先日の新聞に「千と千尋・・・・」大ヒットで過去最高益という記事が載っていました。ご存知宮崎アニメの「千と千尋の神隠し」が、上映開始の7月20日から8月末までに316万人の観客を動員する大ヒットになった。これは邦画では過去最高だった前作「もののけ姫」の1.6倍にあたるといった内容でした。「もののけ姫」ほど話題にはならなかったような気がしていたので、この記事はちょっと意外でした。
最近の宮崎アニメに対する受け止め方は賛否両論あるようで、「千と千尋」について映画評論家のSさんは「素晴らしい作品だ」と評価しているのに対し、詩人のKさんは「つまらなかった」と新聞に書いています。私はといえば、見ている間じゅう何の雑念もなく宮崎アニメの世界を漂うことができ、見終わったあとには、とても懐かしい気分が残りました。ですから「素晴らしかった」部類に入るんだろうと思います。
「もののけ姫」は自然や人間の行為を動物などを借りて象徴的に表現し、そこに様々なメッセージが込められていましたので、その分だけアニメとしては少し難解だったような気がします。特に子どもたちには分かりにくかったのではないでしょうか。それに対し、「千と千尋」はさほど理屈っぽくなく、映像の世界をさまようだけでも十分楽しいと感じました。
映画を見ていない方にちょっと説明しますと、10歳の千尋がひょんなことから異界に紛れ込みます。その異界とはテーマパークの廃墟らしいのですが、その中に建っている魔女が支配する壮大なお風呂屋さんが舞台になります。風呂屋は木造ですが、吹き抜けやエレベーターまでついている高層の建物で、そこにヤオヨロズの神々が夜な夜な舟に乗って心身を癒しにやって来ます。千尋は生きぬくためにそこで働くことになってしまいます。
評論家のSさんは「ヘルスセンターのようでもあり、和風の宴会場のようでもある」と表現していますが、まさにそんな感じなのです。古い旅館のような造りですが、内装には派手な彩色も施されていて、曼陀羅の世界にでも入り込んだような感じもします。しかも神々も、そして彼らをもてなすお化けや怪物たちも、みんな丸々と太っていて、奇妙な姿をしているのですがどこかユーモラスでもあります。森羅万象織りまぜた和風ワンダーランドといったところかも知れません。
「千と千尋」を見て思ったのですが、アニメ映画ではメッセージ性や教訓をあまりダイレクトに表現しない方がいいのかも知れません。主人公である10歳の千尋になりきって、次から次と繰り広げられるそのワンダーランドを体現するだけで十分なような気もします。
見終わったあとに、とても懐かしいと感じたのは、その舞台設定や登場者のおどろおどろしさが、むかし見た見せ物小屋や絵巻物の絵とダブるところがあり、幼児期の原体験に触れたためかも知れません。もちろん見せ物小屋の絵とは格段に違うのですが、その醸し出す異様な雰囲気は紛れもなくあの頃体験したものなのです。
宮崎監督と私とは年齢もさほど違わず、同じ時代を共有していたと思われますから、そのことは不思議ではないのですが、それではそうした体験をもたない今の子どもたちにはこのアニメがどう映ったのでしょうか。実は友人のお子さんで、もうすぐ5歳になるサキちゃんが、夢中になって「千と千尋」のことを話すのを聞いて意外に思いました。おどろおどろした異界という受け止め方ではなく、もっとアッケラカンとしたユーモアの世界として捉えているように感じられたからです。
千尋が階段を転げ落ちる様子、地下室でボイラーを焚く「カマジイ」のしぐさ、魔法によって石炭運びにかり出される「ススたち」の動き、体が大人より大きくなってしまった魔女の赤ん坊の振る舞いなど、どれもこれもおかしくてしょうがないという感じで夢中で話をするのです。そこには、千尋が最後には一緒に働くお化けたちとも心が通じ合うという、善意の結末があったからかも知れません。
宮崎アニメは、大人たちの小難しい意味づけとは無関係に、新しいタイプの原体験として、今の子どもたちに確実にメッセージを送り続けていたのです。サキちゃんの興奮気味に話す姿を見て、私も余分なことを考えず素直にその余韻に浸ることに決めました。