前回の美術館めぐりの続きです。
世田谷美術館はいつもいい企画展が行われるので一度行ってみたいと思いながらも、家からの交通の便があまり良くないのでずっと果たせずにいました。やっと念願かなって行ったときの話です。最寄り駅から美術館へ行く途中に清掃工場があるのですが、その煙突が見えたとき「ヘェー」と感心してしました。煙突に青い空と雲が描かれていたのです。さすが世田谷、途中の景観にも配慮しているんだと思いながら通り過ぎました。ところが、美術館の正面に回ってみて初めて彩色の本当の意味が分かりました。なんと、美術館の屋根の上から先ほどの煙突がニョキッと伸びているではありませんか。どうしてそんな配置になってしまったんでしょうか。
いずれにしても、担当者も設計者も相当に悩んだだろうと思います。その結果いっそ「青空と雲のアート」にしちまえと決断したのかも知れません。ところが皮肉なことに、私にはその日見た作品よりも、現代彫刻のようなその煙突の方が妙に面白く感じられ強く印象に残っています。
今年話題になった美術館に、東京芸術大学美術館があります。オープン記念の企画展は同校の卒業制作作品展でしたが、テレビでも「巨匠たちの卒業制作」というタイトルで特集していましたのでご覧になった方もいるのではないでしょうか。横山大観から現在に至るまでの、いわゆる「巨匠」たちの青春の絵をこれだけ並べて見られる機会はめったになく、その意味では貴重な展覧会でした。「学生時代はこんな絵を描いていたのか」と興味が尽きませんでした。中でも、私の好きな高山辰雄さんの「砂丘」(砂丘とそこに座っているセーラー服の学生をやや俯瞰ぎみに描いた絵)は、すでに当時から独自の雰囲気があって、「さすが」と唸ってしまいました。
美術館は地上2階で外観は小さく、その代わり地下に広く展示スペースがとられています。ですから、上野の森の周辺景観ともよくマッチしていました。
今までの美術館とはちょっと違いますが、河合寛次郎美術館も印象に残っています。場所は京都、三十三間堂かちょっと北に上った裏通りにあり、自宅兼仕事場をそのまま美術館にしたものです。表からみるとごく普通の民家で表示がなければ、通り過ぎてしまいそうです。外観のわりには敷地は広く、母屋の奥には別棟で立派な仕事場もあります。驚いたことに、さらにその奥に登り窯まであったことです。なにしろ敷地ぎりぎりに隣家が建っているのですから。
「こんな場所で窯を焚けたんですか?」疑問に思って聞いてみたところ、河合さんが生存中は、ずっとこの登り窯を使っていたそうです。その後公害防止条例ができ、さすがにそれ以降は使うわけにいかなくなったということでした。
母屋にも仕事場にも、作品が並んでおり、轆轤などもそのままになっていて河合ファンにはたまらない美術館です。しかも、わかりにくい場所にあるためか訪れる人も少なく、とてもゆったりできます。中庭の適当な場所に腰を下ろして、作品や登り窯を見ていると過去にタイムスリップしそうな感覚に襲われます。
母屋の2階の一室には黒光りした、木の彫刻が並んでいました。実はこれも河合さんの作品だったのですが、初めは陶芸家河合寛次郎と木の彫刻とが結びつかず、誰の作品だったろうと考えてしまいました。以前に雑誌で見た記憶はあったのですが。その彫刻は大きな木の塊から丹念に形を掘りおしたような骨太の作品で、いかにも民芸作家のものらい大らかさを感じました。
一番最近訪れたのは、お隣の府中市に新しくできた市立美術館です。京王線の東府中駅から5〜6分北に歩くと芸術の森公園があり、美術館はその一番奥にあります。洋画家の牛島憲之さんから作品の寄贈があったとかで、美術館の約半分は牛島さんの常設展示場になっていました。もう半分には市がこれまでに集めた様々なコレクションが展示されていましたが、こうした美術館や音楽ホールを一自治体がレベルを維持しながら運営するというのは至難の技で大概は失敗しています。ですから、いつまでも刺激的な芸術の発信基地である続けることを期待しています。