自殺データベース (3) 大正時代の自殺 (1912-1926)
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1912年 7月31日 元佐賀県須古村村長、山崎重夫が明治天皇崩御翌日に切腹
1912年 8月6日 浅草榊神社神職、安川光治が麹町区紀尾井町2-29叔父の田野金八宅にて菜切包丁にて喉を切り自殺 明治天皇の病気平癒を祈願するも果たせず
1912年 9月13日 陸軍大将、乃木希典と妻静子が赤坂区赤坂新坂町44の自宅にて短刀を用いて自殺、明治天皇に殉死
1912年 10月15日 北海道陸別町の開拓事業に尽力した医師、関寛斎が陸別にて服毒自殺
1912年 10月28日 陸軍予備中尉、小島親定が仙台市北2の自宅にて軍刀で喉を切り自殺
1912年 11月30日 山梨県の士族、暮木義信が自宅にて切腹、明治天皇に殉死。
1912年 12月13日 元貝島萬之浦炭鉱採炭課長、高村喜三郎が貝島家門前にてダイナマイト自殺
1913年 4月10日 千尊福男爵の三男、千鯱丸が牛込のビリヤード場女給山本しづと新橋駅南にて鉄道自殺
1913年 4月15日 教育勅語を盗まれた北海道留萌町尋常高等小学校長、浅沼敬一が子5人と共に亜砒酸入りの最中を食べて自殺
1913年 4月16日 大審院判事、水本豹吉の長男、水本成尚が東京、上中里の山林内にて首つり自殺
1913年 5月24日 工員がストライキを起こした神戸三菱造船所機械部工場主任技師、熊井泰助が大阪府大阪西成の知人宅にてナイフで左胸と喉を刺して自殺
1913年 9月9日 外務省政務局長、阿部守太郎を暗殺した国家主義者、岡田満が牛込築地町10、弁護士、角岡知良宅にて中国の地図を広げ切腹
1913年 11月5日 早稲田大学文学部学生の山本一蔵(山本飼山)が大久保にて鉄道自殺 後に飼山遺稿が出版された
1914年 3月17日 元陸軍大将、土屋光春男爵の娘、こう子が嫁ぎ先の斉藤常三郎陸軍中佐宅にて短刀で心臓を刺して自殺
1914年 3月17日 シーメンス事件:シーメンス社海軍省担当、吉田収吉が東京監獄(現・富久町児童公園)独房にて首つり自殺
1914年 6月14日 帝室林野管理局京都出張所長、持田伊三が自宅にてナイフで首、胸を刺し自殺
1914年 6月24日 大逆事件で無期懲役判決を受けた僧侶、和歌山県新宮市浄泉寺住持、高木顕明が秋田刑務所にて首つり自殺
1914年 10月12日 長岡中学校教師、坂本繁作が自宅にて出刃包丁をもちいて首と腹を刺し自殺
1914年 11月18日 川崎造船部長、篠田恒太郎が神戸市の自宅にて剃刀で喉を切り自殺。設計した戦艦榛名の機関に設計ミスがあったことを苦にしていた。
1915年 2月8日 愛媛県宇和島町長、二宮照敏が自宅にて切腹
1915年 5月5日 陸軍飛行中尉、田中政人が神楽坂の芸者、神谷はま と千葉県勝浦町海岸の旅館大盛館にて拳銃自殺。神谷はまは即死、田中政人は8日に死亡
1915年 5月30日 青山貯金銀行頭取、林興兵衛が赤坂区青山北町4-12自宅にて首つり自殺
1915年 6月25日 衆議院議員、大澤辰次郎が長野市の自宅にて自殺
1915年 8月1日 小説家、谷崎潤一郎の叔父で株式仲買人、谷崎久兵衛が霊岸島発伊豆下田行き客船、大正丸より入水
