津賀寿つれづれ
エレクトリカルパレードのことその2
(・・;) 6月27日
 
 エレクトリカルパレードが伝統芸だなぁ、ということを、はじめてドリームライツを見た時に書いたが、あれから何度か見ていて、見る度に、伝統芸のほんとうのあり方を考える。

 先日、TVで、このパレードの特集があって、1年以上前からのスタッフの準備の様子などの取材があったのだが、アメリカのスタッフがインタビューに答えて「日本では、以前のエレクトリカルパレードを見たいと待ち望んでいるゲストがとても多い。だが、それをそのままやったのでは意味がないので......」と言っていた。その時はなんとも思わなかったのだが、その翌日、ドリームライツを見に行って、なるほどなぁ、と思った。

 10年間やっていた以前のパレードを、確実に下敷きにしながら、時代や、ゲストの変化を細かく分析し、そのニーズにあうよう、工夫を重ねに重ねている。その一部がもし失敗しても、それはまた改善していけば良いことだ、という考え方、潔く変える、思いきって変えていく勇気。根底にあるのが「残す」ということではない。「ゲストに楽しんでもらおう」という姿勢なのだ。そしてそこには、ゲストに提示するショーやパレード、大きくいえば、TDLというものへの愛情が、深く深く存在している。

 義太夫だって、そうあるべきなんだろうに......
 


派閥のこと
( ̄^ ̄)(______)6月10日
 
 文楽では、明治〜大正期に独特の工夫を加えた派があって、劇場の名に因んで、彦六系とか近松系などと呼ばれている。これを研究対象としている学者さんもあり、先日ある学会で、彦六系のシンポジウムが、実演をまじえてあった。それは興味深かったのだが、そのまとめに、実演をなさったS師が、こういう例え話をなさった。
 
 「新日鉄は昔、八幡製鉄と、ふじ製鉄が合併して1つの会社になった。今の新日鉄の社員で、そのことを知らない人も、もしかしたらいるかもしれない。しかし、新日鉄が、新日鉄として立派ならばそれでいいのではないか?やれ、これは、八幡製鉄だなんだと言って全体を考えないよりは、まず1つの基本ということを考えるべきなのではないのか。内部でどんな派だなんだと言っている場合ではないのではないか?」
 
 とても印象に残った。
 

プロのことその5
( ̄^ ̄;)6月 1日
 
 以前も書いたことがあるが、TDLでは、ショーやパレードの出演者、あるいは、ふつうのお店のキャストさん、アトラクションのキャストさん、すべて、1つの持ち場にとどまらず、わりにまめに移動しながら仕事をしている。例えば、ショーにダンサーさんが5人出ていたとして、ある日は、Aさんが1の役、Bさんが2の役.........であっても、翌日は、Aさんが2の役になったり、3の役になったり、Bさんが1の役になったり、3の役になったりする。ダンサーさんは、5役に5人しかいないわけではないから、かなりいろいろな組み合わせができる。 アトラクションでも、Aさんが入口でパスポート確認をしていたと思うと、中に入って、列の整理をしたり、解説をしたりしている。あるいは、持ち場を離れて、パレードの人員整理をしていたりもする。

 これも以前書いたが、ここ数年私がうかがっている、京都祇園の都をどりも、1番、2番、3番、それぞれにABと組分けして、6組のローテーションで行っている。ある日は主役をやっているAさんが、翌日は、総踊りの、東の舞妓、みたいな役でずらっと並んでいたり、またある日は、鳴りものの席で、太鼓をたたいていたり、笛をふいていたりする。

 これらは、1つには、あきないようにリフレッシュする意味もあるが、なにがすごいといって、どの役にまわっても、それができる、ということだ。そのショーならショーの、ほとんどすべての部分を把握できている、ということだ。すごい。

