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.感情とはどのようなものか
.感情と行動の関係は?[感情01-01]
.人間は感情にもとづいて行動する
 人間は生活の中でさまざまな体験をする。面白い映画を見て感動したり、人に悪口を言われて傷ついたり、試験に落ちて落胆し、恋人ができて喜んだりする。
 時には激しく怒って相手をののしったり、悲しくて涙を流すこともある。人は生活の中で感情に基づいて行動することがしばしばある。
 他人の挑発にものらず常に冷静沈着な人は一見、感情などないようにすら見える。しかし、その冷静な判断には目的があり、その目的には必ず感情がある。
 冷静な判断でお金を儲けたり、他人を蹴落としてどんどんと出世する人も、出世することやお金を貯めることで、自尊心や好奇心を満足させている。どんな行動にも必ず動機があり、感情の関係しない行為はないと言うことができるのだ。
 他人の心を知ることはただ人間関係をスムーズかつ有利にするだけではない。ビジネスにも関係する。
 ヒット商品は、人の心をとらえることで生まれる。隠れた需要を取り出すことができるものがヒットするだ。
 どんなものが心をとらえるか、それには心のしくみを知ること、特に感情を知ることが大切である。
 たとえば、ブランド品の価値は怒りの回避システムから生まれるし、おまけや懸賞は喜びのシステムを利用したものだ。キャラクターブランドは可愛さを好む愛のシステムを利用している。めまぐるしい流行り廃りは、新しいものへの興味のシステムを利用しているため生じるのだ。
 行動を生み出す元である感情を理解することができれば、他人の心を理解しどう行動するかを予測することができるのである。
 いったい感情とはどんなものなのか、この章では感情について押さえておくべき特徴を挙げてくこととする。
 
.感情にはどんなものがあるか?[感情01-02]
.行動で分類すると衝動・反応・態度・気分の4種
 そもそも感情とは何なのか?
 感情というと、複雑でそれが何を指しているのかも明確でないことも多い。よく似た言葉の区別、例えば恥と照れなど、識別が困難なものをいかに区別して分析するのか。個人や民族によって違っていて分類などできない感情、たとえば日本人特有と言われる甘え(本当は韓国その他東洋には多数あるので間違い)のようなものがあるのではないか。
 これを混乱なく整理するには行為という観点から分類することである。なぜなら、言葉の意味はどんな行為に結びつくかで発達しているからだ。
 そのため、肉の部位の名前が多い国――フランスや韓国では肉の調理法の名詞がたくさんあるし、日本では魚の名前が詳しく、時には成長段階ごとに名前が変化する。
 対応する行為の複雑さが言葉の複雑さに対応する。感情を示す言葉が名詞である場合も、これもどんな行為に結びつくかを考えるとそれぞれの違いが明確になるのだ。
 感情とは何か分析するため、まず辞書から感情を表す言葉を徹底列挙して考える。感情を行動やその後の変化によって分類し、同じものは一つにまとめて整理する。
 さらにそれを、感情の行動が誰に向かうものかということと、その効果が持続的がその場限りかの組み合わせで分類すると4種類に分かれる。その4種類を仮に反応・衝動・気分・態度という言葉を使って分類すると以下のようになる。
 
  1.衝動:感情による行動が相手に向かうもので、その効果がその場限りのもの
 悲しみ・可笑しさ・怒り・憤り・照れ・喜び
2.反応:感情による行動が自分に向かうもので、その効果がその場限りのもの
 驚き・恥・悔しさ・安心・当惑・恐怖・畏怖・失望
3.態度:感情による行動が相手に向かうもので、その効果が長期間に及ぶもの
 愛・憎しみ・嫉妬・哀れみ・罪悪感・興味・恋・軽蔑・恨み・嫌悪・感謝・羨望
4.気分:感情による行動が自分に向かうもので、その効果が長期間に及ぶもの
 幸福・誇り・淋しさ・楽しさ・倦怠感・不平不満・焦燥感・憂鬱・不安・希望・自信・無力感
 
