ハテ・さて、日子山の開祖は、北魏からの渡来僧、善正で、狩人の藤原恒雄が弟子となり、二世の忍辱。そして、三世は法蓮。

 先生の講座では、彦山中興の祖・法蓮については、玉屋窟(般若窟)で修行中、霊水を意のママに操作できる{如意宝珠}を、龍神様からマサに直伝シーンの絵図(英彦山霊泉寺蔵)のコピー。そのお話がチラッとあり。そこで、小天狗、山のような先生の資料をヒッパリ出し、お調べモウした。


@ 法蓮と宇佐八幡神様との出会い。『彦山流記』
法蓮は、日子山【般若窟】で、12年間修行中。マカダ国(インド)から、権現様が携えて来た{如意宝珠}を岩窟で授かった。そん時、岩壁のサケメから、清らかな水がシタタリ落つ。その霊水の霊験は、万病をタチマチ治し・若返る。以後、【玉屋窟】と称した。


後に、宇佐八幡神様から,霊験高き{如意宝珠}を、ちょうだい!ちょうだい!ちょうだいよぉ〜!とセガまれて、お譲りモウした。で、そのお礼に、宇佐弥勒寺の別当として迎えられ、八幡神領の80庄を頂き、百歳を越えても、宇佐と日子山を、常時・巡歴したという。


A 法蓮の霊験(医術)、世に知れ渡る!『続日本紀』
大勢の命を救った法蓮の霊験(医術)が、世に知れ渡り、大宝元年(701)に、朝廷からジキジキに絶賛され、上洛。豊前国の野40町に、養老五年(721)には、宇佐の姓を賜った。


B 彦山中興祖・法蓮 『鎮西彦山縁起』
弘仁十年(819)に、嵯峨天皇の勅令で、再び上洛。日子→[]・霊山→[霊仙寺]と改め、四方七里結界を寺領とし→十方旦那・比叡山に準じて、3000衆徒を置き、勅願寺として七十洲を鎮め、国家安泰・海宇の豊かな国土を祈るよう拝命された。


法蓮は、十二所権現や弥勒菩薩が常住される・兜率天の内院を模倣した四十九窟の造営に尽力し、彦山を一大霊地となした。スゲぇ―!!!


先日の講座で、何だかムナしゅ〜うなった。世を動かす、政治・トカ・経済???そんなモン、どうでも良い!彦山座主の相続は、推挙によって決定していたらしい。だが、南北朝動乱の頃、世襲制になったとか?それって、オカシイ?と思った。


南北朝時代、後醍醐天皇が、吉野に落ち延びた大峰山は、戦乱に巻き込まれ・危険!危険!歴代・キケン区域。命落としてまで、ダガ・修行に行く?テナ・軟弱な修験者で、地方修験が繁栄し、彦山、修験軍団の成立。それを自由に操れれば!と見越し、取り入った戦国大名達…。

最盛期を迎えると、世俗で悪を犯した山伏が、彦山の聖域に入ってしまえば、治外法権的な不入権でOK!だったんデスって。もう、最悪…。利権の世界・何でもアリですわ。あぁ〜、ヤダ・ヤダ!


そして、大友氏との戦いにて、戦火に会う。そん時、二人の山伏が、[神宝旧記]を救おうと、大友の七代まで祟ってやる!と言い残し、猛火の中に飛び入ったソナ…。


で、先生。ですから、大分県ガワから登って来る登山者は、その祟りで、オォ〜イタ!って、大ケガをすると伝えられてました…。会員の皆様・大爆笑!


故・五来先生が、口癖のヨウに言うてハッたなぁ〜。素朴な心優しい信仰に、お金や政治がカラんだら終わりですよ!って。


日本における山岳宗教とは、生きてくのに疲れた心を、四季美しき大自然が救ってくれる…偉大な智慧なり!

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