 義太夫には、道行とか、景事、などといって、原則は、太夫三味線1対1で演奏するところを、数人ずつずらっと並んで演奏する曲がある。下っぱの頃は、そういう曲の裾の方に並んで、もっぱら合奏に参加して、時にソロをもらって緊張のきわみ、という感じでそこを弾かせてもらって、予想どおりしくじったりしながら、我々は勉強してくる。
 こういう時、自分が弾くところだけではなく、その曲全体、人のソロの部分まで、すべてを把握するのが、当たり前だろう。「当たり前だろう。」なんて書くのは、私のまわりで、それが当たり前でなくなっているから、書いているのだ。急に人が病気になっても、代役ができない。
 師匠などの若い頃には、むしろ、誰かが倒れないか、というような意気ごみで、みんな勉強して、代わりをねらっていたくらいのものだったそうだ。そこまでしろ、とも、したい、とも思わないが、並んだ曲くらいは、わかってないと....

 TDLも祇園も、やっぱりプロなんだよなぁ.....そう、それが、プロなんだよなぁ..........
 


エレクトリカルパレードのことその1
(☆。☆)5月29日
 
 TDLでは、夜のパレード、ファンティリュージョンが終わり、正式には6/1から、エレクトリカルパレード・ドリームライツというものに変わる。6年前、夜のパレードがファンティリュージョンになる前は、エレクトリカルパレードというのをやっていて、今度は、その21世紀版、ということだ。
 
 9/4にディズニーシーがオープンするので、ファンティリュージョンに出ていた、海に関連するキャラクター、アラジンやリトルマーメイドをシーに移すのがパレード変更の1つの理由だったらしい。とにかく、好評の絶頂にあるエンターテイメントを、潔くカットしていくTDLの勇気には驚かされる。

 TDLでは、イベントなど、正式なオープンに先立って、スニークプレビューというのをすることがあって、おとといあたりから、このドリームライツは、はじまった。私も早速今日見てきた。

 人間、感動で胸がいっぱいになって、涙が出そうになる、ということがあるが、TDLでは、よくそういうことがある。ファンティリュージョンが終わってしまう、と知ってから、ファンティリュージョンを見るたび、感動だけでなくて、これが見られなくなってしまう、という悲しさが加わって、どれだけ涙が出そうになったことか。
 
 そしてまた、ドリームライツ。私は、以前のエレクトリカルパレードを、それほどくわしく覚えているわけではないが、オープニングのファンファーレとアナウンスで、ザーーーッと胸がいっぱいになった。あの頃の私、なんてことにまで無意識に考えが及んでいるような、そんな気持ち。ずっと生きてきたんだなぁ、みたいな気持ち。

 今度のパレードは、以前のものの真ん中にトイストーリーやバグズライフといった、新しいネタを挿入して、再構成しているのだが、私としては、そこが少し中だるみに感じた。結局、以前と同じ部分をくり返し見ることができた、ということに、今日は一番感動したのではないかと思う。その中で、音楽のアレンジも多少違うし、電飾の色や光も、改善されている。そんな迫力をまのあたりにする嬉しさと感動。または、あそこは前の方が良かったなぁ、なんていうのも、また楽しみだったりして。

 やはり、これは「伝統芸」にちがいないのではないかなぁ.......
 


八介さんのこと
(!人!) 5月22日
 
 文楽で、また若い方が亡くなった。皆、ご病気ではあるけれど、義太夫という芸をやることのストレスや重圧、大変さが、それを助長することに、無関係ではないだろう、ということが、悲しい。

 八介さんは、文楽の中で一番最初にホームページを作られて、文楽というもの全般の解説、小道具や音、台本、配役や上演時間にいたるまで、マメに更新されていたので、文楽を代表するホームページとして、お客様からうちわの者、または、新たに文楽を知ろうとする人にも親しまれ、頼りにされていた。

