。

 んーー、スペシャル、見るぞ!
  


ポイントカードのこと
(^^;ゞ3月19日
  
 この頃よく、お店でポイントカードをくれる。ポイントをためると割引きになったり、なにかくれたり、お店によってさまざま。が、この頃は、なんでもカードの時代で、カードばかり財布にたまるので、家に置いて出たりする。すると、結局ポイントカードが使えないともったいな、なんて思って、同じものを買えるなら、他の店で買ってみたりする。そんな必要もないんだけど「ポイントカードお持ちですか?」とか、いろんなことを聞かれるのが面倒になったりして、つい.....
 ま、もちろん、是非とも、という買い物の時は、ポイントカードを持って出るようにするけど.....
 私は、かばんとか小物とか洋服とかのお店でも、そこの商品を身につけてその店に入ってしまうと、なるべく隠そうとしたりする。買いに行くことがわかっている場合は、その店の商品は、身につけるのを避ける。
 これ、なんか、逆なような、似た心理みたいな気がするんだが.......
  

言葉の暴力のこと
(;_;)3月15日
  
 うちへ帰る道、駅のそばに屋台のたこやき屋が出ているのだが、今日そこを通ったら、たこやきを焼いているオヤジがいきなり「婆ァに興味はない!」と言った。「趣味はない」だったか「用はない」だったかもしれない。とにかくびっくりした。
 そんなに気にするほどのことではないかもしれないが、なんでこんなことを書くかと言うと、以前も2〜3度言われているのだ。言葉の内容ははっきりしないが、とにかく似たようなことを。その時は、まさか、という感じだったし、聞き違いかな、と思ったし、ちょっとは気になったが、すぐ忘れた。しかし、今日は、なんだかとっても傷ついた。そりゃ、若くはないけどさ.......少なくとも今日は、私しかいなかったし、たぶん私に言っている。なんでそんなこと言われなきゃいけないのかな....まぁ、ちょっとおかしい人なんだろうが、私だけに言うんだろうか...私は以前はもう記憶にないが、今日は、たこやきを裏返しているのは通りすがりにたしかに見たが、オヤジの顔は見ていない。おかしいにしても、こんな商売をしていて、そんなこと言うような神経でいて、売れるんだろうか。
  

伝統のことその1
(-.-;)3月11日
  
 今日は、代議士、鈴木宗男氏証人喚問で朝からもちきりだった。私は、以前も書いたが、まったくの政治オンチで、なにもわからないので、積極的に選挙にも参加しないことにしている。だから、政治家なんか、みんな同じようなことをしているだろうに、と思うと、ここぞとばかり追求している野党の人々と、さすがにひとりぼっち、という感じになっている鈴木宗男氏との対比は、不思議な図にうつる。政治家として、なにをしたかは別として、きっと信ずる道をひたすら歩んで来たんだろうし、そんなに悪い人なのかしら、と......
 あとで、追求していた野党の人がTVに出てきて、今まで鈴木宗男氏を利用して利権を得ていた人たちが、一斉に鈴木宗男氏に背を向けていっている、と言っていた。だから、ただ1人鈴木宗男氏ばかりをいじめるような追求に終わってはいけない、体制を変えなければいけないのだ、と。まったく、そこが大事なのだと思う。鈴木宗男氏とて、ちょっと調子に乗ってしまったがために、こんなに追求されるはめになったのだろうが、こんなこと、ずーーーっと伝統的な体制なんだろう、と思う。
 そう、これも、伝統芸。だからこそ、簡単には変えられない。田中真紀子氏が1人で外務省の体制に愕然としても、結局なにも変えられなかった。鈴木宗男氏が調子に乗ってくれたおかげで、こうして、少しは変わるのかも、と、みんなが思えるような風潮ができたのかもしれない。
 
 これで、どれだけのことが変わるのか、そこには、政治オンチの私も、興味がある。私たち、伝統の中に埋もれている者には、それを変えることがいかに難しいことか、身にしみているからなぁ.........
  