1915年 9月15日 木更津税務署長、坂本孝三が自宅にてカミソリで喉を切り自殺
1916年 2月16日 鷲尾隆順男爵夫人、鷲尾せき子が千葉県市川町市川新田にて鉄道自殺
1916年 5月3日 女優、森律子の弟、第一高等学校法科1年、森房吉が生麦にて鉄道自殺
1916年 8月8日 陸軍少佐、田村明十郎がイギリス、ロンドンの官舎にて自殺
1916年 10月22日 大阪北浜の相場師、岩本栄之助が大阪市東区今橋2の自宅にて拳銃自殺。10月27日死亡。生前、大阪市中央公会堂を大阪市に寄付した。
1916年 12月13日 大杉栄の妹、大杉あき子が名古屋市中区飴屋町にて出刃包丁で喉を切り自殺
1917年 3月7日 千葉心中事件:元東京府知事、芳川顕正伯爵の四女、芳川寛治伯爵夫人、芳川鎌子が芳川伯専属自動車運転手、倉持陸助と共に千葉県立女子師範学校脇にて鉄道自殺(未遂)、倉持陸助は線路脇の土手にて喉を短刀で突き自殺
1917年 3月27日 麹町九段郵便局局員、園池公静子爵の五男、園池公顕が神田区三崎町3ー1旅館玉名館にて首つり自殺
1917年 8月13日 プロレタリア作家、翻訳家、杉井豊がカナダ、シアトルにて愛人渡辺はつを拳銃で射殺後、拳銃自殺
1917年 8月29日 陸軍飛行中尉、荒瀬壽平が別居中の妻の実家、広島の料亭彩江亭にて妻を軍刀で斬り殺した後、切腹
1917年 10月13日 石川県珠洲郡小木村羽根尋常小学校長、水國三之助の水死体が小木村の海岸にて発見される
1917年 10月24日 大阪北浜の株仲買人、杉山商店店主、杉山喜右衛門の水死体が安治川にて発見される。
1917年 11月17日 宇津救命丸本舗、宇津権右衛門の養子、宇津和一が栃木県中河原町赤門前にて出刃包丁で喉を刺して自殺(未遂)
1917年 11月23日 八幡製鉄所疑獄:八幡製鉄所請負人、畑間善兵衛が福岡監獄未決監第57号室にて兵児帯をもちいて首つり自殺
1918年 1月18日 八幡製鉄所疑獄:九州鉄道管理局運輸課書記、川添卯三が福岡監獄小倉分監にて首つり自殺
1918年 2月5日 日本初のプロフォトグラファー上野彦馬の孫で、聾唖の上野はつ子が長崎県西浦上村にて鉄道自殺
1918年 2月7日 日本郵船所属、常陸丸船長、富永清蔵が北大西洋上にて入水。常陸丸はインド洋にてドイツ巡洋艦ヴオルフの攻撃をうけ沈没し、船長は捕虜となっていた。
1918年 2月18日 八幡製鉄所疑獄:八幡製鉄所長官、押川則吉が東京上大崎長者丸の自宅風呂場にて首つり自殺
1918年 6月22日 作家、尾崎士郎の兄で愛知県幡豆郡横須賀村三等郵便局長、尾崎重郎が拳銃自殺 78年後、連帯保証人にあてた遺書が発見され、実父と自分の公金横領に悩んでいたことが発覚した。自殺後借金弁済のため実家を売却、尾崎家は没落した。尾崎士郎の代表作「人生劇場」のモデル
1918年 8月7日 大阪商船、北米航路加奈陀丸船長、山本芳夫がアメリカ、シアトル付近にて同船座礁ののち、甲板にて拳銃自殺
1918年 12月10日 島根県議会議員、山本福太郎が自宅にて切腹
1919年 1月5日 女優、松井須磨子が牛込横寺町10の芸術倶楽部道具部屋にて首つり自殺
1919年 4月10日 東京蔵前郵便局長が自宅にて妻子3人を殺しカミソリで喉を切り自殺
