津賀寿つれづれ
お金のこと
(゜-゜)12月29日
 
 TDLでは去年から、本来は大晦日の、年があける時にしかやらなかったカウントダウンパレードというのを、特別5日間ほど見せてくれるようになった。去年はじめて、このパレードを見た時、これを見ないうちに死ななくて良かった、というほど、感動した。
 今年も、これを楽しみに行ったが、去年ほどの感動はなかった。それは、慣れ、かもしれないし、花火があがらなかったせいもあるかもしれないが、1つには、去年のカウントダウンは、21世紀の幕開け、ということで、主要なキャラクターが、新調の衣装で出てきたところを、今年のは、ミッキー以外は、すべて、なにかの使い廻しだ、ということがあったと思う。べつに、使い廻しだろうが、かわいいことはかわいいし、楽しいことは楽しい。充分に盛り上がってはいるが、私が思い出したのは、ある師匠が会をやった時に「見えないところにお金のかかっていない会は、ダメなんだよ」とおっしゃった言葉だった。世の中、お金がすべて、とは思いたくないが、お金を使うことによって生まれる、人の気持ち、思い入れ、団結......いろいろと派生するものが、会を盛り上げて、結果、人に感動を与えるのではないのかなぁ........
 

知恵のこと
(^^)V12月28日
 
 生活の知恵を紹介するTV番組で、だいぶ前に、運動靴のひもの結び目に目薬のように水をたらしておくと、ほどけにくくなる、というのをやっていた。実験として、ダンスシューズに、水をつけたのとつけないの半分ずつ、複数の人にダンスをしてもらって、数をみると、圧倒的に水をつけるとほどけない、というのを見せ、また、科学的になにかの分子が、水をつけるとふくらむから、根拠があるのだ、というのも見せていた。

 三味線は、胴を右手でおさえる所に、胴かけ、という付属品をつけていて、それをひもでしばりつける。そのひもは、弾くたびにしばりなおすし、ことに舞台の時には、これがゆるんでくると演奏どころではなくなるので、きっちりしばることが大切とされている。
 私がついていた重輝師匠は、結ぶ時に、結び目にツバをつけるとゆるまない、と教えて下さった。なんとなく抵抗を感じて、何回かに1度しかツバはつけないのだが、ハタと思うと、こりゃぁ、お師匠さんの方がずっと先にやっていた知恵だったんだ、と.....
  


愛と夢のことその3
(^^)12月12日
 
 ディズニーシーのアトラクションに「シンドバッドセブンヴォヤッジ」というのがある。シンドバッドの冒険の物語が作ってあるところを、船に乗ってゲストが通過していく、というもの。大掛かりな作り物がたくさん出て来る。
 その中に、緑色の巨人、大入道が出て来るのだが、プレビューで見たある時に、彼の足になにか傷がついていたらしい。ふと通り過ぎる時に見ると、緑色のばんそうこうをはっている。それ以降何度か見た時には、なおってしまって、ただ緑の肌をしていたが、この、ばんそうこうをはっていたところに、ディズニーの愛を感じた。ただ緑に目立たないように「補修」しているのとは、わけが違う。けがしているから、ばんそうこうをはっているのだ。

 パーク内の1つ1つのものに対する、そういう細かい愛情こそが、ディズニーの深みの秘密だと、私は思う。
  


プロのことその7
(‥)12月 9日
 
 手袋の季節になった。
 人間、手袋1つしているだけで、手の感覚がにぶって、不自由なものだなぁ、と思う。
 同じように、どこが具合悪くても、三味線を弾くのに、不自由なものだ。人間の体は、不思議だ。

 文楽の、昭和の名人、弥七師匠は、弟子の重輝師匠に、左の指使いを、こう、こう、とばかり考えていても、もしもその指のツメでもはがしたらどないする、その時どうするか、ということも考えないかん、とおっしゃったそうだ。
 体調の管理も、演者自身の責任だが、人間どんなことがあるかわからないから、そういう時の用意もないといけない、という例えだろうか...プロの言葉だ。
  