   この本では、ここに挙げた衝動、反応、態度、気分の4種類をまとめて感情と呼ぶこととする。そして、ここに挙げられた38の感情の関係とその詳しい内容を分析する。
  
.感情を解き明かすにはどうすればよいか?[感情01-03]
.進化で感情を読み解く
 これら4種38個の感情の関係を解き明かすにはどうすればよいか。わかりやすい感情もあれば、微妙な違いしかなさそうなものなど、どう手をつけてよいのか難しそうだ。
 そこで切り札となるのが進化の歴史からその変化を追うということである。
 生命の進化の流れを考えると、古い時代の生物ほど行動はシンプルで、人類に至ると大変複雑となる。最もシンプルな動物は、近接と逃避の2種の行動しかなく、これがすべての始まりである。
 アメーバは、食物を発見すると近づき、毒物に気づくと離れようとする。単純である。鳥は餌に近づき外敵から遠ざかるだけでなく、異性に近づくために踊ったり、ライバルの雄とケンカしたりする。人間もまた、食べ物に近づき毒から逃げるが、抽象的な芸術品を作ったり、文章を書き、スポーツを楽しみ、その行動の複雑さは数え切れないものとなる。
 感情は行動を基準に分類される。すると動物の進化の過程で、行動が複雑化するにつれて感情もまた複雑化すると考えられる。それを図にしたものが冒頭の図で、具体的に内容を解説するのが2、3、4章である。
 
.感情はなぜ進化したのか?[感情01-04]
.感情の対立が知性を生み出す
 感情は進化の中でなぜ発達したのか。これを進化の考え方から分析しよう。
 感情をもつが行動しない生物というのはいるか。あるいは、行動するが感情をもたない生物というのはいるか。
 もし、行動しない存在に感情があってもなんの役にも立たない。役に立たないものは、進化の中では発達しないものだ。
 すなわち植物には感情がないと考えられる。サボテンにテレパシーがあるという人や、樹木に話しかける人など、植物を感情のある存在と考える人もいるが、自己の感情が投影されているのであって、植物自身の感情ではない。
 ある種のウイルスは、有害な刺激があると飛びすざりする。ほとんどDNAと殻しかもたないウイルスにすら恐怖や嫌悪の原型を見ることができる。これは感情ではないが、その元となる行動である。原始的な生物といえども環境にたいして反応するわけだが、神経細胞はない。単細胞生物だからだ。環境に対する反応は、感情が生まれるよりも前にあったと考えられる。
 すなわち行動が感情より先にあると考えられる。感情をともなう行動も、最初は感情抜きの、意識しない反応として存在したと考えることができる。
 感情抜きの反応より、感情つきの反応がよいのはなぜか。どんな利点があるのか。
 それは、今からの自分の行動が自覚できるということだ。
 強い怒りの気持ちをもったとすれば、それは今から暴力的な行動をとることが自覚できる。怒りを自覚することにより、理性によってその行動を自制するかどうかの判断ができるようになるのだ。
 夫婦ゲンカで、物を投げ付けようとしたときでも、その手にした物が数百万円もする壷と気づけば投げるのをやめるかもしれない。あるいは、路上で歩いていて人がぶつかって来れば腹を立てるが、相手がいかつい大男なら黙って我慢するかもしれない。これが感情の役目なのだ。
 感情があるからこそ、わたしたちは知性的になれるのである。感情によって知性が芽生えたのだということができる。
 