張り扇のこと
(^○^)3月 6日
  
 以前、ある講談の人の独演会に行って、ゲストに、古典芸能にくわしく、愛してもいるタレントが出て、講談のスタイルで話をしてみせたことがあった。その時、張り扇というのをパンパンたたこうとするのだが、全然音が出ない光景を見て、はぁ、なんでもないようだけど、これもプロの腹の加減なのかなぁ、と感心した。しょっちゅう芸を見聞きしていても、できる、というわけではない。

 私の師匠なども、稽古の時は、講談のものとは違う種類ではあるが、張り扇で拍子を打つ。これがすごい音がする上、すぐ張り扇が痛んで、折れたり、中身が出て来たり、曲がったりする。これも、異常な腹の加減ではあるんだろうなぁ。
  


芸のことその13
 (^.^)2月24日
  
 義太夫の三味線を弾く者は、合奏する曲があるので、ホソの三味線、琴、胡弓なども演奏する。文楽の人々は、本業の三味線以外の楽器の演奏も、大変水準が高い。

 文楽のSさんが、私の胡弓を弾いてくれた時、これが同じ楽器か、というほどいい音がして「どうしてそんな違うのかな」と聞いたら、彼は「そんなことない」と謙遜しながらも「まぁ、楽器が好きやから、楽器の方でも、あ、好いてくれてる人やから、ええ音出そかなぁ、て思ってくれるんちがう?」と。実際彼は、楽器が好きだから、その楽器が特性を生かしきれていなかったりするとがまんできなくて、いじりたくなるし、楽器があると、すぐ弾いてみたくなるのだという。いい話だなぁ.....

 義太夫の三味線は、素材が自然のものばかりで生きているので、一緒に音を出そう、という感覚が強いように思う。私は、あまり楽器を大切にしない方かもしれないので、反省するが、でも、三味線に名前をつけたりなんかしている。学生の時、長唄のクラブに入って、先輩に言われたことは「三味線は、赤ちゃんを扱うように扱うこと。けっしてまたいだりなどしてはいけない。」ということだった。

 愛情は、根本よね...........
  


読者のねたその14
(е_е;)? 2月23日
  
 「読者のねたその12」を読んだIさんより。

 高い技術と人間性は反比例する、ということはないのでは?高い技術とは、人間性も含まれることではないか、と。

>人間性だけ良く技術がなければ、お医者さんとしてはやっていけないのかもしれません。
>だけど、技術と人間性を併せ持っている人はきっといます。

 .....心強いご意見!だけど、またもや「芸のことその11」に戻るのだが、私がこの世界に入って、人間性を優先しない例を見てきた、ということは、人間性が??でも技術がある、という例がある、ということで.....ムゥゥゥ..........
 義太夫の場合、この「??」に、制約はあるような気がする。??、だけど、ホットな部分がある、とか、男女のことではない部分で愛情が深い、とか.....
 
 Iさんも、理想論かなぁ、と言うのだけど、私も、併せ持っている人はいる、ということは信じていたいなぁ。
  


読者のねたその13
(>_<)2月23日
  
 「読者のねたその12」を読んだK師より。

 お父様が入院中、鼻からチューブを入れてタンを吸引するのだが、実に親切な、いつも相談相手になってた少し年輩の看護婦さんがやったら下手くそで、苦しそうだったとか。

 「反比例」の例。
   


ついでに
\(^○^)/2月22日
  
 師匠は、日頃の鍛練の結果、というべきか、手術後たぶん10日あまり、という時期に、もう退院できそうです。ご心配をおかけしました。ありがとうございました。
   

読者のねたその12
(;´_`;)2月22日
  
 「看護婦さんのこと」を読んだHクンより。

 彼は、病院の事務職の経験があるそうで、看護婦さんとも、患者さんとも、話す機会があって、ある評判を耳にした。彼が接して、人間的に真面目でやさしい、と思われた看護婦さん(便宜上、Aさん)が、そうでない看護婦さん(便宜上、Bさん)より患者さんの評判が悪い、というのだ。あとでわかったところによると、注射する時に、Aさんは、患者さんの状態をおもんばかるあまりに、痛く、Bさんは、職業的潔さで、患者さんにあまり気を使わない結果、痛くないのだそうだ。

>どうやら、評判の決め手が日頃の色々な気配りよりも「注射」(の痛さ)だったよう です。
>本当は良い人格と高い技術の両方あるのが望ましいのですが、少ないようです。

>高い技術と人間性は反比例するような気がします。

 エー、そうなのかな......病院関係は、凄惨な場面に遭遇することが多いから、人をある意味「もの」として扱える人でなければ、できない一面もあるらしい。が、やっぱ、そうなのかな.....