 亡くなった日に、八介さんのホームページに行ってみた。いつもと変わらず、ホームページは存在していた。これから、このホームページは、どうなるのかなぁ、と漠然と思った。パソコンが流行りはじめたのは、つい最近だし、ホームページだって、ここ2〜3年のものだ。そんなホームページを持っていたような、若い、新しい人が、いなくなる。
 
 しみじみ、淋しい、と思った。
 
 (折しも、エンターテイメント専門ポータルサイト「ルビコンゲート」から、私のHPをディレクトリ検索サービスに登録して下さった、というメールをいただき、見てみたら、八介さんのHPがトップにくわしく紹介されていた。)
 


芸のことその7
( ̄∩ ̄#5月15日
 
 母が近所の病院に行くというので、ついて行った。お財布や保険証、冷房よけのストール、お茶、小物入れなどを、無駄に大きなバッグに、無秩序にほうりこんでいる。それを持っていて、いざ診察券、といってもかばんの底の方をあさらないと出てこない。「ちゃんと用意しとけばいいのに!」と喧嘩になった。私は、母の診察中、かばんの中を整理し、診察後の支払いの段階では、もうごうをにやして財布を出して待っていた。

 そこでハタと気付いた。私は、交通機関をほとんどカードで歩いているが、その電車に乗る、だぁいぶ前から、次のカードを用意しているなぁ、と。うちはマンションなので、エレベーターを使うのだが、乗ったらすぐに、あるいは、乗る前から、かばんから鍵を出して待ち構えているなぁ、と。

 私は、ひとりっ子でのんびり育っているので、たいがいボンヤリだし気がつかない人間なのだが、こんなところに、三味線弾きの性、というのか「先へ先へ気をまわしていかなければいけない」というのが出てしまっているのかなぁ、と愕然とした。
 


山伏のこと
(?O?)5月10日
 
 山伏が修行で山歩きなどする時、あれは、なんというんだったか、金棒じゃなくて、杖じゃなくて、錫杖じゃなくて............(金剛杖でした、ご教示下さった、Iさん、Aさん、ありがとうございました。)ま、それをついて歩くわけだが、それはなぜかというと、下にいる虫などを音でおどかしておいて、それらを踏んでしまうのを防止するのだそうだ。無益な殺生をしないため。
 だけど、もし、それをついた時に、その真下に虫がいて、つぶしてしまったら、どぉすんだろぉ.......
  

みじん切りのことその2
(е_е;)?5月 6日
 
 みじん切りものというのは、たとえば、まな板からなべにうつす、とか、移動させる時に、あちこちくっついてしまって扱いにくい。私は貧乏性で、そういうのをできるだけはがして完璧に近くうつしたい、と思う。だしをとったあとのかつおぶし、みたいなものも、できるだけおはしで絞る。

 しかし、お料理上手の人たちは、見ていると、わりに惜しげなく、材料を捨てていく。だから手早い。そういう潔さが、おいしいものを作るもとになるようだ。

 義太夫もそうかも......覚えたから、とか、あるから、といって、それをすべてやることが、最善ではないのかもしれない。潔く、カットし、選択するということが、もしかしたら、義太夫を面白くするコツだったりして.........
 


みじん切りのことその1
(・・?)5月 5日
 
 久しぶりに家にいたので、久〜しぶりに料理をした。ハンバーグ。私はなぜか「みじん切りもの」が好きで、食べるのも、作るのも、もとの形をなしてない方を好む。みじん切りは、けっこう面倒で、みじん切り器、なんていう機械も出ていて、私も持っているのだが、どうしても包丁で手間ひまかけて切ってしまう。機械を洗うのが面倒、ということもあるが、心をこめて、とまでは言わなくても、手でこつこつ苦労すると、なんかいいことがあるような気がしてしまう。

