桂離宮の解体修理
(01/09/30)

前回書いた白鷺城の解体大修理のテレビは、たまたま「京の職人衆が語る桂離宮」(草思社)という本を読んでいたところだっただけにとても興味があったのです。

修復の話に興味を抱くようになったのは、西岡棟梁らによる薬師寺の金堂、西塔、回廊などの復興にまつわる話を知ってからでした。同時代の職人の手により創建時の白鳳伽藍が今に甦るという一連の話にはとてもロマンがあり、すっかり惹きつけられてしまったのです。

桂離宮の大修理は1976年から1991年までだったそうですが、その直後にテレビ放映があり、唐紙の図柄まで復元したことを知って感激しました。ですから、それに係わった職人さんたちについての本が出たら絶対に読もうと決めていたのです。


桂離宮は日光東照宮とほぼ同じ1615年ごろに建てはじめられたそうです。最初は古書院で、1641年ごろに中書院、1662年ごろに新御殿の建設が始まったとされています。今回行われた昭和の解体大修理は300数十年経つこの建物を、今後さらに200年以上もつ建築物として甦らせようというものでした。しかも「当初の姿に戻す」というのが基本姿勢だったそうで、職人さんたちは元の部材を一本も捨てることなく、当初と同じ素材を使い、同じ手法で修理にあたったと言うことです。これまでも何度か修復されていますから、その部分も含め可能な限り当初の状態に戻すという、実に気の遠くなるような作業だったのです。

その同じ素材、同じ手法ということが、どんなに難しいことかということがこの本を読んで実によく分かりました。著者の笠井一子さんは、にもかかわらずそれにこだわったのは「その手法のなかに含まれている日本人のものの考え方を、ともに引き継いでいこうとする気持ちのあらわれではなかったか」と書いています。


同時に笠井さんは「この昭和の大修理がおそらく最後の職人の血の通った解体修理になるのでは」とも言っています。学者が学術資料を駆使し、職人の技術を使って実証するだけなら簡単だが、当時の職人の魂を読みとり、その情念を捉え、そうした想像力を働かせての血の通った修復は今後やりたくてもできないだろうと言うのです。

修復の世界は、新しいものを創るのとは全く違う世界であるということをこの本を読んで改めて感じました。そして、そうした修復の仕事がなくなれば、伝統技法はいずれ滅びる運命にあるということも知りました。これまで営々と引く継がれてきた職人の技法は、経済優先、効率優先の今の時代にあってまさに「トキ」状態なのです。


例えば本の中に左官師小川久吉さんの話が出てきます。桂離宮の壁は「錆壁の中塗り地舞い」といって、その時代特有の仕上げ方だそうで、小川さん以外にそれをできる人がおらず、中塗りと仕上げのほとんどを小川さんが1人で仕上げたそうです。棟梁の安井清さんも「あんな壁を塗れる人はもうおそらく後世には出てこんやろう」と話しています。

壁の材料の石灰も市販の石灰、牡蠣灰、天然醸造と呼ばれいる灰の3つの試作壁をつくり、3年経過した結果で、「天然醸造灰」を使うことに決めます。それを作る穴窯が高知に残っていたのです。ところがそれを作る手間も費用もばかになりません。このことについて小川さんは「ものすごい犠牲ですやん。それでも我慢してその石灰を用意しましたがな。これは私の転職や、そう腹をくくって、もうこうなったら、行くところまで行くしかしょうがないと思うたわけですわ」と話しています。

このように修復で使う材料は、発注すればすぐに手に入るというものではありません。全国を回り、やっと探し当てるというようなものばかりなのです。しかも今では需要がなく、細々と作り続けられているものを見つけ出してくるのです。この本では、他にも大工さんを筆頭に、屋根を葺く葺師、畳師、唐紙師、表具師、金属細工の錺師(かざりし)などが登場しますが、誰もが仕事を請け負う前から身銭を切ってそれらの材料を用意します。正式に決まってからでは間に合わないからです。


こうした名人と言われる職人さんの話を読んだり聞いたりすると、どうも金の損得とは関係なく、一蓮托生で、小川さんと同様「行くところまで行くしかしょうがない」と決め込んでいるようなところがあります。しかも、完成品に銘を刻むわけではなく、やり遂げた満足感だけを心に刻んで、市井の中でそっと生きている姿に感動を覚えてしまいます。

ところが笠井さんは、文化財の保存修復も、入札制度の導入で大手ゼネコンが仕事を受けるようになり、長年出入りしていた職人が守り、育て、蓄積した技法や経験、感覚が、企業の論理である合理化や効率化に押し切られようとしている・・・・と言います。


入札制度も大事ですが、高速道路などのインフラ整備と文化財の保存修復とは全く別次元のことのような気がします。身銭を切ってまで後世に残る良い仕事をしたいという職人さんたちに、納得できるまで仕事をしてもらうことは、決して世の中の仕組みとして贅沢な話ではないと思うのです。私たちはそろそろ効率一点張りではなく、豊かさを“質”の問題として捉え直す時期に来ているのではないでしょうか。



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