自殺データベース (5) 昭和20年代の自殺 (1945−1954)
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1945年 3月21日 鹿児島県鹿屋基地から最初の有人ロケット兵器「桜花」第一神風特別攻撃隊神雷部隊が出撃。
1945年 4月7日 菊水一号作戦中の戦艦大和艦長、海軍大佐有賀幸作、坊ノ岬沖にて大和と運命を共にす
1945年 5月13日 ドイツから潜水艦U234号にて帰国途中の海軍技術大佐、友永英夫と庄司元三が、北大西洋ニューファンドランド島沖にて睡眠薬自殺
1945年 5月23日 後の首相、竹下登の妻、政江が首つり自殺。前年3月に結婚。当時は早大生で学徒出陣中。
1945年 6月13日 海軍中将、沖縄方面根拠地隊司令官、大田実が沖縄、豊見城村の軍司令部壕にて拳銃自殺 『沖縄縣民斯ク戦ヘリ
 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』の電文を遺す。
1945年 6月22日 陸軍中将、藤岡武雄が沖縄、摩文仁にて自殺
1945年 6月23日 陸軍大将、沖縄防衛軍司令官、牛島満が切腹
1945年 6月30日 陸軍少将、独立混成第44旅団長 鈴木繁二が沖縄シュガーローフ戦後に自殺
1945年 6月30日 陸軍中将、 雨宮巽が沖縄にて自殺
1945年 7月26日 ヴィシー政権時代に駐フランス全権大使だった千葉蓁一が妻、美代子とともにトルコ、アンカラにて自殺(美代子は北里柴三郎の長女)
1945年 8月8日 朝鮮公族、李偶(人偏を金偏に)公御付武官、陸軍大佐、吉成弘が原爆で亡くなった李公の遺体を収容した広島市似島にて右頸動脈を軍刀で切り自殺
1945年 8月12日 麻山事件:満州哈達河開拓団が満州国鶏寧県麻生区において、ソビエト軍戦車部隊と満州国反乱軍の襲撃を受け集団自殺、421人が死亡
1945年 8月14日 葛根廟事件:満州国興安総省興安街在住の日本人が葛根廟近くにてソ連軍の攻撃を受けた際、多数が自殺
1945年 8月15日 第五師団長、陸軍中将、山田清一がインドネシア、セラム島司令部にて自殺
1945年 8月15日 陸軍中将、寺本熊市が淀橋区戸山ヶ原の陸軍戸山学校(現・都立戸山公園箱根山付近)にて切腹後、拳銃自殺
1945年 8月15日 陸軍少佐、古賀秀正が玉音放送終了直前に近衛第1師団司令部2階にて切腹後拳銃自殺
1945年 8月15日 玉音版クーデター事件:宮城事件の首謀者、椎崎二郎陸軍中佐と畑中健二陸軍少佐が皇居二重橋と坂下門の間の松林にて拳銃自殺
1945年 8月15日 陸軍航空技術審査部総務部長、陸軍少将、隈部正美が立川飛行場南端にて一家5人で拳銃自殺
1945年 8月15日 海軍中将、宇垣纏が最後の神風特攻隊として出撃
1945年 8月15日 陸軍大臣、阿南惟幾が陸相官邸にて切腹
1945年 8月16日 海軍中将、神風特攻隊の創設者、大西瀧治郎が渋谷区南平台の軍令部官舎にて切腹
1945年 8月17日 第137師団長、陸軍中将、秋山義兌が北朝鮮咸興で切腹
1945年 8月17日 糸川英夫らと共に赤外線誘導爆弾ケ号の開発に携わった陸軍少佐、大石猪太郎が静岡県浜松市館山寺山上にて拳銃自殺
1945年 8月17日 来民開拓団276人がハルピン郊外にて集団自殺
1945年 8月17日 陸軍少佐、晴気誠が市ヶ谷の陸軍大本営内、大正天皇御野立所前(現・晴気少佐慰霊碑)にて切腹
