泣いた記憶
(02/1/5)

早いもので、12月30日は父が亡くなって七七日(49日)になります。その法要のために田舎に行って来ましたが、さすがに98歳という大往生でしたから、もう誰も涙をみせることもなくサバサバとした供養となりました。それでも、それぞれの心の中には思い出がつまっていたのだろうと思います。私はと言えば、お経を聞きながら、遠い幼い日の3つの出来事をぼんやりと思い出していました。どれも父と関わりのある泣いた時の記憶です。小さいときはなぜあんなに唐突に悲しくなったのでしょうか、父の当時の年齢をとっくに超えてしまった今、そのことを思い出すと何だかとても不思議な感じがします。


一度は父の実家に泊まりに行った時のことです。当時そこへは歩いていくしか方法がなく、まだ幼児でしたから、約1里半の道のりを父の手に引かれて行ったのだろうと思います。それまでも何度も遊びに行っており慣れていたはずなのに、その日は初めて泊まることになったせいでしょうか、夕暮れがせまり、あたりがだんだん暗くなってくると、急に涙が出はじめ止まらなくなってしまったのです。

従兄弟たちは、さっきまで元気に遊びに興じていた私が、低木の下にうずくまって急にメソメソしだしたことにビックリしたようで、さかんに慰め、もう家の中に入ろうと促すのですが、そんなふうに優しくされるとますます涙が止まらなくなり、しゃくりあげながら頑なにその場を離れようとしませんでした。どうしてそんなに悲しかったのか、今になっては説明しようもないのですが、夜のとばりが下りようとするあの独特の雰囲気がそうさせたのかも知れません。


もう一度は、伊東の叔父の家に行った時のことです。父は東京に仕入れに行く時など、たまに子どもを一人だけ連れて行くことがあり、その時はまだ学校に行っていなかった私が選ばれたのだろうと思います。途中東京の問屋にも用事があり、それが済んでから近くのフルーツパーラに入りました。

もちろんそんな場所は初めてでしたから、店内もウエイターのお姉さんもキラキラと眩しく、別世界に紛れ込んでしまったような思いでした。そんな夢見心地の私の前に、やがて三角形のガラスの器が運ばれてきました。その中には透明な液体が入っていて、何やらぶくぶくと泡が立っていたのです。一瞬たじろいだものの、父に促されストローで一口飲むとシュワーと喉が刺激され、それまで体験したことのない不思議な味がしました。「何だコレハ!まずい」・・・・その時は本気でそう思ったのですが、大きくなってからあれはサイダだったと気づきました。

伊東駅に降り立った時はすでに日が暮れていました。駅の近くの叔父の家に行ってみると叔父一家は別の場所に越してしまったらしく、中から出てきた男の人がさかんに引越し先を説明してくれました。そんな大人のやり取りを聞いていた私には、やっとたどり着いた叔父の家が無くなってしまったことは大変なできごとのように感じられました。しかも、新しい叔父の家への道は、しだいに人家が少なくなり、どんどん暗くなっていくので、とうとう父の背中でしくしくと泣き出してしまったのです。その前後のことは全く覚えていないのに、なぜかサイダーの一件と父の背中で泣いた記憶だけは鮮明に覚えています。


3つ目のできごとは私が小学校に入学したばかりの頃だったと思います。兄や姉とどこかに遊びに行き、みんなで意気揚々と引き上げてきてみたら、玄関のカギが締まっていたのです。帰りの時間が少し遅かったために閉め出されてしまったのです。兄たちが何度戸を叩いても開けてくれません。当時は躾にとても厳しかった父でしたから、このまま一晩じゅう家に入れてもらえない・・・・そう思った瞬間、私は大声で泣き出してしまいました。そんな私の泣き声が効を奏したのか、間もなく母が玄関を開けてくれましたが、恐かった思い出として、強く心に残っています。


この他にもずいぶん泣いたことはあったのでしょうが、鮮明に記憶に残っているのが父と関わりのあったこれだけというのは不思議でなりません。母と一緒の時の記憶は、いつの間にか癒されていて、忘れてしまったのでしょうか。


ようこそ
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