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.人間性の感情−愛と希望
.【愛】とその派生感情はどのように分岐したか?
.【愛】は血縁淘汰から分岐した
              ┌───────幸福
              │  ┌────誇り
 血縁淘汰 ━━━━━━┳┳┷━━┷━━━━愛(尊敬、崇拝、愛着)
            ┃┃┌───────淋しさ
            ┃┃│┏━━━━━━憎しみ
            ┃┃│┃ ┏━━━━嫉妬
            ┃┗┷┻━┻━┳┳━悲しみ
            ┃      ┃┗━哀れみ
            ┃      ┗━━罪悪感(責任感)
血縁淘汰⇒愛
 血縁淘汰とは、血のつながりのある血縁関係にある動物同士が共同する進化の力のこと。詳しくは5章で解説する。血縁関係同士の共同する行動が愛の行動へと進化するのである。
 
愛⇒誇り
 評価による分岐。愛の行動――他者への利他的行為の結果がうまくいっているとき誇りという感情が生まれる。
 
愛⇒幸福
 評価による分岐。自分が愛の行動――他者への利他的行為の対象となっておりそれに満足しているとき幸福という感情が生まれる。
 
愛⇒悲しみ
 喪失による分岐。愛の対象が喪失したとき悲しみを感じる。
 
悲しみ⇒淋しさ
 評価による分岐。愛の対象の不在を認識したとき淋しさを感じる。
 
悲しみ⇒憎しみ
 状況による分岐。愛の対象が喪失したときその原因に対して感じるのが憎しみである。
 
悲しみ⇒哀れみ
 共感による分岐。他人の悲しみを推測することにより哀れみを感じる。
 
悲しみ⇒嫉妬
 予測による分岐。悲しみが予測され、それを相手の考えを変えることで解消しようとするとき嫉妬を感じる。
 
悲しみ⇒罪悪感
 予測による分岐。悲しみが予測され、それを自分を変えることで解消しようとするとき罪悪感を感じる。
 
.【愛】はどのように進化したか?[感情04-01]
.運に生存が左右される集団性の動物において【愛】が進化する
 6番目の基本感情が愛である。
 愛は、興味に母性本能、すなわち、血縁淘汰の原理による変形が加わり、さらに拡大され同胞に広まったものである。興味から状況による分岐をした感情である。
 愛は、恋人同士の愛だけでなく、家族愛、親子愛、兄弟愛、人類愛、友情も含まれる。また、尊敬、崇拝なども愛の一種である。
 人における愛の行動は相手のためになる何かをすることである。あるいは、許容し、そばにいて受け止めてあげようとする。無意識的な義務感があって、相手に何かしてあげようとする気持ちが愛なのだ。
 それらは母子の関係にあった、愛を与える母と受け取る子供、この二種を同時に発現させたものである。人類は子供のまま大人になるネオテニーの傾向があるため、子供の感性が失われずに大人にまで残る。子供として母に頼る感性――甘えも失われないままとなり、大人として人に与える愛と共存させたのである。大人同士の愛とは、両者が交互に母と子供としてふるまうものなのである。
 赤ん坊には親の愛が不可欠だし、成人でも友情は生存に有利となる。愛は集団の維持につながるのである。子供の世話をするほとんど動物に愛の行動がある。大きさや細かさが異なるが、愛の感情があると考えてよいだろう。
 愛は母性本能──すなわち、本来女性のもの。そのため、平均すると女性に強く現れる。また、親子は永遠に親子──すなわち、愛は永遠たり得るのである。
 進化の歴史上で、愛が子供以外に広まるには条件がある。個体の能力差に関係なく、運不運の大きい食事を行う動物においてこそ愛が発達するのだ。そうした動物では、他を助けることによる利益が大きいためである。
 たとえば、吸血コウモリは、吸った血を仲間に分け与えることが知られている。そのとき、血縁には関係なく、以前に血を分けてくれた相手に分け与えるのだ。これは、愛の行動と考えてよいだろう。
 類人猿には、愛着の行動が見られる。類人猿の毛づくろい、口移しは、人類の愛撫とキスに対応している。抱擁などはまったく同じことが行われる。
 