.感情の特徴は何か?[感情01-05]
.感情の2要素・幅と予告
 感情には、見逃すことの出来ない二つの要素がある。
 一つは、いま述べたように行動を生み出す前に感じられるということ。そして、もう一つ重要なことは、分量の認識ができるということだ。
 ちょっとうれしいとか、とてもうれしいなど、感情には分量がある。その分量が小さすぎると自覚できず、大きすぎると自覚するより早く行動してしまう。すなわち、感情には上限と下限がある。感情の上限が低い人間は極めて感情的に振る舞うが、逆に下限が高いと非人間的な鈍感な人間となる。豊かな感情をもつ人は、下限が低く、上限が高い、上下の幅の大きな人ということができる。
 例えば、ある人が仕事で失敗し、上司に皮肉や嫌みを言われたとする。その状況が怒りの下限より低い場合、何も感じずに聞き流してしまう。もし上限より高いと「そんな言い方はないでしょう」と食ってかかる。その真ん中におさまったときこそ、腹立ちが実感できるのだ。
 興奮した人に「感情的になるな、理性的になれ」ということがある。わたしたちは、この言葉のように感情と理性すなわち知性が対立するものと認識することが多い。だがこれは重大な誤りである。ここで述べたように、知性にとって感情は不可欠なものだ。知性とは感情の作用なのである。
 
上限下限の図
 
.知力だけで感情がないとどうなるか?[感情01-06]
.感情がないと生活が成り立たない
 感情が貧しくても知力があれば問題ないのではないか。
 こうした考えがはっきりと否定される事例が、脳の研究にある。
 事故や病気で前頭葉の障害で感情を失った人たちがいる。彼らはみな高い知能指数を維持していながら、普通に生活していくことが困難になった。
 神経学者アントニオ・ダマシオは、脳の傷害により感情の崩壊した2つの症例を紹介している。
 最も有名なのが、フィアネス・ゲージだ。
 1848年9月のアメリカ。鉄道工事の現場監督だったゲージは、爆発事故で鉄棒が頭蓋骨を貫通し、前頭葉に大きな損傷を負った。
 しかし、町の外科医ジョン・ハーロウの適切な判断により命をとりとめることができた。そしてその後、事故から回復すると、普通に歩いたり話したりと知能はほぼ回復した。
 ところが、ゲージは以前と性格が変わってしまった。
 以前は、敏腕で頭も切れ誰からも信頼される人物だったのが、事故後は衝動的かつ冒涜的で汚い言葉をまき散らし、すぐに怒り出すようになった。頑固なのに移り気で優柔不断、行動しようと計画は立ててもすぐやめてしまうのである。
 計画性をもって行動することができず、仕事を次々と変えるようになり、時には貫通した鉄棒を持ってサーカスの見せ物小屋を渡り歩くようになってしまう。そして、窮乏のうちに孤独に死んでしまったのである。
 ダマシオは、さらにエリオットという人の例を紹介している。こちらはダマシオが実際に診察したケースだ。
 エリオットは脳腫瘍のため前頭葉を切除した。すると、彼もまた大きく性格が変わってしまう。
 以前は、インテリで身体も丈夫、几帳面でまじめであり、ビジネスマンとして成功していたが、手術後のエリオットは、遅刻ばかりするようになった。
 仕事では、自分から自主的に何かをするということができず、絶えず他人の指示が必要になった。仕事を始めると別の用事が入ってもそれを無視してしつこく同じ仕事を続けることもあれば、逆に仕事の途中なのに突然やめてしまうこともあった。その結果、仕事を失い貯金を使い果たしてしまう。
 家では、奇妙な収集癖が出来てしまい、ガラクタを蓄えるようになる。物が捨てられなくなったのだ。家庭生活もおかしくなり、結婚と離婚を繰り返すようになる。
 これほど失敗ばかりにもかかわらず、ダマシオが知能検査をすると全く正常であった。記憶力も思考力もどこにも問題が発見されなかったのだ。
 しかし、それ以外の点で変なところがあった。無表情でいつもリラックスしていることだ。これほど失敗していても落胆する様子が一切ないのだ。衝動的ではあったが、当人はいつも平然としているだ。そして決まっていう言葉が「何をしていいのかがわからない」であった。
 こうした感情の崩壊した人たちの特徴は、何かを選択することが困難なことだ。好きな方を選ぶように指示しても決断することがまるでできないのだ。先に述べた感情の幅の考えで言うと、感情の幅の下限が非常に高くなっているため、感情が生まれず、行動にならないということである。
 にもかかわらず、彼らは衝動的に振る舞う。普通の人とは違うタイミングで唐突に怒り出したりもする。感情に障害を抱えているため、感情の下限と上限の幅がなく、下限のラインを超えると直ちに上限のラインも超えてしまい、無感情から行動へと飛躍するのだ。
 そのため社会復帰が出来ず不幸な人生を送ることになる。感情が崩壊しては知力が高くても使い道がないのである。
 
