津賀寿つれづれ


形のことその1
('_;)5月30日


  TDLでは、ピザ、アイス、クッキー、パンケーキ、ワッフル、などなど、ミッキーマウスの形の食べ物がたくさん出ている。形だけならまだしもなのだが、アイスやワッフルなど、ていねいに目鼻まではっきりついているものがある。私は、これが食べられない。原則的には買わないようにするし、なにかの都合で食べざるを得ない時は、裏を向けたり焦点をぼかしたり、見ないようにしてなんとかクリアする。

 よく、魚など、形をしていると食べられない、いじれない、という若い女の子がいて、ぶりっ子(もう死語?!)しているように言われるが、私は若くないけど、これも苦手。肉でもなるべくもとを想像したくないから、ミンチもの、みじん切りものが得意である。弱肉強食、理屈はわかっているが、だめ、ということはあるものだ。べつにぶりっ子ではない。

 日本古来、人形焼というものもあり、今は、やれキティだ、サザエさんだ、両さんだ、ゴジラだ、寅さんだ.........と、人形焼ばやりで、東京駅など、おみやげ用に人形焼オンパレードだ。

 TDLがなぜミッキーマウス形にこだわるかといえば、シンボルマークを食べ物にも、ということだろう。形あるものは滅びる、永遠ということはない。が、しかし....子どももターゲットにおいているのに...............かじっていくうちに、耳がなくなり、鼻がくずれ........していくミッキーマウス。あれほどアイドルなミッキーマウスを、かみくずしていく.......みんな平気なのかな、子どもはいやじゃないのかな。

 


ビクター財団賞奨励賞授賞式  ご報告
(´。`)5月27日


  行って来ました。やはり、うまく言えませんでした。震えている自分の声に、さらに緊張を増してしまう、という感じでした。私たちの世界は地味な世界ですから、どうもこうした大きな華やかな場面が似合わないように思います。翌日は無意識に疲れが出て、遅くまで寝てしまいました。

 立食でしたが、さすが帝国ホテル、食べ物はみなとてもおいしかったそうです。「そうです」というのは、私は1口もいただけなかったからです。いい着物を着て、緊張して片隅にすわっている私に、師匠が私の好物のとろとまぐろばかりのせたおすしを持って来て下さったり、ビクターの方がみつくろったものを持って来て下さったり、友人がいろいろとって来てくれたりしたのですが、食べようとすると、どなたかの顔が現われて..........かろうじて飲み物だけいただきました。悔やまれます。

 朝、家に師匠と妹弟子たちから、お祝いの花が届きました。花の管理が大変苦手な私ですが、とても立派ないい花なので、花束をばらして水切りをしたところ、芍薬の花が、驚くほど急に勢いよくまんまるに開きました。水切りをしなければ、そのまま花が死んでしまっていたかもしれず、目に見えない命を改めて感じ、ちょっと感動してしまいました。

 


ビクター財団賞奨励賞授賞式 受賞者挨拶の原稿
m(_ _)m5月25日


  この度は、大きな賞を頂戴し、誠にありがとうございました。この場をお借りしまして、関係の皆様、および、師匠に、御礼を申し上げます。

 この賞の、過去の受賞者の方々を、私は、演奏家として大変尊敬しております。ことに、昨年の、清元美治郎先生は、同じ三味線弾きとして、憧れをもって、いつも聴かせていただいております。その先生と同じ賞を頂戴できるとお知らせを頂いた時は、大変有り難いと同時に、大それたことになったと思いました。

 この賞は、受賞者のCDを作って下さることがご褒美になっております。「非売品だから」と自分に言い聞かせて、プレッシャーをはねかえそうとしましたが、賞のことをうかがいにビクターにはじめて出向きました時に、担当の黒河内さんがおっしゃった「関係の先生方、しかるべき団体などには、すべて贈呈して、津賀寿さんの芸を聴いていただきます。」という一言が頭から離れず、これは、市場に出回るよりも大それたことだと思いました。
 
 こうした大それた状況の中で、現時点では、充分な演奏のできない私ですが、将来ビクターの賞を頂戴した者として、泥を塗る結果にならないよう、演奏を続けていきたいと思っております。今後ともよろしく御指導のほどをお願い申し上げます。ありがとうございました。

 ...............うまく言えるだろうか................行って来ます。
 


読者のねたその4
(^○^)5月23日


  「おすしのことその2」を読んだAz氏より。

 わさびがききすぎた時は、口から大きく息を吸い込むと、全然きかなくなるとのこと。彼は1度、わさびだけ大量に食べて確かめたそうだから、これは確実な情報である。

 


電車のことその6
(○`ε´○)5月21日


  東急東横線は、地下鉄の日比谷線と相互乗り入れしている。ところが、地下鉄に乗る時SFメトロカードで乗って東横線で降りようとすると、カードは使えない。精算機でも使えない。駅員さんに申し出るしかないのだが、これがちゃんとカードを処理してくれるのではなくて、紙をくれるだけ。次に乗る時、はなはだ面倒である。いつかは、駅員さんが紙をくれ忘れて、次にカードを使う時、文句を言われた。相互乗り入れしているならなにか処理を考えるべきだろうに。そもそも東急にはカードというものがないのだが、これも不便だ。

 関西には、「スルッとKANSAI」というカードがあって、京都、大阪、神戸、和歌山まで網羅して共通のカードが使えるようになっている。関西は、東京よりはどこへ行くのも近いが、これだけの範囲にわたり、24社局が提携しているネットワークだから、東京より狭いとか会社が少ないとかいう言い訳はきかない。