.【愛】とは何か?[感情04-02]
.【愛】は交替する母子行動
 愛が発生するきっかけは、赤ん坊のような可愛い存在か、生活における共同者、恋人同士、夫婦、親子のように利害と生活をともにすることによる。仕事の同僚でも、愛は発生しやすい。同性の場合は、多く友人関係となり友情と呼ぶ。
 自分と似ている人、趣味、性格、価値観、しぐさ、容姿などが共通していると愛をいだきやすくなる。世界で最も似ているのは自分の子供だからだ。似ている人に何かをしてあげたいと感じるのだ。ただし夫婦、親子、兄弟といえども、利害や生活が共通しないと愛のないこともある。
 愛には手順がある。
 第一段階は、好きという興味の感情により相手の探索が行われる。この時期、相手のことを知ろうとして、相手の好きなことを好きになろうとしたりする。
 第二段階は、試しの行動が行われる。相手の嫌がるようなことをして、どのぐらい自分が受け入れられるのかを試そうとする。仲良くなるとジョークが飛び交うようになるということだ。
 恋人同士の愛では、さらに愛着の行動が行われる。恋人同士はいちゃいちゃした子供っぽい行動をする。これは交替する母子行動であり、ときに母となり、ときに子供となるのである。恋人に口をあけさせて食べ物を食べさせてあげようとすることなどは、そのものと言える。恋人はまさに「My baby」なのだ。キスは、母が赤ん坊に食べ物を吐き戻して柔らかくして与える原始時代の習慣の変形と考えられている。愛撫などのスキンシップは、本来、赤ん坊を安心させるための行為である。手をつなぐのも母親と幼児の行為だ。これらの行為をすると、子供のころの母の愛の記憶がよみがえり、それが今いる恋人へ向かうことにより、愛の感情記憶が形成されるのである。
 養子に迎えられた子供も、新しい親にたいして赤ん坊のようにふるまうことがある。泣き出して駄々をこねたり、既に必要もないのにおむつをしてもらいたがったり、母乳や哺乳瓶を求めたりするのだ。血縁がなく、自然に母子行動を経験しない他人同士は、親子のように深い関係になるために母子関係をなぞる必要があるのである。こうしてこそ愛の感情記憶が形成されるのである。
 
.【愛】と【恋】はどう違うか?[感情04-03]
.恋は興味でいつかは失われるもの
 恋愛といい、恋と愛を同じものとして扱いがちであるが、これは全く別物である。英語圏では「love」として同じ範囲に扱うため特に混同されがちだ。恋は興味の系統ですから相手を知り尽くせば終わりだが、愛はお互いの必要性が続く限り終わりは来ないのだ。
 恋に比べて相対的に愛が弱いと、恋多き女性あるいは愛の放浪者とも言うべく、恋愛遍歴を重ねることになります。愛のない恋はいつか必ずさめるのである。
 
.尊敬とは何か?[感情04-04]
.子どもの親に対する【愛】が尊敬
 尊敬や崇拝も愛の一種である。尊敬がより盲目的な場合、崇拝である。尊敬すると、相手の意見を尊重し、軽視しなくなる。親に対する愛が発生するのだ。そのため、子供時代にとっての親のように、自己との能力差が大きく感じられる相手に発生する。いきなり親と認定するので、愛着の行動は既に済んだものとして行われない。
 女性は尊敬する男性を愛することがしばしばあるが、男性は尊敬する女性を恋愛の対象とすることは比較的少ない。男性は若さを恋愛対象に求める。尊敬は年齢的な成熟を示すため、恋愛対象として敬遠しがちとなるのだろう。また、男性のもつ強い順位行動が妨げるとも考えられる。これは怒りで詳しく述べた。
 愛の対象は人間以外のこともある。信心深い人は、神を愛の対象として崇拝するし、仕事に熱心な人は、仕事を愛していることがある。
 
.【幸福】幸福とは何か?[感情04-05]
.愛の状況の評価が【幸福】
 幸福は、愛から評価による分岐をした感情である。自分の現在の愛の状況を評価した感情が、幸福である。
 結婚式の新婚夫婦は幸福である。愛の対象があり、愛が双方向に成立しているのだ。幸福は愛の行動の満足感の高さといえる。相思相愛なのである。もちろん、別に男女間にこだわる必要はない。愛とは無償の利他行為であるから、幸福は無償の利他的行為が相互に成立していると生まれるといえる。
 幸福は、警戒心の低下させる。肉体と精神を休息させるのだ。また、自己の生活スタイル、思考パターンの安定化を生む。変化させないことにより成功を維持し、守りに入るのである。
 
・トルストイの言葉
 人生においてただひとつの疑うことのできぬ幸福は、他人のために生きることである。
・ゴーリキーの言葉
 人生最大のたのしみ、最高のよろこびは、自分が人々に必要な人間であり、近い人間であると感じることである。
 