.感情と脳の関係は?[感情01-07]
.感情の脳回路がある
 脳の障害の研究から、感情がどこではたらいているかはある程度判明している。図を見てみよう。
 どんな感情かを認識するルートは、感覚器官→感覚野→感覚連合野→扁桃体→前頭前野→運動連合野→運動野→運動器官だ。
 感情の量を認識する場合は、体内→視床下部→運動連合野→運動野→運動器官。
 また、嫌悪、恐怖などの、複雑な分析の不要な感情の場合には、感覚器官から直接扁桃体に入るルートもある。
 感情の行動を制御するルートに感覚器官→感覚野→感覚連合野→大脳基底核→補足運動野→運動野→運動器官がある。
 その中でも、特に感情に関連する部分は、扁桃体、視床下部、大脳基底核、前頭前野である。
 
脳の回路図
扁桃体
 扁桃体は感情の認知の器官である。
 扁桃体にはいろいろな感情に対応する細胞がある。サルの扁桃体には、好物にのみ反応する細胞なども発見されている。
 サルはヘビを見ると逃げ出す。ところが、扁桃体を除去されたサルはヘビを恐れることがなく、かえって食べようとしたりする。感情が失われたのである。
 もちろん、人間でも重大な影響を及ぼす。アメリカのテキサス大学で38人を射殺した凶悪犯をその後解剖したところ、扁桃体に腫瘍があったのである。
 
視床下部
 感情には二つの要素がある。1つは「行動を生み出す前に感じられること」もう一つが「分量の認識ができる」ということだ。
 視床下部の活動の活発さが感情の量に対応する。どんな感情かには関係なく、いま生まれている感情の量を示している。
 視床下部のある細胞に電極を差し込んだラットは、その電極に電流を送るスイッチを押し続ける。スイッチまでの通り道に、電気ショックなどの苦痛を設定してもそれを乗り越えて押し続け、食事も取らないで倒れるまで押し続けるの。これは、強い快感が生み出されたためと考えられている。
 各感情には関連する化学物質がある。興味にはドーパミン、愛にはオキシトシン、怒りにはテストステロン、恐怖にセロトニンなどが推定される。これらの量が感情の量に関連するのだ。
 
大脳基底核
 大脳基底核は、感情の行動を調整している。
 大脳基底核には、感情にともなう行動に対応して興奮する細胞が見つかっている。ここが感情による運動プログラムを制御している。快感と不快感が生み出され、行動をおこすのだ。
 