 SFメトロカードで、地下鉄の駅の、SFメトロカードが使える券売機を選んで東横線の駅までの切符を買う時、SFメトロカードって、便利なんじゃなかったのかぁ!!?と思ってしまう。

 


おすしのことその2
(゜-゜)5月18日


  ちらしずしや、お刺身を食べる時、小皿におしょうゆを入れてつけて食べるが、この時、わさびをたいてい、しょうゆに混ぜてしまう。が、これは正解ではないそうだ。といっても、私が行っている美容院の美容師さんから、お父さんにしつけられたこととして聞いたので、あるいは「混ぜていいんだ」という人もいるかもしれない。が、そのお父さんの説は、第1に美しくない、第2に、混ざっているとだんだんわさびがきかなくなってくるから、というのだ。なるほど。正しいわさびのつけ方は、お刺身にいちいちわさびをのせて、片側だけにしょうゆをつけて食べる、だそうだ。納得。今度からそうしよう。
 


読者のねたその1ー訂正篇
(゚○゚;)5月16日


   「読者のねたその1」を読んだT野氏より、訂正メール。

 以前、満員電車が到着した東京駅のホームに、TDLよろしく、レジャーシートを敷いて、飲食までしている一家がいたそうだ。一家は、その通勤満員電車から降りる人々にけとばされていた........。
 


少年犯罪のこと
(+_+)5月14日


  ここのところ、いやな事件が続いている。バスを乗っ取った少年は、昔いじめられた遺恨、ネット上で1000カウントを奪われた遺恨...いろいろなものが積み重なって、無差別殺人に向かっていったらしい。説得するように呼ばれた両親は、説得する自信がない、と言ったそうだ。息子は、いつの間にか、親もわからない遠い世界にいっていたのだ。

 義太夫は、こんな時代にはとても考えられない内容ばかりだ。親が上司の子どもの身替わりに自分の子どもを差し出す、子どももそれをおとなしく受け入れる。あるいは、会社を乗っ取ろうというほどの先輩の悪人にいじめぬかれた重役が自殺、その部下が敵討ちをして悪人を殺し、後継ぎの重役になる。など。

 遺恨の対象があれば、それに向かってリベンジを、と考えるか、あるいは、それがかなわなければ、自己犠牲によって次のリベンジを、と考えるのがふつうの思考回路だったのではなかろうか...それが現代の犯罪は、誰でもいい、遺恨の対象はどこかへ行ってしまって、ただ自分の気持ちだけ解消しようとする。殺しというものを経験してみたかった、など、人の命というものを、自分の命をも含めて、なんとも思わなくなっている。ゲーム感覚なのか、劇画感覚なのか.....理解に苦しむ。

 義太夫がはやらないのもやむを得ない時代なのだろうか..........。
 


読者のねたその3
(^○^)5月12日


  「一日一善のこと」を読んだSちゃんより。

 彼女の友人は、長いこと「一日一膳」だと思い「一日に必ずごはんを一膳食べましょう。」という意味だと思っていたそうだ。

 


読者のねたその2
(☆_☆)5月12日


  「客席のことその4」を読んだS川氏より。

 かぶきの「仮名手本忠臣蔵」四段目、判官切腹の場で、切腹する判官が由良之助の到着を待ちかねていて、刀をつきたてたとたんに、花道からばたばた、と由良之助が登場する場面があるのだが、ある観客の老婆が、花道のそばで由良之助の到着を待ち、登場したら「あぁ、良かった。」と、その場にへたりこんだという話があったそうだ。
 


読者のねたその1
(゚○゚;)5月12日


  友人、知人から、つれづれを読んで、そういえばこういうこともあったよ、といただいたメールのねたから。

 「電車のことその4」を読んだT野氏より。

 以前、電車の入り口に、TDLよろしく、レジャーシートを敷いて、飲食までしている一家がいたそうだ。電車はそれほどすいていたわけではなく、出入りのたびに、その一家はけとばされていたとか........。

 


おすしのことその1
(;¨)?5月11日
 
 食にはおよそこだわりのない私だが、にぎりのおすしに、赤だしのお味噌汁がついてくると、どうもあわないような気がする。別に、こだわりがないから、それなりにおいしくいただくのだが、やはり、おすしにはおすましがあうように思う。......それだけのことなんだけど........
   

バスのことその4
(-.-;)5月10日


  最近、都バスで、バスが止まるたびにエンジンが止まる車がある。「アイドリングストップ」というらしい。これ、誰もじゃまくさいと思わないのだろうか。渋滞時など、いちいちブルル、といっては静かになる。そして、何秒もしないうち、キュルルン、とエンジンがかかる。車が動くのに、こっちの方がこころなしか時間がかかるように思う。

 もともと、節約のために自動的に止まるようになっているのが、この「アイドリングストップバス」なのだろうが、かえって動力の無駄使いになっているのではないかと、よけいな心配をしてしまう.....。
 


一日一善のこと
(-_-)5月 8日


  道ばたに、煙草の吸い殻の、火がくすぶっているのが落ちていて、それをグリッとふんで消す時、私はなぜか「一日一善」と思う。ほんとうは、吸い殻を拾って、ごみ箱に捨ててはじめて「善」なのだろうが、なんとなく勇気がなくてそこまでできない。犬がやけどするのを防ぐくらいの役には立つかもしれないが....。

 昔、学校などで「一日一善」という言葉をよく聞いた。「一日に一回なにかよいことをしましょう。」ということだ。たまたま吸い殻が落ちていたりすればいいが、なかなか「善」の材料というのはそこらへんに落ちていないから、「一日一善」は難しい。「一日一善」をしようと思ってわざとやったこと、というのは、なんか「善」ではないような気がする。吸い殻を道ばたに落とすというのは、してはいけないことだから、いけないことがあってはじめて「善」ができる、というのも複雑....。

