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.動物の防御感情−驚き・怒り・恐怖
.【驚き】とその派生感情はどのように分岐したか?
.興味から分岐した
 
 ━━━━━━━┳━━━━━
        ┃  ┏━━当惑(戸惑い)
        ┗━━┻━━驚き(心の驚き)
        ┏━━━━━驚き(体の驚き)
 ━━━━━━━┻━━━━━
 
興味⇒驚き
 興味を持つ対象の中には、危険なものがある。これが体の驚きへと分岐する。また、未知の対象の場合には心の驚きへと分岐する。
 
驚き⇒当惑
 状況による分岐。驚きの状況においてただちに行動が要求されるとき、当惑が生じる。
 
.【驚き】とはどんなものか?[感情03-01]
.思考停止の【驚き】・運動停止の【驚き】
 3番目の基本感情が驚きである。
 一口に驚きというものの、実は驚きには2種類ある。運動プログラムの驚きと、思考プログラムの驚きである。そして、運動プログラムの驚きは恐怖から、思考プログラムの驚きは興味から分岐している。
 驚くと、眉が上がり、額にしわを寄せ、目を見開き、口をすぼめる。この表情は興味と同じく、注意のアピール信号「ここに何かあるぞ」であり、時間的猶予を求める信号「ちょっと待って」である。 
 驚きの後には、短い行動の停止か、あるいは、びっくりして跳びあがるかの二種類の行動がある。それは驚きの対象の緊急性により決まる。体に直接接触するような場合は跳びあがり、テレビの驚きでは注視することになる。
 驚きには二種類あるのだ。思考プログラムの停止による驚き、運動プログラムの停止による驚きである。
 思考プログラムの驚きは、テレビで有名人が亡くなったとか、ニュースの大事件を聞いたりなどである。動きを止めて対象を注視することになる。
 運動プログラムの驚きは、びっくり箱を開け物が飛び出したり、廊下を歩いていて人が飛び出してきたときなど。反射的に避けたり、身を堅くして守る。そして安全になってから動きを止めて対象を注視する。
 わたしたちは、つねに自分の回りの環境を予測しながら行動している。これは、意識的なものや無意識のものも含む。その予測が誤りであると驚きが生まれることになる。
 予測に無関係だと驚かない。仮説の立てることのできないまったく未知の出来事では、どんなにすごいことでも驚きを感じることはないのである。たとえば、天文学に興味のない人間にホーキングの宇宙論を話しても驚かないだろう。道を歩いている一般の人に、「ホーキングによると、ブラックホールは自然消滅するそうだ」といっても、ほとんど驚かないと思われる。変な人と思われるだけだ。
 物事を緊急に特定しようとすることが驚きといえる。自己に無関係なことは緊急ではないから驚かないのだ。
 こうして驚きによって、身を堅くしたり、跳び逃げることにより、身体的損傷を減らすことができる。目を見張るのはよく観察するためである。それにより、原因を推測し、古い知識を訂正できるのだ。
 
.記憶力を高めるには?[感情03-02]
.【驚き】が記憶力を高める
 学問において大切なのが驚きである。哲学はしばしば驚きで始まるといわれる。不思議に対する驚きが、知識を広める源泉なのである。
 学問をするにはたくさんのことを覚えなくはならない。ここでも驚きが大切だ。私たちは驚いたことは強く覚えているのだ。何かを覚えるには驚くことが大切なのである。
 しかし、勉強のとき教科書をただ読んでも驚くことはできない。
 驚きには、予測が必要である。本を読んで驚きがあるのは、既に自分の考えを持っていたのに、それが訂正されたときだ。このことは、本を読むには問題意識を持って自分の考えを持っていることが大切であることを意味する。
 また、いろいろな暗記ものの勉強でも驚きを使うことができる。覚える事柄を問題形式にすることだ。問題形式にして考えると、間違えたときに驚きが生じることになる。すると、間違えた問題に対する回答が強く記憶されることになる。もちろん正解だった場合には驚きはないが、正解は既に覚えているということであるから、問題ない。
 
.【当惑】とは何か?[感情03-03]
.行動が要求される驚きが【当惑】
 驚きから状況による分岐をした感情が当惑である。
 当惑は、戸惑いともいう。おろおろして狼狽するなかで、行動を停止させ、次に取るべき自己の行動の検索を行っているのだ。パターン的な解決策が用意されていないとき、思考することによって解決策を生み出そうとするのである。
 当惑とは、行動が要求される状況での驚きである。ただ驚くだけでなく何か行動しなくてはいけないとき、当惑となるのである。
 
.【怒り】とその派生感情はどのように分岐したか?
.興味からし適応として多数に分岐した
 
    ┌────────────不平不満(苛立ち、いらいらしている)
━━━━┷━━┳━┯━┯━┳━┳━怒り(執着、頑固、意地っ張り)
       ┃ │ │ ┃ ┗━軽蔑
       ┃ │ │ ┗━━━恥(羞恥心、格好悪い、プライド)
       ┃ │ └─────憤り(義憤、正義感)
       ┃ └───────恨み
       ┗━━━━┯━━━━悔しさ(残念、無念)
            └────焦燥感(あせり)
 
興味⇒怒り
 興味の対象には、こちらの行動を妨害するものもある。このときに怒りの感情が分岐する。
 
怒り⇒不平不満
 予測による分岐。怒りが定着することにより不平不満が生まれる。
 
怒り⇒軽蔑
 状況による分岐。怒りの対象が貧弱であり、怒りの行動でなく無視で対応するとき軽蔑が生まれる。
 
怒り⇒恥
 状況による分岐。怒りがありながら、周囲の状況により退避するように強いられ、それを自分が受け入れたとき恥が生まれる。
 
怒り⇒憤り
 共感による分岐。他人の立場に立ったときに感じられる怒りが憤りが生まれる。
 
怒り⇒恨み
 予測による分岐。ある人物について考えると怒りが感じられるときそれを恨みと呼ぶ。
 
怒り⇒悔しさ
 状況による分岐。怒りがありながら、周囲の状況により退避するように強いられるも、それを自分が受け入れず、次には必ず借りを返すと決心したとき悔しさが生まれる。
 
