自殺データベース (2) 明治時代の自殺 (1868-1912)
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1868年 1月3日 新撰組、吉村貫一郎が盛岡藩邸にて切腹 浅田次郎の小説「壬生義士伝」のモデル
1868年 1月8日 土佐藩士、迅衝隊第4小隊長、野々村権四郎が自殺
1868年 1月8日 新撰組、村上清が大阪城にて自殺
1868年 1月13日 高知新田藩主、山内豊福と妻典子が江戸麻布の藩邸にて自殺
1868年 1月15日 元土佐藩士、海援隊、沢村惣之丞が長崎奉行襲撃時に薩摩藩士川畑平助を誤って殺害後に自殺
1868年 1月16日 信州須坂藩主、堀直虎が徳川慶喜へ大政奉還を進言、江戸城西の丸にて諫死
1868年 1月23日 長州藩士、平野四郎が豊前四日市にて切腹
1868年 2月9日 神戸事件:備前岡山藩士、滝善三郎が神戸、永福寺にて切腹
1868年 2月23日 堺事件:土佐藩士、箕浦猪之吉ら11名が堺の妙国寺にて切腹、見物するフランス水兵に腸を投げつける。
1868年 3月15日 元幕府勘定奉行、川路聖謨が切腹後拳銃自殺(日本初の拳銃自殺)。長崎にてロシアのプチャーチンと交渉を担当、日露和親条約に調印
1868年 4月1日 隠岐島騒動の責任をとり、松江藩隠岐郡代、山郡宇右衛門が切腹
1868年 4月10日 八王子千人同心頭、石坂義礼が八王子、興岳寺にて切腹。八王子千人同心は日光東照宮を守護していたが、戊辰戦争の際、戦わずに官軍に引き渡した。結果、日光東照宮は戦火を逃れた。
1868年 5月15日 上野戦争:幕府陸軍奉行、織田対馬守の弟、彰義隊練兵頭取、織田房之助が上野紅葉山霊廟前にて自殺
1868年 6月6日 土佐藩胡蝶隊輜重方、中山格一郎が自殺
1868年 6月14日 画家、官軍探索方、村山半牧が長岡にて首つり自殺
1868年 7月14日 赤報隊隊長、相楽総三の妻、照が赤坂にて自殺
1868年 7月29日 二本松藩家老、丹羽富穀(一学)が戊辰戦争二本松の戦いにおいて切腹
1868年 8月2日 松前藩正議隊政変:松前藩家老、松前勘解由が松前城下の自宅にて切腹
1868年 8月23日 戊辰戦争:会津若松藩の白虎隊20名が集団切腹、19名が死亡。
1868年 8月23日 戊辰戦争:会津若松藩、家老、西郷頼母の一族21名が自殺。
1868年 8月24日 咸臨丸運用方、幕府軍艦操練方教授で画家の鈴藤勇次郎が自殺(咸臨丸難航図の作者)
1869年 8月9日 金沢藩家老、本多政均暗殺事件:首謀者の同藩士、土屋茂助が自殺
1870年 1月19日 新政府軍に降伏した越後村上藩士、江坂与兵衛を殺害した同藩士、島田鉄弥が自殺
1870年 5月13日 洲本庚牛事変:稲田家家来、関口流柔術師範、三宅達太郎が自殺。事件後、稲田家は北海道静内へ移住開拓を命じられる。映画「北の零年」は移住後の稲田家の話である。
1870年 6月22日 会津藩戦没者の遺体埋葬のため武士から賤民に身分を落とした元会津藩士、伴百悦が越前藩士久保村文四郎を殺害、逃亡先の新津郊外大安寺村にて自殺
1870年 7月26日 森有礼の兄、横山安武が東京神田橋の旧姫路藩邸、集議院前にて時弊十条の建白書を竹の先に付け集議院正門にかかげたのち向かいの紀州藩邸門前にて切腹。
1870年 9月12日 薩摩藩士、東京海軍操練所の前田十郎左衛門が英国留学途中、ブラジル・バイヤ港停泊中の英国海軍艇内にて切腹
1870年 9月15日 洲本庚牛事変:徳島藩士、小倉富三郎、新居水竹ら10名が芝白金の徳島藩邸にて切腹、日本最後の切腹刑
1871年 3月16日 長州藩士、大楽源太郎の下僕、村上要吉が大楽死去の報を聞き、久留米津福墓地にて自殺