.【誇り】とは何か?[感情04-06]
.愛の行動の評価が【誇り】
 誇りは、愛から評価による分岐をした感情である。誇りは既に述べたプライドとは異なる。プライドは、恥すなわち怒りの系統の感情だ。英語でも誇りはオーナー(honor)でありプライド(pride)ではない。
 仕事の成功などが社会的に認められている、あるいは認められるべきと認識している、他人の称賛を受ける仕事をしている場合など、他人の役に立っているという実感が誇りである。すなわち、誇りとは、自らの行動が不特定多数の人々に愛をもたらすものであると感じることである。
 誇りは、行動の安定した実行をうながす。迷いを減らし、自信をもって行動し、考察よりも積極的に行動するのだ。
 愛の行動にたいする評価の感情といえる。幸福は愛の状態の評価であるが、誇りは行動の評価である。また、幸福が家族レベルでの評価であることが多いのにたいして、誇りはそれより大きな集団におけるレベルの評価であることが多い。
 ある独裁国家で、民主運動家が捕まり死刑になるとする。そのとき、決して志を曲げず死を恐れる色もなく処刑された場合、誇り高き死に様であったという。これは、その行為がその国の人々に勇気を与える、愛の行為と考えるからなのである。
 
.【愛】と性は男女でどう違うか?[感情04-07]
.男性は性と愛の分離の度合いか大きい
 性の欲求と愛の感情は、男女で大きく異なる。一般的に、男性は性と愛の対象に差があるのにたいし、女性はかなり近くなっていると考えられている。すなわち、男性が性欲を覚える対象は、愛情を覚える対象よりも範囲が広いのにたいし、女性は似た対象に性欲と愛情が生まれる。
 ある男性が性風俗の店に行くとする。それを聞くと女性は嫌悪を感じますが、男性の友人はなんとも思わない。そうした店に行かない男性でも、やはりそれほど嫌悪は感じないのである。
 アダルトビデオに出てくる女性は、はっきりと男性の性の対象を象徴している。清純派もありますが、淫乱という設定の方が多く、その方が性欲が強く発揮される。そして、この女性は愛情の対象にはあまりならない。
 これらは、男女の機能差によって性淘汰された結果と考えられる。男性は性行為による損失がほとんどないのにたいし、女性は妊娠という大きな結果を生むためである。
 もちろん、これは感情が組み立てられた原始時代の話で、現代とはまったく事情が異なる。避妊できるし、男性に法的に責任が求められる。ですが、感情がそれによって変化したわけではなく、感性は原始時代のまま。感情が変化するには数万年は必要と考えられる。
 
.援助交際はなぜ良くないのか?[感情04-08]
.援助交際は【愛】の発達システムを壊す
 援助交際でやっかいなのは、ほとんどの人がなぜ悪いか理屈で説明できないことである。援助交際は売春の変形であるが、ふつうの男女の付き合いでも男性が一方的にお金を使うことがあるので、そのボーダーラインはあいまいである。また援助交際では、被害者がいないので「だれにも迷惑をかけていない」という理論が成立しているが、それは売春でもまったく同じである。
 売春が禁止ということは、他の犯罪に巻き込まれる危険性を別にすれば、夫婦、あるいは将来の夫婦でないもの同士が性行為をするべきではないという考え方のためである。ところが、現代では性風俗の店やアダルトビデオなどで、性行為と愛情を分離することが半ば公認されている。もともと男性は性の対象が愛の対象より広いことを考えると、現代は女性の男性化が進んでいるともいえる。
 問題は、夫婦あるいは将来の夫婦、恋人同士ではないもの同士が性行為をするべきではないと考えられているのはなぜかということだ。
 性行為の体位は無防備で危険である。特に女性は相手に身の安全を任せる態勢になり、また妊娠の危険があるので、好きでもない相手と性行為すると恐怖が伴うのは自然な感性である。古来より近年まで女性の死亡率の1位は出産時の死亡だった。出産とは、女性にとってとても危険なことだったのである。
 そのため人類にはもともと好意をもたない相手に肌を触れられることを恐れる感覚がある考えられる。そして、肌の接触が最も多いのが性行為であるから、本当に信頼できる相手としかすべきでないと感じるのだ。
 現代社会では法律があり医学も発展しているため、危険度が低下している。そのため、危険の感覚が麻痺しつつあり社会問題化しているのである。
 そしてもう一つ問題になるのは愛の形成に関してだ。愛は交代する母子行動である。そして性行為にともなうスキンシップもその母子行動の変形である。性行為には愛の感情記憶形成という役目があるのだが、性を愛と分離して経験してしまうと、その効果がなくなってしまう。すなわち、愛を深める手段を失うことになってしまうのである。
 そのため、こうした愛のシステムを公式に仕事にしてしまっている女性は大変である。たとえばAV業界のAV女優には、精神的に不安定な女性が多くいるといわれている。
 