前頭前野
 前頭前野では、運動プログラムが作られる。具体的な行動を生む部分だ。
 これら扁桃体、視床下部、大脳基底核、前頭前野が感情のある場所であるといっても、その他の部分が無関係なわけではない。心の作用はすべて循環するルートがあってはじめて成立するのだが、そのルートが最も狭くなる部分が、扁桃体、視床下部、大脳基底核、前頭前野なのである。   
.感情とは何か?[感情01-08]
.感情は記憶でもある
 こうした脳の感情回路は、赤ちゃんから子ども、そして大人へと人間が成長する中で経験により発達していく。そういう意味で感情は記憶の一種ということができる。
 感情が記憶だというのは意外かもしれない。そこでまず、なぜ記憶というべきなのか説明しよう。
 感情とは、環境情報に対する特定の反応パターンだ。侮辱されたら怒るというような、状況と行動の組み合わせのことである。
 多くの人は、年を取ると角が取れて温厚になることがある。怒りの行動へとつながる入力が減少したということだ。入力と出力の組み合わせも人生経験を積むことにより変化するということである。
 もっと簡単な例、子供のころ犬に咬まれたため犬が怖いとすれば、犬⇒恐怖の記憶といえる。
 感情とは、生活の中で入力と出力の組み合わせを覚える、すなわち記憶なのである。
 感情記憶の特徴は、0から記憶するのではないということだ。ひどく侮辱されたら、誰でも怒り出す。こうしたパターンは人類共通である。すなわち、一定のパターンは遺伝的に決定されており、それが少しずつ変化していくのだ。それが最も変化しやすいのが幼児期であるので、性格は幼児期に決まるといわれるのだ。
 感情の基礎は遺伝子にあり、それは植物の種にたとえることができる。感情に関連する遺伝子とは、植物の種のようなものなのだ。
 その植物がどんな形に育つかは、幹の太さや葉の茂り方などは完全にはわからない。環境次第である。人間もまた環境により、一人一人異なって行く。種から実がどれだけなるか想像できないように、どんな性格になるかは完全には決まっていないのだ。
 しかし、種から育つ植物が決まっているように、遺伝子にないものは出てくることはない。
 また、種に問題があれば、どんなに水をあげても育たないかもしれない。また、どんな植物の種かで育てかたはまったく異なる。
 水をやるのは親、日光や降水条件などは生活環境に相当する。こうしたいろいろな影響を受けながら感情は成長していくのである。
 
.性格とは何か?[感情01-09]
.感情記憶の組み合わせが性格
 感情は後天的要素が大きいため、人によっては感情に強い偏りが生じて、生活において悩みを生み出すことも多い。いわゆる性格上の悩みである。
 性格というのは実につかみどころのない概念だ。
 占いなどでは、どの性格だといわれても当てはまっているように思えるものである。これは、性格というものが全体的なイメージの統合されたもののためだ。本当に人間について理解したいならば、さらに細分化して感情として考えなければならない。性格とは、感情の組み合わせの全体的な傾向のことなのだ。
 気が短いけど涙もろい情の深い人ならば、怒りの感情の上限が低くてすぐに怒りの行動をとってしまうが、哀れみや悲しみの上限も低くて涙を流すわけだ。短気と情の深さは別々の要因であり、それぞれ別々に考えなくてはならない。こうして感情の一つ一つについて検証することにより、本当の性格というものが理解できるのだ。
 私たちは、子供時代に体験的に感情を学習していく。
 しかし、大人になると体験的学習は難しくなり、理論が必要となる。
 感情は、無意識の記憶である。無意識の記憶というのは、運動の練習のようなもので、実際に行動して試行錯誤することにより発達するものである。
 ところが大人になり記憶力が発達すると、感情を含む出来事はそのままエピソードとして記憶されるようになり、感情の発達は弱くなっていく。
 それは言語学習に似ている。子供なら自然に体得できるが、大人では理論的に学ぶ必要があるのだ。大人が性格に悩んだ場合には、感情を理論的に学ぶことによってこそ、子供時代からの感情の歪みを補正することができるだろう。
 また、教育者の立場に立てば、生徒の性格面での発達を客観的にチェックすることもできるだろう。もちろん、性格は個人差の大きなもので、みんなが同じわけではないし、同じである必要もない。しかし、異常な性格をもち異常に個性的な場合は、社会的に適応できなくなる。それを社会の枠内に引き戻さなくてはならない。
 