1919年 4月30日 元第七高等学校造士館教授、篠原益三が長野県小海の崖より、
1919年 5月10日 小石川銀行王子支店長、高木文吉が京都桂川にて入水
1919年 6月3日 南満州鉄道会社株式会社コンクリート技師、廣澤謙次郎が研究員として渡米したシカゴから帰国中、郵船香取丸船内にて自殺
1919年 8月22日 群馬県沼田警察署長、秋田傳次郎警部が留置場にて兵児帯をもちいて首つり自殺
1919年 9月7日 日本製麻株式会社技師長、中原孫三郎が横領し逃走、石川県和倉温泉にて逮捕され列車にて帰京途中、埼玉県本庄駅にて客車連結部から飛び降り自殺、腹部轢断。
1919年 11月16日 横浜茂木合名会社上海支店雑穀係主任、山本猪之助が上海にて妻子を刺した後に自殺
1920年 2月2日 内務省土木局千住機械工場技師、中村研五が急行電車便所内にてカミソリで喉を切り自殺
1920年 4月24日 元、鴻池銀行京都支店長、大村保全合名会社重役の硲種次郎が大阪府天王寺村字天下茶屋聖天山の自宅にてカミソリにて喉を切り自殺
1920年 5月13日 山口県立山口図書館館長、図書館学者、佐野友三郎が首つり自殺
1920年 6月27日 前衆議院議員、井島義雄が宮崎駅にて鉄道自殺
1920年 6月27日 衆議院議員、森岡銀行経営者、森岡京次郎が大阪府下東成郡鶴橋町東小橋の別邸寝室にて短刀をもちいて喉を切り自殺
1920年 7月29日 生糸売買業柴田商会東京支店長、取締役、中川治三郎が大分県佐賀関町の海岸にて自殺
1920年 10月27日 青森地方米穀商組合長、小林武四郎が米搗機械場にて首つり自殺
1920年 11月7日 第十二銀行東京支店長、山田秀治が日本橋区川瀬石町5、同行屋根裏にて兵児帯をもちいて首つり自殺
1920年 12月19日 横浜の繭糸売込問屋、市原又七が横浜駅の北、築地橋付近にて列車から飛び降り自殺
1921年 1月1日 鉄道省技師で研究員としてフランス駐在の中村次郎が帰国途中、汽船ホールルカ号船室内にて首つり自殺
1921年 3月21日 西川流舞踊宗家、西川嘉儀が大阪市南区三津寺町字新屋敷の自宅にて首つり自殺
1921年 4月13日 元京都市議会議員、呉服商、林長三郎が大津市南保町の娘宅にて兵児帯をもちいて首つり自殺
1921年 5月5日 東京浅草区猿屋町の米穀商、飯田富蔵が神奈川県小田原町小峰公園御料林内大久保神社裏番小屋内にて愛人武藤きくと首つり自殺しているのを発見される。
1921年 5月25日 足利市議会議員、植木彦四郎が自宅にて日本刀をもちいて切腹
1921年 6月17日 浜田玄達医学博士の長女、浜田栄子が東中野1557の自宅にて服毒自殺
1921年 8月1日 日活取締役、鈴木済美が鎌倉腰越の別荘にて拳銃自殺
1921年 9月21日 叡山大学教授、秋本正司が大津の遊郭にて服毒自殺
1921年 9月28日 国家主義者、神洲義団団長、朝日平吾が神奈川県大磯町字北浜496安田善次郎別邸・寿楽庵を訪れ安田善次郎を刺殺、後にカミソリで喉を切り自殺
1921年 11月5日 思想家、野村隈畔と愛人岡村梅子が千葉県津田沼の海岸にて入水 遺体発見
1922年 1月10日 鉄道省工作局車輌課長、技師、佐野清風が麹町区三番町67の自宅にてナイフで腹を刺して自殺
1922年 3月13日 京都帝国大学教授、法学博士、雉本朗造が明石海峡鹿ノ瀬付近にて大阪商船宮崎丸より入水