悔しさ⇒焦燥感
 予測による分岐。悔しさを生む状況が予想されるとき焦燥感が生まれる。
 
 
.【怒り】とは何か?[感情03-04]
.【怒り】は侵入者からの防衛の感情
 4番目の基本感情が怒りである。怒りは興味から状況による分岐をした感情だ。侵入してくる敵から自己の領域を守る防衛の感情が怒りである。
 怒りには特有の表情がある。額の皮膚が引っ張ってしわを寄せ、眉が内側に下がり、あごをくいしばり、唇を上下より押し付ける。「近寄るな」を意味する、相手への威嚇、追放の信号である。
 怒りの行動は、相手への威嚇と攻撃である。まるで宣戦布告のようににらみつけたり、実際に殴りかかり喧嘩したりする。その後の闘争に備えて肉体は緊張し、精神も興奮する。
 怒りはいろいろな場面で発生する。他人に侮辱されたとき、ばかにされたとき、詐欺にあったとき、何かをしているときにじゃまされたとき、大事で難しい計算をしているときに話かけられたときなどある。
 怒りはふつう同じ人間に対して向けられる。ところが、歩いていて石ころにつまずいたときとか、家具の角で体を打ったときでも怒ることがある。これは、擬人化しているからというより、脳のシステムの簡便さのためと考えられる。
 怒りのシステムは次のように考えられる。そのとき自分がしていることが突然の出来事により停止され再開されないとき、障害になるものを除去しようとする行動プログラムを生み出すのである。
 脳の中のはたらきは次のようになる。人間は体を動かそうとするとき、意識するより早く補足運動野に反応が現れる。運動のためのプログラムの原型である。それが運動連合野、運動野に移行し、運動プログラムが組まれて実際の運動となる。怒りを起こす出来事があると、運動プログラムは阻止され運動野へ伝わらない。運動が阻止されていることが認識され続けると、前頭前野から扁桃体へ信号が送られ細胞が反応し、怒りを覚えることとなる。
 運動プログラムの阻止だけでなく、思考プログラムの阻止も同じことである。
 もし、運動、思考の阻止が一瞬であると驚きだが、それが継続されることにより、怒りとなるのである。
 たとえば、道を歩いていて石につまづいたりすると、歩行プログラムが停止させられ、その知覚が扁桃体へ流れ込み、その石に腹を立てる。その後、扁桃体から運動野へ信号が流れれば、その石は遠くにけり飛ばされることになる。
 こうした怒りの感情は極めて不快なものなので、そうした状況をこれからは回避しようとする。
 怒りを感じた人間は、ある程度の恐怖や痛みを忘れることができ、闘争をスムーズに進めることができる。カッとしているときは擦り傷などに気づかないのである。
 これら怒りの価値とはどんなものか。動物の怒りから見てみよう。
 動物において怒りによる威嚇と闘争が行われるのは、同胞同士に限られる。目的は、テリトリーの防衛、群れの順位闘争、配偶者を巡る争いである。同胞に遭遇して自己の行動が阻止されると、運動や思考の継続的阻止が発生するため、怒りが発生するのである。
 テリトリーとは、自分の行動できる領域であり、実際の地面の広さで表される。また、順位の高い動物はそれだけ自由に行動できる。ですから順位の高さとテリトリーの広さは同じことを意味する。
 現代の人類では、土地の広さよりも行動範囲となる。すなわち、怒りとは、自己の生活に必要な領域を守るための本能なのである。
 
.【怒り】と自由の関係とは?[感情03-05]
.【怒り】は不自由からの突破行動
 怒りは興味から分岐したと考えられる。興味をひくものにしか怒りは感じないのだ。そのため、好きなのに会うとケンカしてしまう恋人同士もいるである。女性が男性に“大っ嫌い”と高いテンションでいうとき、その女性は嫌悪しているのではなく、腹を立てているのである。
 怒りは、自己のテリトリーを主張する、同胞に対するコミュニケーションの一種である。戦争が政治の一つの手段であるといわれるのに似ている。
 チンパンジーは、群れのボスを目指して激しい示威行動──大きな物音をたてながら暴れ回る──を見せるが、これは怒りの行動かもしれない。
 動物の群れ順位闘争は、多くは雄──すなわち、男性のものである。怒りは、平均すると男性に強く現れやすい。
 怒りは思考や行動の継続的障害の突破行動、すなわち不自由から自由になろうとすることである。そのため、自由を求めて戦って死ぬのは男性であり、女性は現実に妥協して生き抜こうとすることが多いのである。
 すべての動物は、食物をめぐって同じ種とある程度競争状態にあるので、ほとんどの動物には怒りがあると考えてよいだろう。
 
.少し強引な男性がもてるのはなぜか?[感情03-06]
.女性は男性ほど【怒り】に過敏ではない
 怒りは簡単なシステムで構成されているため、特殊な効果を多数生み出す。ここからはそれを見ていこう。
 ぐいぐいとひっぱってくれる男性が好きという女性は多いが、その逆に振り回す女性はあまり好まれない。これは、怒りと愛が男女で異なるためである。
 カップルがいるとする。相手の意見を問わずに物事を決め行動すると、相手は自分の意見を撤回しなければならないので、怒りのメカニズムが反応する。しかし、女性が愛する人と一緒の場合、愛しているから自分のためにしてくれていると感じ、怒りより愛が上回るかもしれない。さらに、怒りの興奮も愛に交じってより強く愛情を感じることになる。
 対して男性の場合は、愛が怒りを上回りにくい。男性には女性より怒りが強く愛が弱い人が多いのである。
 一般に、プレゼントは男性から女性へ贈ることが多いものである。これは、男性よりも女性に、意表をつくプレゼントが効果的なためである。女性に愛を感じさせることなら、女性の意志を無視しても許されるわけである。
 ただし、平均としてそういう人の比率が高いという話である。
 
