千年の釘
(2000/8/11)

奈良の薬師寺では30年前から、金堂を手始めに、東塔、回廊を再建し、いま大講堂を再建中です。その仕事を中心となって進めてきたのが、5年前に亡くなった元法隆寺棟梁の西岡常一さんです。

西岡さんの奨めで「千年の釘」づくりに取り組んでいる四国・松山の白鷹幸伯(65歳)さんのドキュメント番組が先日放映されていました。


西岡さんの説によれば、千年の寿命の木で造った建物は千年以上もつと言うことです。そのことで、西岡さんはよく学者と論争をしたと聞いています。塔の再建には鉄を使用しないとダメだと主張する学者に対し、西岡さんは鉄を使ったらせいぜい200年しかもたない。現に木だけで、ここに法隆寺のように千三百年の塔が建っているじゃあないかと一歩も譲らなかったのです。余談ですが、再建された薬師寺の東塔は西棟(1300年前の建物)よりも数十cm高く造られています。これは300年後の姿を思い浮かべて造っているからだと言うことでした。

千年もつ建物を造るためには、千年もつ釘をつくらなければ・・・・と白鷹さんに白羽の矢がたったのです。当時、白鷹さんは42歳でした。元々鍛冶職人の家に生まれのですが、家業を継ぐのがいやで、26歳の時に上京、大学を出て一旦はサラリーマンになります。その後、兄の死をきっかけにふるさとに戻り家業を継ぐことになりますが、いまでは、「四国にヒゲの白鷹あり」と仲間内で知られる鍛冶職人です。

西岡さんから千年の釘を造ってみないかと誘いがあったとき、二つ返事で引き受けたそうですが、そのことについて白鷹さんは次のように語っています。「それは運命的な出会いだった。四国の一介の鍛冶職人に、千年の釘づくりを誘ってくれたんだから・・・・人生の目標を手に入れた思いだったよ。」

西岡さんが亡くなってからは、仕事場に西岡さんの写真を飾っています。「言われて一番こたえる人だから」だそうです。西岡さんからは手紙もたくさんもらっていますが、そこには職人としての心得が綿々と綴られています。西岡さんは自分にも他人にもとても厳しい方だったと聞いていますが、手紙を読むと改めてそう感じます。例えばこんなふうです。「土佐鍛冶の技法を継承され、技法の底に流れる精神をしっかりご把握あり、名利を思わず、ひたすらご精進を祈ってやみません。」


「千年の釘」は長さが25cm、重さ260gで四角い形をしています。形は古代釘によるもので、中央に微妙な膨らみがあり一度打ち込むと抜けにくい構造になっています。問題は鉄の硬さとねばりです。

硬すぎると釘が折れたり木材にひびが入ってしまいます。逆に柔らかすぎるとちょっとした節があっても曲がってしまい使いものになりません。その兼ね合いをどうするかが「千年の釘」再現の最大のポイントだったそうで、10年かけて、炭素の含有率0.085%が最適だと突き止めます。鉄のねばりは、焼き加減と鍛造で決まりますが、一本一本叩き出すわけですから、そのさじ加減はすべて白鷹さんの直感によるものです。

テレビで実験をしていましたが、「千年の釘」は、節に突き当たると、その節に沿って周辺を舐めるように曲がっていき、木材へのダメージを最小限に止めます。


今回の薬師寺の大講堂では、裳階(もこし)と呼ばれる屋根の部分に、3000本の釘が使われます。それを13人の大工さんが2か月かけて打ち込むのだそうです。ちなみに、釘は1本800円ぐらいで、採算を考えたらとてもできる仕事ではありません。

釘打ちの日に白鷹さんも、その作業に立ち合っていました。最初の釘を打ち終わるまでは緊張気味でしたが、そのあとやっと安心したようで次のように語っていました。
「運命的な出会いから精進を重ね、ようやくこの日を迎えることができた。一本一本いとおしく見守ってやりたい。千年先は誰もわからん。ただ、それまでもって欲しいという願望だけだ。」

「千年あとまで残って欲しい。その時代にももし鍛冶やがいるなら、20世紀の鍛冶やは下手だったと笑われれたくない。これは職人のプライドだ。仕事で笑われるのは命の次につらい。」


めまぐるしく変わり続け、なにごとも金銭に換算しがちな現代にあって、千年先に思いを馳せ、ひたすら職人としてのプライドのために物づくりに打ち込んでいる人がいるということは、いささかショックであり、また感動でもありました。



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