 これも、義太夫人の習性なのかも......。
 


耳のことその2
(@◇@:)4月21日
 
 今日、楽屋ですごい話を聞いた。仲間の友だちの知人が、嫁姑の折り合いがうまくいかなかったため、みんなでいる時も話題に入ってはいけない、と思って、聞かないようにしていたら、本当に耳が聞こえなくなってしまった、というのだ。
 ゲーーーーーッ!人間の耳、て、そんなことがあるんだ。すごすぎる。無意識の意思とか選択とかが、聞こえてきたものに対して働いている証拠だ。ストレスが、体に影響する証拠だ。すごい......。
 

つきのこと
(´△`)4月19日
 
 私が乗るバスの通り道に、入れかわりの激しいラーメン屋さんがある。たいていが、ラーメン屋さんで、たまにぎょうざ屋さんだったりするが、しょっちゅう店が変わる。最近は、わりに大きいチェーン店に変わっていて、今度は長もちするかな、と思ったら、今日、東京へ帰って久しぶりに通ったら、1年弱で他のラーメン屋さんに変わっていた。めだってこういうところ、てあるんだなぁ。

 これは、場所柄かもしれないが、他の店がそれほど頻繁に変わっていないところをみると、なんか「つき」みたいなものがあるのだと思う。たたり、とまでは言わないが、人も、店も、この「つき」がないと、やっていけないよなぁ、と思う。
  


結婚のこと
(o^^o)4月18日
 
 先日、友だちと京都の町を歩いていて、着物や小物の店で「あれはいい、これはいい」と見ていたら、彼女が「いいね、あなたは自分の稼ぎで好きなもん買えるから。」と言った。彼女は、私の友だちだけあって、いい意味で少し変わった人で、好きなこともし、仕事もぼちぼちはしているが、専業主婦だ。
 主婦の経験のない私は、他の知人にも「結婚は、いいことも悪いことも倍になる」と言われたりして、そういうものかなぁ、と思っていたが、好きなものを買おう、という時に、旦那さんのお金を使うことが多いわけか、と、妙に納得した。
 

新派のこと
ε=( ̄。 ̄;)4月 4日
 
 数年ぶりに、新派を見た。「婦系図」、新派の名作中の名作だ。

 劇団新派は、花柳章太郎らの全盛期を経て、私が見た頃はすでに、人が少なくなって、映画のスターを劇団に迎え入れたり、主役を、歌舞伎の役者さんに助けてもらったりしていた。今も、そのスタイルでなければ芝居が成り立たない。私が見た中でも、どんどん人がいなくなった。春本泰男、菅原謙次、柳永二郎、伊志井寛、大矢市次郎、市川翠扇........
 
 そういえば、歌右衛門も亡くなった。21世紀に入った年度末に亡くなるなんて、なんて象徴的な人だろう。20世紀を代表する女形だった。

 それはともかく、今日、新派を見て、改めて、これは伝統芸だなぁ、と思った。端役の、例えばちょっとした芸者さんや、女中さんの役、そのすみずみまでが形になっていて、その「もの」を知っている、ということが、劇団としてのステータスだと思う。なんでもなく、自然に、端役の人がいる、という状態が、なんでもなさそうで、一朝一夕にできないことなのだ。
 話の内容は、というと、日陰の女が耐えて耐えて耐え抜く、という、およそ現代には通用しないものだ。だから、人が少なくなっていったのかもしれない。しかし、その中で、きっちりと「伝統芸」を守って来ている姿はすばらしいと思う。特に変わったことをしなくてもいいから、この姿勢をずっと守り通していってほしいと思う。

 義太夫だってそうだ。もっと現代に通用しない内容でも「伝統芸」を守って、なんでもないことがきちんとしている姿でなければいけないのだ。ウケよう、とか、思わなくていい。守った上で、自分の共感を伝えるのだ。

 難しいけど......。
 


愛と夢のことその1
\(^_^)/4月 3日
 
 大阪にできたユニバーサルスタジオジャパン(USJ)に、オープンに先駆けて入れるスタジオパスをいただいて、行って来た。東京人のくせに、たまたま仕事で関西に行っている時に!なんという幸せだろう!