.嫁と姑はなぜ仲が悪いか?
.家庭におけるテリトリー争いだから[感情03-07]
 怒りがテリトリー争いであることの一番わかりやすい例が、嫁と姑の対立である。
 嫁と姑の対立はワイドショーの貴重な話題である。これは、嫁が姑のテリトリーに入ってきてその権限を犯すことになるからだ。毎日の食事の味付け、子どもの教育方針、室内の掃除などお互いがそのテリトリーを主張して譲らない。
 お互いの仕事をはっきりと分業してテリトリーを分けるか、上下関係をはっきりつけて一歩引く気持ちがなければ、同居は不適当となるのである。
 
.【怒り】と【嫌悪】はどう違うか?[感情03-08]
.【怒り】は反撃に【嫌悪】は避ける行動を生む
 若い頃はケンカもした熟年の夫婦がいる。このごろはケンカもしないが会話も少ない、まあ平穏な生活である。
 ところがある日、夫は妻に唐突に離婚を宣言されて驚くことになる。これがいつのまにか怒りが嫌悪へと切り替わっていたケースである。
 怒りは相手を変えようという気持ちなのでケンカになるわけであるが、嫌悪は相手を避ける感情なので会話もなくなるのだ。熟年夫婦の離婚の問題は、ケンカしているうちはまだまし、何も言わなくなると問題なのである。
 
.子どもにはなぜ反抗期があるか?[感情03-09]
.反抗期は子どものテリトリー獲得行動
 子どもの成長過程には、何度か反抗期がある。とかく怒りっぽくなり、何事にも反発するようになる。これは自己の能力の拡大にあわせてテリトリーを広げようとするのに、両親が相変わらずそのテリトリーを占拠しているためなのだ。親は今まで通りなのに何を怒っているのかと思い、子供の側もうまく説明できないため話は難しくなる。
 これは、子供の行動の権限が両親に支配されているため、それを奪い取り自らのテリトリーにしようとしているということなのだ。
 現代の子供は、最初からできることが大きいため、大人への成長過程で新たに拡大できるテリトリーが見い出せず、他人のテリトリーを侵食する形になり、強引な性格になったり、あるいは諦めて虚無感を持つ人間に育つ危険もある。
 
.人はなぜひきこもるか?[感情03-10]
.不完全な【怒り】表現としてのひきこもり
 怒りは、「攻撃しないという攻撃」を生むことがある。カッとすると嫌になってふさぎ込み何もしない人のことである。実はこれは、怒りを覚えたとき、相手や関連するものを無視する攻撃であり「受動攻撃」というものだが、本人が自覚できていることはほとんどない。何もしていないのだから、怒っている自覚ができないのである。しかしこれは、たいてい自分自身も損失をこうむる無益なものであるから、もしこうした習慣ができてしまったなら、行動療法などで訂正していかなければならない。
 引きこもりする人々の多くは、この受動攻撃の状態にある。無力感と似ているが、決定的に違うのは、周囲の指示に従わないことである。本当に無気力なら周囲に逆らわないもので、指示に従わないのは消極的な反抗なのである。
 
.リーダーシップと【怒り】の関係とは?[感情03-11]
.リーダーシップには【怒り】の調整技術が不可欠
 不幸なことに、怒りは現代の生活の邪魔になることが多いものだ。動物のテリトリーの防衛では単なるにらみあいのようなものが多く、命にかかわる闘争のようなものは多くない。人間の怒りも、もともとは相手を倒そうとするのではなく相手への意志表示であったはずである。だから、格闘技を学んだわけでもない素手のケンカは、きわめて非能率で、負傷の程度は知れているはずだった。怒りのプログラムが成立した時点では拳銃で撃ち合ったり、集団で闘争するなどは考慮されていなかったのである。
 また、怒りは個人のものなので、公人は怒りから無縁であることが要求される。おおやけのことを自己と同一化して怒りのもとに判断すると、問題が発生する。怒りには、闘争の集中のためにまわりを見えなくする作用がある。そのまま判断したのでは、多くの失敗を生み出すのである。
 人の下に立ち陰から支える参謀として有能だった人物が、トップに立つと無能だったりすることが、歴史上しばしばある。参謀は責任者ではないため感情から無縁に冷静に判断できるのだが、指導者は責任者であるため自らの感情に振り回されるためである。
 他人の意見を受け入れるには、自分の考えを引っ込めなければならない。それは大なり小なりある程度、怒りのメカニズムが反応する。執着、頑固、意地っ張りは、怒りのメカニズムが弱く作用した結果なのである。こうした怒りのメカニズムが強いと他人の意見を受け入れることができない。怒りを調整する能力がリーダーには要求されるのだ。
 
.いじめはなぜエスカレートするか?[感情03-12]
.貧困な【怒り】がいじめを拡大する
 現代、怒りは危険なものとなってしまったため、怒らないことが褒められる傾向がある。怒らないで楽しく生きるのがよいという人もいるだろう。しかし、怒りも大切な感情である。ときには怒ることも必要なのだ。怒りを示さない人間は、自己のテリトリーと地位を次々と失うことになる。特になれなれしい人、無神経な人と付き合うには適度な怒りが欠かせないものである。自己の問題であり干渉しないでほしい場合には、小さく怒りを示すべきなのである。怒りを示さないと、その人の下の順位と認定されてその扱いを受け続けることになる。
 ちょっとした事にすぐ怒るのはよくないが、まったく怒らないのも問題なのだ。小さな事には怒らないで、大きな事にだけ怒るのでもよくない。正しくは、小さな事には小さく怒り、中ぐらいには中ぐらいに怒り、大きな事には大きく怒るということである。
 怒りは、何を当然のこととするかによって決定するため、教育が欠かせない。いじめの問題も、怒りの教育に関連している。怒りの貧困さが原因にある。
 いじめの対象となる人間は、怒りを表現できないことが多いようです。怒りを表現しないといじめはどこまでもエスカレートするのである。
 また、いじめる人間は、怒りに程度が存在しない。0か、大きな怒りかしかないのだ。そのため、ちょっとしたことでも腹を立てて怒りを発動させる。この事態は異様である。怒りのない人間と、大きな怒りしかない人間がいるわけだ。
 現代人は怒りの意義と価値を再認識し、豊かな怒りを形成することを考えなくてはならない。
 