1945年 8月18日 有人ロケット兵器「桜花」発案者、大田正一特務少尉が遺書を残し茨城県神ノ池基地から零式練習戦闘機で出撃。しかし自殺は偽装であり、海上へ不時着後漁船に救助され偽名で関西に潜伏、1994年82歳で死亡した。
1945年 8月18日 人間魚雷回天、平生基地所属、回天特別攻撃隊教官、橋口寛が同基地の回天操縦席にて拳銃自殺
1945年 8月19日 水戸教導航空通信師団、小隊長・松島利雄少尉が上野美術学校内にて自殺。水戸教導航空通信師団は終戦後、徹底抗戦を呼びかけ美術学校に籠城中だった。
1945年 8月19日 陸軍中野憲兵学校、陸軍憲兵軍曹、近藤巌が靖国神社社殿前にて自殺
1945年 8月19日 陸軍中佐、陸軍決死団(本土決戦の為の部隊)第203連隊第2隊長、銕尾隆が千葉県印旛郡四街道町宥妙寺にて切腹、妻玉憙もその場で拳銃自殺。後、自殺現場に聖観世音菩薩が建立
1945年 8月19日 陸軍大尉、上原重太郎が埼玉県豊岡の陸軍士官学校裏航空神社前にて切腹
1945年 8月19日 国文学者、陸軍中尉 蓮田善明がインドネシア・ジョホールバルにて上官を射殺後拳銃自殺
1945年 8月20日 満州映画協会理事、元憲兵大尉、甘粕正彦が青酸自殺
1945年 8月20日 九州海軍軍需監理局第二兵器課長、海軍技術中佐、長島秀男と部下の寺尾博之が福岡市油山中腹にて切腹。後に同地に自刃の碑が建立
1945年 8月20日 真岡郵便局電話交換手、高石ミキら9人が青酸カリを飲んで自殺
1945年 8月21日 満州国治安部次長、ハルピン学院長、渋谷三郎がハルピン市内の自宅にて妻子とともに拳銃自殺
1945年 8月21日 海軍佐世保軍需部、海軍大尉、長瀬武が妻外志子と共に佐世保前畑火薬庫裏の丘にて拳銃自殺
1945年 8月22日 海軍軍令部参謀、海軍少佐、國定謙男が茨城県土浦市真鍋町善応寺裏の丘にて妻子とともに拳銃自殺
1945年 8月22日 愛宕山集団割腹自殺事件:尊攘同志会、飯島与志雄ら会員12名が東京都港区の愛宕山にて手榴弾をもちいて集団自殺。10人死亡。
1945年 8月23日 陸軍立川航空工廟木津分工場長 陸軍航空中尉、肥田武が石川県七塚町木津の海岸にて切腹 後に現場に肥田様塚が建立
1945年 8月23日 徳島海軍航空隊、海軍中尉、中原一雄が徳島県松茂町笹木野にて機銃をもちいて自殺 後に自殺現場である徳島海上自衛隊基地内に慰霊碑が建立
1945年 8月23日 皇居前広場自殺事件:明朗会会長、日比和一ら会員12名が皇居前、祝田橋交差点近くにて集団自殺
1945年 8月24日 元尊攘同志会、皇国義勇軍の岡崎功が島根県松江警察署剣道場にて鎧通しで腹と喉を突き自殺を図るも未遂。日本最後のクーデター島根県庁焼き打ち事件のリーダーだった。
1945年 8月24日 東部軍司令官、陸軍大将、田中静壷が予備士官学校の生徒による川口放送局占領事件を解決した後、東部軍管区司令官室にて拳銃自殺
1945年 8月24日 代々木練兵場集団自殺事件:大東塾塾長代行影山庄平ら塾生14名が代々木練兵場にて切腹 後に現場の代々木公園西に大東塾十四烈士の碑建立
1945年 8月25日 海軍中尉、松尾秀輔が大神突撃対練兵場にて手榴弾にて爆死
1945年 8月26日 トーマス・グラバーの次男、倉場富三郎が長崎の自宅にて自殺
1945年 8月27日 愛宕山で集団自殺した尊攘同志会の夫人、茂呂かよ子ら3人が同所にて拳銃自殺
1945年 8月28日 陸軍憲兵曹長、上遠野勇吉が3日前に自殺したインドネシア独立の志士ラデン・アブドル・カリム青年の墓前にて拳銃自殺
1945年 8月31日 伊号第四〇一潜水艦艦長 有泉龍之介大佐が米軍投降後、自殺