 アトラクションは、数は少ないが、私の愛するTDLからいろいろなヒントを得て作られていて、しかも、大規模に大迫力に構成されている。アトラクションは、大きな感動を与えてくれる。街並みも、すべてが「映画」というテーマのもとに作られていて、素晴らしい。

 しかし、混雑していて、乗り物に乗りきれなかったので、制覇するまでは、近々何度か行きたいと思うが、TDLほど、そうそうリピートしたいとは思わないかもしれない。何故か....。
 
 その1つに、ライブキャラクターの魅力があるように思う。TDLには、ミッキーマウスをはじめとするライブキャラクターがグリーティングに出たり、ショーに出たり、パレードに出たりする。これが、TDLの夢を助長していると思う。ディズニーランドを心をこめて作ったウォルトディズニーが、ミッキーマウスと手をつないでいる像が、パークのシンボルになっているが、こういう愛情が、TDLの底に常に流れていて、彼らが、やはり愛情をこめて作られた、いろいろな衣装を着せてもらって、パークのそこここにいる、というのが、TDLの、夢やあたたかさの源流であると思う。
 もともとはアニメからできたキャラクターではあるが、パーク内で愛情のこもった年月を経て、ライブキャラクターが、1つの独立した文化になっているのだと思う。
 USJにも、 TDLに対抗して、ウッドペッカーをメインに、ポパイやベティ、スヌーピー、はては、マリリンモンローらの「人間もの」まで、ライブキャラクターがグリーティングしているが、それだけなので、深みに欠ける。個人的には、子供の頃、ポパイのアニメを見て育っているし、ミッキーマウスのアニメは見て育っていないのだが、USJでポパイに会っても、なぜか、それほど嬉しくない。TDLでミッキーマウスに会う感動は、誰でも味わうと思う。

 USJには、ひとつ、スヌーピーらの活躍するショーかなんかを作ってもらって、ライブキャラクターがどう成長していくか、見てみたい気もする。でも、シュルツと関係ないところでやってるしなぁ............ウォルトとミッキーの絆にはかなわないだろうなぁ.........。
 


芸のことその6
( ̄^ ̄)(_____)4月 2日
 
 先日、稽古の時に、お師匠様が「今なんとかしないと、いつかできるようになるだろう、良くなるだろう、では、いつまでたっても変われない。そんなに時間もないんだし。」とおっしゃった。まったくだ。この頃、よけいにそう思う。

 これは、いろんなことに共通している。いつかまとめて読もう、と本や雑誌を積んでおいても、荷物になるだけ。
 いつかまとめて整理しよう、掃除しよう、と思っていたら、荷物の山。もう片付ける気にもならない。
 その時、解決していかなければ.....

 「年齢のこと」に書いたように、人間、時間がない。終わりがある。「今」しかないのだ。
 


大阪のこと
(^-^)4月 1日
 
 先日、仕事で大阪へ行った。有名な大きな書店に入ったら、その書店の中にある喫茶室のコーヒーチケットをサービスでくれた。そのカードに「これはプリペイドカードではありません。たんなるコーヒーチケットです。」さらに、裏面に「このカードで公衆電話はかかりません。電車の切符も買えません。珈琲やジュース等は飲めます。」。
 
 大阪やなぁ......どこまでがマジなんだろ......
 

年齢のこと
(;¬¬)3月11日
 
 私は、修得に時間のかかる職業をやっているせいか、実年齢より、自分のことを、若いと思っているようだ。なにしろ、50代で新人賞を授与された方もいるくらいの世界だ。40代前半の私は、まだまだ小僧のような気がする。