.怒りを知恵で回避するとどうなるか?[感情03-13]
.裏表のある八方美人になる
 こうした怒りを示さない人も、必ずいじめられるというわけではない。知能が高く機敏な人なら要領よく切り抜けていくことができる。
 こうした人たちは成長すると八方美人タイプになりやすい。誰に対しても愛想がよく、頼みごとにもすぐに応じてくれる。しかし、誰にもいい顔をしているので、可能な量を超える仕事を抱えてしまい、中身をさばききれず失敗することがたびたびある。
 頭がよく機敏で性格も朗らかなのに、確実性がなく戦力にならないため、周囲の人はその落差に困ることになるのである。
 
.【恥】とは何か?[感情03-14]
.【恥】は公共ルールを逸脱した怒り
 怒りから状況による分岐をした感情が恥である。
 怒りは、運動や思考の強制停止により生まれ、それを打破する行為である。その場合、しばしば公共のルールを破壊する結果を生むことがあり、それを防ぐための感情として恥がある。羞恥心、格好悪い、プライドが許さないともいう。
 人は恥を感じると、赤面する。これは、怒りの感情を押さえ込もうとする葛藤のためである。
 下を向いて沈黙し、目立たないように、隠れるような動作する。顔を隠すこともある。気が動転し、意識が混乱する。恥ずかしさのあまり、怒り出し、暴力的にふるまうこともある。「恥をかかされた」といって怒り出す人がいることでわかるように、恥は怒りから分岐した感情だからだ。
 恥は、強い不快感であるので、次から恥の場面を回避しようとする。自己の行動の訂正を行い、より適応した行動をとろうとする。
 恥は多様な場面で発生する。
 トイレの鍵を閉め忘れて、開けられてしまったときは恥ずかしい。排泄行為及び性行為を見られると恥ずかしいものだ。
 ただし、愛する人には、こうした無防備な状態を見られてもそれほど恥ずかしくないものだ。愛が恥を打ち消すためである。そうでないと、人類は滅ぶだろう。
 舞台の上で発表するとき、多数の人間の注目を集めているとき、朝寝坊による遅刻したとき、授業中や会議中の居眠りを見られたとき、楽勝の相手に敗れたとき、0点のテストを発見されたとき、なども恥を感じる。ただし、テストの場合、一生懸命頑張った結果の低い点数は、恥ではないともされる。
 共通項は、自らが望まないことの発生、弱点を他人に認識されること、格好が悪いことを見られたときなどである。恥は他者がいなければ成立しない。トイレにアマガエルがいても恥ずかしくはない。
 まとめると、恥は、他人に注意や指摘される、すなわち、叱られるようなことをしたときに発生するといえる。
 
.【恥】はどのように進化したか?[感情03-15]
.【恥】は文化が生み出した
 多数の注目を集めているとき恥ずかしいのは、指摘可能な人間の絶対数の多さと、叱られる状況に類似しているための反応と考えられる。もし、絶対の自信があれば、多数の注目を集めていても、せいぜい照れるだけである。
 恥は誤りの指摘であるから、誤りがなければ感じない、そう他人は判断する。ところが、感情というものは、ただそれに類似するだけの状況にも発動する。感情はその場その瞬間の判断だけで、文脈はないのである。そのため、他人から見れば何も恥ずかしがることがない場合にも恥を感じてしまうのだ。
 恥を感じさせる信号は、他人の注視や怒りを含んだ声である。そのため、恥が異常に強いと他人の目や反応が気になり生活に支障をきたすことがある。これは後天的に作られる要素が大きく、幼児期の教育によって拡大されることもある。しかしまた行動療法によって回復することもできる。
 逆もあり得る。もし怒りがすべて受け入れられるような極度に甘やかされた環境で育つと、恥のない人間に育つかもしれない。
 恥は他者の非難を気にして、自分の行動を控えるということ。もしも成長の過程で恥が発達しなければ、度胸はあるが傍若無人、人の噂やゴシップが大好きな出しゃばりで無神経な人間になるかもしれない。この人は他者の非難を気にしない人だから、直接非難して態度を改めさせることは難しい。
 恥の感情は文化によって大きく異なる。欧米人と日本人は、風呂に入るときに隠す体の場所が異なるとされる。一般に、日本人は恥の感情の範囲が大きく、恥の文化といわれる。恥は後天的にしつけによって作り上げられる部分の大きい感情であるため、文化の差、個人の差が大きく、変化もしやすいのだ。
 恥は、年齢とともに減少する。年齢とともに叱られることがなくなるためである。
 子供の失敗に親が恥を感じるのは、指摘されるのは自分であるためだ。
 恥は怒りから分岐する感情である。子供が悪いことをすると、親や教師が注意する。それにたいしては、子供はまず怒りで反応するが、親に抵抗しても勝てないので、それをしつけとして受け入れ、恥と認識するようになる。それ以後、その恥を生み出した行為には恥の感覚をともなうようになる。
 他者に誤りを指摘する動物とは、人類だけである。文化が恥を求めるのだ。恥は人類しか感じないだろう。ただし、ペットにはあるかもしれない。彼らは人類の文化の中で生活し、教育を受けることすらあるからである。
 