 芸人は、ただただ「あの人はええ人や」と言われるような人はダメだ、と言われる。さりとて悪人ではいけないのだけど「あの人はええ人やけど、なかなかシンはしっかりしてはる」と言われるようでないといけない、と。

 昔の文楽のお師匠様方が、看護婦さんに説教してしまう話は「看護婦さんのこと」に書いたが、注射をしに来た看護婦さんに「おなかの加減が違う、息止めて、浄瑠璃と一緒や!」という、無茶な説教をした名人の話は、つとに有名だ。
 が、この加減を会得して注射することは、看護婦さんにも共通する、技術、の問題なのではないのかな。それと、人柄、て、別なのかな。人を見て、ちゃんと応対できて、気を配ってくれる人が、痛くないようにおもんばかりながら、その技術を使って注射してほしいよな.......理想論なのかな......

 こと、義太夫に関しては、自分がやっているからか、どうしても、ここを割り切りたくなくて「芸のことその11」に書いたように、芸と人、ということで考えこんでしまう。
   


読者のねたその11
<(_ _)>2月19日
  
 「看護婦さんのこと」を読んだ大学生のIさんより。

 彼女は、教育実習へ行く時「子ども扱いするな。中学生は立派な大人だ」と指導教官に言われたそうだ。そして、実習中、誰にでも同じ接し方をすることはやさしいが、違う接し方をいかにできるか、が、教師の力量だ、と思ったそうだ。さらに、それは理想論かもしれないけど、いかに忙しくても、違う接し方を心がけ、せめて、それができていないことを忘れないようにしなければいけないのではないか、と!
   


夫婦のこと
( ´∀`)2月19日
  
 師匠が、手術の麻酔が醒めかけの時、夢を見たそうだ。
 誰かに「あなたの一番大切な人は誰ですか?」と聞かれて「師匠です」と答える。「次は?」と聞かれて「子供たちです」と答える。「次は?」と聞かれてやっと「パパ(ご主人)です」と答える。すると、パパが「なんだ、俺が出て来るのが遅いじゃないか」と言った、という夢。それを聞いていたパパは「俺ャ、そんなこと言わないよ」とおっしゃっていたが、なんか、いい感じ。
 
 パパは、師匠が手術する、と聞いて、自分の方が具合が悪くなって、はては、師匠が入院する前日まで風邪で寝込んでしまったのだそうだ。

 毎日パパは病院に通っていらっしゃるけど、誰もいなかったりすると、今来たばっかりだ、というのに「もう帰ろうかな、うちのことがあるし」とおっしゃるのだそうだ。「べつに話すこともないしねぇ」と照れていらした。

 師匠は、2度ほど週末に外泊許可が出て家へ帰ったのだが、ほこりが気になってパパに言うと「ほこりじゃ死にゃしないよ」と呑気なんだそうだ。

 なんとなく、夫婦、て、そういうものかな。

 それで、夢の話に戻るのだが、きっと師匠も、パパを出すのが遅れてうしろめたいな、という気持ちがあるから、夢の中のパパにあんな台詞を言わせたんだろう。が、私たちは、登場もしないなぁ.....なんて......
 手術の翌日に師匠の顔を見に行った時、師匠は大変にしんどそうで、動くのもままならないし、声もほとんど出せない状態だったのに、検査から車椅子で帰って来て、私の顔をはじめて見て、右手をちょっとふって、ベッドになおって、まずそばにいた妹さんに「お茶....」と出ない声で言った。妹さんは、まだ点滴のみなのになにを言ってるのか、と思ったそうだが、即座に私は気付いて「気使わないて下さい!」と怒った。私にお茶を飲め、と、気を使っているのだ。
 なんか、他人行儀。さんざん師匠に言われているであろうパパが気を使って下さって、もうごちそうになったもんね......
 
 修行が足りないな。
 しょうがないのかなぁ..........
   