 「一日一善」と無理に思わず、なにかにゆきあたった時に、自然に「善」をできるように、いつも心がけていよう。
 


電車のことその5
(-.-;)5月 5日


  つれづれを読んで下さっている方が「よく電車で怒ってますねぇ!」と言われた。「気になりませんか?」と言うと「全然。」だそうだ。そうかぁ....ま、そういう人は、三味線弾きにはなれない!...その方は、三味線弾き志望ではないからいいけど...。

 ウォークマンをつけてなにか聞いていると、とたんにまわりが気にならなくなる。新幹線など時間も長いし、あまりに気になる時は、ウォークマンをつけると解消する。昨日は、町を歩きながら聞いていて、コンビニの新商品のポスターに見とれていたら、自転車をとめようとやってきた人にぶつかってしまった。ウォークマンは、それほどまわりがみえなくなって危ない。

 私は、大変な近視と乱視で、コンタクトレンズをしている。これがないと、とたんになにも見えなくなる。コンタクトレンズをしないで外へ出る状態が、ちょうどウォークマンをつけた状態に似ている。かなり危ない。

 ウォークマンをつけている人というのは、それほど危険な状態にあるということをわきまえた方がいい。人のことが気にならないのはいいことだが、これは、自分の世界に入って、人のことを気にしなくなるということだからだ。人の迷惑になっていても気がつかない。これは気をつけなければいけない.......。
 


健康サンダルのこと
(´。`)5月 2日


  私は家で、TDLで買ったいぼいぼのついた健康サンダルをはいている。もう半年近くはいているだろうか。京都に行く前、もうそろそろいぼいぼもすり減ってきたかな、と思うほど、足に刺激を感じなくなっていた。ところが、3週間くらいして東京に帰ってきてはいたら、大変な刺激がある。京都にいる方が規則的な生活をして、楽な生活をさせてもらっているから、その前より健康でない、ということはないだろう。やはり、人間、継続なんだ.....。

 稽古も、継続だ!
 


客席のことその4
\(^O^)/4月30日


  以前、外国で三味線のリズムにあわせて手拍子が湧いた話を書いたが、そういう客席にいあわせることができた。

 文楽の若手人形遣いさんが中心となった公演、「木偶式」が、新宿サンモールシアターという、ふだんは小劇団の芝居などをやっている小屋で行われた。本来のデク、という、人形のあり方をさぐる公演で、ばりばりの古典をアレンジして、笛やパーカッションの人たちと共演して上演した。その中に、「三番叟」からピックアップしたものがあって、2人の三番叟が種蒔きをする踊りで、2人が客席におりたところ、それまでの盛り上がりから、つい、という感じで客席から手拍子がおこった。みんなたたいている。鈴のメリヤスという三味線だけの部分で、西洋音楽の人に言わせると、表と裏があちこちになって不思議な曲なのだが、手拍子は単純に打ちやすい。三味線2挺の演奏にあわせてみんな楽しそうに手拍子を打って、興奮している。私もわくわくと血湧き肉踊る(?!)思いで人形を、床を見ていた。

 客席に種蒔きにおりる、というパターンは、新しいわけではなく、私も経験したことはあった。が、「木偶式」では、文楽の若手の人々がたしかな厳しい修行に裏付けされた芸をもって、それもかなりの若手が、情熱をぶつけるように演じていた。客席の人々は、日頃から彼等を応援している人も多く、だから湧いた手拍子だったかもしれない。それが、サンモールの密度の濃い空間の中だから爆発できたのかもしれない。しかし、それもみな日頃の彼等の努力の結果なわけで、やはり、湧くべくして湧いたものだったのだ。私は、こういう場面にいあわせることができて、幸せだったと思う。
 
 芸は、やっぱり、基本だ、修行だなぁ......。
 


バスのことその3
(^.^)4月29日


  京都から久しぶりに帰ったら、東京のバスが派手になっていた。多くのバスの壁が、全面、ガムやお酒、紅茶、お菓子などの宣伝の絵に彩られている。うちのまわりは東急のテリトリーなのだが、東急バスにもだいぶそういう車両があり、うちは繁華街ではないので、どうもバスが浮いているように見える。まぁ、すぐ慣れるだろうけど...。これが1番多いのは都バスのようだ。都の事業で、宣伝費を稼ぐためにこういうことになったらしい。なんだか不思議だ。

 京都では、そういえば、こういう派手なバスが昔からたまに走っていた。宣伝のものだったかどうか、はっきり記憶がないが、京都国体の時は、バスまるごと国体柄で、マスコットの絵が大きくついていたりした。京都は、街としての自己主張がきわめて強い街だから、観光の目的もあって、外の人に向けて、街ごと京都を主張していて、バスもその一翼をになっているようにみえる。

 東京はというと、主張が強そうでいて、まったく自己主張しないのが、東京ではないかなぁ。もともとが、あちこちから集まった人の住む街だからか、わりにどうでもよさそうだ。バスが宣伝に彩られるのも、ま、どうでもいいのかな。
 


ギデオンのこと
(^^;)4月24日


  ピノキオに出てくる悪者の子分で、ギデオンという猫がいる。TDLでは、こんなかわいいライブキャラクターが時々ひょこひょこと出てきた。私は、この、絵本のさしえにもそっくりなギデオンが大好きだった。