1871年 4月25日 広沢真臣暗殺事件に関係した阿蘇神社大宮司阿蘇家室老、佐伯関之助が東京熊本藩邸内にて首つり自殺
1871年 5月1日 会津藩家老、萱野権兵衛の次男、郡長正が豊津藩校育徳館(現・福岡県立育徳館高校学校)留学中、寄宿舎南寮にて切腹
1871年 12月3日 二卿事件:京都遷幸クーデターを画策した公卿、愛宕通旭と外山光輔が切腹(明治維新で公卿が切腹したのは彼ら2名のみ)
1872年 5月24日 新治県(今の土浦市付近)知事、土肥實光が自殺
1872年 11月29日 山城屋事件:元奇兵隊隊士、陸軍省御用商人、山城屋和助が陸軍省内にて切腹
1873年 9月27日 香港副領事林某が出刃包丁で喉を刺し自殺
1876年 9月6日 鹿児島県士族、北海道開拓使、津留正勝が芝山内の官林にて首つり自殺
1876年 10月24日 熊本神風連の乱において切腹者多数
1876年 11月6日 松下村塾の創立者で吉田松陰の叔父、玉木文之進が先祖の墓前にて切腹
1877年 9月24日 西南戦争において旧薩摩藩士族、西郷隆盛、桐野利秋、別府晋介ら旧島津藩士多数が切腹
1877年 11月8日 深川霊岸寺中松林院住職、近藤了眠が首つり自殺
1877年 12月19日 慶応義塾教師、岩田蕃が厩橋より投身自殺
1878年 4月18日 旧幕府若年寄、平岡丹波守が自殺
1878年 5月25日 仙台日日新聞前社長、須田平左衛門が獄中にて切腹
1878年 8月23日 西南戦争時、西郷軍に参加した旧会津藩士、中根米七が会津熊倉にて切腹
1878年 8月23日 竹橋事件:近衛砲兵大隊竹橋部隊兵士、大久保忠八が半蔵門外にて銃で腹をうち自殺。大久保忠八は陸軍最初の反乱事件、竹橋事件の実質的指導者だった。大久保の自決で反乱部隊は瓦解した。
1878年 12月15日 蚕相場下落で大損した蚕卵紙ブローカー新島栄策が喉を突き自殺
1879年 2月23日 青森県ケン知事、久留島道靖邸の門番、吉浜文之助が同邸内にて主人を殺害後、小銃自殺
1879年 4月8日 大久保利通暗殺事件:石川県士族、佐藤武英が監獄第一支署内にて首つり自殺
1879年 7月16日 内務省山林局、松野正心が金沢の旅館にて自殺
1879年 7月30日 開拓使営繕課副長、高橋福教が本芝材木町にて首つり自殺
1879年 8月26日 神田駿河台の私立中学、一而己精舎の教師、大島文が首つり自殺
1879年 10月7日 地租改定反対のため上京請願中の農民運動家、井澤慶助が深川西元町の友人宅にて首つり自殺
1879年 10月11日 神奈川県の小学校試験において厳密に指導し大量の落第者を出した小学校試験指導担当、神奈川県官吏、三内梅三郎が横浜野毛の自宅にて拳銃自殺
1879年 12月30日 宮津籠神社、主典、野村比登志が同神社社務所2階にて自殺
1880年 6月6日 アメリカ公使館一等書記官、江木高遠がアメリカにて自殺
1880年 8月18日 東京鎮台第一連隊第二大隊一中隊伍長、小原弥惣八が赤坂仮皇居表門前にて国会開設願書を懐中に切腹(未遂)
1880年 11月20日 琉球王国の官僚、林世功(名城春傍)が北京にて服毒自殺。
1881年 5月3日 清国地図漏洩事件:日本画家、川上冬崖が熱海にて自殺。陸軍参謀局で西洋画の指導教官だった。
1881年 5月20日 清国地図漏洩事件:木村信卿少佐が日本地図を清国に密売した事件に関連したとして拘留中の陸軍省十一等出仕、渋江信夫が赤坂の陸軍囚獄所にて首つり自殺
1881年 6月10日 鹿児島県士族、北海道開拓使、浜田利一が三田台町2-8の自宅にて切腹
1881年 7月24日 神奈川県議会議員、神藤利八が高座郡相原村の自宅にて妻を殺害後自殺
1882年 1月1日 大蔵省伝票課二等属、渡辺高次が本所相生町3の自宅にて喉を突き自殺
1882年 2月7日 小説家、元朝日新聞編集長の一宮豬吉郎が自殺
