アマリアの死
(2000/7/22)

昨年10月にアマリア・ロドリゲスが亡くなりました。死亡記事を見過ごしていて、音楽評論家の濱田滋郎さんが書いた「奥深いドラマを歌った」という追 悼記事でそのことを知りました。

その追悼文は次のような文章で始まっています。

「リスボンに伝わる歌謡ファドの伴奏には、ポルトガルのギターが使われる。伴奏のギターとは違って正面から見たとき円形に近く、ポルトガル人は“心臓のかたち”だという。私たちの耳には虫の声を連想させるような音色にのせて、しんみりとこぶしをきかせながらファド歌手は歌う。」

「ファド(fado)」という言葉の響きには以前から特別の感じを抱いていましたが、ラテン語からきたファドには「宿命」という意味があるのだそうです。音楽ジャンルとしての「ファド」の語源はそれとは別だそうですが、にもかかわらずポルトガル人は、ファドを「宿命の歌」と考えているようです。

そんな語源を彷彿させる叙情味たっぷりのファド、その第一人者がアマリアでした。

シャンソンのエディット・ピアフやジャズのビりー・ホリディなどと並んで「魂の歌手」として世界中のファンを魅了してきた彼女もとうとう逝ってしま いました。

濱田さんは追悼記事の最後で「どのように“地方的な”音楽ジャンルでも、そこに秘められた人間の真実が感動的に表現されたとき、地球上すべての人の心を打つ」と結んでいます。


最近レコード店を覗いてみても、そうした「“地方的な”音楽ジャンル」のCDを見つけることは至難の業になってしまいました。それぐらい音楽文化、特にレコードやCDは完全に若者に乗っ取られてしまいました。

でもよくよく考えてみると、その責任の大部分は、忙しさを理由にして全く音楽を聴かなくなってしまった我々大人の側の怠慢にあるような気がします。

音楽に限らず、文化や芸術の多くが商業ベースに支配されつつあるという現実を、私たちは危機感をもってもっと深刻に考える必要があるのではないでしょうか。

少なくとも、アマリア・ロドリゲスのような“心を打つ”歌手の音楽がこの世から消えてしまうことがないよう、文化に対する主体性や洞察力、感性だけは失いたくないものだと思うのでが・・・・。


その日は仕事の帰りにさっそく「Secret Amalia」と「THE ART OF Amala 」というCDを買ってきて、彼女を偲びました。



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