1922年 3月17日 皇居二重橋前にて、藤田留治郎が直訴を叫びながら爆弾にて自殺
1922年 5月1日 福島県伊達郡掛田町議会議員、館山廣治が自宅にて昇汞水を飲み自殺
1922年 5月3日 陸軍中将、竹内正策が静岡西深草町の自宅にて拳銃自殺
1922年 5月9日 洋画家、高間筆子が自殺
1922年 6月4日 長野市の金融先物取引会社社長、永山守秀が自宅にて服毒自殺。貴族院議員、永山守興の弟。詐欺罪で告訴されていた。
1922年 10月4日 小淵沢銀行頭取、浅川道雄が千葉県旭町八日市場殿台の山林にて首つり自殺
1922年 10月6日 青森県南津軽郡五郷村細野尋常小学校長、齋藤彌四雄が弘前監獄内にて首つり自殺
1922年 10月6日 第百銀行鳥取支店長、吉岡頼吉が東シナ海を航行中の汽船より入水
1922年 10月22日 鉄道省書記、永松次郎が淀橋柏木157の自宅にて猫いらずを飲み自殺
1922年 10月24日 大邱銀行支配人、古藤音麿が自宅にて猫いらずを飲み自殺
1922年 11月10日 東京帝国大学哲学科3年、竹内仁が小石川区高田老松町17婚約者榎本はるの実家にて、はるの両親を刺殺後首つり自殺
1923年 3月21日 満州鉄道長春支店庶務課長、泉龍蔵が茨城県下館市にて古井戸に飛び込み自殺
1923年 3月26日 群馬県勢多郡長尾村の角田なをが同村の利根川へ入水、遺体運搬中に船が転覆し青年9人が溺死
1923年 5月4日 前橋市土木疑獄で前橋刑務所に収監されていた前橋市助役、松田善次郎が同刑務所にて首つり自殺
1923年 5月10日 日本初の航空母艦、鳳翔の元乗組主計長で主計中佐、内山栄次郎が横須賀市深田79にて服毒自殺
1923年 5月17日 松平ョ壽伯爵の愛人、河野すずの水死体が神奈川県平塚市の海岸にて発見される
1923年 6月1日 中武銀行専務取締役、石川久治が自宅にて首つり自殺
1923年 6月9日 小説家、有島武郎と元中央公論社記者波多野秋子が軽井沢の有島家別荘、浄月庵応接室にて首つり自殺 7月6日に遺体発見
1923年 6月11日 山梨県東八代郡竹野原村長、堀内清茂が拳銃自殺
1923年 7月12日 前大阪税務監督局長、楠正篤が中渋谷の自宅にて妻と妹を殺害した後に自傷し自殺
1923年 7月18日 長野県諏訪の富士見銀行重役、小林留次郎が富士見駅南側線路にて鉄道自殺
1923年 7月22日 武者小路実篤の新しき村にて、荒野社同人の谷静子が同村にて首つり自殺
1923年 7月31日 全国芸妓屋組合横浜支部長、芸妓屋米本主人、時田新太郎が横浜市梅ヶ枝8にて拳銃自殺
1923年 8月16日 秋田県本荘区裁判所検事、安田静夫が自宅にて首つり自殺
1923年 9月1日 関東大震災で被災民4万人が焼死した陸軍被服廠跡を管轄する警察署の署長、山内相生が喉を刺して自殺
1923年 10月12日 長野県ケン松本市シの郁文学校長、堀内桂次郎が鉄道自殺
1923年 10月31日 復興院事務官、竹田宇佐吉が東京駅3番ホーム(現・5番線山手線外回りホーム)にて鉄道自殺
1923年 11月15日 青森県西津軽郡稲垣村収入役、斉藤鐵太郎が出刃包丁で首と腹を刺して自殺
1923年 12月26日 九十八銀行江見村支店長、山口孝次郎が千葉県安房郡江見村にて首つり自殺