.女性が有名ブランドを好むのはなぜか?[感情03-16]
.ブランドは恥を回避するための旗印
 まず、有名ブランドといってもそれは身につけるのものだということが重要である。ブランドとは他人による価値づけであるから、これにより他人の尊重が得られる。これは、恥を回避する行動と考えられる。
 原始時代の長期間、女性はパートナーの男性により群れの順位が決定されていたと考えられる。ブランドは、自分の男性が高い順位であることを示す目印、あるいは所属する群れの優位さを示しているのだ。だから、有名ブランドを身につけるという行為は、自己の順位の高さを認識する、すなわち恥から遠く離れた状態と認識する行動なのである。
 かつての三高(収入、学歴、身長)の男性を求める心理も、ブランドを求める心理と同じ。ただ、これは恥のメカニズムによるもののため、愛や恋とは無関係だ。本当に大切な人を見失う危険もある。
 女性に比べると、男性はブランドにこだわる人は少なめだ。ブランドなどの他人の価値づけを受けると、その下の順位を意味する。男性は怒りのメカニズムが強く、他人に与えられた順位が不快になりやすいのだ。
 
.勉強で最も避けるべきことは?[感情03-17]
.学習から【恥】を追放せよ
 学習は間違うと面白くないし恥ずかしいものだ。しかし、知らないことを学習する以上、間違うことがあるのは当然である。
 世の中の常識では、不可抗力のレベルの間違いは恥とはしないのが原則である。すなわち、学習の失敗は恥とすべきではないのだ。
 それにもかかわらず恥と感じるのは、先生や親が叱るためである。ところが、叱れば間違わないように学習することは少なく、恥を避けるため最初から学習しないようになる。間違えることを恥と感じると、学習がおもしろくなくなり、学習できなくなるのだ。学習には常に間違う可能性がある以上、面白くない思いをさせられる可能性もあり、学習の時間は憂鬱なものになってしまう。
 心理学の実験によってもこのことは証明されている。称賛は学習を促進するが、叱責は学習を阻害するだけなのだ。
 恥は、注意されるという予測によって発生する。注意されることの蓄積が恥の感情を生み出す。恥を生む注意とはどんなものかというと、怒りの表情と声の調子をともなった訂正の要求である。注意するときの表情や声に気をつけるべきなのだ。恥を感じさせないように注意することも可能である。それには、怒らずに、笑顔──容認の表情である笑顔で訂正するのだ。
 にもかかわらず教師が、生徒の学習の失敗に怒りをあらわすのはなぜか。それは、自分の思いどおりにならないからである。教師という職業は、感情を制御する能力がなくてはならない。しかし、そうでない教師もいるようだ。
 教師は子供に教えるのだから、どうしても子供の精神に影響されやすい。学校の先生ほど子供っぽい人種はいない。それは、警察官が悪人に影響されて精神がすさんだり、精神科の医師が精神病になりやすいのと同じである。これらの職業はみな強靭な精神力が必要である。
 教師の立場に立つと、カリキュラムがあり、それを進めなければならないから、授業が自分の思いどおりにならないと、怒りを覚える。これは当然のことでそれでよいことである。しかし、怒りを覚えるのと、怒りをあらわすのは別のものだ。怒りをあらわすべきかどうかを考慮するために怒りを覚えるのだということを忘れてはならない。
 もちろん、これは学習の話で、しつけの場合は、本気で怒る必要がある。子どもの能力を伸ばすことと、社会性を身につけさせることは別問題なのである。
 
.【軽蔑】とは何か?[感情03-18]
.無駄な怒りが【軽蔑】
 怒りから分岐した感情には、軽蔑、不平不満、憤り、恨み、悔しさ、焦燥感などもある。
 軽蔑は、怒りから状況による分岐をした感情である。弱い怒りの状況に、無行動を組み合わせたものである。
 過剰に卑屈な態度をとる人、おべっかを使う人など、他人に対する服従を示す行動が目立つ人は軽蔑される。自分の価値観で測って、価値のない人を軽蔑するのだ。相手の影響力の低さを感じ、相手をコミュニケーションすべき存在と認めていないのである。あくまでも、人間にたいしてであり、石とか木は軽蔑の対象とはならない。
 影響力がマイナスの人間──悪人も軽蔑の対象になる。それは今後、関連しないことにより影響力が低くなるからだ。しかし、その悪人の被害を受けた場合は、軽蔑ではなく怒りとなる。
 軽蔑を感じると、人は背を高くして見下ろし、顔を斜めに傾ける。眉をつり上げ、片方の口の端を上げる。無関心の信号であり、勝手にしろ、を意味する。嘲笑をともなうときもある。嘲笑は笑いだが、「おまえの影響力などありはしないから何でも容認してやる」を意味している。
 軽蔑が生み出す行動は、その対象を相手にしないということ。相手を無視する。そういう奴なんだよ、と吐き捨てるようにいったり、唾を吐いたりする。
 軽蔑は、不要な思考を切り捨て、次の行動へと向かわせるものである。プラスにもマイナスにも影響力がない相手と交渉するのは無益だからだ。心理的なエネルギーをより有益な方向へに消費しようとするのだ。
 軽蔑する相手が邪魔になると、加減のない攻撃が発生する。軽蔑する相手は、物扱いなので、怒りではなく、狩猟本能がはたらくのだ。なぶり殺しというのは、軽蔑の対象に発生する。
 偏見や差別は、文化による誤った軽蔑感から生まれることがある。人種や性別など、本来の軽蔑とは無関係なものを軽蔑対象として誤認識すると差別が生まれるのである。
 過剰な軽蔑は無気力を生む。世捨て人へと向かわせるのだ。逆に、少なすぎる軽蔑は気苦労を多くしてしまうだろう。
 
.軽蔑が過剰だとどうなるか?[感情03-19]
.嫌みな批評家になる
 軽蔑は、怒りに対して無行動で応対することである。しかし、軽蔑すべき相手を軽蔑するのは問題ないが、実際には自分が無力で何もできないにもかかわらず、自分が対決するに値しない相手であると勝手に納得して、相手を軽蔑したりすることもある。自分の無能さが許容できずごまかすわけだ。
 例えば、政治家について名指し下品な非難を浴びせ、さも正義漢であるかのごとくこき下ろすのに、実際の行動は一切しない。デモするわけでも、押し掛けて行動するわけでもなく、ひたすら口汚く罵る人である。
 こうした人は、そのまま怒りに対する無行動を受け入れるようになり、何もしない癖にひたすら他人を批評してこき下ろす困った人になる。世をすねた辛口の批評家なのである。
 