1883年 4月7日 函館監獄署副典獄、樋口光明が函館港西川待ちの桝酒屋中原重直宅台所にて出刃包丁で喉を刺して自殺
1883年 7月31日 東京府下西ヶ原村の無量寺住職、藤田朝海が護国寺の予備金4千円横領発覚後、護国寺に放火し逃走。下落合村薬王寺(東長谷寺薬王院)の井戸に飛び込み自殺。
1883年 9月19日 前山口県令、中野梧一が大阪今橋の自宅庭にて猟銃自殺
1886年 8月7日 初代大審院長、玉乃世履が自宅にて頸動脈を切り自殺
1888年 1月19日 自由民権運動家、玄洋社第4代社長の箱田六輔が切腹
1888年 4月27日 篆刻家、茶人の山本竹雲が京都東山清水稚児ヶ池にて入水
1889年 10月18日 玄洋社、来島恒喜が大隈重信外相の条約改正案に反対し外務省前で大隈に爆弾を投げた後、喉を切り自殺
1889年 11月7日 北海道庁林務官、梅田重春が天塩郡増毛にて自殺
1891年 3月27日 唐人お吉(斉藤きち)が伊豆下田稲生沢川門栗ヶ淵にて入水
1891年 4月3日 陸軍屯田兵中尉、大原武慶が東京府下谷区龍泉町西徳寺の父の墓前にて切腹
1891年 5月20日 大津事件の9日後、千葉県鴨川町の畠山勇子がロシア皇太子に謝罪の遺書を残し京都府庁前にて剃刀で喉を切り自殺 
1891年 6月21日 神戸取引所理事、加藤政徳が自殺
1891年 11月8日 長崎県対馬厳原電信局長、筒井正造が自殺
1891年 12月3日 新潟自由新報主筆、曾田愛三郎が短刀にて喉を刺し自殺
1892年 2月13日 治水家、加藤直矢が自殺
1892年 4月7日 内国通運会社社長、佐々木荘助が本所相生町の自宅にて拳銃自殺
1892年 8月11日 北海道庁歳出課長、都筑原が東京山下町(今の銀座)の旅館、台所にて包丁で喉を突き自殺。公金横領が発覚していた。
1893年 3月9日 山形自由新聞主筆、平井忠雄が入水
1893年 5月6日 高知地裁判事、藤澤繁が短刀で喉を突き自殺
1893年 5月18日 札幌地裁判事、長谷川重四郎が自殺
1893年 6月8日 河内十人斬り事件:博徒、城戸熊太郎と舎弟谷弥五郎が大阪金剛山中にて喉を拳銃でうち自殺 河内音頭の「男持つなら熊太郎弥五郎、十人殺して名を残す」の元になった事件であり、町田康の小説「告白」のモデル
1893年 12月28日 「文学界」創刊メンバー、詩人、北村透谷が短刀で胸を刺し自殺(未遂)
1894年 4月8日 群馬県収税長、竹内直養が群馬県前橋市北曲輪町18の自宅にて短刀で喉を突き自殺
1894年 5月16日 「文学界」創刊メンバー、詩人、北村透谷が芝公園第20号第3号地(紅葉館裏)自宅庭の桜の木にて首つり自殺
1894年 6月6日 陸軍中将、四條隆謌侯爵の三男、四條十郎が学習院校内にて拳銃自殺
1894年 7月27日 陸軍歩兵第21連隊第3大隊長古志正綱少佐が朝鮮京城郊外にて切腹。日清戦争において急派された部隊のため輜重部隊が殆ど無く、現地民に輸送を委託するも人馬が逃走。部隊を動かせないことを苦に自殺。日清戦争における初の死者。
1894年 8月27日 心霊研究家、飛田昭規が麹町区富士見町5−16先、牛込門堤上にてカミソリで喉を切り自殺
1894年 11月29日 下痢のため旅順攻撃に参加出来なかった陸軍歩兵中尉、可児市太が旅順攻略後、二龍山山頂にて小銃自殺
1895年 2月12日 名古屋地方裁判所刑事部判事、松浦一良が同裁判所内にて小刀で喉を突き自殺
1895年 3月14日 威海衛攻撃時、着氷のため水雷を発射出来なかった第6号水雷艇の海軍上等兵曹、上崎辰二郎が同艇内にて切腹
1895年 4月12日 正岡子規の従兄弟で俳人の藤野古白が東京湯島の下宿にて拳銃自殺。後に正岡子規の手で「古白遺稿」が出版された。
1895年 4月28日 陸軍大尉、福富孝元が朝鮮釜山にて自殺