芸のことその10
○o。.(‥、)12月 5日
 
 私は、ホテルというものがとても好きなので、TDR(東京ディズニーリゾート)は、東京で、家から1時間くらいでつく距離なのにもかかわらず、よく周辺のホテルに泊まって遊ぶ。

 そういう時に、いつも楽しみにして行くのだけど、行くとすぐ、帰る時のことを考えて、淋しいなぁ、悲しいなぁ、終わりがきちゃうんだからなぁ、と思ってしまう。ひょっとしてこれは、せっかくの楽しみを、充分楽しめないことになっているのではないか、と思う。
 ひょっとしてこれは、先のこと先のことに気をまわすように、と言われている義太夫の三味線弾きのクセなのだろうか......
  


芸のことその9
(・・;)12月 1日
 
 私は、音優先人間なので、はやりの歌など聞いても、歌詞がなかなか頭に入って来ない。音として聞いている、ということなんだろうか.....たぶん、三味線弾き、というのは、どちらかというと、そっちのタイプの人間がなるのだと思う。
 
 だから、たとえば義太夫の語りを素人さんが習っていて、音程がはずれた時、これは、正しいとこより高い、とか、低い、とか思うわけだ。もっといえば、三味線のツボでいえば、ここ、とか、そうとらえる。
 が、師匠は、素人さんを教える時、こう息を引かないからはずれるんだ、とか、こういう風に息を吸ってみろ、とか言う。はじめそれが不思議で、どうして高いとか低いとか言ってやらないのかなぁ、と思った。しかし、息の加減を教わった方は、時にそれでなおったりする。びっくりだ。

 十数年、義太夫を続けている素人さんで、昔はよく音程をはずしていた人が、こう言った。はずしている時は、自分ではずれているのはわかっているのだけど、どうしたらいいかわからない。ところが、どれだけ自分で腹を決めて息を吸ってかかれば、どこまで声を出せるか、という加減を、だんだん会得できるようになると、音程をはずさなくてすむようになる、と。

 だから、早い話、私が義太夫を語ると、音程は絶対はずさない自信があるし、間も正しかろう、三味線を困らせることもなく語れるだろう、が、義太夫にならない。そういう修行をしていないから、と言えばそれまでだが、その腹の決め方と声の届き方の会得ができていないから、一応正しいけど、形だけの義太夫になってしまう。

 昔は、音程がわかる方が、いいことだと思っていたのだけど、太夫と三味線の発想はこれほどに違うし、なまじ音がわかるだけ、その先まで踏み入ることなく、私は、語りの勉強を終わってしまったんだな、と思う。

 三味線も同じだろう。音程があっていても、違う音、というのが幾種類もあるわけで、その音を出すために、どんな腹の決め方をすればいいのか、大いに悩むところで、そこに一生をかけてしまうのだ。

 義太夫、というのは、ほんとに、奥が深いのです。
  


プロのことその6の続きー2
ъ( ゜ー^)11月28日
 
 舞台でふけて見えた方がいい、と言われた話をしたら、噺家のK師匠。

 ご自分の師匠にも、そう言われたそうだ。「世間というのは絵より額縁で値を付ける」だって。
 なぁるほどぉ.................................................
  


