還暦の会
(01/02/13)

2月10日から11日にかけて、田舎で小学校時代の同窓生の還暦祝賀会が行われました。

出身地石川町には温泉街(母畑温泉)があり、そこのYホテルが会場でした。能登の加賀屋と同じ建築家による設計だそうで、そう言われてみると建物中央の吹き抜けのつくりなどはとても似ており、なかなか素敵なホテルです。

10日は午前中に神社で厄除けのお祓いがあり、いったん解散し午後2時半から受付でしたが、私はそこから参加しました。それから記念撮影、宴会、終了後はそのままホテル内の別会場に移動しての2次会、その後も大浴場前の広間や地下のラーメン店などでさまざまな組み合わせの輪ができていました。翌日も昼食時まで、延々とマラソントークが繰り広げられました。もちろん地元の人たちも泊まり込んでの参加です。

用意された冊子の名簿によると卒業生は247人で、うち住所が分からない方が20人、亡くなった方が14人、参加した方は92人でした。ちなみに女性は39人、男性は53人でしたが、初めはなかなか思い出せない方が多く、卒業アルバムと照合してやっと顔と名前が一致するというような状況でした。


42歳の厄年の時にも、同じような会があったので今回が2回目です。あれから約20年ですからみんなに会ってみたいという気持ちはあったものの、その時の印象から、今度も「懐かしさ」以上のものはあまり期待をしていませんでした。

ところが、今回は様子が随分違っていました。みんながとても寛容なのです。「どうしてだろう?」と帰りの新幹線の中でずっとそのことを考えてきました。

もしかしたらそれは、それぞれが60年という長い人生を生きてきて、良くも悪くも、自分が歩んできた過去を素直に容認できる年代になったせいなのかも知れません。


例えば亡くなったA子ちゃんのことが話題になった時のことです。地元では新聞記事にもなったというその死を、誰かが「A子ちゃんは波瀾万丈の人生だったなあ」としみじみと述懐していました。まるで平凡過ぎた自分の人生と比較でもしているかのように・・・・そして、その場の誰もがその死を咎めることはせず、彼女の人生を追体験するかのように静かに考え込んでしまったのです。

42歳の時には、それぞれが「後ろめたさ」を背負っての参加だったような気がします。あの輝かしかった小学生時代と現実のギャップに対して・・・・そして「結婚」「離婚」「倒産」「子育て」「出世」「学歴」等々、それぞれの個人的な事情に対して・・・・。

自信に満ち、誇らしげだったのはほんの一握りの人だけで、あとは誰もが自分を本音で語ることを恐れていたようにさえ思えました。聞く側も、必要以上に深入りすると相手を傷つけはしまいかというためらいがありました。私自身で言えば、青春時代に貫き通そうとしていた「大事なこだわり」が、現実に流され、だんだん薄れていく時代でした。


それに比べ今回は、みんなが驚くほど素直に自分を吐露していたように思えます。それは、はたから見れば平凡としか見えない60年でも、それぞれにかけがいのない人生があったということを、自分のことと照らし合わせ認めざるを得なかったためではないでしょうか。だからみんなが昔のようにうち解け、やさしくなれたのかも知れません。

出世や金儲けや学歴はもはや人生をはかる第一の尺度ではなく、もっと大事なモノがあったということ、それは健康であったり、家族や他人に対する思いやりであったりするわけですが、この年になってやっとそれに気づいたのかも知れません。その証拠にこの会は、14人の物故者への黙祷から始まったのです。


還暦は数えの61歳、生まれた年の干支に還ることなのだそうで、本卦還(ほんけがえり)とも言われます。ですから、子どもの頃の素直な心に還るというのは当たっていたわけで、還暦の本当の意味を実感できたような気がします。ただし、当時が無垢な素直さなら、一回りして戻ってきた今は、達観あるい諦観の素直さと言うべきなのかも知れません。

そして私自身のことで言えば、「諦観」ではなく、もう一度新しいスタートラインに立つための「素直さ」でなければと思っています。


ようこそ
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