往古より、弥山への山岳信仰。平安初期の『日本後紀』には、「伊都岐島神」と記され、まずは神様!平安後期になると「伊都岐嶋弥山水精寺」と仏教化され、神仏習合の弥山が誕生。水精寺の所在地は、現在不明?
 鎌倉時代になると、弥山山頂に群がる巨石群が修験者達の格好の行場となり、寺やお堂が次々に造営された。


 江戸元禄時代の『嚴島道芝記』に[三鬼~三社]と記され、その三鬼~とは、中央の主神が、追帳鬼~(ついちやうきしん)、その左方に時眉鬼~(しひきじん)、右方には魔羅鬼~(むらきしん)と記され、やたらとムツカシイ三鬼~様達。それが、何んで、天狗様?どうやら、お堂が建ってた場所が、その謎を解くキーワード!


 【磐石の上より、瑞籬二十丈。向に石の鳥居たてり。松杉栢檜。生茂りて身の毛よだち前ハ數十丈巖壁目もくれ。魂もきゆる計に。木の下闇の夢ともなくさたかに覺え侍らす】
うっそうとした原生林が生い茂り、昼なお暗い。不気味に鎮まりたつお堂に身の毛がよだつ。眼前に立ちハダかる巨大な岩壁。恐ろしさで、【魂もきゆる】ばかり…。樹林下の闇、夢なんかじゃなくてハッキリと覚えている…と、著者の小島常也氏は心憎いばかりの表現力で、その時の恐怖感を述べている。


 今も、弥山に伝承されてる【天狗様の拍子木】は、どうやら、山の神様天狗様の「天狗倒し」の気配?どうも、こちらの方が、江戸期の訳のわからんムツカシキ鬼神様達より、古参!山中の樹林が密集した地帯で起きる怪音現象は、山の神様天狗様の「天狗倒し」と申すのであり、その怪音を「鬼倒し」なんチャ、小天狗聞いたことがゴザらん。


 現在の三鬼大権現のお堂は、立派に建てかえられてる。けれど、小天狗の乙女時代に再調査に行った時、確かに三鬼神様達のお名前が刻まれた勅額はあった。そして、天狗様のお面や奉納額が、ヒシめき会ってズラ、ズラ〜リ。小天狗、感動・感激・感嘆!したのを覚えている。けど、いつだったか?サダカじゃない。しかし、【魂もきゆる】思いをした、第二弾・子連れ道中記は、今でもハッキリ覚えている。


 長男の『小学校卒業旅行』とシャレ込んで、岐阜の実家から九州までの帰宅道中、弥山に立寄った。又しても、行きはロープウェイ。下りダケだけだから、子連れでも楽勝ぉ〜!けれども、大問題は足元?小天狗の誕生日に、旦那様が奮発した超・値段のお高い靴。少しのキズもつけられヌ。歳月たちすぎて、英彦山から愛用のビーチサンダル、忘れてしまってた…。


 ロープウェイの片道切符を購入しつつ、お店のおばさんに、大問題のご相談。すると、ちょっと待っててネと、愛想良くお店の奥へ。そして、赤いハナオの草履を手にされ、コレ貸してあげるから行っておいで!お礼述べ、長男のジュースと、雲一つなき晴天に誘われ、ついついビールを買ってしもた。まさか、これが、三鬼大権現天狗様の恐るべき祟りを招くことになるとも、ツユ知らず…。つづく(新年幕開け)

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