自殺データベース (1) 明治以前の自殺 (   -1967)
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不明 不明 日本武尊の妻、弟橘媛が浦賀水道付近にて入水
312年 不明 応神天皇の子、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)が自殺
453年 10月 木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)が物部大前宿禰の屋敷にて自殺
454年 2月 仁徳天皇の子、大草香皇子に仕えていた難波吉師日香香が自殺
456年 不明 豪族、葛城円が自殺。眉輪王が安康天皇を暗殺した事件に関係していた?
489年 9月 難波小野皇后が自殺
628年 不明 境部毛津が畝傍山にて自殺
643年 11月11日 山背大兄王の一族が斑鳩寺にて集団自殺
645年 6月13日 大化の改新:蘇我蝦夷が自宅に火を付け自殺
649年 3月25日 右大臣、蘇我倉山田石川麻呂が山田寺金堂にて自殺
672年 7月 壬申の乱:河内国司、来目塩籠が自殺
672年 7月23日 壬申の乱:天智天皇の第一皇子、大友皇子が京都府南部の山城国付近にて自殺
672年 7月2日 壬申の乱:蘇我果安が自殺
686年 10月3日 大津皇子が訳語田の舎で自殺、妃、山辺皇女も自殺
729年 不明 摂津国の班田の史生、丈部龍麻呂が自殺
729年 2月12日 長屋王の変:長屋王の一族が自殺
757年 不明 陸奥守兼陸奥鎮守副将軍、佐伯全成が自殺
785年 9月28日 早良親王が、河内国高瀬橋付近にて絶食死
810年 10月17日 藤原薬子が服毒自殺
988年 6月17日 盗賊、藤原保輔が切腹 初の切腹といわれる
995年 9月15日 京都、六波羅蜜寺の僧侶、覚信が焼身自殺。花山法皇ら貴族ががこれを拝する。
1114年 3月 真言立川流創始者の僧侶、仁寛が伊豆葛城山頂上から飛び降り自殺
1170年 4月6日 保元の乱:源為朝が流刑先の伊豆大島にて切腹
1180年 5月26日 源頼政が京都宇治の鳳凰堂前にて自殺
1183年 3月10日 平清経が豊前国柳浦にて入水
1184年 1月20日 今井兼平が刀先を口に含み馬から飛び降り自殺
1184年 3月28日 平維盛が那智の沖の山成島沖にて入水
1185年 3月24日 平清盛の妻、平時子が8歳の安徳天皇と共に壇ノ浦にて入水自殺 平家滅亡
1189年 4月30日 源義経が衣川館にて切腹
1284年 6月25日 足利家時が3代後の子孫に天下を取らせよと八幡大菩薩に祈念し自殺
1333年 2月1日 村上義光が奈良、吉野山にて護良親王を落ち延びさせた後に切腹
1333年 5月9日 鎌倉幕府最後の六波羅探題、北条仲時と一族432人が近江番場の蓮華寺にて集団自殺
1333年 5月18日 鎌倉幕府最後の執権、北条守時が鎌倉洲崎にて切腹
1333年 5月22日 鎌倉幕府代14代執権の北条高時ら北条一族が鎌倉の東勝寺にて集団自殺。鎌倉幕府滅びる
1336年 5月25日 楠木正成が弟、正季ら一族とともに湊川の戦いにて自殺
1337年 4月7日 新田義貞の子、新田義顕が越前国金ヶ崎城にて自殺
1337年 4月7日 後醍醐天皇の皇子、尊良親王が越前国金ヶ崎城にて自殺
1338年 7月2日 新田義貞が北陸藤島城にて切腹
1379年 3月7日 上杉憲春が足利氏満の上洛を諫めるため鎌倉の自邸にて自殺
1417年 1月10日 上杉禅秀の乱:上杉禅秀が鎌倉鶴岡八幡宮、雪ノ下の坊にて自殺
1417年 2月6日 上杉禅秀の乱:武田信満が甲斐木賊山(後の天目山)にて自殺
1439年 2月10日 永享の乱:足利持氏が鎌倉、永安寺にて自殺
1551年 9月1日 大寧寺の変:大内義隆が陶晴賢の謀反に遭い自殺。
1553年 1月13日 織田家家臣、織田信長の教育係、平手政秀が切腹