.【不平不満】とは何か?[感情03-20]
.怒りの予測が【不平不満】
 不平不満は、怒りから予測による分岐をした感情である。
 苛立ち、いらいらしているともいう。怒りが、知性の予測作用によって生み出されたものである。
 不平不満は、怒りを押さえねばならない場面があって、それが避けられないときに発生する。その結果ぴりぴりした雰囲気を出し、周囲の仲間は避けるようになる。不快なため行動は張り詰められ、肉体的にも緊張し、精神的に興奮する。
 こうした肉体的準備である緊張は、怒りがその場にないから価値がなく、即断即決をうながす興奮も無意味である。ほとんど不適応である。ただ不快感のみが、以後の怒りの状況の回避を促す効果がある。これはもう知性の副作用と呼ぶべきものである。
 
.不平不満が麻痺するとどうなるか?[感情03-21]
.愚痴人間を生み出す
 不平不満は、その不快さのあまり周囲に愚痴をこぼすことがある。愚痴をこぼすと、周囲の人が慰めたり同意してくれたりするため、不快さが中和され、心の負担が軽くなるのだ。
 しかし、いつも愚痴ばかりこぼすと、ついには不平不満の行動が固定され、何かあるたびに不満を愚痴にしてばらまく、周囲に嫌われる人になりやすい。不満が直ちに愚痴に結びつくようになると、もはや自分が不平不満を感じていることの自覚すらなく愚痴ばかりいう人間になってしまうのである。不平不満が麻痺してしまったのだ。
 特に同じ内容の愚痴を2度以上語る人は要注意である。愚痴による心理負担の軽減効果は最初に語る一回目にしかない。そのため、2回目以降は効果がなく、効果がないからこそ止めどなく愚痴を続けてしまうことがあるだ。
 
.【憤り】とは何か?[感情03-22]
.共感による怒りが【憤り】
 憤り(義憤、正義感)は、怒りから共感による分岐をした感情である。
 たとえば、いじめている子供といじめられて泣いている子供を見かけるとする。そのとき、泣いている子供の立場に自分を置いて怒りを覚える。
 私たちは、共感能力により相手の感情をそのまま感じる。しかし、憤りでは感情ではなく立場を置き換えて感じるのである。泣いている子供は、怒っているとは限らず、怖がっているかもないが、正義の怒り──憤りを覚えるのだ。
 人は、社会的な犯罪や、許しがたい悪にたいして憤りを感じる。憤りにより、他人の暴力を制止したり、ハンガーストライキや、デモ行進するとか、社会にたいする抗議行動をする。ただし個人的なものは怒りであり、憤りではない。憤りとは、他者の立場で感じることによる怒りといえるだろう。
 
.【恨み】とは何か?[感情03-23]
.怒りの持続が【恨み】
 恨みは、怒りから予測による分岐をした感情である。
 恨みは、発生した怒りが行動とならず、蓄えられ、その相手と怒りの記憶が結び付いた状態である。怒りが知性により持続したものである。
 恨みを感じると、以前に怒りを感じながら、手を出せなかった相手への報復しようとする。
 相手への報復攻撃することにより、自己への攻撃を減少させる。特に一時的に弱っているものへの攻撃を減らすだろう。恨みの危険により、社会全体の攻撃行動が減ると考えられる。
 他の個体との関係を覚えることできる動物、たとえばサルには恨みによる報復行動が報告されている。
 
.【悔しさ】とは何か?[感情03-24]
.【悔しさ】が向上心を生み出す源
 悔しさは、怒りから状況による分岐をした感情である。悔しさとは、能力不足時の怒りの感情である。
 悔しいときには決まった行動がある。じだんだを踏み、八つ当たりする。下を向いて沈黙し、唇をかみしめ、手を強く握り締めたりする。物をたたきつけたり、壊したりすることもある。その行動は怒りに似ているが、本来の対象ではないものへ攻撃が向かう。
 怒りの感情を覚えたときに、怒りの行動をしたのだが、それが無駄であると知ると、行動が失われる。能力が不足するため攻撃行動をしなかったのだ。その後は、その類似の状況には怒りでなく悔しさが発生する。悔しさは、怒りの状況に異なる行動を組み合わせた感情記憶である。
 悔しさは、自己の能力の不足が原因で競争に敗れたときに生まれる。擬人化しないかぎり、相手は必ず人間である。怒りの原因が自己の能力にあるわけだ。もし、能力の不足でなく、不注意が原因なら恥となり、不正な理由であれば怒りのままとなる。
 悔しさははなはだ不快であり、悔しさは二度と経験はしたくないものである。悔しさは自己の研鑽へと向かわせる感情である。悔しさは向上心に比例するといえる。ど根性の持ち主は悔しさが人一倍強いといえる。
 