芸のことその8
( ̄^ ̄)11月25日
 
 今度の井上八千代先生の稽古や舞台中の様子を拝見していて、なにより、タフだなぁ、と思った。

 私の師匠は、子供の時から修行をしているせいか、人の3倍分くらいはタフだ。誰もついていけない。それは、義太夫の体になっている、ということなんだろう。この頃師匠も病気したりして、やっと皆、いたわらねば、という雰囲気になったくらいだ。かく言う私も、見かけはやせていて、折れそう、と皆が心配してくれるわりに、丈夫だ。師匠にもなんとかついていっているし、妹弟子たちに比べるとだいぶタフ。義太夫の体質に少し近づいているのかも。

 そう考えてくると、八千代先生は、生まれる前からそんな環境にあるわけで、舞っていることが、=日常で、ふつうのことなんだろう。なにもとりたてて変わったことはしていない状態が、舞っている状態.......そりゃぁ、タフ、と我々が感じるわけだ。極端な話、我々がボーッとしてるのと同じ状態が舞っている状態、というくらい自分の体の中に自然に入っていたら.........

 私など、すっかり大人になってから義太夫をはじめて、なるべくその修行の仕方は、日常に義太夫を自然に聞いて身につける、ということを心がけてきているわけだが、身につき方のすごさ、というのは、生まれる前から、ということに上回ることはないからなぁ.......
  


プロのことその6の続きー1
(-.-;)11月25日
 
 「プロのことその6」を読んで下さった、H先生のメールで思い出した。

 私を預かって下さっていた重輝師匠は、いつも、舞台に出る時は、前髪を上げなさい、と言った。それは、肩衣にうつる、という理由もあるけれど、なにより、ふけてみえるように、という理由だった。「わこ見えたら、損や。」と。
 当時は、なにを言うのかなぁ、と.....若く見えた方がずっと得なのに、と思っていたが、なるほど、ふけてみえないと、通用しずらいこと、というのは、あるのだったんだ。やっとわかった。
  


ホテルのこと
(∋_∈)11月24日
 
 いつも泊めてもらっている某ホテル、長逗留する時に、歯ブラシは、毎日とりかえてくれなくてもかまわないと思うのだが、掃除してくれる人によって、歯ブラシを捨ててしまって、新しいものを置いて行ってくれる。が、人によって、新しいものも置いて行ってくれるが、古い歯ブラシも置いておく場合がある。こういう時は、ほんとは、古い歯ブラシを使いたい。無駄になるから、新しいものは使わないで置いておきたい。
 ガ、いっつも、歯磨き粉の小さいチューブを置いていってくれない。いつもだ。だから、ほんとに残念ながら、仕方なく新しいものをあけることになる。
 ま、チューブを隠しておけばいいんだけど.....
   

電車のことその14
(;¨)?11月24日
 
 誰が決めたものか、東京では、エスカレーターで急ぐ人は、右側を歩き、急がない人は、左側に立ち止まる。関西へ行くと、逆に、急がない人は、右側に立っている。
 が、新大阪は、大阪なのに、急がない人が左側に立ち止まっている。東京の人の方が、割合として多いのかな......
   

客席のことその7
(^m^)11月23日
 
 去年の4月だったか、大阪の寄席の客席で、おもろいオバチャンととなりあわせた話を書いたが、今度はまた、ある小さい寄席に行った折、すごいオバチャンととなりあわせた。

 オバチャンらは、4〜5人くらいお友達で、常連らしく、そのうちの3人が私のとなりに、たまたますわった。客席は座敷で、座ぶとんが敷いてあるが、2人のオバチャンは、足を伸ばしてすわっている。

 開演直前におもむろにやってきた、派手な和服のオバチャンは、客席に入って来る時「やぁ、皆さん、ようこそ。ありがとう、ありがとう。応援してくれて、ありがとうね。」と言いながら席についたので、てっきり関係者かと思ったが、皆知らん顔してるし......関係ないみたい。大阪の事情は、ようわからん。
 そのオバチャンは、東京でいえば前座さんにあたる、かわいい男の子が「ここへ前から出していただきたかったんで、今日は、もぉ、嬉しぅてね、散髪行って来まして」と言うと、喜んで「おぉおぉ、散髪代出したる」とちょっと小さめの声で言う。きっと出してない。その他、枕の個人的な話の時は、かなり反応しながら聞いている。打ち出しの時も、同じように「ありがとう、ありがとう、応援してくれてありがとう」を連発している。いい人だ。