1945年 9月1日 台湾で大規模灌漑用水を作った技師八田興一の妻、外代樹が台湾、烏頭山ダムにて入水自殺
1945年 9月2日 海軍中将、近畿海軍軍需監督部長、森住松雄が同部にて自殺
1945年 9月3日 「いざ来いニミッツ、マッカーサー出てくりゃ地獄に逆落とし」の名コピーを生んだ、大本営報道部部長、陸軍大佐、親泊朝省が東京都小石川区大原町21番の自宅にて妻子とともに拳銃自殺
1945年 9月4日 第一総軍法務部長、陸軍法務中将、島田朋三郎が赤坂霊南坂の陸軍宿舎内にて拳銃自殺
1945年 9月6日 釜山海軍航空基地第352設営隊副長、安平敏隆が釜山にて拳銃自殺
1945年 9月6日 陸軍大尉、小野寺謙介が埼玉県飯能市観音寺の墓地にて落下傘を敷き切腹。後に自決場所に自決の地碑が建立
1945年 9月7日 実業家でインドネシア独立運動の小スンダ建国同志会に日本人で唯一参加した三浦襄が約束を果たせなかったとバリ島にて拳銃自殺
1945年 9月12日 本土防衛総軍司令官で元帥、陸軍大将 杉山元が横浜第8軍司令部にて拳銃自殺、知らせを聞いた妻啓子は青酸カリを飲み短刀を喉に刺して自殺
1945年 9月13日 陸軍中将、中部国民勤労訓練所所長、城倉義衛が同所内にて拳銃自殺
1945年 9月13日 元厚生大臣、陸軍中将、小泉親彦が淀橋区西落合1-165自宅2階茶室にて軍刀を用いて切腹
1945年 9月14日 杉山元帥夫妻の葬儀責任者、陸軍大将、吉本貞一が葬儀終了後、市ヶ谷第1総軍司令部にて拳銃自殺
1945年 9月14日 元文部大臣、橋田邦彦が杉並区荻窪1-59自宅にて服毒自殺
1945年 9月15日 ボルネオ島クチン俘虜収容所長、陸軍大佐、菅辰次がアブアン島の収容所にて洋食用ナイフを用いて自殺
1945年 9月16日 第29戦闘隊特攻隊長、陸軍中尉、橘健康が台湾台中飛行場の愛機疾風号コクピット内にて拳銃自殺
1945年 9月17日 陸軍中将、篠塚義男が渋谷区代々木初台517の自宅にて右頸動脈を切り自殺
1945年 9月17日 18方面軍参謀次長、陸軍中将、濱田平がタイ、バンコクにて自殺
1945年 10月5日 第64警備隊司令、陸軍少将、升田仁助がグアム島にて自殺
1945年 10月13日 8月ガツ19日ニチに上野ウエノ美術学校ビジュツガッコウで自決した水戸教導航空通信師団、松島利雄少尉の弟、海軍中尉、松島貞雄が水戸市の自宅玄関にて拳銃自殺
1945年 11月30日 元陸軍大将、本庄繁が陸軍大学校(現・港区立青山中学校)内補導会理事長室内にて切腹
1945年 12月13日 先島群島日本軍司令官で宮古島第28師団長、陸軍中将、納見敏郎が宮古島にて自殺
1945年 12月16日 貴族院議員、近衛文麿が荻窪の荻外荘にて青酸カリ自殺
1945年 12月31日 小説家、生田葵山が瀬戸内海播磨灘にて入水 代表作「都会」「和蘭皿」
1946年 1月30日 元・原理日本社長 蓑田胸喜が熊本県八代郡吉野村の自宅にて首つり自殺
1946年 2月13日 陸軍大佐、棚橋眞作が熊本県菊池郡西合志町黒石日吉神社境内にて自殺
1946年 3月23日 和歌山県伊都郡恋野村村長、中谷安太郎の溺死体が同村の滝にて発見される
1946年 3月23日 第4軍司令官、陸軍中将、上村幹男がソ連ハバロフスク収容場にて自殺
1946年 4月13日 台湾軍第12師団長、陸軍中将、人見秀三が台湾にて拳銃自殺
1946年 4月19日 台湾総督、陸軍大将 安藤利吉が上海拘留所にて青酸カリ自殺
1946年 5月18日 広田弘毅の妻静子が藤沢市の自宅にて服毒自殺
