文化としての本
(01/04/22)

IT革命などと言われている一方で、本もすごい勢いで新刊が出ていますから、この業界も安泰かなと思っていました。ところが、今読んでいる「だれが『本』を殺すのか」(佐野眞一著:プレジデント社)によるとどうもそうではないらしく、いまや文化としての『本』は瀕死の状態にあるということです。

私はベストセラーといわれる本をほとんど読んだことがありません。最近記憶に残っているところでは、「チョコレート革命」と「五体不満足」ぐらいでしょうか。そのかわり、新聞の書評や雑誌などで、「ひそかに売れている」という情報を目にすると、無性に読んでみたくなりすぐに買ってしまいます。


ひそかに売れているというのは、おそらく熱狂的な隠れファンがいるに相違ない。そして、彼らはその本のおもしろさをあまり他人には教えず、そっと自分たちだけの楽しみにしているに違いない。そんな勘ぐりから、ついつい彼ら隠れファンを惹きつける魅力は何だろうと確かめたくなってしまうのです。そして、それらの本は間違いなくおもしろいのです。

本を買う方法はもう一つあって、こちらの方が私にとっては古典的なのですが、書店に並んでいる背表紙のタイトル丹念に見て回り、これはと思うものを直感的に抜き出します。そして、装丁やレイアウト、紙質、書体などをペラペラとめくって確かめ、生理的にいいなと感じたら、そこではじめて前書きと後書きを読みます。その結果波長が合いそうだと思ったら買うのです。ですから、一度書店に入ると最低でも1時間はそこで過ごしますし、たとえ何も買わなくても、そんなふうに長時間本とふれ合っているだけでとても充実した気分になります。


隠れベストセラーに反し、何十万部も売れるベストセラーがなぜおもしろくないかということが、実は上記の佐野さんの本を読んでみてよく分かりました。どうやら売れさえすればいいとする作り手や売り手の姿勢に問題があるようです。

本の業界は、版元、取次、書店が複雑に絡み合って成立しているらしいのですが、まず言えることは街の中小書店がどんどんつぶれていっていることです。何故かというと超大型の系列店が利便性のいい場所に次々と出店攻勢をかけているせいなのです。しかもその大型店同士の規模拡大競争も熾烈になっていると言います。そうなった原因の根っこのところにはどうやら本の「再販制度」と「委託販売方式」があるらしいのです。

今の状況をつくりだした責任は版元、取次、書店それぞれにあるようですが、それにインターネットによる注文販売や出版界のパラサイトとも言われている新古本の安売り大型店などの台頭も加わって、今やのっぴきならない段階にさしかかっていると言います。その結果現状がどうなっているかと言うと、版元はひたすらベストセラーだけを狙って本をつくり続け、しかもそれらはスーパーやコンビニで扱っている消費財のように売られているというのです。


「だれが『本』を殺すのか」を途中まで読んで、改めて近くの書店を眺めてみると、なるほどとうなずけます。まだまだ良心的な本もあることはありますが、陳列棚の比率や販売方法を見ると、そうした本が劣性に立たされていることは一目瞭然です。特に平積み本には佐野さんの言うように版元や取次の思惑が如実に反映されているなと感じてします。

もしこの状況がこのまま続くとしたら、文化としての『本』はいずれ死んでしまうのでしょうか。本との出合いに偶然以上のものを感じている私にとって、書店で背表紙のタイトルを一冊一冊丹念に眺めながら、自分の嗅覚で本を探し出すという楽しみがなくなってしまうのは、ちょと寂しいことです。


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