成人式の騒動が各地で話題になっています。暮には、式の帰りに近所の庭に記念品が大量に投げ込まれ、苦情が絶えないので、配布を取りやめるというような報道もありました。なんだかわびしい話です。
私の成人の時は、すでに故郷を離れ地方都市で学生生活をおくっていました。父から式があるがどうするかと打診がありましたが、参加しませんでした。当時はそういうところに出席しないことのほうがかっこいいと思っていたようなところがあったようです。それに、希望する大学に入れなかったという挫折感も多少あったのかも知れません。
その代わり、その年は暮れからずっと看板やのアルバイトをしていました。成人の日を挟んでのそのアルバイトの日々が、私にとっての成人のセレモニー(式)だったような気もします。
糸鋸で板から文字を切り抜き、彩色して看板をつくり、それを商店の軒先に飾ったり、ウインドウのディスプレーなどの手伝いでした。24日の夜遅く、「メリークリスマス」の看板を「謹賀新年」に付け替える仕事などもあり、梯子の上から幸せそうな通行人を見下ろしながら、成人していくことの意義を苦く噛みしめたりしたものです。
その看板やさんは、つい最近まで東京に住んでいて、ご主人は絵描きをしていたということでした。言われてみると、風貌もどこか違っていて職人さんという感じではありませんでした。奥さんもちょっと気は強そうですが、山の手の高級住宅が似合いそうなとても上品な方でした。ただその時は脳梗塞を患っており、手足に麻痺が出ていて、話も思うようにできず、それが原因なのか一日中イライラしていました。日に何度か癇癪をおこし、泣き叫んだりまわりに当たり散らしていましたが、感心したのは、その都度ご主人がそれをやんわりと受け止め、なだめすかしていたことです。
いったいどんな人生を2人はたどってきたのだろうと、ついつい想像してしまいました。
お子さんは2人いて、上は娘さんでした。家事の手伝いをしていましたが、母親がそんなふうでしたから働きにも行けなかったのかも知れません。両親に似てとても美人でしたが、笑顔の記憶がありません。なんだか人生をあきらめてしまっているようにさえ思えました。下は息子さんで、東京で高校に通っていました。そのかたわら歌手を目指しているらしく、「間もなくレコーディングができそうだ」といったような家族の会話を小耳に挟んだことがあります。息子の歌手デビューだけが家族の希望だったのかもしれません。
看板やさんいにはBさんという使用人がいました。使用人と言っても仕事はほとんどBさんが切り回していて、もしBさんがいなくなったらこの看板やさんは明日からどうなってしまうんだろう、家族が路頭に迷ってしまうんではないか・・・・そう私が心配するぐらいに全面的にBさんに寄りかかっていたような気がします。
Bさんとはあまり立ち入った話をしなかたので詳しいことは知りませんが、私と同じ大学の出で、学生の時からここでアルバイトを始め、そのままずっと居座ってしまったということのようです。
年末の仕事も一段落して、夕方Bさんと一緒に戻った時のことです。外で片づけものをしていると家の中から「今日は2人で映画にでも行ってきな・・・・」というご主人の声が聞こえてきました。二人が連れ立って出かけたような気もするのですが、はっきり憶えてはいません。
アアやっぱり二人はそういう関係だったんだ。それにしても、どうしてBさんはいつもあんなに遠慮がちなんだろう。それに娘さんの方もちっとも楽しそうじゃないし・・・・そんな余計なことを考えながら暮れの押し迫った夜道をアパートに帰った記憶があります。
年末から正月にかけての忙しい時期が一段落した時点で、そのアルバイトは止めてしまいましたが、あの一家とBさんのことは成人の日がくるたびにいつも思い出し、気になっています。