【古典文学に登場する天狗】1
 
天狗の名称は、『日本書紀』舒明天皇九年(六三七)の条が文献上の初見である。大きな星が東より西に流れる。音を伴う雷か?流星の音か?その時、留学僧であった旻(みん)が、流星でなく、天狗(アマツキツネ)だと言う発言に登場する。

これは中国的な思想の「天狗」を定義付けしたにすぎない。光や怪音を伴っている事からすれば、実態ない山の神と相通じる一面もある。


 これ以降、『日本霊異記』にも天狗の名はなく、平安時代になると、庶民の抱く天狗の原点である山の神として、初めて文学に登場する。


 『宇津保物語』俊蔭の巻には、
 かく遥かなる山に 誰か物の音調べて遊びいたらむ 天狗のわざにこそあらめ なおはせそ


 藤原兼雅が、兄の右大臣忠雅に、北山の大杉の空洞から、琴の調べが聞こえたと語ると、兄は弟を案じ、遥か遠くの山で誰が琴をつま弾いて遊ぶものか、それは「天狗の仕業」であろうから、もう二度と行くなと忠告する



 続いて、『源氏物語』の夢の浮橋の巻には、
 ことの心おしはかり思う給うるに 天狗こだまなどやうのものゝ あざむき率て奉りたりけるにやとなむ承りし

 薫の君が叡山に参詣した帰路の途中、横川の僧都を訪れた際、浮船の入水にまつわる奇妙な諸事を、天狗のせいにして語った一説である。横川は、天狗が住むと言う比良山に隣接し、天狗の話は頻繁に語られていたであろう。


このように『宇津保物語』や『源氏物語』では、天狗は姿のない山の神と同様に扱われている。
 
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