 もう1人、少し若めの女性は、終始大人しく聞いているが、ある噺家さんが、バツイチなんだけど「結婚しまして」と言ったとたん、思わず「エッ!?」と大きく反応。中入りで「じゃ」と帰って行った。

 もう1人のオバチャンは、落語がはじまったとたん、袋から編み棒を取り出し、編みかけのマフラーらしきものを編みはじめる。時々笑う時もあるから、どうも聞いているらしい。だけど、真横を向いて、もくもくと編み続ける。中入りになると、突然編み物をやめる。落語がはじまると、また途端に編みはじめる。不思議。
 途中で携帯の明るい着メロが鳴る。そのオバチャンのかばんの中から鳴る。しばらくほっといて、おもむろに取り出す。すぐ止まない。止んだな、と思うとまたすぐ鳴る。かなり、前の席の常連さんらしき人が振り返る。また鳴ったところで、ハイハイ、と言いながら退出。帰って来ると、娘が来ただかなんだか、と、もう1人のオバチャンに報告。かなりイヤな顔をして振り返る人多数。
 
 私は、大阪にいてる時は、なんだかこういう人が嬉しい。
 恐るべし、大阪のオバチャン。
  


プロのことその6
(-. ;)11月23日
 
 10日間ほど、井上八千代襲名披露公演などの舞台で、京都大阪に滞在して帰って来た。祇園の井上八千代襲名披露公演は、世紀のイベントで、ことに京都の人にとっては、特別の意味があったようだ。
 披露の演目4番のうち3番までが義太夫のものだったので、私はそこで、師匠駒之助とともに、シンを勤めることになった。その他にも、2番、うち2番は2回ずつ公演されたので、7番弾く計算。義太夫というのは、ハードな芸なので、これは、それだけでもけっこう大変なことなのだ。
 ふだん、師匠の三味線を弾く、ということは、身分不相応なことで、ものすごく苦労することだが、師匠はなんといっても身内だから、なんとでもかばってもくれるし、育ててくれる。ところが、外部の人は、そうではない。
 大きな舞台だからこそ、よけいに感じたのだろうか....今度はなんだかそれを強く強く、感じて帰って来た。

 たとえば.....

 祇園は、昔は芸妓さんが義太夫を演奏していたのだが、今はいなくなってしまったので、外部の我々が行って弾いているわけだ。今度の曲の中で、芸妓さんが演奏する上方唄などと掛け合いになるものがあり、はじめの日、我々の楽屋まで上方唄と地唄のシンをなさる芸妓さんが、外部の我々をたてて、調子をあわせに来て下さった。が、部屋を見渡しても、師匠以外は皆若手。誰がシンだか.....という、三味線の演奏をなさるかなりベテランの芸妓さんのとまどいを、私はありありと感じた。顔にこそ出さないし、たんびたんびにあちら側から出向いて調子をあわせに来て下さったが、こんな若手をたてなければならないのは、いかにも気の毒だ。

 ある有名な邦楽の演奏家の方と共演したのだが、ちょっとしたトラブルがあり、結果的にはこちらになにも落度はなく、あやまってはもらったが、当初、すごい言い方をされた。私はそれによって少なくとも、まる1日はいやぁぁな思いをひきずったし、妹弟子たちにも、思いきりグチを聞いてもらった。きっと、シンがもっと年配のお師匠さんだったら、あそこまでの言い方はしなかったのではないかと思う。

 
 私の師匠は、いわゆる人間国宝、というのになっていて、なってから急に仕事がふえた。ことに舞踊会の仕事がふえたから、人間国宝、という名前にむらがる人は多いものだな、と思う。同時に、その国宝が、それと釣りあうだけの人であるべき三味線に、弟子の、この世界においては、超若手を連れて来る、ということは、相手に「エ!?こんな若造なわけ?」というような不安や不満を与えるもんなんだなぁ、と思う。

