棋士の頭のなか
(2000/7/29)
日経新聞に、将棋をテーマに詩作35編をまとめ自費出版したという高橋冨美子さんの記事が出ていました。将棋の腕前は3段、全国アマ女流戦で2位に食い込んだこともあるという高橋さんは、将棋をモチーフとして広がる世界を好きな詩作に託して表現することに思い至り、これまで同人誌などに発表してきた作品を「駒袋」と名付けて出版したという記事でした。
静寂がきて 光を失った畳の上を 乾いた風が通りすぎ ひとり力尽きた王は そっと駒箱にもどされる(「投了」)
飛車が一気に攻めのぼる 香車一本を従えて いま開かれる白い道(「未知の世界」)
私自身は勝負ごとはめったにやらず、将棋ももっぱら閑つぶしにパソコンでやる程度ですが、将棋に関する話、特に棋士にまつわる話についてはなぜか昔からとても興味がありす。
棋士が盤に向かっているときの発想や考え方が、私のようなものからみると全く異次元の思考空間のように思え、そこに「天才」をかいま見ることができるためかもしれません。
いつかも、羽生善治4冠(今は4冠ですが、当時は7冠王を奪取し大変な話題になっていました。)についてテレビで取り上げていましたが、なかなかおもしろい番組でした。例えば、彼が将棋を指している時の脳波を調べてみると、どうも右脳を使っているらしい、一般的に右脳は、音楽や絵画をつかさどる脳だそうで、将棋を打つときの彼の思考や発想は、あたかも芸術活動を行っているような動き方をする・・・・というような話でした。
数年前、チェスの名人がスーパーコンピューターに破れて話題になりました。その時に、将棋はどうだろうかということが取り上げられていましたが、将棋のルールは相手から捕った駒を何度でも使えるので、プログラムが非常に複雑になり、まだ当分、人間の名人には勝てないだろうというのがおおかたの結論でした。
パソコンの将棋も年々実力が上がっているらしいのですが、その発想の仕方は人間の場合とは全く違うそうで、読むのはせいぜい4〜5手先までで、その代わり考えられるあらゆる組み合わせについて検証し、その中から最善手を選ぶようにプログラミングがされているらしいのです。それに対し、羽生4冠などは、せいぜい2〜3手しか読まず、ただしそれぞれの手について70〜80手先までを読んで、最善手を決めるということでした。
一瞬にして最善手を見分けることのできる人間の能力には、スーパーコンピューターをもってしても遠く及ばないようです。
文章が難解で日本語に訳すのは不可能だろうと言われていたジェイムズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」を翻訳した柳瀬尚紀さんが羽生4冠と対談をした本があります。「対局する言葉」という本です。言葉の達人と将棋の名人の対談ということで、どんな展開になるのかワクワクして読みました。
特に将棋を指している時の羽生4冠の脳の状態がどんなになっているかを、柳瀬さんが巧みに引き出している部分がありますが、そこを読むと羽生4冠の「天才」ぶりを改めて感じます。例えばこんなふうです。
「・・・ただ、将棋の場合は、また不思議なところで、それを具体的に頭のなかで考えるとか表現するというのではなく、もう“感じ”なんですね。つまり、ほとんど無意識のなかで全部処理してしまっているので、実際には、どこまでそれを考えているかって、本人にもわからないんですよ。」
「(音楽とか絵画は)瞬間の感動みたいなもんじゃないですか。将棋の場合も、パット見た瞬間に“この手だ”っていうのは、もう理屈みたいなものじゃないし、感覚なんですね。・・・・感覚的な、感性的なものだと思っています。」
この対談は一方の相手が言葉の達人だけに、言葉、特に日本語についてもおもしろい話が随所に出てきます。例えば、最近は海外でもよくタイトル戦を開催することがありますが、その時に日本語の、特に将棋に関する微妙なニュアンスをその国の言葉に訳すことは不可能に近いというようなことです。具体的には「指し過ぎ」「含みをもたす」「さばく」といった言葉なのだそうですが、なんとなく分かるような気がします。日本語のもつ「あいまいさ」というのいでしょうか、それがとても日本語を複雑にしており、翻訳を難しくしているのかも知れません。