 ところが..........かわいかったギデオンの顔が最近、こんな悪者づらに変わってしまった。なんでだぁ...。ここのところ、ショーも次々終わり、パレードも変わり、というTDL。その潔さについては以前ここに書いたけれど、ちょっと改悪じゃないのかなぁ、というチェンジもあるんだよなぁ............。
 


関西のTVのこと
(^O^)4月19日


  関西方面に通うようになって久しいが、いつもこちらでしかやっていないTVの番組を見るのが楽しみである。ここ3〜4年は長期滞在することが多いので、定期的に番組を見ることができるのが有り難い。

 楽しみにしている番組の中に、「明石家電視台」(あかしやてれび)というのがある。一般の人がスタジオに来て、ゲストの芸能人に質問をしたり、回答者に一般の人と芸能人がまじってクイズをしたりする。この一般人が1人や2人でなく、おしなべて芸人なみにおもしろい。それを司会の明石家さんまがうまく操縦して番組を運んでいく。
 この番組の最後に、ものすごいコーナーがある。最近趣向が変わってしまったのだが、以前は、一般人が輪になって並び、首だけ前に出して控えている。そのまん中に自転車風のものに乗った芸能人がいて、その自転車の先についているものが、控えている一般人の首をはたきながら回転する。回転が止まったところにあたった一般人だけがハワイ旅行をプレゼントされる。「ものすごい」のは、この当たった人以外の全員の顔に白い粉がふっかけられる、というところだ。エンディングは、みんなで白い顔をして画面にむかって手をふったり、ポーズしたり........。すごい。
 これを東京の番組でやっても決して評判は良くならないだろうし、一般人もいやがるだろう。大阪ならでは、大阪の一般人あっての番組だと思う。
 


年間パスポートのこと
(^・^)4月18日


  今日はまた休日だったので、嵐山まで足をのばし、大河内山荘と天龍寺を見てきた。その他にも、平安神宮と原谷苑という今が桜満開のところなどにも行って、かなりの充実度だった。こういう場所には、子どもの頃親に連れられて何度か来たし、私は学生の頃、父の仕事の関係で大阪に滞在することが多かったので、その頃もよく京都に来た。しかしその頃は、こういう場所が好きなのにもかかわらず、やれ疲れるだの面倒だのとわがままを言って、行くのを拒否して親だけが行ったりしたことを思い出す。もったいないことをした。こうして今、自発的に同じ場所を歩いてみて、ずっと変わらずにある竹林などに触れると、なんともいえない感慨を持つ。

 今日、坂の多い嵯峨野の、石の積み重なった段や、山状の庭を歩いていて、ふと、もうここは私の親にはつらいところだな、と思った。80近くなって、平気でディズニーランドを闊歩する親ではあるが、自然のきびしい道はやはり別だろう。

 人には、時期、というものがあるんだなぁ、と思う。今、私はしょっちゅう関西に来て、いわば京都年間パスポート状態、「今日見られなかったけど、また今度」と気軽に思える状態にある。そして、自発的になにかを見よう、という気持ちにある。ディズニーランドも、年間パスポートを持っていると、なにかの都合でショーが中止になっても、「また来て見ればいいや」と思える。年間パスポートの1番の効用はこの安心感だと、私は思っている。

 安心の「年間パスポート」を持っているうちに、いろいろ吸収しなければ......。
 


パワフルということ
( ̄^ ̄)4月17日


  私の師匠、竹本駒之助は、子どもの頃から芸道修行に生きてきたためか、ふつうの人の3倍は働く、というのか、動く、というのか、まったくパワフルで、そこらへんの若いものは、絶対についていかれない、体力気力を持っている。

 今、私は、京都祇園の春の名物、都をどりに出演させていただいている。京都には、花街が5つあり、(以前は島原を入れて6花街だったそうだが)祇園甲部、祇園東、宮川町、先斗町、上七軒それぞれの所属の芸妓さん、舞妓さんが総出演して踊る催しを、それぞれが開く。その中でも都をどりは、4月1日から30日まで連日休みなし、劇場も大きく、1日に4回も公演を行うという、もっとも規模の大きいものである。出演者は7〜80人にも及ぶだろうか。1番A,B、2番A,B、3番A,B、と組み分けされてローテーションを組み、芸妓さんは、鳴物、笛、総踊り、舞と、毎日交互に役がつく。約1時間の踊りをはじめからフィナーレまで完全に、曲も舞も覚えるわけだ。お化粧もかつらも衣装も大変だと思う。そして、もっとすごいのは、お客さまにきていただいて、そちらにも気を使い、夜は夜でいつものようにお座敷の仕事をこなしている、というところだ。

 舞台に出ることは、たしかにハードな仕事ではあるけれど、これはしかし、逆にいうと、ふだんの修行の成果を発表するわけで、彼女達はふだんそれだけのことをして修行している、ということである。頭が下がる。芸の修行というのは、そういうことなんだなぁ、と思う。
 


客席のことその3
(^o^)4月12日


  今、仕事で、桜満開の京都ですごしている。ここ3日間休みだったので、用事もあり、大阪へ行っていた。同じ関西圏でも、京都と大阪は、全く文化が違うことを痛感する。

 それはともかく、今日は久しぶりに、吉本の寄席へ行った。平日の昼、立見の出る盛況。10年ほど前には、吉本新喜劇の人気が落ちて、これで盛りかえさなかったら打ち切る、というところまでいっていたと記憶する。それが、吉本の大胆な改造計画によって見事に復活再生して、吉本新喜劇はいまや、寄席の中心ともいえる活気がある。若い人気者と古い実力者のバランスも良く、楽しめる。