.コンプレックスとは何か?[感情01-10]
.感情記憶の異常形成
 自分の感情を正しく認識できなくなり、それを否認する現象としてコンプレックスがある。
 ある男性の話。彼は会社では人当たりのよい心優しい人である。
 ところがこの男性、家庭に帰ると妻に対して文句ばかり言っている。何か嫌なことがあると何でも妻のせいにして当たり散らすのだ。
 こうした男性は、子どものころ母親に十分に甘えることができなかったためと考えられている。母親にたいする愛憎を妻にぶつけているのだ。妻を母親の代理としていると考えるわけでだ。母親に対するコンプレックスが、本人の意思に関係なく決まった行動をとらせてしまうのだ。
 一般に、こうした本人の意思に関係なく決まった行動をとらせてしまう何物かを、コンプレックスと呼ぶ。
 さて、これは確かにありそうなことだが、妻を母親の代理にするというだけではとても納得できるものではない。第一、母親に甘えられなかった男性がすべて妻に冷たいなどとは考えられない。そのメカニズムについて考えなくてはならない。
 母親に甘えることができないとはどういうことか。それは母親に甘えても相手にされなかったということだ。しかし母親は子どもにとって不可欠の存在である。相手にされなかったからそれでよいというわけにはいかない。そこでより強くアプローチすると考えらる。力ずくでタダをこねて要求したり、嘘をついて注意をひこうとしたり、悪口をいって母親を怒らせようとして注意をひこうとするのだ。
 こうした男性が大人になり結婚すると、その影響が出てくるのだ。子どもの頃に形成された対人反応パターンが大人になっても出てしまうのである。
 妻と母には共通点がある。それはその男性に優しくすべきであると社会的に認定されている存在だということだ。また、身の回りの世話をし、日常長時間をともに過ごし、感情を抑えたり遠慮したりしないでよい相手だということである。
 この共通性が、かつての母への反応パターンを妻に対しても引き出すと考えられるのである。
 かつて母に対するパターンがダダをこねるものであったら、妻にも力ずくで応対しようとする。嘘をついていたなら妻にも嘘をつくでしょうし、悪口をいっていたなら妻にも口汚く罵ると考えられる。
 すなわち、この子どもの頃にどのような反応パターン――感情記憶を形成したのかが問題となるのだ。コンプレックスとは幼児期に成立した不自然な情緒的反応パターンであり、感情記憶の異常形成であるということができる。
 
.感情を豊かにするには?[感情01-11]
.異なる感情を呼び起こし対立させる
 コンプレックスのような不自然に形成された感情記憶は修正しなくてはならない。それにはどうすればよいか。
 それには感情を正しく認識し行為と分離することが必要だ。たとえば、すぐカッとして怒ってしまうのを直したいのなら、怒らないで済ませられるぎりぎりの状況を何回も経験し、「自分は怒っている」という感覚をよく噛み締めることだ。そして、少しずつレベルを上げて行くことが必要となる。ただし、このとき実際に怒って行動してしまうと、無意味になってしまうので注意が必要だ。
 行動しないで済むぎりぎりの強い感情を認識することで、感情の上限が上がることになる。しかし、行動すると感情の上限を下げてしまうのだ。
 感情とは、状況と行動の組み合わせの記憶である。ある状況である行動をすると、その組み合わせが強化される。怒って殴れば、怒り⇒殴るが強化される。ある状況である行動をしないと、その行動をしないという組み合わせも強化される。怒り⇒我慢するが強化されるのだ。
 とはいえ実際に行動しないだけだとストレスを溜めるだけである。大脳基底核が行動を求めるためだ。ですから、悔しさを感じて自己研鑽するなど、理性的に考えてなんらかの別の行動と組み合わせるようにすることが必要だ。
 また、感情を調整する技術として「視点転換法」がある。感情は状況によって発生する個人的なものであるから、立場を変えると異なる感情が生まれる。同じ出来事も見方によってまったく異なるものとなるのだ。
 仕事の失敗で上司に怒られたときも、上司の立場なら怒って当然かもしれず、周囲から見ればあんなに怒ることでもないと同情されているかもしれない。あるいは、その上司も顧客に陳謝してまわっているのかもしれず、そうなら上司も大変だと同情してしまうしれない。さらに、無関係な部外者から見れば滑稽なシーンかもしれない。
 思いっきり極端に視点を移動させて、遠い惑星から研究に来た宇宙人になったつもりで、「こいつは何て奇妙な生き物なんだ!」と感心してしまうことも可能だろう。
 あるいは、未来の自分に視点を動かす。ここで殴ってクビになって、路頭に迷って後悔する自分や、ここは我慢して後に認められるようになって出世する自分などを想定するわけだ。
 このように、異なる種類の感情を呼び起こして中和してしまうことにより、一つ感情にとらわれてしまうのを防ぐのである。
 こうした感情調整の技法の一つにカタルシスという考え方もある。
 カタルシスとは、一般に悲しいときに悲劇を見たり、中島みゆきの暗い歌を聞いたりとか、その感情と同じものを経験すると、かえって感情が浄化されてすっきりするという考え方である。
 しかし実はこれは同じ感情で浄化しているのではなく、違う感情を起こしているのである。
 たとえば、悲劇を見たときは登場人物に対して「哀れみ」の涙を流すのであって「悲しんでいる」のではないし、いらいらした攻撃的な気分のときにゲームで敵を攻撃するのは「怒り」ではなく敵を倒す「喜び」が生まれているのだ。ゲームでも、それがいつまでもクリアできないと、ますますストレスをためてカタルシスどころではない。
 カタルシスというのは、一見同じ感情を増やすように見える方法で違う感情を引き起こすことにより、一つの感情に膠着してしまうことを防ぐ作用のことなのである。
 
