■ Sometime Somewhere 〜いつかどこかで〜

My Dream

私の夢
・・・それは・・・
小田和正・福山雅治
この二人のアーティストが
いつか
同じ日に、同じ場所で、同じ時間を共有すること。

夢はいつか叶うもの
形こそ違っても
夢はいつか必ず叶うもの
そう信じて

いつかきっと
いつかどこかで

音 楽

気がつけば、いつも私の周りにあったもの。
それが音楽だった。

幼い頃、もの心ついた時からあった。
あたえられたオモチャは童謡のレコードとレコードプレーヤー。
そして1台の黒いアップライトピアノだった。
父はマンドリン・ギター・そして昔でいう”ダンスホール”で
ハワイアンギター(スチールギター)を弾いてバンド活動をしていた。
母は声楽をやっていて、なんでもソロで舞台で歌った事があるとか?
そんな両親の血をひいてか根っからの音楽人間なのかもしれない。

小学校では合奏クラブでアコーディオンに憧れてたが、試験の時に
ピアノでのスケールに失敗した為、
不本意ながらソプラノハーモニカを担当。
そして高校では吹奏楽クラブに入部。
担当はアルトサックス。
こんなにも音楽に没頭、夢中になれた時期はない。
まさに青春時代。
今でも、この仲間との出会いは続いている。

そして、この時期にこれから私の音楽人生に大きな影響を与えた人。
オフコース・小田和正に出会う。

小田和正(オフコース)

衝撃的な出会いだった。
オフコースについて何の予備知識もないまま、
友達に誘われてコンサートに行った。
言葉では言い表せない感動。

今でもはっきり憶えているのは”地球はせまくなりました”の
サビのところのハーモニー。
♪信じあうこともぉ〜愛し合うこともわすれたぁ〜♪
この重厚かつ繊細なハーモニーに心奪われ放心状態で帰宅した。

それからオフコースと共に10代後半を駆け抜けてきた。
が・・・しかし、解散。
しばらく時間と距離をおいたが、やはり私の中では
このオフコースがずっと、くすぶり続けていた。

それから小田和正がソロ活動開始。
そして、この小田さんが私の人生における最も大切な出会いの
きっかけを与えてくれた。
そう、福山雅治との出会いである。

福山雅治

これは運命的な出会いとしか言いようがない。

ある日、テレビから小田さんの曲が聴こえた。
ふと見てみるとそこには犬を追いかけて階段を軽やかに走ってくる青年がいた。

それが福山雅治との出会いである。

1992年。
この車のCMで、もし、小田さんの曲がBGMで使われていなかったら
私は福山雅治の存在を知らなかったのかもしれない。
知ったとしても、きっと、もっと後になってからであろう。

”風と君を待つだけ”
この曲が私と福山雅治を、めぐりあわせてくれた曲である。
それから、ドラマで活躍する姿を追い、
ラジオで触れ合い、
曲で心を癒され、
時には元気づけられライブでパワーをもらっている。

福山雅治とともに駆け抜けてきた日々。
これからも変わる事なく、彼と共に歩んでいきたい。
私が、この福山雅治からもらった最高の宝物。
それは”友達”。
かけがえのない大切な出会いをもらった。

いつかどこかで

私の人生の中で一番、大切なもの。
それが出会い。
この様々な出会いがあって今の私がある。
そしてこれからも、この出会いを大切にしていきたい。
これがこのHPのコンセプトでもあるのです。
私の大切な宝物。

いろいろな出会いがあれば別れもある。
その中で大切な出会いを自分自らの手で壊してしまった事もある。
大切な人を傷つけてしまった。
無くしてしまったものはもう戻ってこない。
もう立ち直れないと思った。
でも、そんな時、いつもそばに居てくれる人達がいた。
それは両親であり主人であり兄弟であり
そして友であった。

この出会いを大切にこれからの人生を生きてゆこう。
あの心の傷みを忘れずに。
決して裏切る事なく。
これからも新しい出会いが、きっと待っている。

まだ見ぬ、あなたに会えますね。
いつかどこかで。


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