【古典文学に登場する天狗】2
 
『今昔物語集』になると、天狗の説話が巻二十に集中して収録されている。それらの説話は、一貫して天狗は仏法の威力によって調伏されたり、仏法を阻害する異端者として外道扱いされている。

しかし「伊吹山三修禅師、得天宮天狗)迎語第十二」には、[山の神天狗]の恐るべき天狗の霊力を物語っている。


西方の山峰にある松の木に光明が輝き、妙音なる音楽の調べが聞こえ、それを浄土の導きと勘違いした三修禅師が数日後奇怪な死に至るという説話である。


松の木に現れた光が前述の「天狗火」にあたり、妙音は「天狗調子」に相当する。天狗は山の神同様、山を穢すものに対しては、死に至らしめる恐るべき懲罰を下す恐ろしい存在であったことが示唆されている。


また、この説話の末尾の部分には[智恵なき宗教者は、天狗に謀られる]と、天狗の謎を解く重要なキーワードがある。


 『今昔物語集』では、平安時代に流行した怨霊思想の下で、天狗は山の神の畏怖性と飛行自在の霊力から、人に取り憑き危害を与える魑魅魍魎と同じ様なものと解釈され、仏法を妨げる存在とされている。


しかし、十一ある説話の内、七話は天狗が取り憑いたり、天狗に謀られるのは、単なる人ではなく〔聖・僧・法師・尼・阿闍梨〕などの宗教者なのである。


さらに「祭天狗僧」(第四)と「祭天狗法師」(第九)と記されており、天狗を祀る山岳宗教者の存在があり、祀られる信仰の対象であった。


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