1946年 6月21日 長春第8病院、元陸軍従軍看護婦井上鶴美以下22名の看護婦が、同病院3階宿舎にて、ソ連兵の暴行にたいして抗議の青酸カリ自殺
1946年 7月18日 九州大学生体解剖事件:九大第一外科部長の石山福二郎教授が自殺 遠藤周作の小説「海と毒薬」のモデル
1946年 8月12日 陸軍大尉、池葉東馬がラバウル戦犯収容所内にて自殺
1946年 9月17日 陸軍中将で大陸鉄道司令官の草場辰巳が極東国際軍事裁判にソ連側証人として出廷する直前に自殺
1946年 10月4日 海軍警部、修多羅浩がセレベス島マカッサル戦犯収容所にて自殺
1946年 10月26日 旧制第一高等学校文科3年原口統三が逗子海岸なぎさホテル前海岸にて入水 後に「二十歳のエチュード」が出版され
1946年 12月10日 陸軍中将、小泉恭治が東京都三鷹市下連雀113の自宅にて切腹
1947年 4月25日 収賄で逮捕され制服のまま新潟刑務所に収容された新潟署長、軽部要作が同所独房内にて首つり自殺
1947年 4月28日 インパール作戦ビルマ烈兵団参謀、陸軍少佐、野中国男が自殺
1947年 6月12日 鹿児島県教育民生部長、石村光三が鹿児島市公会堂屋上より飛び降り自殺
1947年 8月29日 海軍上等衛生兵曹、小川和一が巣鴨の戦犯収容所にて自殺
1947年 9月9日 海軍特務機関錦隊要員、窪田典人がティモール島クーダン東方山中にて自殺
1947年 9月10日 ニューギニア派遣軍司令官、陸軍中将、安達二十三がラバウルにて切腹
1947年 9月25日 元枢密院議長、法学博士 清水澄が天皇制護持の遺書を残して熱海錦ヶ浦北の魚見崎より投身自殺
1947年 9月26日 京都府立第二高等女学校3年、中沢節子が服毒自殺。後に遺稿集「花ちりぬ」が出版された。
1947年 10月11日 福岡県在住の田中伊勢吉が皇居二重橋前にて切腹し松の木で首つり自殺。
1947年 10月11日 裁判官、山口良忠が餓死自殺?
1947年 12月8日 福島県白河の国立種畜牧場(現・家畜改良センター)牧場長、農林省技官、相馬久三郎が昇汞水を飲み自殺
1947年 12月12日 身元不明の男が皇居楠像付近にて首つり自殺
1948年 1月20日 画家、三橋六郎がレオナルド・ローレンス米軍曹長の妻シルバーと東急東横線高島町駅前にて青酸カリ心中
1948年 2月19日 神田の大手古本屋、巌松堂店主、波多野一が神奈川県二ノ宮町山西979の自宅にて首つり自殺
1948年 3月23日 広島のヤクザ山上光治が広島市の果物店にて五右衛門風呂の風呂釜内に入り拳銃自殺 映画「仁義なき戦い広島死闘編」山中正治のモデル
1948年 4月8日 蒲田一家7人心中事件、中蒲田1-6-2の農家にて家長が家族6人を鉈で惨殺後、古井戸に飛び込み自殺
1948年 6月13日 作家、太宰治が山崎富栄と共に玉川上水に入水自殺。19日に遺体発見。代表作「人間失格」「斜陽」
1948年 9月8日 陸軍少佐、折田優が巣鴨の戦犯収容所にて自殺
1948年 11月1日 7月8日に青酸カリを持って失踪した元子爵、昆虫学者の高木正徳の縊死白骨遺体が奥多摩雲取山中にて発見される。当時、没落した元華族は斜陽族と呼ばれていた。
1948年 12月4日 富士証券社長、鈴木年人が西武池袋線東長崎−椎名町間にて鉄道自殺
1949年 1月7日 大阪、北野高校2年、川本悟郎と山口忠明が兵庫県宝塚市武田尾警告にて服毒自殺。二人は一年前に「わだつみ会」という哲学研究会をつくり、会員同士で自殺の協約書を作成していた。