1895年 5月1日 陸軍少佐、安満伸愛が広島予備病院にて拳銃自殺
1895年 6月9日 陸軍騎兵特務曹長、難波奬が麹町区富士見町1旅人宿荒川にて拳銃自殺
1895年 7月5日 福岡第24連隊、陸軍大尉、古志頴徳が自宅にて小刀で頸部動脈を切り自殺
1895年 8月29日 元衆議院議員、上田農夫が自殺
1895年 不明 三国干渉に抗議して軍人約40人が自殺
1896年 2月26日 公金横領の村長、埼玉県入間郡福原村長、小野藤右衛門が自宅井戸に飛び込み自殺
1896年 8月5日 作家、田澤稻舟がモルヒネをもちいて自殺、翌月10日死亡。 夫の作家、山村美妙はこの事件を機に人気が急落してしまった。
1897年 5月5日 6万円横領の日本鉄道会社運輸課主事、吉川義幹が同社内にて短刀で喉を突き自殺
1897年 11月20日 日本画家、川端玉章の弟子、玉葵女史こと田中久子が首つり自殺
1897年 12月26日 実業家、上田重太郎が山城木津川にて入水、遺体が発見される。
1898年 1月21日 洲崎製鉄会社取締役、仲田信亮が神田区柳原河岸11の自宅にて日本刀で首を切り自殺
1898年 2月5日 大泥棒、三好要が鍛冶橋監獄内にて首つり自殺
1898年 3月30日 小説家、久米正雄の父、上田町立上田尋常高等小学校校長、久米由太郎が小学校の火災による御真影焼失を苦に切腹
1898年 3月31日 身元不明の男が麹町区内幸町2-5先、衆議院通用門前の松の木にて首つり自殺
1898年 5月1日 陸軍省を舞台に手形詐欺を繰り返していた士族、中川新一が浅草区吉野町123源寿院内にて服毒自殺
1898年 6月15日 中官文書偽造で収監中の世田谷村元村長、田中栄之助が鍛冶橋監獄署にて首つり自殺
1898年 7月15日 貞愛親王の皇族附武官、華族砲兵大尉、土方久明が赤坂区表町3-10の自宅にて拳銃自殺
1898年 9月3日 小説家、中西梅花が巣鴨癲狂院にて自殺?
1900年 6月13日 陸軍中将、大築尚志が小石川区新諏訪町16の自宅にて軍刀をもちいて首を切り自殺
1900年 9月5日 前衆議院議員、佐藤兵八が岡山県上房郡有湊村の自宅にて拳銃自殺
1900年 12月7日 茨城県結城郡石下町の石下銀行頭取、橋本善助が自殺
1901年 1月14日 会計検査院検査官補、松井敏太郎が鍛冶橋監獄(現・東京駅)別房第9監15号にて首つり自殺 差し入れの生卵の黄身で遺書を書き残す
1901年 1月21日 洲崎遊郭大八幡楼の名物男、元僧侶の大井正太郎が洲崎弁天町2-4の自宅にて首つり自殺 面壁9年の行より苦海10年の花衣と、僧籍を捨て遊郭に入り浸り、八幡楼にて書記と呼ばれていた
1901年 5月2日 逓信省通信書記、吉山殻之丞が浅草区千束町2-15にて短刀で胸を刺し自殺
1901年 5月27日 讃岐鉄道会社社長、甲斐宗治が瀬戸内海小豆島付近を航行中の客船より入水
1901年 8月20日 落語家、柳家菊枝が浅草区新福富町22の自宅にて首つり自殺
1901年 11月30日 足尾銅山経営、古河市兵衛の妻タメ子が神田川に入水、日本橋川神田橋下にて遺体発見。
1902年 5月4日 愛知県第二課長、土木技手、水島亀右衛門が同居の上司が土木疑獄で拘引された翌日、自宅にて首つり自殺
1902年 5月14日 栃木県上都賀郡板荷村高等小学校校長、若林淺三郎が服毒自殺
1902年 9月23日 農商務省山林局調査課長、津田喜代太郎が本郷区駒込曙町13の自宅にて刀剣で胸を刺し喉を切り自殺
1902年 11月25日 前衆議院議員、農工銀行取締役、新井毫が播州家島付近航行中の客船から投身自殺
1903年 1月5日 本郷貯蔵銀行取締役、中山徳蔵が東京府本郷区湯島切通坂町12の自宅にて短刀をもちいて自殺
1903年 3月19日 詐欺容疑で拘引中の埼玉県南埼玉郡須賀村役場書記、小林治右衛門が浦和監獄監未決監65号内にて首つり自殺