1924年 3月8日 日本舞踊家、藤蔭流創始者、藤蔭静樹の妹、内田ふいが新潟市古町通り6番町の自宅にてネコイラズを飲み自殺
1924年 4月5日 大谷大学教授、三土興三が米原駅にて鉄道自殺
1924年 4月13日 鹿児島県議会議員、佐土原甚吉が鹿児島県野方村の自宅にてカミソリで自傷し自殺
1924年 4月19日 栃木県下都賀郡皆川村議会議員、椎名市三郎が栃木県下都賀郡富山村大字下の自宅にて自傷し自殺
1924年 5月31日 米国の排日移民法に抗議して、東京赤坂の米国大使館北、榎町1の井上勝純子爵邸にて男が切腹 いまだに姓名不詳であるが無名烈士「雄心院義膽日忠居士」として青山墓地に葬られる。
1924年 6月6日 新潟県長岡中学校教師、平山磐夫が修学旅行中、奈良駅前月の家旅館にて首つり自殺
1924年 6月9日 牧師、島倉儀平が市ヶ谷刑務所(現・富久町児童公園)独房にて首つり自殺 作家、甲賀三郎の代表作「支倉事件」のモデルとなった事件
1924年 8月23日 内務省土木局技手、掘敏秀が中野駅にて鉄道自殺
1924年 9月3日 7月27日に樺太沖にて衝突事故を起こした大阪岸本汽船神邦丸船長、加藤東太郎と妻すず子が栃木県鹿沼町の黒川にて入水
1924年 10月6日 新潟県古志郡上組第一尋常小学校長、廣川鐵太郎が長岡駅にて鉄道自殺
1924年 10月17日 慈恵大学動物研究所助手、古川勝哉が芝区芝白銀今里町、明治学院内3号館にて自殺
1924年 11月16日 弁護士、平佐純俊が瀬戸内海を航行中の客船より入水
1924年 11月23日 日本画家、細合秀谷の愛人、島田雪枝が細合の結婚式翌日、下谷谷中清水町12にて猫いらずを飲んで自殺
1924年 12月7日 彫刻家、川崎繁夫の未亡人で谷崎潤一郎のいとこ、川崎富子が亡夫の葬儀の日に猫いらずを飲んで自殺
1924年 12月17日 大審院判事、鬼澤蔵之助が池袋町1068の自宅にてカミソリで喉を切り自殺(未遂)
1925年 1月7日 長野県上田高等女学校生徒、清水澄子が鉄道自殺 同年、家族の手で遺稿集「清水澄子」を出版、翌年、宝文館より改題した「さゝやき」が出版される。芥川の自殺の影響もあり3年間で230版を重ねるベストセラーになる。
1925年 4月7日 長野県軽井沢町小学校長、佐々木勝實が軽井沢町内にて鉄道自殺
1925年 4月20日 京都府船井郡梅田村長、中村彌之助が自宅納屋にて首つり自殺
1925年 4月20日 ピアニスト、久野久がオーストリア、ウィーン南のホテル、ヘルツォーグ4階屋上から飛び降り自殺
1925年 4月26日 パリにて遊学中の洋画家、田中英之助がフランス国郵船ボント号にて帰国途中、エジプト、ポートサイド近くにて入水
1925年 5月25日 元衆議院議員、難波作之進が餓死自殺。虎ノ門事件の犯人、難波大助の父。大助の死刑執行の翌日から半年間、食を朝の米飯一膳のみとしていた。
1925年 6月11日 奈良県宇知郡五条町の産婦人科医、寒川秀雄が違法堕胎手術の嫌疑で五条警察署にて取調中、二階より飛び降り自殺
1925年 6月20日 朝鮮元山中学校長、西村晃一が京釜線にて鉄道自殺
1925年 6月22日 東京高等工芸学校教授、新井新太郎が静岡県三島町の妻の実家裏にて首つり自殺