 大阪のお客さんは、文楽でも、話に本気に入り込んで、かわいそうになぁ、とハンカチ片手に見ていたりすることが多いが、寄席のお客さんは、舞台の人と同じ資質の人、という感じで、おもしろい。今日私のとなりには、途中から、2人ずれの年輩の女の方たちが入ってきたのだが、そのうち、私のとなりにすわった「おばちゃん」は、赤づくめの装いに、赤いバッグ。すわるとすぐに赤いスカーフを出してひざのあたりに巻く。冷え防止だろうか、劇場は意外に足もとが冷えるからなぁ..。そして、新聞紙をやおら出して床に敷き、その上にバッグを置く。そのバッグの中からは、ひっきりなしに食べ物が出てくる。となりの「おばちゃん」に食料を分け与えながら、絶え間なくしゃべりもって見ている。トイレには、中入りの混雑を避け、中入りが終わったとたんにごみとともに立つ。なかなかの「通」である。
 
 この「おばちゃん」、ベテランの漫才が上手な歌をうたって拍手喝采、という場面では喜んで唱和。漫才が、うけたからというのでもう1度歌いかける、というパターンをやると、「もうええわ」と、相方より先につっこむ。逆に、なかなかシビアなところもあり、あるTVで売れた漫才の時、だんだん御機嫌ななめになってきたようで、ついに「しょうもない漫才しよってからにぃ」と怒っていすの背に頭をうずめてしまった。その直後に外人の筋肉隆々のアクロバットが終わると、大大大喝采。「今までで1番良かったなぁ」と素直に喜ぶ。実に楽しんでいる。私も、2倍楽しませてもらった。ほんとに大阪の人ってすごい。東京より、ごく身近に寄席が、吉本が、ある、という感じだ。

 東京の落語中心の、なまのお囃子つきの寄席も懐かしいなァ.....。
 


録音と舞台のこと
○o。.(ーー;)4月 7日


  ビクターの奨励賞のご褒美に、非売品のCDを作って下さるというので、録音に行った。実はその2日前にもNHKの放送の録音があって、たまたま録音が重なったので、少しは慣れてのぞめるかと思ったのだが、非売品とはいえCDになるという緊張か、受賞の記念というプレッシャーか、なみの消耗ではなく、まさに精も根も尽き果てた、という状態になった。これは、2曲録音するうちの1曲が終わった時の状態。2曲目はおして知るべし...そんな甘えをほざいている場合ではないのだが............。

 1曲目はふつうの義太夫の曲で、2曲目は器楽曲として義太夫の曲を編集した組曲だったのだが、組曲の方は、たとえば、曲の終わり方も変えなければならなかった。舞台では、よろしきところで柝を入れて、あとは幕がしまるまで適当な長さ弾いておわり、というやり方をした。これが録音ではできない。そこで、今回はF.O.(フェイドアウト)にしていただいた。義太夫のF.O.というのもどんなものかと悩んだが.......。こんなことは、象徴的な違いかもしれない。

 録音して、チェックをして、翌日編集に立ち合って、ということをしているうち、つくづく、舞台の芸と、録音されたものと、ということを考えた。録音された音になると、わずかな息や、ピッチのずれを許してもらえない雰囲気がある。もちろん、そういうことは重要な要素だが、舞台の生の芸というのは、その場に集まって下さったお客様と自分達との共有する空間、共通の空気の中でともに作り上げるものがある。義太夫節というのは、多分に演劇的な芸能だから、ことさらその要素は強いかもしれない。

 自分の技術の未熟さを言い訳する気は全くないが、お客さまのいない場所でぽつんとすわって、演奏すること、その中でもなにかを表現していくこと、これは、また、1つの違った実力を養わなければいけない事柄だ、と、そんな風に思った録音だった。

 


レイアウトのこと
(´・`)4月 3日


  つれづれを、全然更新してないのかと思った、とある方に言われた。??なるほど、1番下に1番新しい記事をのせていると、いちいち下までスクロールしないと見えないわけだ。そういえば、掲示板だって、新しい記事はどんどん上に書かれていく。そうかぁ....。INETに慣れていないからなぁ。でも、それほど、一般の常識と違う常識が、INETにはあるということだなぁ。学習。

 ということで、今月から、変えました。
 


電車のことその4
(`.´)3月31日


  混雑していない時ならいいのだが、よく、自分が降りる出口側に、意地でも立っている人がいる。きっと混雑しているからこそ意地で立っているのだろうし、きっと過去に降りそこなった苦い経験でもあるのだろう。しかし、人がどんどん乗車しようとしている時に、その流れを押し返してまでも、そこに立っていようとする根性には頭が下がる。ほめてるんじゃなくて...。
 


バスのことその2
(´・`)3月24日


  東京都の私バスと、都バスの共通のプリペイドカードがある。最近はどこでもカードがはやりで、大変便利である。メトロカードでもJRのイオカードでも、裏に残額が出るのだが、バスは同料金ずつ引き落とされるだけだからか、残額が出ない。これが意外に不便で、だいたいのめやすが端にパンチされるようになってはいるのだが、これが非常にアバウト。乗車時に、もう1回乗れる、とか、もう乗れない、とか覚えておかないと、足りなくてあわててお財布を出して、という目にあう。残額が少なくなったカードをためたまま、次々カードを新しくしていったりした日には、どのカードがどのくらいの残額だったかわからなくなって、整理にこまったりする。せめて、あと1〜2回分になった時だけでも、残額が出るようにならないものだろうか..。
 


バスのことその1
(^-^)3月21日


  私が利用するバス路線で、2〜3度、降りる時に威勢よく「どうもありがとうございました!」と運転手さんにお礼を言う小学生くらいの男の子を見かけた。同一人物だったか、近くの小学校で「降りる時には、運転手さんにお礼を言いましょう!」と教えているのかわからないが、いづれの時も、バス中のお客さんが思わずにこにこしてしまう、かわいらしい光景だった。

