7月に入ってそろそろヤマユリの花が咲く季節です。あの楚々とした姿を見ると、誰もが涼しげな印象を受けると思いますが、私の場合は、若かりし日の父の姿と強烈な炎天下をすぐに思い浮かべます。真夏の一番暑い時期に、父と二人で何度もユリの根を掘りに行ったからです。
田舎の父はこの4月で97歳になりました。さすがにここ4〜5年は、冬に決まって入院するなど、身体が弱ってきていますが、それまでは驚くぐらいかくしゃくとしていて、10歳は若く見えました。裸一貫から2つの店舗を持つまでになったのですから、それなりに成功した方だと思うのですが、そのかわり酒もたばこもやらず、ひたすら働くことが趣味のような人でした。
身体を動かしているときと商売の話をしているときが一番楽しそうで、そんなふうにして90歳を過ぎてまで現役を通し続けたことが、若さの源だったような気がします。今年の2月に田舎へ行ったときは「働けなくなってつまらない・・・」と言っており、自分の親ながら敬服してしまいました。
6人兄弟なのに、どうしていつも私だけがユリ掘りについて行かされたのか、今でも不思議なのでが、「コウヨウ!ユリ堀りにいンから鍬もってコ!」と決まって私に声をかけます。それは否も応もなく、私について来いということなのです。長靴に履き替えて、もってきた鍬を父にわたし、私は小さな籠をもって父のあとについて行きます。
道路を横切り数軒の家並みを過ぎるとすぐに山(石尊山)への登り口に差しかかります。ただしそのルートは裏道で、藪の中のやっと通れるだけの道ですから、太陽は容赦なく照りつけ、ムッとする草いきれが鼻をつき、長袖のシャツは瞬く間にビッショリになります。それでも、父に遅れまいと必死であとをついていった記憶があります。
3〜40メートル登ると頂上につきますが、その山は街の中に突き出ていて、ここに登ると旧市街地が一望できます。そこからは尾根伝いになり、道は森の中にあるので、さっきまでの暑さは嘘のようにスッと汗が引きます。
ただしヤマユリは、日向にしか咲きませんから、堀るときは否応なしに炎天下での作業になります。ジリジリと照りつける太陽の下で、額や顎から汗がしたたり落ち、それを拭いながらの作業です。でも掘るのは5〜6株なので、群落地が見つかれば1時間もかからず終わります。父が花をたくさんつけた株を選んで掘りおこし、私が拾い集めるのです。そのとき、父は決まって私にも掘らます。
それにしても、自然に生育しているあの優雅なヤマユリを何の躊躇もなくなぎ倒してしまうのですから、今考えると何とも乱暴な話です。でも当時は、そんなことに罪悪感を感じるような時代ではありませんでした。私たちが頂いた自然のめぐみはほんのささやかなもので、それに比べれば、その再生力のほうがはるかに勝っていたからかも知れません。
持ち帰った球根は、母がほんのりとした甘さに味付けして、夜の食卓に出してくれます。でも当時私は一度もそれをうまいと思った記憶がありません。今では高級料理店でもなかなか食べらないと聞きますが、なんでこんなもののために、くそ暑い山の中を歩き回るんだろうかと、大人の味覚を疑ったものです。
父と私とは37歳離れていますから、当時の父の年齢は40代後半だったことになります。今の私より一回り以上若かったわけで、何だか不思議な感じがします。
その頃は私に限らず、父が子どもと一緒に何かをするということなどめったにない時代でしたから、父と一緒にユリ掘りに行ったことは強く印象に残っていて、真夏のこの暑い時期になると、とても懐かしく思い出されます。