普段は眼鏡をかけませんが、車を運転するときは「眼鏡使用」なのです。もう15年ぐらい前から、眼鏡使用でないと免許の更新ができなくなってしまいました。
視力を測ってみると、かなりのがちゃ目で左目は0.6ぐらいなのに、右の方は0.2ぐらいしかありません。若いときから寝る前に毎晩本を読む習慣があり、いつも右側を下にして斜めになって読んでいたのが悪かったようです。かといって普段の生活にはさほど支障がないので、ずっと眼鏡なしで通してきました。
運転以外で眼鏡を必要とするのは、映画館や美術館へ行くときで、何度か眼鏡を忘れた経験がありますが、その時はみじめです。特に洋画を観るときには・・・。
でも40代の後半になって、近視にもいい点があることに気づきました。というのは同年代の人たちが新聞などを読むときにこぞって眼鏡をかけだしたからです。明らかに老眼鏡です。その点、私程度の近視だと逆に眼鏡なしでもほとんどの字を読むことができます。7つ下の弟などは40少し過ぎには、もう細かい字が読めなくなっていましたから、老眼鏡頻繁に取り外すのを見て、近視であることに感謝をしたものです。
ところが最近そう喜んでもいられなくなってしまいました。実は老眼は暗い光に極端に弱いということを身をもって体験する羽目になってしまったからです。いざ自分がその身になってみると、想像以上に不便で、今やかなり深刻な問題になっています。
新聞の夕刊などは、当然電灯の明かりで読むことになりますが、このところ急に文字がぼけて見えるようになり、それでも努力して読み続けていると極端に目が疲れてきます。集中力もなくなって、読んでいる内容が分からなくなってくることもあります。以前ならさっと流し読みするだけで、内容がインプットされたのに、思考回路が寸断されてしまったような感じで、このイライラ感は若い方には想像できないことだろうと思います。
倉本聡さんが、左腕を骨折したときに、文章が書けなくなったと言っていたことがあります。利き腕が右ですから、左腕の骨折なら支障がなさそうですが、スムースに文章が出てこなくなるというのです。そのときは、人間の身体状況が精神をも左右するというその因果関係に感心はしたものの、他人ごとのように思っていました。でも今は倉本さんのそのときの気持ちがとてもよく理解できます。
実は4〜5年前に老眼鏡をつくっており、今も職場に置いてあるのですがほとんど使っていません。書類を読むときはそれなりに便利なのですが、ちょっと離れるとぼやけて見えるので、例えば書類を見ながらパソコンを打つようなときには、距離に合わせて頻繁に目の位置を前後させなければなりません。その上、目の前に異物がぶら下がっているというのは想像以上にうっとうしいものです。
こんなに技術革新が目覚ましいのですから、どんな距離にでもたちどころにピントが合うという、自動焦点眼鏡が開発されてもよさそうだと思うのですが、大きさや軽さを眼鏡なみに維持するのが難しいのでしゅか。そう考えると、人間の目というのは、コンピューター付きの、ものすごい光学機器なんだと再認識させられます。
数冊の本を同時に読み進めるのが私の読書法ですが、そのための光学機器にガタがきてからは、いっこうに読書がはかどらず、読み差しの本が増える一方です。先日同級会に参加したときに、これからは「晴耕雨読の生活をしたい」という級友がいましたが、私もそういう生活に憧れていましたから、これからどうしたものかと途方に暮れています。