年賀状づくり奮戦記
(01/01/01)

結婚するまでは年賀状とは全く無縁の生活を送っていました。しかし、所帯を持った以上年賀状ぐらい出さないといけないのかなあと人並みのことを考え、その翌正月から年賀状を出すことにしたのです。出す以上は自分らしいものにと色気を出したことが間違いのもとで、その後、年賀状づくりでは毎年悪戦苦闘の連続でした。

最初の年は寅年でした。そこで、新郎新婦の衣装をつけた虎を木版にして、結婚通知も兼ねて出そうと考えました。それが昭和49年のことです。なにしろ小学校以来の木版ですから、技法なんて全く分からず、刷りについても、版画をやっている友人にアトで聞いて、紙を前もって湿らしておくのがコツだということを知りました。


はじめの何年かは木版でやっていましたが、やっているうちに少し欲が出て、シルクスクリーンに挑戦してみようかということになりました。とはいっても本格的にやるには道具もいるし、だいいち年末ぎりぎりになってからいつも取り組むのですから時間的にも余裕がありません。

どうしようかと迷ったあげく、悩んでいてもしょうがないので取りあえず画材屋に行ってみたところ、太陽光で版を作成できる年賀状用のキットがあることを知りました。感光剤を塗ったフィルムに下絵を重ね、太陽の光に2分程度あてると下絵の墨以外の部分は硬化します。そこで墨の部分を水で洗い流し、シルクに張り付けて版をつくるという極めて簡単な方法なのです。


最初は昭和52年は巳年でした。そこで稲城にある妙見尊の「へびより行事」を梶山俊夫さん風のタッチで描いて印刷しました。ところが、どうしたわけか絵の具がまったく乾きません。暮れぎりぎりまで部屋いっぱいに並べおいたのですが、それでも重ねるとくっついてしまうし、裏写りがして大変な思いをしました。どうやら絵の具に光沢をもたせるために入れたワニスの量が多すぎたようなのです。乾燥用のシカチフを加えるのがコツだということを後で知りました。

この年の年賀状には後日談があって、受け取った人の中に、妙見尊からの年賀状だと勘違いしていた方がかなりいたということです。あの暮れの私の苦労はいったいなんだったのかと悔しい思いをしました。

翌年は意欲満々で4色刷りに挑戦をしました。しかし、あまりにも刷りに手間がかかるため、その後は墨一色に戻し、そのかわり後で手で彩色する方法に切り替えました。彩色もそれなりに手間はかかりますが、それでも途中で版がダメになって作り直すというリスクがないだけに気分的にはずっと楽でした。


これまでで一番困ったことは、さあ始めようかと思った日から暮れ一杯、週末も休みに入ってからも全く太陽が出なかったことです。なにしろ製版は太陽だけが頼りですから、完全にお手上げで、結局正月になってからつくる羽目になり、貴重な休みを年賀状づくりで過ごすという何とも情けない年でした。

そんなことを続けているうちに、ぜひ欲しいと言う方もいたりしてとうとう印刷が200枚を越えてしまいました。そうなると版がもちませんから、途中でいろいろとトラブルが発生したり、彩色作業もすでに限界になっていて何とかしなければ考えるようになりました。


結局、平成9年からはパソコンに切り替えてしまいました。その前年にMACを購入し、イラストレーターで絵を描いていたので、これはこれでおもしろいかなと思ったのです。今でも手作りの年賀状がなつかしいという声も聞きますが、背に腹は替えられないという心境です。

ところでイラストレーターを使ってみて感じたことですが、レイヤー機能が、版画で版を重ねていく作業ととてもよく似ています。これは予期していなかった発見でした。ですから少し暇ができたら年賀状ではなく、もうすこし本格的な作品づくりに挑戦したいなあと思っています。それに、パソコンであらかじめイメージを固めておいて、それを版画にしてみるのもおもしろいなァなどとと考えたりしています。



ここから過去の年賀状が見れますヨ。


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