1949年 3月22日 銀行法違反で業務停止命令を受けた私設銀行、広島利殖銀行社長、沖田忠雄が広島県甲牛町の自宅にて一家6人を絞殺後、首つり自殺
1949年 4月9日 見習い看護婦6人が神戸市葺合日暮通1、済生会兵庫県病院看護婦宿舎10号室にて青酸カリを用いて集団自殺、4人が死亡
1949年 4月18日 丸ノ内証券専務、樋口正雄が新宿区下落合4-2154先にて西武新宿線に飛び込み自殺
1949年 5月9日 俳優座の女優、堀阿佐子が自宅にて自殺
1949年 5月10日 吉村隊、暁に祈る事件において、渡辺広太郎元軍曹が栃木県那須野黒磯町の自宅近く山林にて首つり自殺
1949年 5月31日 大阪、北野高校3年、村上邦弘が奈良で服毒自殺。1月7日に自殺した川本悟郎らと同じ「わだつみ会」に属していた。遺留品に自殺の協約書が発見された。
1949年 6月1日 詩人、長沢延子が服毒自殺 後に遺稿集「友よ私が死んだからとて」が出版された。
1949年 7月6日 下山事件:国鉄総裁 下山定則が今の五反野コミュニティ公園近くの常磐線にて鉄道自殺。(なお、遺族は事件は他殺であるとして7月5日を命日としている。)
1949年 7月30日 東京都千代田区一ツ橋の共立女子大にて、同校卒業生の植村友江と、同性愛相手の榊千賀子が抱き合いながら5階体操教官室から校庭へ飛び降り自殺
1949年 8月8日 下山事件現場にて、小児麻痺の17歳、中丸清司が鉄道自殺 
1949年 8月10日 元衆議院議員、自由民主党金沢支部長、殿田孝次が金沢市里見町の自宅物置にて首つり自殺
1949年 9月2日 参議院議員、東浦庄治が世田谷区世田谷2-1337の自宅2階にて首つり自殺
1949年 9月14日 元貴族院議員、渋沢金蔵が群馬県太田市の自宅にてナイフで首を切り自殺
1949年 11月3日 小説家、 田中英光が師太宰治墓前にて睡眠薬アドルム服用後手首を切り自殺 代表作「オリンポスの果実」
1949年 11月24日 ヤミ金融、光クラブ社長、山崎晃祠が銀座松屋裏の事務所にて青酸カリを用いて自殺、翌25日に死亡確認
1949年 12月16日 埼玉県蕨中学校教頭、菅磐源三が大船駅にて鉄道自殺
1949年 12月26日 東京工業株式会社重役、平田半六が港区芝の札の辻陸橋より飛び降り鉄道自殺
1949年 後半 フランシスコ・ザビエル渡来400年祭の行われた長崎、浦上天主堂にて自殺者が増加、一時期社会問題に
1950年 1月4日 悪魔のキューピーこと広島ヤクザ大西政寛が拳銃自殺 映画「仁義無き戦い」若杉寛のモデル
1950年 1月15日 元関東軍報道部、川島芳子の恋人だった山家亨少尉が山梨の奈良田温泉にて首つり自殺、遺体を発見。
1950年 3月5日 風船爆弾の考案者、工学博士 大槻俊郎が静岡県東伊豆町片瀬温泉、龍淵院裏の松林で22歳女性と青酸カリにて心中
1950年 4月6日 徳田要請問題:国会喚問に呼ばれた元シベリア、カラガンダ収容所通訳、管季治が武蔵野市吉祥寺2774付近にて国鉄中央線上り東京行き電車に飛び込み自殺
1950年 4月15日 評論家、木村荘太が千葉県成田市成田山公園内にて首つり自殺
1950年 6月22日 世界救世教顧問弁護士、長谷川俊夫が静岡県庁にて飛び降り自殺
1950年 7月1日 和歌山県立粉河高校3年、小堀勝成ら4人が和歌山県勝浦町の崖から飛び降り自殺。
1950年 7月3日 金閣寺放火事件:犯人の学僧、林承賢の母、志満子が山陰線保津峡−馬堀駅間にて列車から保津川へ飛び降り自殺