 今日、バスに乗ろうと並んでいると、前に並んでいた年輩の上品な女の人が話しかけてきた。「ちょっと、ここ見ていていただけますか?同じご宗旨なんで、これお渡ししてきたいので。」と、千円札を持っている。むこうを見ると、時々街角とか橋の上などにいる、傘をかぶり、衣をまとってお金の入れ物を持ち、りんをならして立っているお坊さんがいる。「ご宗旨」どころか、「この人ぁ、本物かな。」などと思って通り過ぎる私は、少し恥ずかしいような気になった。その女の人は、乗車してしばらくすると、なんと運転手さんに、買ってきたばかりらしいお菓子の箱づめを渡した。お礼の気持ちらしい。運転手さんは少しは驚いたようだったが、「ありがとうございます。」と言った。ここまでいくと、少〜しやりすぎかな、とも思ったけれど、皆の安全をあずかって運んでくれる運転手さんに感謝する、というのは当たり前のようで、ふだん、誰も考えていないかもしれないな、と思った。
 


しつけのこと
(`.´)3月19日


  TDLへ行って、ゲストの子どもを見るのは、まことに心洗われることである。が、たまに、なにかに熱中するあまり、平気で土足で人の足をけるような子がいて、そのことよりも、親がまったく気にしていないことに驚くことがある。子どもはいわば、ものがわかっていないわけで、いすに土足でよじのぼろうが、その結果となりの人をけとばそうが、わざとやっているわけではないのだから、他人はなにも言えたぎりではない。あやまられてはじめて「いいのよ。」というような事柄だろう。しかし、親というものは、子どものそういう行動に注意をはらって怒り、自分の都合ばかり考えて、人に迷惑をかけてはいけないということを教えるのが仕事ではないのだろうか。たまに、子どもに注意するかと思うと「このおばちゃんがこわいからやめなさい。」という親がいるという。言語道断である。

 我々の世界では、稽古をしてもらってなにも注意を受けないと、それはほぼあきらめられたことと思え、というのが定説である。私は、たとえプロでなくても、稽古をしてもらう以上は1つでもなにかを覚えて、得るものがなければ意味がないと思う。だから、人に稽古する時は、かなりやかましく怒る。これは、ものすごい労力を必要とすることであって、にこにこ「はい、お上手」と言っている方が数百倍、楽である。私のところへ来ている素人さんは、幸い、私のこういう考え方をよく知っているから、有り難い、と(一応)言ってくれる。ところが、へたをするとプロでも、こまごまと言われることをうるさがる人がいる。なにも言われなければそれでできていると思う。いつでもそう思いたい。そんな人がいる。

 TDLで、子どもをしからない親、ひどい時には、子どもをだしにして割り込む親(私の嫌いな!)、子どもだから優先されて当然でしょ、とばかり、寒空の中長時間並んで席をとっていた人(私は原則的に並ばないことにしているので、自分自身そういう目にはあわないけど)の前に平気で立ちはだかる親、そういう光景を見るにつけ、こういう親に育てられた子どもは、きっと稽古でなにか言われるのを迷惑がる人になるだろう、と思い、我々のような伝承芸の難しさを、変なところでまた考えさせられるのだ。
 


ホットな人のこと
(T ^ T)3月17日


  先日、あるお師匠さんの奥様が亡くなった。70代になられてなおラブラブで有名なご夫婦だった。そのお師匠さんは、あふれる悲しさをちょっとした照れで覆いながら、「まったくね、神様が焼きもちやいたんだよ、そうにちがいないよ、それで連れてっちゃったんだよ。」とおっしゃった。「義太夫の文句、てのはね、ほんとに身につまされるね。具体的に言うとね、胸がつまっちゃうから言わないけどね、ほんとにいちいちその通りだよ、うまくできてるよね。」

 義太夫をやっている人に、なかなか悪い人というのはいない。我々の先輩も、結婚している方は、家庭円満、ご夫婦も仲良し。親孝行な、今どきこんないい子がいたのねぇ、というようなお子さんを育てあげた方ばかりだ。これはやはり、義太夫の内容に関係しているに違いない。一言で言えば、義理人情を物語る義太夫節。そこに体がなじんで、自然にホットな人になっていく。また、それでなければ義太夫なんて、できやしないのだろう。

 夫婦は二世、というし、そのお師匠さんは、来世でも奥様とラブラブになられることでしょう。
 


客席のことその2
(ーー )3月12日


  私はよく寄席へ行くのだが、定席というのは必ずしも「落語を聴こう!」と燃えているお客さんばかりではないので、反応がもう1つのことがよくある。そういう時は楽屋では「せこきん」とか言って、「受けない客が悪い」と言うのだ、とどこかに書いてあった。

 先日定席に行った時、入りは良くもないが悪くもなく、それほど陰気なお客さんでもないと思ったのだが、時々、そういうことを気にしているそぶりをみせる人がいて、ひどい若手になると、「笑って下さい、笑って下さいよ、頼みますよ。」などとたわけたことを言った。別に笑うだけが楽しみじゃあるまいし、いいじゃない...。でも、そういう時でも、やっぱりうまい人が出てくるとその場の空気からして全く変わってしまうのだ。お客さんは確実に楽しんでいる。いい芸人さんというのは、そういうものだろう。私も、なにごとも人のせいにしない、自分の芸でお客さんを納得させることのできる芸人になりたい。
 