 ところが、世の中というのは、それではすまないもので、数年前、はじめての美容院に行ったら「○○ページ」とか「○○画報」みたいな主婦向けの雑誌ばかり出てきて、ショックを受けた。(意地でも読まないせいか、そこでは最近では、モード系の雑誌を出してくれるようになった。)
 また、数年前、幼児用の服や雑貨の店で、自分でも使えそうな小物を見ていたら「お子様のですか?」と聞かれて、ムッとしてしまった。が、だいぶあとになって、その時点でも、2〜3才の子供がいるように見られたら、実年齢よりだいぶ若く見られたのだ、ということに気がついた。友だちも結婚していなかったり、子供がいなかったり、という人が多いもので、その辺の感覚が鈍くなっているようだ。今なら、大喜びかもしれない。

 もうすぐ60になろうかという知人が「年をとると、夢が短くなるんだよねぇ。」とおっしゃった。とてもよくわかる、この感覚。身近にお世話になった方の死に出会ったりして、すごくそう思うようになった。
 昔は、終わりを意識しなかった。ずっと続くような気がして、物事にあたった。でも、今は、常に終わりを意識している。

 私は、決して好きなジャンルではなかった義太夫をなぜ続けたかというと、習ってみたら、すばらしい言い伝えが、数々残っていると感じたからだ。下の「芸のことその5」に書いたが、一流の芸というのは、それを覚えるだけでは足りない。
 この限られた時間の中で、一流の芸ができる、ということは、並み大抵のことではないのだ、と思う。昨年9/16のつれづれに書かせていただいたK師匠は「もう一生ほしい」とおっしゃる。K師匠でさえ、そうおっしゃるのだからなぁ....
 まだまだ、などという甘えたことばかり言っていないで、どんどんやっていかないと、なにもできずに終わってしまう。
 


来世のこと
(。_゚?)3月 7日
 
 前からずーっと疑問なのだが、よく「夫婦は二世、主従は三世」などといって、夫婦が「来世はまた一緒に」というが、二世の縁ならば、この世が二世目かもしれず、そうしたら、来世は別だよなぁ、と思う。主従にしても、そうだよなぁ.....。
 

芸のことその5
( ̄^ ̄)2月24日
 
 最近、遅ればせながら、若手の落語家さんが、21世紀に向けて、落語について憂い、また展望を述べた本、というのを、2册たて続けに読んだ。「すべてが正しいとは言わないが」という注釈つきながら、実名を出しつつ、思いきり批判もし、落語界の現状を糾弾している。勇気のいる行動だと思うし、よほどの自信がなければ書けないことだと思う。
 私も、それらがすべて正しいかどうかはわからないが、彼らが、こよなく落語を愛し、落語はなんてすばらしいものなんだ、と思っているからこそ、それだけの主張をしていることは、よくわかる。

 2人に共通する主張は、現状にあまんじたままに落語をやっていては、誰も聞いてくれなくなるぞ、ということだ。伝統芸能だから、基礎の伝承は大切だけれど、その先、噺を充分理解した上で、自分の目で、耳で、センスで、考えぬいて演じなければいけない、ということだ。それは、自分の中から出るもので自然に、とくに変わった演出をせずとも出てくるものもあろうし、自らが掘り下げて工夫をこらす場合もあるだろう。単なる模倣だけでは足りない、ということだ。

 これは、まったく私たちにも同じことが言えると思う。私たちは、1人ではできない芸だから、あるいは落語より、この工夫が困難かもしれない。2人で1つのものを表現する、ということの難しさを改めて感じる。
 私は今まで、自分の師匠の三味線を弾く、など、自分の身の丈にあわない、異常な背伸びをしなければならない状況のもと、ひたすら模倣し、稽古していただいたことを精一杯咀嚼し、それに忠実に、ということばかり考えて三味線を弾いて来た。が、やはり、それだけでは足りないのだ、と強く感じる。

 ..........................芸は奥が深い。
 


あおトッポのことその2
(。_゚?)2月15日
 
 また思い出したが、TVのあおトッポのCMが、ある男の子が病院に行って「先生、この頃、トッポが止まらなくて困ってるんですけど。」と言うと、お医者さんが「では、あおトッポ○日分。」とか言って、男の子が「えー!?またトッポですかぁ!?」と驚く、というものだったのだ。
 私、これを見た時、なぁんとなく、あおトッポなら、野菜系だから、体にいいからね、とお医者さんが言っているように解釈したのだった。んーーー、謎だ。
 