 しかし、プロというものは、そういう思いをはねかえして、いつも、自分なりに恥ずかしくないだけのことをしながら、演奏で、納得させていかなければいけない。あらゆる思いを感じながら、無視して、やるべきことだけやっていかなければいけない。強くなる、というよりは、やはり、ひたすら芸のことを考えていなければ、とてもできない職業なんだな、と、つくづく、肝に銘じよう、と思った。
  


類は友のこと
(^.^)11月 2日
 
 義太夫の三味線というのは、シンドイわりに報われないので、プロのなり手も少ないけれど、ましてや、素人さんでやろう、という人も少ない。のではあるが、最近は楽器に興味を持つ若い人がふえているらしく、声を出しに来る人を含め、私のところにも、お弟子さんが数人いる。

 よく、類は友、というが、不思議に、各師匠方のもとに集まるお弟子さんは、師匠とタイプの似た人が多い。控えめでとても人柄の良い師匠のもとに、同じように、控えめで人柄の良いお弟子さんが集まっている。個性的な師匠のもとには、個性的なお弟子さん........その他、いろいろ.........
 
 では、私のところには、どういう人が集まっているかというと、とっても真面目、お笑い好き、おっちょこちょい、正直で舌禍事件をおこしそうなお人好し.......熱心で、けっこう探究好き、職業は、ミュージシャンや作曲家の卵、学者、先生、ちょっとふつうじゃない主婦、OL、引退して優雅な人、モデル、イアホンガイドのオペレーター.......
 
 私は、そんな風ではないけどな、と思いつつ、みんな仲が良くて、楽しい。作曲家の卵は、今、パリのコンセルバトワールに留学中だし、ミュージシャンは、バークリー音楽院出身。私は、そんな才能もなく、国際的なことには全く音痴だけれど、おかげで、外国のことをちょっと知ってたりして、ちょっと自慢げだったりして.......いろいろな事を、みんなの分も一緒に経験しているような気がすることがある。
 人のつながり、というのは、そういうものかな。それによって、人間的に太って、芸も豊かになると、お互い、いいのだけど.....
  


愛と夢のことその2
(^-^)10月 6日
 
 ここのところ、女流義太夫の間で、漫画が流行っている。子供の頃に買った本をシリーズで大切に持っている人もいるし、凝ったのをきっかけに、すごい量の本を新たに買った人もいるし、読んで気に入った本を手元に置きたいから、と、買う人もいる。とにかく貸し借りで、稽古場には漫画本がいっぱい、という状態。
 私は、子供の頃から、時々友だちに借りたものを読む程度で、ほとんど漫画を読まない子供だったが、今は、借りまくって読んで、気に入ったものを買ってみたりしている。

 どういうのが気に入ったかというと、和物の「百鬼夜行抄」という、あやかしの話。その、物語よりも、登場する、尾白、尾黒、という間抜けなからす天狗が気に入った。この2人(?)は、主人公に忠誠を誓う妖怪なのだが、あとで知ったところによると、作者がかわいがっている文鳥がモデルなのである。この文鳥の漫画も出版されているほどなのだが、絵を見ると、まるで尾白、尾黒なのだ。やぁっぱりなぁ.......

 やはり、私は、愛情の通いあった、というものにひかれるようだ。ウォルトディズニー、その遺志を継いだディズニーランド自体と、ミッキーマウス、その他のキャラクターとの愛情。愛情があると、提示された世界に深みが生まれる。細部に、可愛さが生まれる。ウォルトディズニーが亡くなった時、ミッキーマウスが落胆して泣いている絵が、雑誌の表紙になったりしたそうだが、私は、そういうのが、好きだ。

 こりゃぁ、大原則だな...........
  


志ん朝師匠のこと
(-人-)10月 3日
 
 志ん朝師匠が亡くなった。次元の違うスターだったのに...
 