.感情はどのように発達するか?[感情01-12]
.感情は葛藤の中で分岐発達する
 次章からは具体的に感情の一つ一つを分類して説明する。あらゆる感情について、どんなときに感じるか、なぜどのように進化で発達したのか、感情が生み出す行動、その行動の社会的影響などについて述べていく。
 図3の感情の進化系統図を参照すること。7つの主要な感情とその派生感情について説明していく。
 興味の系統に、興味、楽しさ、倦怠感、可笑しさ、恋がある。
 嫌悪の系統に、嫌悪、憂鬱がある。
 驚きの系統に、驚き、当惑がある。
 怒りの系統に、怒り、不平不満、恥、軽蔑、憤り、恨み、悔しさ、焦燥感がある。
 恐怖の系統に、恐怖、安心、畏怖、不安がある。
 愛の系統に、愛、幸福、誇り、淋しさ、憎しみ、嫉妬、悲しみ、哀れみ、罪悪感がある。
 希望の系統に、希望、照れ、喜び、感謝、羨望、自信、無力感、失望がある。
 注意すべきこととして、一見よく似ているのに、まったく質が違う感情がある。楽しさと喜び、自信と誇り、照れと恥、羨望と嫉妬、憂鬱と不安、不平不満と焦燥感、嫌悪と軽蔑、恋と愛、罪悪感と感謝など。これらは外側から見るとよく似た行動をとるため区別しにくいのが、起源の異なる異質な感情である。
 感情には、良いもの、悪いものはない。軽蔑、怒りのようなマイナスと考えられがちな感情といえども、生きて行くうえで必要な大切な感情である。それらも、無ければ困るのだ。軽蔑のない人間は気疲れが多くたいへんであるし、怒りのない人間は不当に低い立場に押し込められてしまうのである。
 多くの心理的な問題は、感情記憶の形成不全、分岐不全としてとらえることができる。愛情の発達の不十分な人は、愛情という幹から広がる、誇り、哀れみ、罪悪感、責任感といった高度な感情を形成することができない。これらは感情の木の発達として視覚的にイメージして理解するのがよいだろう。
 感情の発達と分岐は葛藤により生まれる。怒りを感じ、怒りのままに振る舞うことがうまくいかないことにより、恥や悔しさなどが新しく形成される。喜びを感じ、喜びをそのままに振る舞うことがうまくいかないことにより、感謝や照れが生まれる。豊かな感情は人間関係の葛藤と試練の中で発達するのである。
 
.感情はどのように分岐するか?[感情01-13]
.状況・評価・予測・喪失・共感の5種の分岐パターン
 ある感情から新しい感情が分岐するときのパターンは大きく5種類に分類される。
 ある元の感情をAとし、新しく分岐する感情をXとする。いずれの場合も、感情Aがなければ感情Xもないので、これをXはAから分岐したと表現する。
 