.【悔しさ】が麻痺するとどうなるか?[感情03-25]
.裏表差の激しい卑屈人間
 世の中には、はたから見ても情けないと思わせる人物がいる。上司のいうことには何でもハイハイと逆らわずに従う卑屈な人である。それでその人は誰にも卑屈なのかというとそうではなく、自分より弱いものに対しては横柄に振る舞い、時には暴力をふるうこともある。
 たとえば、仕事では上司にへつらい続け、家では妻に暴力をふるうといった人たち。あるいは、酒を飲んでは暴れたり、旅行先で旅の恥はかき捨てとばかり暴走する人である。
 こうした人たちは、悔しさの感情が麻痺してしまっていると考えられる。悔しさ、怒りの状況で我慢させられ、時にはそれを他に転嫁するのだ。悔しさは自分に向かうことで、自分を鍛えるものであるが、それには苦痛をともなう。そのため、もしも他に転嫁できる対象があると、そこにぶつけ続けることになるのだ。身近に自分より弱くかつ逃げることのできない人がいると、そこに攻撃を加えることになるのである。
 感情というものは、実際に行動してしまうと、自覚ができないものだ。強いものにはへつらい弱いものに転嫁して攻撃するパターンが定着すると、もはや悔しさを自覚することすらなくなってしまう。
 こうして、裏表のある2面的な性格になるわけである。もちろん、本人には全く自覚はない。
 悔しさの麻痺は、情けない人間だけでなく、出世に成功した地位の高い人間にも見られることがある。地位の高い人間は強い立場にあるため、自分より弱い相手をすぐに見つけることができる。しかも、立場があるので攻撃しても自分が損をする可能性はない。
 悔しさは自己研鑽へ向かう感情であるが、この精神的に楽なパターンが固定すると、もはやその人には進歩がない。有能な人間が出世して、腐った人間へと転落するケースである。
 
.【焦燥感】とは何か?[感情03-26]
.悔しさの予測が【焦燥感】
 焦燥感、あせりは、テストで問題が解けないのに時間が減っていくとき、あるいはテスト勉強が進まないのに時間が減っていくときなどに感じる。悔しさの予測により生まれる。
 焦燥感を感じると、不快で過度に緊張し、興奮した状態になる。
 不平不満とは違い、その行動はあくまでも自分自身に向かう。
 焦燥感の過剰な緊張状態は、反応を誤らせることが多く、その状況においての淘汰上の適応は少ない。特にテストのようなときは、筋肉の準備状態である緊張は無意味である。
 ただ不快なので、以後の焦燥感を生まないように準備する効果はある。
 
 
.【恐怖】とその派生感情はどのように分岐したか?
.危険への興味が恐怖を生み出した
 
  ┏━━━━━━━安心(安堵する、ほっとする)
━━┻━┯━━━┳━恐怖(恐れる、怖い、ぞっとする、おびえる、勇気)
    │   ┗━畏怖
    └─────不安
 
興味⇒恐怖
 興味の対象には、危険で退避すべきものもある。そのときに分岐するのが恐怖の感情である。
 
恐怖⇒安心
 喪失による分岐。恐怖にさらされていた状況から解放されたときに安心が生まれる。
 
恐怖⇒畏怖
 状況による分岐。恐怖の状況でありながら、恐怖による行動ではなく諦念のようなものが生じたとき畏怖が生まれる。
 
恐怖⇒不安
 予測による分岐。恐怖の状況が予測されるとき不安を感じる。
 
.【恐怖】とは何か?[感情03-27]
.危険から身を守る【恐怖】
 5番目の基本感情が恐怖である。
 恐怖は興味から状況による分岐をした感情である。怖いものはすべて興味の対象である。たとえば、ライオンやチーターを草食動物がつかず離れずにいたり、チンパンジーやヒヒが大きなニシキヘビを見つけて取り囲んだりすることがある。
 人は、高い場所や不安定な場所、たとえば吊り橋を渡るときや、凶暴な動物の前や、暴走するトラックの前にいれば恐怖する。あるいは、ヘビのようにくねくねと動くヒモ状の物を見ると、恐怖する。
 その場所で起こる苦痛が想像させられる場合に恐怖するといえる。そのため、怪談話でも対象がその場にあるように語られるのだ。その場ですぐ反応すべきと感じなければならないのだ。
 恐怖を生むものには共通点はない。一つ一つが自然淘汰で選択的に発達したと考えられる。すなわち、恐怖の遺伝子は一つではないということである。
 高層マンションに育った子供は、高い所を怖がらないことがある。恐怖も学習される必要があるのだ。あらゆる感情同様に、遺伝なのは基礎だけなのである。
 恐怖には独特の表情がある。眉を上げ、額の中央に深いしわをつくり、目を大きく見開き、上のまぶたを引き上げ、白目が大きく、口は少し開いてまっすぐ後ろにひく。これらは服従の信号である。この表情をすると、相手が人間の場合、攻撃を鈍らせる効果があることが確かめられている。
 恐怖の行動は、泣く場合もあれば、走って逃げ出すこともある。可能ならば逃走し、できなければ悲鳴をあげ泣き叫び、小さくうずくまる。逃走、救援、防衛、パニックなどが恐怖では用いられるのである。
 こうした恐怖の行動により、危険を避けて生存することができる。
 
.【恐怖】なのに快感を感じることができるのはなぜか?[感情03-28]
.感情は方向と量が分離している
 恐怖と興味の関係の深さを利用したものが、ジェットコースターなど絶叫マシンである。
 不快とは、その行動の停止、その状況へ至らないよう防止すべきであることだ。絶叫マシンでは、すべき行動はないし、防止する方法はわかりきっている。乗らないことだ。そのため繰り返すと不快感が消失する。絶叫マシンは不快感のない恐怖を作ることができるのだ。そして、不快感のない恐怖は、興味深い強い緊張と興奮となるのだ。
 これは男性には好まれない傾向がある。男性は怒りのメカニズムが強く、恐怖による精神の拘束状態を嫌う度合いが強い。自由に行動したり考えたりできないことへの抵抗感は男性の方が強いのだ。そのため、男性よりも女性の方が絶叫マシンやホラー映画を好むことになる。
 なぜこんなことが起こるかというと、認知と量が別のメカニズムのためだ。どれだけ興奮するかは、脳の化学物質の分泌量で決まるのだが、感情の種類──どんな行動をすべきかは、環境の認知で決まる。一見はげしい恐怖を生むようなものでも、認知を違うものにできると興奮だけが残るのだ。量は質にはならないということである。
 有名なのは吊り橋とアンケートの実験である。魅力的な異性にアンケートを受けるのであるが、そのとき危険な吊り橋を渡ってからのアンケートと普通にアンケートするのとでは、相手に対する印象が異なるのだ。吊り橋を渡ってからのアンケートでは、相手への恋愛感情が芽生える確率が高かったのだ。これは、吊り橋による興奮がアンケートの異性への感情と混同されてしまうためなのである。
 恋愛におけるロミオとジュリエット効果──障害が大きいほど燃え上がるのは、障害に対する反発の興奮が恋愛そのものの情熱として認知されるためであろうし、マゾヒストが痛覚が快感なのも興奮が快感として認知されているためだろう。
 そのため、一緒に興奮出来る場所に行くことがデートの鉄則として知られている。
 