読者のねたその10のつづき
( ̄^ ̄)(______)2月18日
  
 人に対する時、敬意を忘れてはいけないな、という話で、私も、たまにものを教えたりするから、常に注意してしすぎ、ということはないだろう、と思っている。
 が、逆に、例えば相手が、どこそこの社長さんだから、とか、そういう事柄だけで人を大事にする、というか、そういう人にだけはなりたくないな、と、強く思う。
   

読者のねたその10
( ̄^ ̄)2月18日
  
 「看護婦さんのこと」を読んだTピーより。

 彼女と私には、共通の恩師(大学教授、女性)があるのだが、そのU先生は、学問的にすばらしい方でも、パソコンの使い方には初心者で、ある時、授業にパソコンのインストラクターを呼んで説明を受けたところが、そのインストラクターが、まるで同じ対応であったそうな。もちろん、その場にいた学生は憮然としたそうだ。

 彼女の共感のポイントは、
 1つには、自分も、弱者、と思われる人に対してそういう態度をとっていたとしたら、危険なことだ、相手に対する敬意を忘れてはいけないな、と思ったこと。
 
 もう1つは、U先生がインストラクターに対してとても素直であったこと。これが男性の教授だったら、本人もインストラクターも、態度が違っていたかもしれない。
> おそらく今よりずーっと封建的だった時代に、女性でありながら専門的な職業を続けるために、こうして常に謙虚であり続け
> る必要があったのかなあと、邪推かもしれませんがそんな風に感じました。

 そしてU先生は、若い人に聞きながらパソコンをコツコツと練習していらっしゃるそうだ。
 うちの師匠も、病院で手術後、コツコツと歩く練習をしている。
 


読者のねたその9
(--)(__) 2月18日
  
 「看護婦さんのこと」を読んだ、同じくTクンより。

 TDLの接客、という意味で、考えさせられる問題だそうで......
ディズニーの基本思想は「全てのゲストがVIP!」、あのゲストにして、あのゲストにはしない、ということはなく、全てのゲストに同じサービスを、という考え。が、彼の思うに、違うゲストに、同じ対応が正しいとは限らないのではないか、そのゲストに対して一番の方法を、出来る範囲で考えて対応するのが正しいのではないか、と。
  
 昔の文楽のお師匠様方なんかは、そういうところも言いたかったんだろうなぁ。人を見ろよ、人を、と。
  


読者のねたその8
p(゚-゚)q2月18日
  
 「芸のことその12」を読んだ、TDLでキャストをしているTクンより。

 彼は、以前キャストの経験があり、再入社したので、再入社時の同期の人々より先輩、という扱いを受けるそうだ。同期の人の失敗を、Tクンが「何故教えない」と怒られるとか......

 が、彼は、
> もしその立場が逆転してしまったら自分の能力に見切りをつけられてしまったことになる、それだけは避けたいので頑張ろう> と思う
て。
えらいな。そりゃ、そうかも。

 そして、私にしては、弱気で愚痴っぽい、とも..............ん、がんばらなきゃね。
 違う場所にも、同じような苦労をしている人はいるのよね!
  


看護婦さんのこと
( ´∀`)2月15日
 
 看護婦さんというのは、すごい職業だと思う。人のいやがるようなことまでお世話してくれるわけだし。

 が、今、師匠が入院していて、看護婦さんとのやりとりを何回か見たのだが、看護婦さんがみんな、気も体もはっきりしている「師匠」に向かって、子供にでも話しかけるような調子なのは、ちょっといただけないなぁ、と思う。手術後の、体が弱った時だとしても、あたかもボケでもきている人に向かうような調子、ていうのもなぁ.....どうなのかなぁ.....