1903年 3月24日 築城支部長工兵少佐、熊野御堂武夫が同支部小使部屋にて切腹 御用商人夫人との不倫関係で告訴されていた
1903年 5月22日 第一高等学校1年、藤村操が日光華厳の滝にて桧の木の半面をはぎ取り、厳頭之感を墨書した後、投身自殺 
1904年 1月13日 大谷派本願寺紛議:京都東本願寺表大門にて福井県の信者、児玉治郎吉が切腹
1904年 6月15日 常陸丸事件:陸軍徴傭運送船常陸丸が玄界灘にてロシア海軍より攻撃を受け連隊長須知源次郎中佐以下士官全員が切腹
1904年 7月7日 山形県農事試験場長、農学博士、堀尾紘作が山形市香澄町字八幡石47の自宅にて猟銃自殺
1904年 9月14日 実業家で三井物産の創業者、益田孝の養子、益田宗三郎が華厳の滝へ投身自殺
1905年 2月1日 前衆議院議員、安藤亀太郎が神奈川県足柄上野字沼田の自宅にて首つり自殺
1905年 8月25日 前衆議院議員、大連居留民団長、桜井静が中国大連にて拳銃自殺
1906年 6月2日 長野県上伊奈の小野銀行支店長、矢澤興一郎が猟銃自殺
1906年 7月20日 上野天台宗護国院住職大僧正、新家栄順が精神病のため静養中の神奈川県中郡小中村大字根坂間、宝珠院炊事場にて短刀で喉を突き自殺
1906年 10月26日 第十五銀行行員、松田仙彌と赤坂芸者とん子が神奈川県生麦にて鉄道自殺 行金3千円横領し芸者遊び
1907年 3月31日 大阪出身、アメリカ浪人の玉井時之助がナイアガラにて投身自殺 5年前実兄を訪ねて訪米後、各地を転々としていた
1907年 6月9日 株式相場に失敗した米穀取引所理事長、京浜電鉄専務取締役、片野重久が京橋区入船5-2の自宅にて切腹
1907年 10月27日 前高松監獄典獄、松島四郎が官吏収賄罪で同監獄に収監中首つり自殺
1907年 12月22日 東京商工銀行破綻において、同行頭取、山田忠兵衛が鎌倉圓覚寺裏手の古井戸へ投身自殺 腐乱死体にて発見される
1908年 2月15日 福岡県三井郡御井町長、住友繁則が山川村山中にて首つり自殺
1908年 3月2日 元石川県議会議員、定祐福栄が石川県珠洲郡上戸村の自宅にて首つり自殺
1908年 3月20日 破綻した九十二銀行取締役、本田範が首つり自殺
1908年 4月3日 イギリス、ケンブリッジ大学へ応用数学研究生として留学中の海軍機関学校教官兼監事、海軍大尉西原博が、客船信濃丸にて帰国途中、中甲板15号1等室にて拳銃自殺
1908年 5月2日 ベトナム人留学生、抗仏運動家、陳東風が文京区関口駒井町の旧目白不動にて縊死
1908年 5月5日 東京府下南葛飾郡大島町長、内藤三蔵が大島町上大島10の自宅にて首つり自殺
1908年 5月14日 旅順海軍経理部建築課主任、柴田勝五郎が獄中にて首つり自殺 軍需物資横領の疑いで軍法会議にかけられていた
1908年 5月22日 作家、山崎兼子が東京府本郷区駒込千駄木町182の自宅古井戸に飛び込み自殺 代表作「万有可解人事可悟」  押印無き同著が出回っていたことから出版社と印税トラブルで裁判をしていた。後に実父が出版社社長を刺し殺そうとして別人を刺してしまった。
1908年 6月1日 福井県小浜水産学校校長、古賀駿輔が加賀片山津温泉近くの山林にて首つり自殺
1908年 6月15日 小説家、川上眉山が東京都牛込区天神町67の自宅にて短刀で喉を切り自殺 代表作「書記官」、随筆「ふところ日記」
1908年 8月22日 大阪の俳優、中村玉太郎と内縁の妻はる が入水、石川県能美郡根上村大釜海岸に溺死体が漂着
1908年 8月27日 札幌工作株式会社社長、國澤能長が自殺
1909年 1月20日 目黒のハンセン病療養所建設反対運動をしていた下目黒の農家、長島亀吉が自宅裏の池に入水