電車のことその3
(;´_`;)3月11日


  携帯電話は、車内で使用してはいけないことになっている。これは、他人の迷惑になるから、という理由だが、先日こういうアナウンスがあった。「ペースメーカーなどをお使いの方がいらっしゃると支障をきたすのでご遠慮下さい。」へぇ〜、そうだったのかぁ。そういえば友人も、お父様がペースメーカーをつけているので、家へ帰ると携帯電話を切るから、留守電になっていたら家の電話にしてみてくれ、と言っていた。でも、それを言いはじめると、車内でなくても、これほど世の中に携帯電話があふれていると、ふつうの町中や店の中など、危険がいっぱいである。
 
 かくいう私も携帯電話は持っているが、私のはPHSなので、車内でかかってきてしまうと、「今電車なので切れちゃいます。」と言ってかけなおすことにしている。でも、H'なんかが出てどんどん性能がよくなってくると、この言い訳もだんだんきかなくなってくる。
 
 とにかく大変なことを知ってしまった..。携帯電話でなくとも、常識レベル以上の音量や速度の会話は、他人の迷惑なのだから、それを気をつけましょう、と思っていた方が気が楽だったなぁ....。
 


電車のことその2
(`.´)3月 9日


  電車で席が1つだけあいていて、年輩の女性2人づれが入って来た時「あなたおすわりなさいよ。」「いえ、あなたどうぞ。」と譲り合って結局2人ともすわらず、それなのに、そのあいている席の前に立ちはだかっている光景をよく見る。他の人がすわれないでしょっ、ずれたらっ!?
 


客席のことその1
(^_^)3月 9日


  八王子車人形の中学校巡演に行った。目の前に、いわゆる特殊学級の生徒さんたちがいた。時々うしろの先生がなにか教えると聞きながら、とても自然に見て聴いてくれた。車人形は人形遣いの足と人形の足が一体となっているので、歩いたり拍子をとったりすると、人形も人形遣いも一緒に動く。そうすると、楽しくなってくるのか、自分も足を動かしたり、体をゆらしたり、手をふったり、三味線のリズムに拍子をとってくれたり、太夫の和尚の役の人が語ると、「坊主だ!」と喜んでくれたりした。素直な反応が嬉しかった。

 文楽の先の錦糸師匠が、スペインだったと思うが、外国で演奏した時、最後の、三味線のリズミカルな部分で、自然に手拍子がわきおこったそうだ。師匠が、大きな手をたたきながら、「こないしてなぁ、みなでわぁわぁ言うてな、大喜びやったでぇ。」と話して下さったのをよく覚えている。これも素直な反応だったのだと思う。

 我々が演奏すると、ただただ必死に演奏するので、お客さまをいたづらに緊張させてしまう。反省することしきりである。なんとかこれを打開したいと思いはするのだが、こればかりは、年功の積むのを待つよりほかないかな、と思っている。いつの日か、お客さまがリラックスして楽しめるような演奏ができるようにならなければ...。
 


中目黒脱線事故のこと
<(_ _)>3月 8日


  今朝、東横線の中目黒駅で、脱線事故があった。亡くなった方が3名も出る大惨事になった。私の家は東横線沿線で、いつもこの電車に乗っているから、第一報を聞いた時はびっくりした。しかも、はじめは爆破事件である、と報じられたので、よけいびっくりした。中目黒は地下鉄の日比谷線が乗り入れている。サリン事件もこの線だった。事故というのは、勝手なもので、自分の身近なところで起こるととたんに身にこたえるような気がする。

 今日は東横線が使えないので、バスに乗った。途中、中目黒の駅のそばを通るのだが、道路にはあらゆるTV局の車が停まり、見物人がたむろしていた。TV局は仕事だから仕方ないかもしれないが、見物している人は、なにが見たいのかなぁ、と思う。
 タレントの和田アキ子さんが、先日、交通事故にあって倒れている時、親切に介抱し、連絡してくれて、名前も告げずに去った人がいた一方で、苦しむ彼女のかたわらで平気で携帯電話をかけて笑っていた人がいる、とTVで話していた。その場にいる人はかえってことの重大さに気がつかない場合もあるのだろうか。こういう時の人の心理というのは、どういうものなんだろう。

 朝、お弟子さんが電話をくれた。事故のニュースを聞いて「いてもたってもいられなくて電話してしまった。」私と家族の無事をたしかめてくれたあと、私を用もないのに電話口に呼び出してしまって申し訳ない、と恐縮し、「じゃ切ります。」とすぐ電話を切った。いい人だなぁ、と思った。
      


「女流」ということ
(?O?)3月 4日


  義太夫節は、男女が交じって演奏することがほとんどない。他の邦楽では、交じることがないとはいえない。が、その場合も実情は、「交じらないと足りないから仕方なく」かもしれない。

 男女同権とか、差別だとか蔑視だとか、よく言われるが、私はやはり、男女は同じ土俵には立てないと思う。優劣ではなくて、仕組みが違うからだ。義太夫節は、自分でやっていてつくづく、男性の芸だと思う。えらい体力を必要とするし、三味線も大きくて持っているだけで大変。糸も太く、糸ばりも高い。そこに爪をけずりこむようにして押さえる。右手には大きくて重い象牙のばちを、小指に大きなたこを作りながら持つ。体格が丈夫な男性でも激しい消耗なのに、「か弱い」女性には至難の技。個人差はあるが、文楽の三味線弾きの手や腕のごついこと...修行のしかたも違うかもしれないが、やはり「男性」なのだ。

