裏日本は大雪で大変な状況になっているようです。先日届いた石川県の方のメールにも、ビニールハウスが雪で壊れているのを目の当たりにし、自然の恐ろしさを改めて感じているといったことが書かれていました。
東京にも今年に入って3度目の雪が降りました。裏日本や北海道の方にとってこんなのは降ったうちに入らないのかも知れませんが、そのたびに大騒ぎです。ただし、子どもたちは大喜びで、公園の芝に積もった雪の上でそり遊びに興じていました。
最近のそりはプラスチック製ですが、私の育った頃は自分たちで作ったものです。今思うと、そりづくりが当時の子どもたちにとっての木工作の原点だったように思えます。それで一通り大工道具の使い方を身につけます。
当時は農家の軒先に薪が大量に積んであり、それがそりの足になりました。ナラ、クヌギ、クリなどいろいろありますが、そりにするには何と言ってもサクラが一番でした。
適当な太さのものを探しだしてきて皮をむき、鉈で半分に裂きます。それから、上になる部分をやはり鉈で平らに削り、先端も斜めに削り落とします。次にお尻の部分と足を乗せる部分に釘で板を張りつけ、足を乗せるところはカジも兼ねますので、ここに紐を付けて完成です。
板や釘もその辺にころがっていて、いつでも手に入りました。特に私の家は商家でしたから、商品を送ってくる木箱がたくさんあり、丁寧にばらして板も釘も大事にとってありました。その辺が今と昔の違いかも知れません。今の子どもたちは何を作るにしても、お金を出して材料を買ってこなければなりませんから・・・・・。
私が初めて自分で作ったのは小学校の低学年だったと思います。さほど難しい技術はいりませんが、それでも7〜8歳の子どもが初めて取り組むのですから、そう簡単ではありません。ところが良くしたもので、作っていると近所の年上の悪ガキたちが必ず寄ってきて、手取り足取り教えてくれます。力のいるところや丁寧に仕上げなければならないところは手伝ってもくれます。それでも自分で作ったという満足感は得られますし、大きな自信にもなります。
最初は取りあえず滑ればいいという感じで作りますが、年上者のそりは、座る場所に必ず畳裏を敷きます。それがとても立派に見え憧れでした。今考えてみると大したものではなかったのでしょうが、そんな彼らのそりがとても高級に見え、うらやましかったものです。
東京では雪の量が少ないですから、そり遊びは、効率的に雪を集められる公園の坂と相場がきまっているようですが、私たちは必ず森の中に滑走路を作りました。小高い山の中腹の比較的広い道のところで、両側には杉などがはえている場所です。できれば北側斜面が理想です。そんな場所が子どもから子どもへと代々引き継がれていたものです。
滑走路を途中でオーバーハングすれば木に衝突することもありますから、今考えてみるとかなり危険ではなかったかと思うのですが、そうした場所ならば、陽が当たりませんから半月ぐらいは滑れます。何日かたつとアイス盤になり理想的な滑走路に仕上がります。昔の子どもはけっこう知恵があったんだなあと感心してしまいます。
最高にスリルがあったのは、「木だし」(切った木をふもとに下ろすためのそりのことで、そう呼んでいました。)で滑る時です。長いので7〜8人は乗ることができ、その分すごい加速がつきます。うっかりしていると大怪我をしますから、子どもなりに真剣に気合いをいれて滑ります。ただしこのときも、悪ガキたちは小さい子どもを真ん中に座らせ、前後を守って一緒に滑ってくれます。そんなふうにして年長者が少しずつ小さい子どもたちに危険な遊びを体験させてくれたものです。
今思い返してみると、いつも遊びを通して、年長者からいろいろなことを教え込まれ、育まれたように思います。そうした地域のつながりが子どもの社会にもまだまだ残っていた良い時代でした。