1.状況による分岐(驚き・当惑・恥・軽蔑・悔しさ・恐怖・畏怖・憎しみ・喜び・感謝・照れ)
 感情Aが起こる状況にもかかわらず、感情Aによる行動が不適応で損失を被るため、周囲の状況によりやむなく別の行動Xをとるようになり、それが定着したもの。この場合も感情Aがなくなるわけではなく、感情Aが起こる状況の一部が、感情Xの起きる状況として新しく分岐する。状況をより細分化して対応するようになる。
 
2.評価による分岐(無力感・自信・倦怠感・楽しさ・可笑しさ・淋しさ・誇り・幸福)
 感情Aによる行動の結果を評価する感情。感情Aによる行動が終わった後に新しい行動Xが必要となり、それが定着したもの。
 
3.予測による分岐(不平不満・焦燥感・憂鬱・恨み・不安・嫉妬・罪悪感)
 ある未来の状況を想定がすることである感情Aが感じられるとする。しかし、それは想定であるため現在とは状況が異なり、その感情による行動は不必要であり、新しい感情Xが生まれる。
 
4.喪失による分岐(安心・悲しみ・失望)
 ある感情Aが生まれる状況が続いた後、それが喪失する。すると、その状況にふさわしい新しい行動が必要となり、それを生み出す感情Xが生まれる。
 
5.共感による分岐(憤り・哀れみ・羨望)
 ある他者の状況を想定することである感情Aが感じられるとする。しかし、実際には他者とは状況が異なるため別の行動が必要となり、新しい感情Xが生まれる。
 
 いろいろな感情の進化は、地球上の動物の関係にたとえられる。地球環境を一人の人間と考えます。するとその中にたくさんの感情が共存しているわけだ。そして、その進化の中で後から生まれた感情、例えば恥や罪悪感があり、太古より繁栄し続けている愛情や恐怖などがあるのである。
 
 
.自分の感情を知るには?[感情01-14]
.個々の感情をチェックしよう
 人の感情は、次章から述べる三八種でほぼすべて網羅されている。人間の行動は感情によって生まれるため、ある人が何かの行動をすれば、この中のどれかの感情──それは一つのことが多いが、複雑に組み合わさっていることもある──によって行動したことになる。
 ある人が、どうしてそんなことをするのか知りたいと思ったなら、これら感情の発生条件をその人の状況に当てはめて比較することだ。そうすれば、その理由がすぐ理解できるようになる。
 また、感情が生み出す行動は一定しているから、ある人がどのように行動しようとするかも予測を立てることができる。十分なデータさえあれば、その人のこれからの行動を読みきることができるのである。
 これは、相手を少し知っただけなのに何もかもわかるという、超能力のようなことではない。心理学による心の理解とはそうしたものではない。私たちは、夫婦や親子のように十分に相手を知ることができる関係でも誤解することがしばしばある。そうした誤解を無くすことができるということである。
 もし自分の性格が知りたいなら、自分の感情と比較することだ。各感情が淘汰上価値の通りに機能しているなら、それは健康的といえる。もし感情に不足や過剰があるならそれを補正する努力をしたほうがよいだろう。それには理論的に考えて予想し慣らすことが必要である。感情の行動をしないぎりぎりの経験を積み重ね、感情をよく認識できるようにすることが必要なのだ。
 
(注意・caution!)
 以下、感情の具体的解説において、しばしば男女の違いについて述べていく。しかし、これは男性すべて女性すべてについて述べるものではない。あくまでも平均値の違いを述べるわけだ。
 例えば、「女性はおしゃべりである」という場合、その意味合いは「男性は背が高い」というのと同じである。ある男性より背の高い女性はいくらでもいるように、女性の平均よりおしゃべりな男性、たとえば明石家さんま、古館伊知郎などもいるのである。
(※この文は三角形の交通標識のようなデザインで次の章の扉にする)