くろトッポのこと
(゜-゜)2月 8日
 
 ついでだが、あおトッポのシリーズに、くろトッポというのがあるが、これは、外側にココアがまぶしてある。中はホワイトチョコレート。これはきっと、ココアの色から「くろ」なのだろう。いよいよ「あお」が不思議だ。
 

あおトッポのことその1
(゜-゜)2月 7日
 
 変なことを書きますが「あおトッポ」というスナック菓子、京都の友だちが、こっちで売ってない、というので、なんとなく買ってみたら、アーモンドチョコレート入り、塩味のトッポだった。青い箱に入っているので、てっきり、野菜系の、サラダ味とか、そんなのだと思っていた。「あお」だから。....アーモンドチョコかなぁ....
 

新大久保の事故のこと
(-人-)1月31日
 
 先日、山手線新大久保駅で、酔って転落した人を助けようと線路に飛び込んだ2人の人が逃げ場がなく、転落した人もろとも亡くなる、といういたましい事故がおきた。状況を知らず、惜しい、とばかり思う我々があとで考えることなど、なにも役に立たない。まさか、逃げ場がないとは思わないし、とっさに、ホームに連れ戻せないまでも、どこかによけてあげよう、と飛び込んだのだろう。

 助けようとした男性の1人が、韓国の留学生であったことで、この事故はまた違った様相をみせた。ある政治家は、インタビューに答えて、日韓の今までの歴史を考えると、とっさに日本人を助けよう、とするお子さんを育てたご両親に感動する、と言っていた。韓国の方の葬儀には、首相が訪れた。

 私は、政治的なことには全くとんちんかんな人間だからよくわからないが、なんとなく、こういった政治家たちの言動が、おかしなものに感じられた。もう1人、同じように亡くなっている日本人がいるのに、韓国の方にばかり目を向けているようにみえる。人間的なレベルでものを見ていないんだな、と思う。
 日本の方のお母さんが淡々とインタビューに答えていた。きっととっさに飛び込んでしまったんでしょう、主人も亡くなったばかりで....頼りにしていたのに、と。どれほどの悲しさなのか、私などには想像もできない。韓国の方のご両親も来日された。その無念さは、日本の方のお母さんと変わらないだろう。それに、このお母さんはたった1人になってしまった。韓国の方は、留学していた学校で基金を作る動きもあるらしい。いいことだと思う。でも、もう1人、同じように亡くなった人があることも、忘れないでほしいと思う。
 


耳のことその1
(-。-)1月20日
 
 人間の耳というのは、不思議だ。
 
 先日妹弟子が、ある店を教えてくれるのに、私が乗るバスの、ある停留所のアナウンスの時に「○○はこちらが便利です。」というところだ、と言うので、乗るたびに聞こう、と思っていた。長年このバスには乗っているから、なんとなく、○○、と言うかもしれない、という記憶はあったが、不思議に覚えていない。で、停留所が近づくと、もうすぐだぞ、と思うのだが、これが、寝てしまったらもとより、起きていても、なにか他のことを考えていると、聞き逃してしまう。直前に、たった今、気をつけてたのに、と何度思ったことか...........。人間というのは、耳に入っていても、聞いていないことが多いものなんだ、と改めて感じた。

 逆に、TDLを歩いていると、常にバックグラウンドに音楽が流れているので、音人間である私は、これが魅力の1つだな、と思う。テンポのあう曲であれば、その音楽にあわせて歩いているのに気づく。聞こうとしていなくても聞いている。
 8年ほど前のTDLを紹介する番組を録画してあって、先日見ていたら、今と全く同じ曲が流れている。TDLは、6つのテーマ別の国に別れているが、それぞれにそのテーマに沿った曲が流れている。国の境目には、例えば水が流れており、その水の音によって、境目を感じず、自然に移行できるようになっている、など、考えぬかれ、計算しつくされた演出がなされている。