 ならば、なぜ女性がこんな大変なことをやっているのだろうか。女流義太夫というのは、義太夫の草創期からあるのだそうだ。なにか女性ならではの魅力があるはずだ。だから続いてきたに違いない。基本的に同じことを演奏すれば、きっと女性が無理をおして演奏する方がすごいことに感じられるだろう。同じことはできないけれど、基本さえ守っていれば、そこに女性なりの魅力は必ず出てくるはずだ。太夫でも、女性は声が高いから、男性の安定感とはまた別の危うさというのか、そんな魅力が出てくるはずだ。

 ずっとこんなことを考えながらやってきたが、なかなかそこまでいきつくことは難しい。が、そこを追求し続けなければ、女流義太夫をやっている意味がないな、と思う。そのためにも、基礎を覚えることは大切。その上で自分たちはどうなっていくのか。まったく未知数かも....。
 


電車のことその1
(`.´)3月 1日


  私は、たとえすいている電車でも、割り込みされるのが大きらい。「すわれりゃぁいいじゃない。」という考えの人もいるかもしれないが、私はいや。別にすわりたくて怒ってるわけじゃないから。(よっぽど疲れてる時以外は)割り込もう、という精神が、いや。人はルールの中でお互いを思いあって生きているのだから、それを守れない人、礼儀を知らない人は、いや!
  


「酒屋」のこと
(-.-)3月 1日


  義太夫に酒屋という曲がある。本名題を「艶容女舞衣」(はですがたおんなまいぎぬ)、お園という主人公の夫は、浮気をしていて、結婚してこのかた1度も家へ帰ったことがない。あげくに人を殺してしまう。浮気相手との間に子供ができる。そして、浮気相手との心中にあたって、その子供をお園におしつける。書き置きの手紙には「未来で必ず夫婦になろう。」と、お園に書き残す。なんという調子のいい男だろうか。しかし、お園は、それをじーっと辛抱して家で夫を待っている。しかも、この書き置きを読んで涙を流して喜ぶ。その父親までが「お前に1番良いことが書いてある。」と喜ぶ。.....ちょっと、今の感覚では信じられない。当時、家というものがそれほど大切であったということだろうか、それとも、男性の理想像を書いたのだろうか。
 
 とにかく、義太夫にはそんな内容が多く、必ずしも共感や納得が得られるとは限らないのに、独自の詞や節や音色のマジックで、人は共感し、納得し、いい気分になり、はまっていく....義太夫って不思議なものだ。演者は、ミュージシャン兼アクター兼、一流のマジシャンをめざすわけなのだ.........。 
  


フィエスタトロピカール終了のこと
(T0T)2月29日


  ついに終わってしまった。何度も終了の噂はあったが、あまりの人気に、終了時期が延期になっていたらしい。実にすばらしいショーだった。見る程に見る程にはまっていったショーだった。
  
 私は1度しか見ていないのだが、TDLには、ワンマンズドリームという伝説のショーがあって、これも絶好調のさ中に終了したという。絶好調でもあっさり打ち切ってしまうところが、アメリカ的だなぁ、と思う。

 西洋の芸能は、原則的に1つが進化していくが、日本の芸能は、原則的に1つ1つがそれぞれ残っていくから種類が多いのだ、と聞いたことがある。なるほど、おおもとが同じ浄瑠璃でも、いろいろな種類があって、絶えたものも入れたら相当な数になるだろう。ある程度の成長後は、それを守り、伝統になっていく。よくいえばものを大事にする、悪くいえば、潔くない、のかもしれない。

 とにかくフィエスタトロピカールは終わり、TDLは、きっとまた、新しいすばらしいショーを見せてくれることと思う。人には「永遠」ということはないんだから、「終了」という事実をしっかりと受け止めなければ...。

 


ドナルドダックのことその1
( ; _ ; )2月25日
 
 去年の4月15日から10月15日、TDLではドナルドダックのイベントをやっていた。TDLにはまり出して2〜3年ではあるが、数々のイベントを経験してきた。しかし、ドナルドダックのイベントが終わる時ほど、淋しいと思ったことはなかった。パレードで去っていくドナルドの巨大な風船のうしろ姿を見て、なんだかとてもやるせない気分になった。

 ドナルドは元気ないたづら者ではあるが、甥たちや、りすのチップとデールにいつもやりこめられている。そして常に2番手にいる。TDLのスターはいつでもミッキーマウスだからだ。このイベントのTVCMでは、「ゆるせミッキー。」といってドナルドの主役を強調したが、終わる時は「強制終了」と、「やだ〜!!」というドナルドに大きな赤い×をつけるCMに変わった。そして、ほほえむミッキーとミニーにピンポ〜ンと○がつく。次の主役は当然ミッキーで、私とてそれは大歓迎だし、どちらかというと、甥たちや、チップとデールのファンでもあるのだけれど、どこかに哀しさが残った。
 
 ディズニー好きがこうじて、2月のはじめに、カリフォルニア州アナハイムのディズニーランド、唯一ウォルトディズニーの生前にできたDLへ行った。あちらのドナルドは、中に、生まれつき小さい人が入っていることがある。そのドナルドはかわいらしく、いろいろサービスしてくれて、とても楽しかった。でも、私はそこになぜか切ないものを感じてしまう。そういう人がいきいきと働ける場所があるということを喜ぶべきだ、と友人は言うし、その通りだと思う。そういう人を特別に考えるのは、逆に差別的な考え方かもしれないとも思う。でも、理屈でなく、楽しければ楽しいだけ、また切ない気分が残ってしまう。

 ドナルド、てなんなんだろう。

 そういえば、三味線弾き、ていうのも、常に太夫のために演奏する女房役、2番手なんだなぁ...。
 



 
 


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