1555年 10月1日 陶晴賢が厳島の戦いにおいて毛利元就に破れ自殺
1573年 9月1日 浅井長政が小谷城にて自殺
1577年 10月10日 松永久秀が信貴山城にて平蜘蛛茶釜とともに爆死
1580年 9月 新発田重家の乱:上杉家家臣、安田顕元が自殺
1582年 3月11日 武田勝頼が天目山の戦いにおいて自殺
1582年 6月2日 織田信長の子、織田信忠が京都二条城にて切腹
1582年 6月2日 織田信長が京都本能寺にて自殺
1582年 6月4日 備中国高松城主、清水宗治が兄、月清と切腹
1583年 4月24日 柴田勝家が妻、お市とともに越前北ノ庄にて自殺
1600年 7月17日 細川ガラシャが大坂玉造の細川屋敷内にて細川家家老、小笠原少斎に胸を刺すよう命じて自殺。小笠原少斎は屋敷に火をつけ自殺。
1600年 9月15日 大谷吉継が関ヶ原の戦いにて自殺
1600年 10月1日 赤松則英が京都、戒光寺にて自殺
1600年 10月12日 九鬼嘉隆が和具の洞仙庵にて切腹
1615年 5月8日 大阪夏の陣:豊臣秀吉の側室、茶々こと淀殿が秀頼と共に大阪城にて自殺 豊臣側武将多数が自殺
1632年 1月25日 江戸幕府老中、森川重俊が徳川秀忠の死翌日に殉死
1647年 11月18日 唐津藩主、寺沢堅高が江戸、海禅寺にて自殺
1648年 8月20日 丹波福知山藩主、稲葉紀通が福知山城中にて鉄砲自殺
1651年 4月20日 武蔵岩槻藩主、阿部重次が自殺徳川家光に殉死
1676年 3月24日 越前福井藩主、松平光通が自殺
1680年 5月30日 下総佐倉藩主、堀田正信が徳島にて鋏で喉を突き自殺徳川家綱に殉死
1687年 10月27日 新微組、岩間清四郎が発狂、同組の藤井弘司を殺害後自殺
1687年 12月9日 岩国藩士、精義隊の栗栖平次郎が自殺
1696年 10月30日 大和宇陀松山藩主、織田信武が自殺
1698年 9月15日 甲斐徳美藩主、伊丹勝守が厠にて自殺
1703年 5月22日 醤油商平野屋手代、徳兵衛と女郎はつが大阪梅田、曽根崎村露天神の森にて心中 近松門左衛門の「曽根崎心中」のモデルとなった 以降、浄瑠璃や歌舞伎で心中物が大ブームに
1720年 11月13日 天満の紙屋、治兵衛と曽根崎の遊女小春が淀川にて入水 近松門左衛門「心中天の網島」のモデル
1755年 5月25日 宝暦治水:薩摩藩家老平田靱負が大牧村役館にて切腹 宝暦治水工事中に薩摩藩士51名が切腹している。
1793年 6月27日 高山彦九郎が久留米の医師、森嘉膳宅にて切腹 翌28日死亡
1796年 11月18日 高山彦九郎の同志、磯宮八幡神官、唐崎常陸介が安芸加茂郡竹原村にて自殺
1806年 12月19日 富山四方町の町年寄、栂野彦八が漁民の魚行商の規制に抗議し郡奉行屋敷前にて切腹。藩主前田利幹は行商の禁を解いた。今も富山市四方一番町では四方の義民栂野彦八翁を祀り毎年8月18日に祭礼が行われている
1808年 8月17日 フェートン号事件:長崎奉行、松平康英が切腹。
1837年 3月27日 大塩平八郎の乱:大阪東町奉行所与力、大塩平八郎が武装蜂起に失敗、逃亡先の市中油掛町美吉屋にて自殺
1839年 5月17日 蛮社の獄:蘭学者、小関三英が江戸溜池の岸和田藩邸内にて自殺
1841年 10月11日 蛮社の獄:三河田原藩家老、蘭学者の渡辺崋山が切腹
1850年 10月30日 蛮社の獄:蘭学者、医者の高野長英が青山百人町同心屋敷、小島助次郎方(現・南青山5、スパイラルホール)にて自殺
1854年 8月24日 備後福山藩士、福山藩江戸藩邸元締役、山岡八十郎が日米和親条約に反対し藩主阿部正弘に意見書を提出した後に切腹
1855年 11月14日 四谷正宗といわれた刀工、山浦清麿が自殺
1856年 8月6日 八代目市川團十郎が大阪にて自殺
1858年 3月8日 農政学者、大原幽学が長部村の墓地にて切腹
1858年 11月16日 京都清水寺成就院住職、月照が鹿児島錦江湾にて西郷隆盛と入水、西郷は助かる。