1909年 1月21日 浅草十二階凌雲閣初の飛び降り自殺:神田区須田町2すし屋佐々木一太郎の長男、初太郎が凌雲閣11階西南窓より飛び降り自殺
1909年 3月23日 身元不明の男が仙台市青葉区霊屋下の伊達政宗墓所、瑞鳳殿近くにてダイナマイト自殺
1909年 5月17日 前警視庁刑事課長、伊藤好之が麹町有楽町3-1自宅2階にて短刀で頸動脈を切り自殺 前年8月4日に憲兵隊に射殺された川喜多大治郎大尉の義父 川喜多大尉は機密書類を多数清国へ渡し売国奴と非難されていた。
1909年 5月22日 貴族院議員道源権治の義妹、道源菊枝が横浜の孤児院に30円を寄付した後、川崎にて鉄道自殺
1909年 7月11日 岩手県下閉伊郡花輪村長、本堂千古が出刃包丁をもちいて自殺
1909年 7月11日 日糖疑獄:大日本製糖社長 酒匂常明が麻布区霞町8の自宅にて拳銃自殺 輸入砂糖の関税法案改正反対の政界工作が発覚。
1909年 8月23日 工学士、小西愼三郎が深川区数矢町36の墓地にて拳銃自殺 欧米留学中に精神異常、帰国後も時々米国から無線電信がくると訴えていた
1909年 9月1日 詩人、小泉盗泉が自殺
1909年 9月23日 帝国大学工科助教授、松田勉三が駒込千駄木町177自宅2階書斎にて拳銃自殺
1909年 10月18日 海軍中将、橋本正明男爵の長男、橋本正敏が豊多摩郡中野村大字中野字千光前の自宅にて猟銃自殺
1910年 4月14日 神奈川県逗子、田越村助役、池田喜稔が便所にて首つり自殺 村税未納金を着服し豪遊、横浜地方裁判所にて取調中
1910年 4月17日 群馬県富岡市金井の博徒、大河原喜三郎、通称金井の喜三郎が富岡駅北の曾木鉄橋にて鉄道自殺
1910年 4月26日 大鳥圭介男爵三男、満州鉄道運輸課員、大鳥六三が麻布区三河台25の別邸にてカミソリで喉を切り自殺
1910年 6月5日 能楽金春流36代宗主、金春七郎が奈良市小西町の自宅にて首つり自殺
1910年 7月5日 早稲田実業学校本科4年、小島仲次郎がテスト中カンニングが発覚し取り調べ直後、下谷区谷中三崎南町一心院にて首つり自殺
1910年 9月6日 宮内省官吏、吉市昇と娼妓井上とらが洲崎新春喜楼にて短刀をもちいて心中
1910年 12月17日 八溝金山事件で相場に失敗した株式仲買人横中商店店主、中島豊次郎が日本橋茅場町の同店二階にて切腹
1910年 12月21日 八溝金山事件で相場に失敗した株式仲買人宮商店店主、加藤忠三郎が日本橋区中洲町15の自宅にて拳銃自殺
1910年 12月28日 幸徳秋水の母、幸徳多治子が自殺
1911年 1月18日 千里眼の主婦、御船千鶴子が熊本県本山村の義兄清原猛雄宅にて重クロム酸カリウムをもちいて服毒自殺、翌19日死亡
1911年 1月27日 長野大林区署員、澤木儀一郎が幸徳秋水処刑に疑問を呈す遺書を残し松本にて鉄道自殺
1911年 5月9日 松山紡績会社大阪支店長、若松吉次郎が播磨灘を航行中の大阪商船大井川丸より入水
1911年 9月22日 久留米市六十一銀行監査役、伍盟銀行頭取、平田大蔵が矢部川にて入水
1911年 11月11日 門司駅構内主任、清水正次郎が下関市勝山付近にて鉄道自殺 前日、御召列車が門司駅構内にて脱線事故をおこしていた
1912年 1月10日 東讃電気軌道取締役、中野壽吉が首つり自殺
1912年 3月15日 東京洲崎、深川区平久町2-3新野病院(洲崎養生院)院長、新野弘が同病院に放火し焼身自殺 病院は全焼
1912年 3月28日 青森県会議員、久保儀兵衛が首つり自殺
1912年 5月26日 帝国劇場女優、花岡蝶子の母、蜷川しげが娘が女優になったのを苦に神田区佐久間町1-17の自宅にて首つり自殺 

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