(遺書は残されていない。)

東アジア反日武装戦線 大地の牙 リーダー 斉藤和 1977/05/19


 1948年、斎藤和は北海道室蘭市に生まれた。斎藤は高校時代、生徒会長を努める真面目な青年だった。1966年、斉藤は東京都立大学人文学部哲学科に進学し、アナーキズム理論に出会い学生活動家となった。1971年、斉藤は大学を中退し、友人の佐々木則夫らと共に東アジア反日武装戦線を結成した。

 東アジア反日武装戦線は、革命思想家太田竜の影響が大きい。太田はアジアの発展途上国に進出する日本企業を、日本帝国主義の走狗とし、日本の繁栄は第三世界やアイヌ民族ら窮民の犠牲で成り立つものとした。東アジア反日武装戦線の攻撃対象は太田竜のいう窮民の地に進出する企業・官庁だった。

 1974年8月、東アジア反日武装戦線「狼」は東京大手町三菱重工本社ビルに爆弾テロを行った。死者8名、重軽傷者376名。日本史上最悪の爆弾テロ事件であった。一ヶ月後、東アジア反日武装戦線は三菱重工ビル爆破事件の犯行声明を出した。犯行声明には三菱重工と関係ない死傷者について「企業は敵だから、そこに出入りする者が犠牲になるのもやむをえない。」とかかれていた。

 組織は「狼」「さそり」「大地の牙」の3グループで構成されていた。斎藤は「大地の牙」のリーダーだった。メンバーは逮捕時に自決するように、常に青酸カリのカプセルを携帯していた。

 1975年5月19日、警視庁公安部は東アジア反日武装戦線幹部7名を一斉検挙した。午前8時23分、斉藤和は都内の潜伏先アパートで逮捕された。
 斉藤の身柄は即警視庁へ送られ取り調べが行われた。午前10時、斎藤は急に青ざめ口から泡を吹きながら意識不明となた。直ぐに警察病院に移送されたが処置を施す間もなく死亡が確認された。
 斉藤の死は不審な点が多く、司法解剖されることとなった。最初は東大にて解剖が予定されたが、支援団体が立ち会いを求めたことから解剖は拒絶された。続いて慈恵医大に解剖の要請をしたが監察医急病の為中止になった。どの病院も厄介なテロ組織と関わり合いを避けた。
 結局杏林大学にて警察立ち会いのもと解剖が行われた。死因は青酸カリの服毒による中毒死だった。

 事件の9日後(1975年5月28日)逮捕された荒井まり子の姉なほ子はメンバーではないが自殺した。遺書は無かった。一ヶ月後(1975年6月13日)共犯とされた元法大生藤原義夫も自殺した。

 3カ月後、日本赤軍はクアラルンプール事件を引き起こした。拘留中の東アジア反日武装戦線メンバー佐々木則夫は超法規措置により釈放、国外に脱出した。
 翌年、日本赤軍はダッカ事件を引き起こした。斉藤和の恋人浴田由紀子、大道寺あや子、泉水博が超法規的処置により釈放された。

 その後、東アジア反日武装戦線に多大な影響をもたらした革命思想家 太田竜は1992年に地球維新党を設立し参院比例区に出馬、落選した。その後、インターネット上で(1998年当時)カルトな人気爆発の出雲帝国富士皇朝の万師露観らとともに雑誌「切断」「卒啄」にてユダヤの陰謀を暴き続けている。その活躍は「UFO原理と宇宙文明」の著者として「トンデモ本の世界」(と学会 編著)に詳しく紹介されている。

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