1950年 7月5日 板橋区立志村第四小学校長、里見親和の遺体が群馬県嬬恋村の浅間山麓にて発見される
1950年 9月1日 ローマ法研究者、東京大学教授 原田慶吉が杉並区高円寺1の自宅勝手口にて首つり自殺
1951年 1月29日 都立日比谷高校2年、蛭田昭が国鉄高田馬場駅にて飛び込み自殺。17年後、遺稿集「青春が滅びてゆく 自殺との対話」が出版された。
1951年 1月29日 長男がハンセン病と診断された山梨県農協理事、与水繁の一家9人が北杜市須玉町小倉中小倉の自宅にて青酸カリを砂糖に混ぜ服用し一家心中
1951年 3月11日 築地八宝亭一家殺人事件:中華料理店八宝亭従業員山口常夫が築地署留置場にて青酸カリを用いて自殺
1951年 3月13日 小説家、原民喜が西荻窪駅西方約250mにて鉄道自殺 代表作「夏の花」
1951年 5月8日 元硫黄島守備隊で戦後3年半、島に潜伏してた海軍二等兵山蔭光福が取材で訪れた硫黄島擂鉢山にて飛び降り自殺
1951年 6月5日 蔵敷事件:東京都大和村の主婦、近藤ときが、立正佼成会幹部から長男輝男が死ぬと予言されノイローゼになり大和村蔵敷1055の自宅にて青酸カリを用いて親子心中。人権蹂躙事件として国会で問題に。本事件を担当していた弁護士の一人、磯部常治は死刑廃止論者であり、56年に妻子が殺害されても持論を翻さなかった。
1951年 7月3日 参議院議員、岡田信次の長男、岡田信が上高地にて自殺予告。岡田信次から上高地の警察署に電話で捜索願い。
1951年 11月27日 小説家、林房雄の妻、林繁子が鎌倉市浄明寺514の自宅にて自殺(未遂)
1951年 12月1日 電通省建設部管理課会計係事務官、森正雄が刃物で喉を切り、玉川上水へ投身、杉並区和泉町498のゴミ揚げ場付近にて発見される。
1952年 1月23日 札幌南高校3年、画家、加清純子が北海道阿寒にて凍死自殺 渡辺淳一の小説「阿寒に果つ」のモデル
1952年 2月10日 参議院議院、労働党、鈴木清一夫人、るり子が横浜市鶴見区鶴見町1198の自宅にて猫イラズを飲み首つり自殺(未遂)
1952年 2月25日 日本郵船の氷川丸設計者、石川島重工造船技師、飯沼重視が長野県諏訪市上諏訪町角間川鉄橋にて自殺
1952年 4月19日 漕艇協会副会長 宮木昌常と妻もと が京都吉野山の村上義光墓前にて青酸カリ用いて自殺、遺体発見。
1952年 4月21日 東京大田区の萩須朝子が京都駅前、宮本旅館にて服毒自殺 文学好きな仲間達と決心のついた人から自殺しようと約束する自殺クラブをつくっていた。
1952年 6月8日 小説家、林房雄の妻、林繁子が鎌倉市浄明寺514の自宅にて首つり自殺
1952年 7月2日 横浜商会専務、川喜多新一が横浜駅にて鉄道自殺
1952年 7月19日 収賄容疑で取り調べを受けていた元国鉄資材局用度課課長補佐、新日本医科資材会社社長、佐久間幸之助が警視庁5階より飛び降り自殺
1952年 8月8日 立教大学助教授、佐藤偉がマレー、ペナン港に停泊中の英客船カーセージ号船室にて首つり自殺
1952年 10月24日 地唄筝曲奏者、菊仲米秋が入水
1952年 11月17日 歌手、安城美智子とNHKプロデューサーが京都市中京区河原町の京都ホテル5階にてアドルムとカルモチンを用いて睡眠薬心中
1952年 12月5日 皇居前メーデー事件被告、日本共産党員、小林秀博が神経衰弱を理由に保釈後、郷里へ帰郷の途中、新宿駅2番ホーム(現・8番ホーム)にて中央線上り電車に飛び込み自殺
1952年 12月24日 歌舞伎の小道具の権威といわれた藤浪小道具株式会社社長、藤浪与平が鎌倉市坂の下262の自宅にて首つり自殺
