小天狗の初・宗教体験は、金魚だった。死んだ原因は忘れたが、幼い弟と一緒にメソ・メソ泣きながら、小さなお墓を建てた。カマボコの板キレに、「きんぎょのおはか」と、ヘタくそな文字で書いた記憶がオボろげ…。弟は、幼い頃から、ホンに優しかった。

生まれつきデベソの小天狗は、お出掛けは一番の楽しみで、ドコへでも、誰にでも、ついて行った。(いわゆる、金魚のフン!)。


ある時、弟は、ボクは絶対行かない!家にいる…とグズリまくった。お池の金魚に、誰がエサやるのぉ〜?ぼくが、ヤラなきゃ、死んじゃうよォ…。


根っから優しい弟は、未だに独身?それが、母の悩みのタネ…。幼い時から、男まさりオテンバで、まったく色気ナシ!の小天狗は、嫁にイケヌかも?と思ってたらしい。だが、まさか弟がウレ残るとは…と、いまだに嘆いている。弟には、弟の人生がある。元気にしてるから、それで・イイじゃん!で、先生の講座の始まり・始まり〜。



『彦山流記』(建保元年1213年)によると、権現(仏菩薩様が日本において神様に化身なされた称号)は、衆生利益のため、はるばるインドから中国の天台山を経て、英彦山・石鎚山・諭鶴羽山(淡路)・切部山(紀伊)・神倉山(熊野新宮)などに勧請(神仏様の分霊を移し祀ること)なされた。


ただし、英彦山の開山は、藤原恒雄から始まるのだソウです。そのクダン、又しても、小天狗流にて、ご披露いたしましョ!


今回、資料の写しゴカンベン下され。詳細に勤勉に学習されたいお方は、英彦山研究の根本資料・『彦山流記』と『鎮西彦山縁起』を調べてくんなまし…。
『修験道史資料集〔U〕西日本編』 名著出版
『英彦山編年史料古代中世編』 文献出版
『英彦山流記附・彦山縁起』 添田町


又、その原文をジカに調べたいという研究熱心なお方は、長野覺先生の『韓国・檀君神話と英彦山開山伝承の謎』を、海鳥社より購入されたし!


『鎮西彦山縁起』(元亀三年1572年)によると、北魏の普泰元年(531年)に、日本に渡来してきた善正法師が、藤葛(ふじかずら)を身にまとい、日子山(英彦山)の巖窟に籠もって、野生の果実や草木をカテに修行中。山入りして来る狩人達に、生き物を殺すという殺生の罪を解いていた。


ある時、山麓(豊後国日田郡藤山村)に住む、藤原(藤山)恒雄が、山中で白鹿をミゴトに射止めた。そん時、三羽の鷹が何処からともなく、天空から舞い降りて来た。一羽の鷹が白鹿の身にササッた矢を取りのぞき、もう一羽が傷口から流れ出ている血をぬぐい取り、最後の一羽が桧(ヒノキ)の葉にふくませた聖水を白鹿に飲ませた。すると、殺したハズの白鹿が、元気・ハツラツ☆〜生き返った!!!


白鹿の命を救った三羽の鷹の優しく美しき霊験に、狩人の恒雄は、殺生するコトの罪深さを悟る。そして、自ら善正の弟子となり、後に忍辱(にんにく)と改名。異なる【日子山】神様の聖地にもかかわらず、神仏様を仲良く合体して崇め奉り、神仏習合の霊山寺を建立。祖師の善正を開祖となし、自ら二世となった。仏教伝来における、日本初の仏教僧、誕生なり!


一度、死んでしまったら、二度と生き返らない【蘇生・不可能】 それが、地球上で生き年・生ける全ての生き物に与えられた、大自然の厳しいオキテ!けれど、人間界における死への悲しみは、心優しい祈りとなってコソ、現世に残された縁者に生きる勇気を授けてくれるのだ。


だから、我が森田家には、息子達に唯一・厳しいオキテがある。【親より先に、死にタモウ・ことナカれ!】 自然界のセツナに逆らわず、順序・良く死んでくれェ〜。


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