 最後の高座は、8月中席、浅草演芸ホールの住吉踊りだった。私は16日に見に行ったが、それほど体調が悪い、ということは、全然気がつかなかった。あとで、病院から点滴をしながら通っていた、と聞いてびっくりした。住吉踊りは、故雷門助六師匠から、昔の噺家さんの踊りを伝え聞いて復活させたもので、志ん朝師匠は、これに責任を感じていらしたそうだ。
 その日、最前列に青森から来た90のお婆ちゃんがいて、志ん朝師匠は高座から話しかけて「そんなに遠くから、ありがとうございます。90.....お元気でいらして下さい。」と言い、踊りが終わったフィナーレで、手ぬぐいをそのお婆ちゃんに渡した。

 正月の初席以外、あまり寄席に出ることのない志ん朝師匠だったが、ここのところ定席のトリを勤める機会が多かったようで、この正月、二之席の末広亭には、私も3度通った。前の席亭は年をとっても元気で、油断がならなかった、などから、そのご恩返しでもあり、なんといっても寄席にお客様が来て下さらないことには、落語界はダメなんです、と力説していた。

 今になると、そういうメッセージを残していかれたんだ、と、勝手にだけど、思える。

 もう10年以上前、私は住吉踊りに出していただいたことがあって、その稽古の時、志ん朝師匠が、トイレに入る時にさりげなく足袋を脱いだのを見て、歴史のある芸人さんの身に自然にそなわったいろいろなものを感じたような気がして、感動したことがある。

 ぜ〜んぶ持って行ってしまうんだなぁ.......
 人の死には、大好きな芸人さんの死には、あいたくないものだ..........
   


虫のことその2
(--)(__)9月17日
 
 その1で書いたように、新しく借りた稽古場に、虫が多く、借りてから1ヶ月あまり、片付ける、とか、勉強する、とかより、虫退治に追われる毎日だった。
 それが、9月に入って台風などの影響で、虫が異常発生したらしく、素人の手に負えないほどになったので、業者さんを頼んで害虫駆除をしよう、と思った。
 まず、ツテをたどって探してもらったところが、どうも電話の応対が良くない。行く日をまた連絡します、と言ったきり、なしのつぶてなので、催促の電話をしたが、のらりくらりしている。そうこうしているうち、一週間近くが過ぎている。私としては、そんなにひどくない時に約束をしてしまっていて、あと5日ほど後に、人をよんでしまっているので、なんとかしなければ、とあせるばかり。
 
 そこで、はじめから持ってはいたのだが、ある大手のS不動産系で請け負う、掃除などのちらしのプログラムに、害虫駆除があって、ここに申込んだところ、あっさりと、すぐ来てくれた。

 来てくれた人は、そこの下請けの会社の人らしかったが、てきぱきとして感じが良く、態度の良い人だった。そして、プロであって、結局は、構造上の問題があるので、根治は今の段階で難しかったのだが、とりあえずの処置はていねいにしてくれた。
 代金も決して安くはないけれど、ただはお金はとらないなぁ、というのが、正直な感想だった。

 それを師匠に話すと、芸でもなんでも、一流のところに頼まなければダメだ、と。信用は、ただは生まれない。結局はそこにつきるのだ、と。そこにお金をかけておくと、後々、結局は安かった、ということになり、アフターケアもしてもらえる。
 安物買いの銭失い、とはよく言ったものだ。
   