.【安心】【不安】【畏怖】とは何か?[感情03-29]
.恐怖から分岐した派生感情
 恐怖の派生感情に、安心、不安、畏怖などがある。
 安心は、恐怖やその予測である不安が喪失することによる。恐怖から喪失による分岐をした感情である。たとえば、飛行機に乗っていて、激しい揺れがあり、その後おさまると安心する。危険、不安の解除により発生するわけだ。
 人は安心すると、「ほっ」と安堵のため息をつき笑顔を見せる。その後、警戒心が解け身体的に休息する。体内の緊張がなくなり身体的な回復を行うのだ。
 不安は、恐怖から予測による分岐をした感情である。試験の前、暗闇、孤独などのとき生まれまる。未知の世界へ入るとき、初めての外国旅行なども不安である。恐怖の予測が人を不安にするといえる。
 不安により、行動をより慎重にさせ、警戒心を強化する。安全の確認なども厳重になる。また、いつでも反応できるように体は緊張している。
 不安は憂鬱と違い、落ち着くことができず、何か方法はないのかと探し続けるのだ。
 不安は、恐怖が知性によって維持されたものである。恐怖における適応である緊張感が、不安においても発生してしまっているのだ。暗闇や孤独の警戒は当然のことですが、安全な現代社会ではもはやあまり必要なく、不安における緊張や興奮は過剰であるといえる。
 不安というものは、その場にないものへの恐怖である。記憶力がなければ成立しない。人間が強い記憶力、想像力を獲得し、時間の中に生きるようになったために不安は発生したといえる。
 畏怖は、恐怖から状況による分岐をした感情である。恐怖だが、逃走、抵抗などがない。むだな逃走、抵抗をしないことにより体力を温存し、恐怖の判定が誤りであったときにとっておくのだ。
 畏怖は、圧倒的な強さの相手と遭遇し、自己の運命が、自己の判断に関係なく決定されるという場合に発生する。畏怖は恐怖より相手が強大であるにもかかわらず、不快さが少ないのが特徴である。畏敬の対象というように、畏怖は愛ととも発生することもある。
 
.勇気のある行動できるようになるには?[感情03-30]
.勇気は愛と希望と恐怖の混成感情
 恐怖と対立するものが、勇気である。
 勇気とは恐怖を押さえて行動することで、恐怖に打ち勝つことだ。恐怖に無関係な勇気はない。恐怖をまったく感じなくなるともはや勇気ではない。恐怖を意識しつつ、恐怖の行動ではない判断をすることが勇気である。
 勇気が必要なのは、人類の文化の発展に従い、恐怖が適応的でない場面が多くなったためである。猟銃をもっている人間が熊に恐怖するだけではかえって危険というわけだ。
 勇気には二種類ある。希望(自信)の勇気と愛の勇気である。勇気とは特定の感情ではなく、恐怖+希望、恐怖+愛のことである。
 曲芸師などが綱渡りするとき高さを怖がらないのは、成功への自信であり、希望の勇気である。
 溺れている子供を助けるため、親が川に跳び込む──これは愛の勇気である。
 恐怖の場面で、希望か愛が沸き上がり恐怖を上回ったとき、それを勇気と呼ぶ。愛も希望もなければ勇気をもつことはない。勇気の強さは、愛と希望の強さに比例するのだ。
 ちょっと古い言葉ではあるが、『論語』に「仁者はすべて勇者であるが、勇者は必ずしも仁者ではない」というのがある。人に対して本当に思いやりのある者はみな勇気を持って行動することができるが、勇気のある人間は必ずしも思いやりがあるわけではないということである。
 
.真の優しさとは何か?[感情03-31]
.愛と能力と感情の調節能力のある人
 優しい人はどんな人か。ちょっとしたことですぐ怒る人、いらいらするような人は優しい人とはいわない。人に親切に接する人は優しいといわれる。
 人に親切な人になりたい、もっと優しく親切に接してあげられればと思っても、そうできない人もいる。その理由は2種類に分かれる。
 一つは時間がない人。時間がなく忙しい人は人をかまう暇がないので、自分で自覚する以上に他人から冷たい人と思われがちである。一般に田舎の人やお年寄りに親切な人が多いのは、時間に余裕があるからである。
 2つは上昇欲が強い人である。人に親切にすると、相手に譲ったような気がして、何か負けたような気がしてしまうのだ。
 この二つはどちらも怒りのメカニズムの問題である。怒りのシステムが作動して親切心をかき消してしまっているのだ。怒りが相手への親切心――愛情を上回る人は、優しいとはいえないわけである。
 しかし、ただ怒らない人だけで優しい人といえるだろうか。子どもがいたずらしているのにそれを叱らない親などは、子どものためにはならないことをしているわけであり、真に優しい人とはいえない。子どもへの愛情がその場の恥ずかしさより劣っているから叱らないのだ。
 あるいは、人が困っているとき危険だからと見過ごす人も優しいとはいえない。
 積極的に相手のためになることをする人こそ真に優しい人といえる。優しさには勇気が必要であるといえる。
 この二つをまとめると真に優しい人のしくみが見えてくる。愛情が怒りに打ち消されず、勇気――恐怖より強い愛と希望を持っていることこそ、真に優しい人であるといえるわけだ。
 では、それはどうすれば達成されるのか。
 怒りに負けないためには怒りをしっかり把握できるようになること。そして、強い勇気を持つには、自分の能力を高めることが大切である。