1952年 12月26日 北日本製紙取締役、小田昌が渋谷駅にて山手線外回り電車に飛び込み自殺
1952年 12月31日 小説家、久坂葉子が阪急六甲駅にて鉄道自殺。3年後、「私はこんな女である 久坂葉子遺作集」が出版された。
1953年 3月2日 港区芝高輪南町の無職、奥平昌信が皇居二重橋前にてカミソリで首を切り自殺
1953年 4月2日 農林省食糧庁食品課長、長沢武が湯河原温泉旅館花長園にて首つり自殺
1953年 4月14日 東京大学農学部3年、卓球部主将、村越徳治が西武池袋線練馬駅付近にて鉄道自殺
1953年 5月31日 浦和市議会議員、川上長蔵が浦和署留置場内にて安全カミソリをもちいて首を切り自殺
1953年 8月11日 元浦和証券取締役、塚越喜平が荒川放水路に入水 足立区北堀之内町の荒川放水路にて遺体発見
1953年 12月22日 作家、加藤道夫が世田谷区若林町237の自宅書斎にて首つり自殺
1954年 2月3日 熊本県魚田町の中学教師、宮田正義が皇居前広場大手門寄りの松の木にて首つり自殺
1954年 2月11日 ターキーこと水の江滝子のマネージャー兼松廉吉が鎌倉稲村ガ崎の防空壕後にて服毒自殺
1954年 3月29日 造船疑獄:運輸省海運調整部総務課課長補佐 雛田英夫が国鉄運輸省ビル(現・丸の内オアゾ)5階から中庭へ飛び降り自殺
1954年 4月13日 造船疑獄:石川島重工重役 宮島利雄が東京世田谷区玉川奥沢1-509の自宅裏物置にて首吊り自殺
1954年 4月28日 日邦水産株式会社取締役会長、佐藤庄次郎が福岡市東小姓町の自宅にて首つり自殺
1954年 6月1日 近江絹糸争議:近江絹糸津工場整紡係、小野鉄矢が後楽園球場正面3階席屋上から場外へ飛び降り自殺
1954年 6月9日 山梨県都留市議会議員、中島尚之の水死体が神奈川県三浦郡三崎町沖合にて発見される
1954年 6月23日 俳優小沢栄の妻、小沢美和子が大田区田園調布3-44の自宅風呂場にてガス自殺
1954年 7月3日 近江絹糸争議:近江絹糸第二組合東京支部執行委員の中村五郎が熱海にて鉄道自殺
1954年 8月18日 水産庁海洋第一部捕鯨監督官、鈴木明が北海道厚岸町の宿舎にて首つり自殺
1954年 8月28日 ラストボロフ事件:外務省職員兼内閣調査室員、日暮信則がソ連のスパイ容疑で東京地検にて取調べ中、4階窓から飛び降り自殺
1954年 9月1日 新東宝映画製作主任、鹿島誠哉が福井県芦原温泉、佐々木病院3階別室より飛び降り自殺
1954年 9月6日 近江絹糸争議:近江絹糸第二組合東京支部副支部長、川又きみ が東京都品川区五反田5-60近江絹糸池田山寮にて睡眠薬自殺(未遂)
1954年 9月27日 横浜市交通局収賄事件:前横浜市交通局長技師、金子信一郎が藤沢市辻堂の墓地にて首つり自殺
1954年 9月28日 横浜市交通局収賄事件:6日前に退職した前横浜市交通局長、秋山繁市が同市中区竹ノ丸96の自宅にて、市警察から任意同行を求められた直後、青酸カリ自殺
1954年 11月7日 茨城県精米業一家9人毒殺放火事件:犯人緑志保が栃木県大田原署にて取調べ中に青酸カリ自殺
1954年 11月27日 洞爺丸事故で夫をなくした白井みさが事件二ヶ月後、東京都杉並区の富国生命社員寮にてガス自殺
1954年 12月18日 甲府地方裁判所判事補、近藤脩が国鉄下十条駅にて京浜東北線下り電車に飛び込み自殺

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