 昔、文楽のえらいお師匠様が入院した時、時々病室へ行くと、いっつも師匠が看護婦さんを怒っていた。体力のある時は、個室の外まで聞こえるような大声でどなりたおしていた。若い看護婦さんで、泣きそうになっていた人もいた。まぁ、好きな看護婦さんにはニコニコとしていて、あとで「あの看護婦さんはなかなかええねん。」とご機嫌だったこともあったけど....
 昔の話を聞くと、文楽のお師匠様方というのは、厳しい修行をしていて、人に気を配り慣れているから、どうしても看護婦さんのすることに、思いやりがない、気がきかない、態度が悪い、何度言ってものみこまない、などと文句が多く、患者のくせに看護婦さんを説教してしまう、というので、病院で有名になってしまう例が少なくなかったらしい。

 うちの師匠は、大人しく応対しているけど、文楽のえらいお師匠様などは、そんな態度をとられると、ついムカッとくるだろうしな.....マニュアル、とまではいかなくても、たぶん看護婦さんは、決まった仕事の仕方をするから、その人がどんな人でも関係ないし、ある意味、患者を平等に扱うことが、こういう結果を産むのかなぁ。
   


芸のことその12
ε=( ̄。 ̄;)2月11日
 
 我々は、師匠以外に、文楽の方々のお稽古を受けながら舞台を勤めていて、その中でもいつもお世話になる方などは、日ごろの事からいろいろと教えていただく。
 
 私の師匠は「虎の威のこと」に書いたように、けっこう、エライ人なので、弟子がたくさんいて、その中で、現役で女流義太夫の舞台をふんでいる者の中では、私が一番上、という立場にある。
 先日、ある文楽のお師匠様に、妹弟子がちょっと筋を間違えたのだが、私が怒られた。師匠はえらすぎるし、弟子が多ければ目が届かない。この世界、上下関係のきびしい、はっきりした世界なのだし、間にいる私が、目を配って、教えなければいけない、と。おまけに、師匠は入院中だし.....
 
 私は、思わずさからいたくなる.....修行年数などさほど変わらないんだし、私はこの世界に入ってまだ17〜8年。50年も60年もかかってやっと、なんていう世界に、まだ20年もたってないのに.....自分のことで精一杯、しかも、身に余る役をこなすのに必死なのに....それで、「エー、そんなぁ」などとさからうと「エーやない、ハイだけでええのや」などとまた怒られる。まったく、わりにあわない、たらありゃしない。だいたい、妹弟子にしたところで、私とは、仲間的な気持ちでいるわけだし、私だってそうだ。そんなエラそうなことを言うのは、大変苦痛だ。はたから見たら、実際大したことないクセにいやなこと言う、やな奴じゃないか....

 そんなのも、芸のうちなのかなぁ........
   


芸のことその11
(,_,)2月 6日
 
 師匠入院の噂を聞いて、5月に受けている仕事先の方から、問い合わせをいただいた。もちろん心配されるのは仕事上当然なのだが、本人が、ハードな舞台ではあるが回復して出るという見込みで、代役を立てたりしていないわけなので、周囲の人間としては、なにも口を出せず、つらいところだ。(実際師匠は、今までの2倍も3倍も稽古しなければ、と覚悟している。)

 芸人、というものは、健康で芸ができてこその価値、ということを、つくづく感じる。お客様は、芸を聞きに来て下さるわけで、おつきあいするわけではないから.......
 
 芸は人柄が出ると思うから、私は、芸だけで人をはかる気にならないのだが、この世界で育っている人が、人柄をあまり優先しない例を、私も見てきた。また、人柄は関係なくして、芸ができないと、芸人は、芸人でない、というのは、たしかかもしれない。
 私はこの世界に入ってからずっと、芸、ということと、人、ということが、どういうことなのかなぁ、と考え続けているのだけど、ますます難しいなぁ、と思ってしまう。

 まぁ、とにかく、師匠が早く元気になってくれれば、それでいいんだが....
   


虎の威のこと
(´.`)1月27日
 
 師匠が、入院手術、ということになった。丈夫な人だったので、皆、ショックがかくせない。
 師匠は、女流義太夫の第一人者であり、弟子が多く、いわゆる、人間国宝にも認定され、女流義太夫じゅうの人々が師匠を頼っている。その人の弟子で、まして、三味線を弾いている私としては、虎の威を借る狐、にならぬよう、重々気をつけてきたつもりだ。が、やはり、こういうことになって、代役をやって下さる方とか、まわりに気を使っている自分、その気の使い方、なんかを客観的に考えると、虎に休憩されてしまって、あたふたしているのではないか、と思ってしまう。自分はやはり、いいにつけ悪いにつけ、師匠、というタテを通してものを考えていたのではないか.......
 修行が足りない。
 心細いことだ.......
   


 
 



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