1925年 7月31日 三越婦人洋服部裁断主任、フランス人アリス・ルーズが東京小石川区小日向台町1-1の自宅にて拳銃自殺
1925年 9月18日 私立千葉病院院長、医学博士、田中康昌が服毒自殺
1925年 10月27日 内務省土木局雇人、小泉庄作が東京府瀧野川町西ヶ原町814の自宅にて妻子4人を殺傷した後に額を斧で打ち砕き自殺
1925年 12月11日 北海道空知郡南長沼土工組合長、柴垣興一郎が贈賄容疑で起訴、釈放後、岩見沢駅付近にて鉄道自殺
1926年 2月11日 山梨県農民組合幹部評議員、農民運動家、三井喜久馬が長野県上諏訪にて鉄道自殺
1926年 2月25日 武者小路実篤の新しき村、荒野社同人、久松某が同村内にて自殺
1926年 3月3日 大山講の行者、西大吉が品川駅の南、浅間台付近にて鉄道自殺。
1926年 3月19日 2月28日津軽半島尻矢沖にて英国汽船と衝突後、青森沖に座礁した直江津商船神栄丸の船長、西村久太郎が同船のサルベージ作業失敗を見届けた後、サルベージ船神越丸より津軽海峡に入水
1926年 3月21日 内務省復興局土木部長、太田圓三が東京府小石川区白山御殿町109の自宅にてナイフで心臓を刺して自殺 関東大震災後、鉄道院から帝都復興院に、隅田川六大橋(下流から相生橋、永代橋、清洲橋、蔵前橋、駒形橋、言問橋)の建設を担当した。弟は詩人、木下杢太郎
1926年 3月26日 大阪刑務所看守部長、足立六三郎が同日深夜に火事で全焼した第三倉庫東の井戸に飛び込み自殺
1926年 4月6日 神戸鉄道局経理課主計係長、住田徳松が同局のある明石市西新町の踏切にて鉄道自殺
1926年 4月13日 岐阜高等農林学校助教授、飯島祐太朗が同校グラウンドにてカミソリをもちいて自傷し自殺
1926年 6月8日 山形銀行専務取締役、佐藤久太郎が山形市の自宅にて拳銃自殺
1926年 6月11日 前、高野山大学・臨済宗大学教授、上村硯光が京都市泉湧寺門前の自宅にて首つり自殺
1926年 7月23日 アナーキズム団体不逞社主催朴烈の愛人、大逆事件で栃木刑務所に服役中の金子文子が同刑務所にて首つり自殺
1926年 7月27日 長野県の箕輪銀行頭取、唐澤舎人が中箕輪村字松島の自宅土蔵にて猟銃自殺
1926年 8月3日 ソプラノ歌手、尹心徳が玄界灘を航行中の客船より入水
1926年 9月5日 武者小路実篤の日向新しき村、荒野社同人、石野成雄が園芸用ホルマリンを飲んで自殺、翌6日未明に死亡
1926年 9月30日 鬼熊事件、千葉県千葉県香取郡久賀村の荷馬車引き、岩淵熊次郎が同村出沼の先祖の墓前で実兄から差し入れされた毒入り最中を食べ頸動脈を切り自殺。
1926年 10月5日 沼津市女子尋常高等小学校長、遠藤喜三郎が沼津市末廣町の自宅にて首つり自殺
1926年 11月22日 神奈川県の松田銀行支店長、武尾民三郎が足柄上郡清水村の自宅にて猟銃で妻子を射殺後、裏山に逃走し首つり自殺
1926年 12月21日 福岡県筑紫郡那珂村伊相田、城戸寅男が大正天皇平癒を祈願し、2歳の子を殺害した後に切腹(未遂)。
1926年 12月24日 千葉県千葉郡更科村中須田、杉山良三が大正天皇平癒を祈願し切腹(未遂)

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