1860年 3月3日 桜田門外の変:襲撃した薩摩藩士有村治左衛門が井伊直弼の首級をあげたのちに若年寄遠藤胤統の辻番所付近にて自殺 他襲撃者多数も自殺
1860年 11月6日 幕府外国奉行、堀利煕が切腹
1861年 4月15日 美作院之庄の農民、島田浅野と娘、敏乃が盗罪で獄につながれた夫、島田馬之丞の助命のため自殺 夫は釈放された
1861年 5月28日 第一次東禅寺事件:江戸高輪東禅寺のイギリス仮公使館を襲撃した水戸藩脱藩浪士、中村貞介、山崎信之介、前木新八郎、森半蔵が逃走先の品川、虎屋旅館にて切腹。
1862年 1月15日 坂下門外の変:襲撃に遅刻した水戸藩士、川辺佐次衛門が長州藩邸に桂小五郎を訪ね斬奸趣意書を渡した後に切腹
1862年 4月13日 松下松陰の門下生、画家、松浦松洞が京都粟田山にて自殺
1862年 4月21日 寺田屋事件:薩摩藩士、永田佐一郎が部下の有馬新七ら攘夷倒幕派の説得に失敗、大阪薩摩藩邸にて切腹、2日後寺田屋事件が発生
1862年 5月29日 第二次東禅寺事件:江戸高輪東禅寺のイギリス仮公使館を警護していた松本藩士、伊藤軍兵衛が英国兵を斬った後に自殺
1863年 5月26日 姉小路公知殺害事件:薩摩藩士、幕末四大人斬り、田中新兵衛が京都西町奉行所にて取調中に自殺。
1863年 9月3日 天誅組の変:天誅組に資金援助していた伊勢神戸藩士、河内錦部郡長野代官、吉川治太夫が壺井村にて自殺
1863年 9月24日 天誅組の変:天誅組、十津川村川津郷士、野崎主計が大和川津狸尾山中にて自殺
1863年 10月14日 生野の変:元奇兵隊総総管、河上弥一が但馬山口村妙見堂にて自殺
1864年 6月5日 池田屋事件:熊本藩士、宮部鼎藏が池田屋で自殺
1864年 6月27日 鳥取新田藩主、池田仲建が自殺
1864年 7月19日 禁門の変:吉田松陰門下、久坂玄瑞、寺島忠三郎、有吉熊次郎が京都鷹司邸内にて自殺
1864年 7月21日 禁門の変:久留米水天宮祠官、真木和泉ら、禁門の変残党が天王山にて自殺
1864年 9月29日 元土佐藩士、長州忠勇隊小隊長、田所壮輔が自殺
1865年 1月28日 福岡藩士、中村円太が福岡報光寺にて自殺
1865年 2月22日 土佐藩士、千屋金策、井原応輔、島浪間が脱藩、岡山藩士、岡元太郎らと共に長州へ向かう途中、美作土井にて匪賊に間違われ自殺
1865年 5月17日 福岡藩士、小藤平蔵が長州にて自殺
1865年 12月11日 仙台藩士、蟹江太郎介が自殺
1865年 12月28日 新微組、羽賀軍太郎ら3人が神田明神下で狼藉をはたらく旗本、長島直之丞を惨殺後、飯田橋の屯所にて自殺
1866年 3月13日 豊前下毛郡の神職、高橋清臣と若松八幡宮祀官、原田七郎が京都での攘夷挙兵に失敗、国元へ帰される船上より伊予灘へ入水
1866年 4月24日 美作津山藩士、井汲唯一が津山藩の獄中にて自殺
1866年 9月3日 鳥取藩士、藩校史学掛、高浜鉄之助が長州征伐反対の建白書を藩に提出、家老への面会を求め捕らえられ自殺
1866年 11月10日 真木和泉門下、淵上謙三が太宰府にて自殺
1866年 12月25日 伊予大洲藩士、国島六左衛門が坂本龍馬と五代友厚の仲介で相場の1.4倍で汽船いろは丸を購入、坂本龍馬は汽船操舵伝授の約束を反故にし逃走、動かせない汽船を買わされた国島は長崎にて切腹
1867年 3月9日 中沼葵円門下、大和十津川郷校文武館助教、加藤謙二郎が加賀金沢藩と薩摩藩、長州藩の連合を策すも果たせず、十津川にて自殺
1867年 7月8日 福岡藩士、金子才吉が長崎丸山にて英国船イカルス号水夫2人を殺害し逃走後自殺
1867年 8月14日 一橋家家臣、鈴木恒太郎と弟、豊次郎が京都千本屋敷にて一橋家用人原市之進を斬り坂倉閣老邸にて自殺

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