 自然に耳に入ってくるもの、それを無意識に人は選択して聞くのだろう。さらに、選択して内側に取り入れるのだろう。
 そして、芸をやる者にとって、無意識に人の芸を聞いて身につける、この無意識がもっとも大切なことなんだろう。
 


バスのことその5
 (`.´)1月13日
 
 私がいつも乗るバスには、ところどころの停留所に、バスが今どの辺まで来ている、と表示する機械がだいぶ前にできた。
 
 昨年末、交通がひどく混雑していた時、その表示によれば、2台続けて来るので、1台目のバスが来た時に、すわれそうにない人は、数人、次のバスへ乗る列に加わった。私も、ちょっと疲れていたので、もうすぐ来るから、待とう、と思い、その列に加わった。ところが、それから何十分もバスが来ない。みんな、ついに「来ませんねぇ」「マークが出てたのに、消えちゃいましたねぇ」などと話しはじめた。そして、やっと来たバスの運転手さんに、あるお客さんが「表示が出てたから、次を待ったのに、なぜこんなに来なかったんですか?」と聞いた。すると、どうだ、その運転手さんは、いとも簡単に、軽〜〜〜〜〜いノリで「あぁ、それぇ、当てになりませんからぁ!」と言い放った。
 
 なんだとぉっ!!?申し訳ありません、くらい言えないのかぁっ!!当てにならないもん、つけとくなぁっ!!
 と言いたかった..............。

 こんな運転手さんもいる。渋滞して遅れて到着すると、申し訳ありません、でもなく、いきなり「はい、渋滞で予定時刻、だいぶ遅れております。お急ぎ下さーい!」

 遅れたのは、そっちだろ〜〜っ!お客さんもいらいらして待ってたんだっ!!
 と言いたい....................。
 


今までTDLで心洗われたお子さんベスト3
 (^.^)1月 9日
 
1 選ばれると、勇者のメダルをもらえるアトラクションにて。お姉ちゃんがめでたくメダルをもらった姉妹、自分はもらえなかったのに、スキップして階段をおりてきながら「良かったね、お姉ちゃんっ!!」と本気で言っていた妹さん。

2 オーディオアニマトリクスの熊さんが歌うアトラクションにて。ショーの最後に熊さんが「また来て下さいねー!」と言うと、元気よく「はーーーーーーーいっ!!」とお返事したボク。

3 西洋の幽霊屋敷にて。2つめの部屋にとじこめられて「さぁ、逃げられるかな。」とおどされると「どうやったら脱出できるのぉ〜〜!?」とこわがったボク。 
 


プロのことその4
(_ _) 1月 2日
 
 およそ、食にはこだわりのない私だが、その昔、少しだけ料理を習ったことがある。その先生には、いまだにホームパーティに呼んでいただいておいしいお料理をごちそうになったり、一緒に遊んだりしていただいている。そこでは、私は、食べることの好きな人、ということになっている。ま、おいしいものは、おいしいからなぁ.....。

 先日、恒例で、おせち料理のおすそわけをしていただきに行った。お弟子さんたちとせっせとこしらえて下さるのを、私は足手まといになってもいけないので、見たり、話をしてじゃましたりしていた。そこで聞いた話。

 先生は、もちろん食べることも好きだけれど、食べていろいろな味を模索して、自分で「こうしたい」という味を追求するのが好きなのだそうだ。研究を重ねて、その味を完成させてしまうと、もうどうでもよくなるのだそうだ。まぁ、この結果のおいしいところを教えていただいて、みんなは幸せな思いをしているわけだが.......。

 ただ食べたい、そのために作りたい、だけではなくて、この、研究する熱意、それが、プロなんだよなぁ。
 



 

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