盆踊り
(01/08/13)

この時期になるといろいろなところで盆踊りが行われています。私の地元でも先々週の金・土にかけて商店街主催の盆踊りが行われました。子どもが小さかった頃は、ゆかたを着せて必ず出かけたものですが、最近はすっかりご無沙汰しています。

東京には盆踊りの習慣がなかったのでしょうか、地元に伝わる踊りというものがないようです。ですから東京音頭や炭坑節などが中心で、あとはその時々のはやりの踊りを取っ替え引っ替え踊るので、初心者はなかなかその輪に入っていけません。その点地方に行くと、同じ振りの繰り返しが多く覚えやすいですから、旅先で何度か飛び入りで踊ったことがあります。


私の田舎も、振りは基本的には一つだけです。子どもの頃は、商店街のメーンストリートから車を締め出し、そこが会場になりました。やぐらは最近のような組み立て式ではなく、そのつど足場丸太を組んでつくっていました。2階建ての家の2倍ぐらいもある、ちょうど大相撲のような細長いやぐらで、その上に5〜6人の大人が乗り、ひんぱんに交代しながら太鼓を叩いたり、うたったりしていました。

うたい手は時々一升瓶から酒をラッパ飲みし、その勢いも借りながらうたっていたように思うのですが、かんじんの唄の歌詞は思い出せません。ただ、子どもだった私には、大人の世界をかいま見るような、どこか卑猥な感じがしたことだけは覚えています。

おそらくきちんと決まったものや順番があるわけではなく、うたい継がれた中から、その時々の気分で、好みの歌詞をうたっていたのだろうと思います。なにしろ2時間以上にわたり延々とうたい続けるのですから、その数は相当あったに違いありません。当然アドリブでうたうこともあったでしょうから、そんな中から好評だった唄だけが残ったのでしょう。


商店街のメーンストリートとは言っても2車線の道路ですから、踊りの輪はいきおい細長くなります。おそらく100メートルはあったでしょうか。それが2重、時には3重になることもありました。唄の歌詞は替わっても、振りは1種類のみで、非常に素朴なものでした。それを延々と繰り返すだけですから、単調と言えば単調ですが、反面その異様とも思える繰り返しのエネルギーはいったい何だったのでしょうか。

盆踊りはおそらく、死者の霊を供養するための念仏踊りのようなものが、地域の行事として定着していったのだろうと思います。ですから今なら、その果てしない繰り返しの行為から、仏教における輪廻のようなものを想像したかも知れません。でも実際の会場には、そんな宗教的な気配はみじんもなく、櫓の上の卑猥な唄とそれに負けず劣らず個性的にアレンジされた踊りとが、混然となって会場全体を支配していて、実にアッケラカンとしたハレの場になっていました。

毎日教室で顔を合わせ、事あるごとにいがみ合っていた女の子たちも、この日ばかりはゆかた姿で楚々としたしぐさで踊っていました。それを見る私たち男の子には、彼女たちが何だか別人のようで、まぶしくさえ感じられたものです。いつもこんなふうだったら、もっとやさしくしてあげられるのになんて複雑な気持ちでした。そんなふうにハレの日特有の気持ちの昂揚が会場全体を支配していました。


9時を過ぎると踊りが跳ね、子どもたちは帰路につかなければなりません。ところが実は、ここからが見ものなのです。それまで場内整理など、踊りを仕切っていた青年たちが一斉に会場になだれ込み踊り出すのです。しかも、それまでとは全く違う、激しくい飛び跳ねるような踊りで、それが会場全体に渦巻き、太鼓もアップテンポになって夏の夜空に響きわたります。

そのさわりの部分しか見させてもらえなかった私たちは、「早く大人になってあれを踊ってみたい」と思いながらいつも家路についたものです。かすかに聞こえてくる太鼓の音は、その気持を煽るかのように眠りにつくまでずっと続いていました。 


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