信じる、ということ
(-人-)9月14日
 
 前代未聞の事件がおこった。アメリカの同時多発テロだ。
 おそらく何年も計画をたてて、シュミレーションしながら、時を待っていたのだろう。ハイジャックした飛行機を操縦して、ビルにつっこむ。何千という人の命をとる、のみならず、自分も、絶対死ぬのがわかっていてつっこむ。先輩が言っていたが、同じ宗教がもとになった犯罪でも、オウム真理教がサリンを地下鉄に置いて無差別殺人をした時でも、犯人は、その場を去り、逃げて、生きのびているわけだ。それに比べ、今回のイスラム原理主義の人々は、自分がいなくなっても、その主義主張のために犯罪をおかす。中で、少しくらい疑問を持ったとしても、そういう集団の中では、そういう考えを育てていくことはできないのだろうし、言えない、という雰囲気の中で、つっ走ってしまうのかもしれない。

 戦争中の日本も、天皇を神となす一種の宗教状態で、特攻隊は、惜しげもなく自分の命を散らしたのかもしれない。同じことなんだろう。自分の損得勘定とは、全く別の、私などにはとうてい理解できないところの、信じる、ということなのだろう。

 芸の上にも、信じる、ということが必要であって、自分が絶対、と思える「見本」がなければ、いい芸はできるようにならない。が、こういう事件や事実があって、自分が絶対と信じることが、一般的にみると、とんでもない狂気だったりするわけだ。なんだか、こわい..............
  


みじん切りのことその3
(--;)8月13日
 
 これは、直接「みじん切り」とは関係ないが、以前書いたのと関連があるので......

 私は、パソコンの単純な古いゲーム「コラムス」という、プロックくずしをしょっちゅうやっている。私は、1つ使いはじめると、ずーっとそのままになる傾向があって、これも、MACを使いはじめた頃から、譲ってもらったMACの中に入っていたのでやっている。縦、横、斜に3つの模様がつながったら、ブロックが消える。なるべくたくさんのブロックを消すゲーム。このゲームには、ベスト10が出て来るが、今ではすっかり自分の名前に書き換えるほどだ。

 それで、なにが言いたいかというと、ここがつぶれるな、と当たりをつけてやっていても、どんどん状況が変わっていく、ということだ。どんどん潔く発想を変え、他のところをつぶすために、ここは重ねてしまおう、とか、していかないと、いい得点は出ない、経験上。

 なにごとにも、潔さが必要だ。
 


虫のことその1
(;´_`;)7月24日
 
 つれづれ6月〜9月、少年犯罪のことその2で、虫のことを書いた。虫にしてみれば、必死に生きているだけなのに、人間は平気で殺虫剤やごきぶりとりで殺してしまう。子供は、虫をいじめて遊ぶ。それと同じように、少年は、遊びで、人間の弱者を殺す感覚なのかもしれない、と。

 今度借りた部屋が1階で、空家だったこと、まわりに木が多いこと、などで、物凄い虫だったので、先日バルサンをかけてきた。虫を部屋に閉じ込めて、煙でいぶして殺すのだ。部屋の鍵を閉める時、これで、たくさんの命を奪うんだ、と思った。そうしないと、私がそこを使えない。

 人間には、必要な残酷さ、というものがあるんだ.........。
 


ご報告
<(_ _)>7月19日
 
 昨年末、部屋を探して傷ついた話を書いた。そのまま、傷つくのがいやだったので、探すのをやめていたが、友人がつてで、大家さんを紹介してくれて、めでたく、今日契約してきた。いろいろ考えるときりがないので、ありがたく、そこで勉強していこうと思っている。
 心配して下さった方々、本当にありがとうございました。
 そして、持つべきものは友、と、痛感する、私なのでした。
 

電車のことその13
(^-^)7月15日
 
 先日乗った地下鉄のシートがほつれていたらしく、あて布をして、かがってあるのを見た。しかも、赤いシートに黒い糸で不器用にかがってあった。それを美しくない、と見るむきもあろうが、私は、とても美しいと思った。ものを大事にする、シートに愛情をこめる(!?)、きっと職員が、慣れない手付きでかがったんだろうな、などと思うと、ほのぼのした。
 



 

 トップ  自己紹介  舞台予定  リンク

駒之助師  重輝師  ひこばえ

つれづれ