遺言 火野葦平
高血圧症状がおこつてから、まつたく健康に自身がなくなつた。いつか倒れるかわからない。もう二十年ほど生きたいが、今日にでも倒れるかも知れぬ。しかし、クヨクヨしてもしかたがないので、今、倒れて死んでもかわはない心境になつた。日本文学史に残る作品もいくつか書いたし、作家としては本望だ。もちろん、まだ書きたい作品は多いが、慾ばらないことにする。気がかりなのは老母をはじめとする遺族たちだが、仲よく、私の死後について再構築を立ててもらひたい。東京の家を処分することはもちろん、友人劉寒吉はじめ諸君に相談して、あとをなんとかやつてもらひたい。いままで、みんな幸福すぎたので、すこしは苦労して人生の荒波を乗りきること。大した才能もないのに、作家として世に立ち得たことは、私の幸福であつた。
昭和三十四年十二月七日 朝
第二の遺書
今年はチェホフ生誕百年祭である。ソ連の週刊誌「アガニヨク」から、これに関する原稿依頼が電報で来たので書いて送つたが、チェホフが一生病魔とたたかひながら、あれだけの作品を残したことにあらためて心をうたれた。高血圧とたたかひながらでも、たふれるまでよい仕事をしなくてはならぬ。
一、もしたふれたならば、ただちに、東京の家を処理し、金になるものはすべて金に換へ、根本的に生活の設計をたてなほすこと。
一、一家きやうだい力を合はせて困難に耐へること。
一、細かい遺言はなにもしない。
昭和三十五年1月1日
玉井勝則
死にます。
芥川龍之介とはちがふかも
知れないが、或る漠然とした
不安のために。
すみません。
おゆるし下さい。
さやうなら。
昭和三十五年一月二十三日夜。十一時
あしへい小説家 火野葦平