.【悲しみ】とは何か?[感情04-09]
.【悲しみ】は愛の対象の喪失の宣言
 悲しみは、愛から喪失による分岐をした感情である。
 家族が亡くなったときや、別れて会えなくなるとき人は悲しみを感じる。愛の対象を失うことが悲しみである。自らが利他的行為を行う対象を失うと、悲しくなるのである。
 悲しみには特定の表情がある。眉の内側が上がり、斜めに目を狭め、口の両端を下げる。そして、泣く。涙は悲しみの主要な表現である。強い悲しみならその場にうずくまってしまう。全体に動きが緩慢になり、活動の停滞をともなう。
 泣くという行為は、自分一人では処理できないことが発生したとき仲間を呼び寄せるための信号で、悲しみ以外にも発生する。悲しみのときに泣くのは、愛の対象を喪失を周囲に伝え、新たな対象を必要としていることを宣言しているのである。
 活動の停滞させることには、自己の生活を再評価、反省させて、行動パターンの変化を促す作用がある。これは、よくないことがあったのだから、それを次から避けるためである。
 悲しみは不快なもの。そのため、悲しみを避けようと努力することになる。悲しみは愛の対象の喪失が原因なので、愛の対象を失わないように努力するようになる。
 また、悲しみの中にいる人間は他人の感情によく共感するようになる。これは、新たな愛の対象を探すためである。
 そなわち悲しくて泣いている、ふられた異性にいい寄って口説くのは本能的に正しい判断である。そのために悲しんでいるともいえるのだ。ただし、遺伝的なパターンであって本人の意志ではなく、相手に嫌われる可能性もかなりある。
 悲しみを感じないと、泣かないから、その効果である仲間の援助が得られない。気丈ですが、近づきがたい印象を与える。逆にすぐに悲しみを感じて泣くと、頼りなくうっとおしい人と思われてしまう。
 人類に悲しみが発達したのは、同胞の援助が得られるからだ。集団で行動し、共同で生活する動物は悲しむと考えられる。ただし、鳥類、爬虫類、魚類にはないと思われる。彼らがつがいの相手を失ったときに変わった行動が見られるが、それは戸惑っているだけで悲しんでいるのではないようである。
 
.【淋しさ】とは何か?[感情04-10]
.【淋しさ】は愛の対象の不足のアピール
 淋しさは、悲しみから評価による分岐をした感情である。
 孤独なとき、愛する者のいないときに感じるのが淋しさである。利他行為の対象のいないことを認識すると淋しくなる。淋しさとは、幸せの反対といえる。
 泣くこと、活動の停滞、他人の感情への共感性の強化など、悲しみと同じである。
 淋しさの表情と行動は、他の仲間への救援要請としてはたらく。これにより新しい愛の対象の獲得が促進される。自己の生活の再評価により、行動パターンの変化を促し、不快な淋しさを避けようとする。悲しみと同じである。
 ペットは淋しさをまぎらわすことができるのは、ペットが愛の対象となるためなのである。植木が不自然に多い女性なども淋しさの現れのことがある。
 
.【嫉妬】とは何か?[感情04-11]
.【嫉妬】は愛の対象の喪失への警戒
 嫉妬は、悲しみから予測による分岐をした感情である。
 新しく弟が生まれ、母親の愛がそちらに奪われると、兄が弟をいじめたりする。あるいは、恋人が他の異性と仲良くしていると嫉妬を感じる。嫉妬は、愛の対象が失われるのではないかという予測により発生する。
 そのため、もし仕事を愛していれば、自らの仕事を奪いかねない有能な人間にたいして嫉妬を感じることもある。
 嫉妬すると、信頼関係安定のため試しの行動が行われる。たとえば、いい女を見て、でれでれしている夫を妻がつねるというようなものである。愛する対象へ軽い攻撃するのだ。愛情の維持、確認のための感情である。愛の防衛行動といえる。
 嫉妬は、悲しみから分岐した感情である。愛の対象の喪失の危機に、怒りの行動を結び付けたものである。そのため、怒りの大きな人は、嫉妬も大きい傾向がある。
 嫉妬に似たものはチンパンジーにも見られる。チンパンジーはまれに雄が雌を交尾のために連れ出すことがあり、そのとき、ついてこないと攻撃となだめを繰り返す。これが、憎しみや嫉妬の原型のようなものと考えられる。
 
.【憎しみ】とは何か?[感情04-12]
.【憎しみ】は愛の喪失についての怒り
 憎しみは、悲しみから状況による分岐をした感情である。
 かつての仇討ち、親のかたきには憎しみがある。家族を殺されたものは、その犯人を憎むことが多い。怒りを越える、極限的な激しさをもっている。そして憎しみは、復讐という行動を生み出す。憎しみはあらゆる感情の中で最も危険なものである。
 怒りと異なるのは、愛があって憎しみがあること、怒りは威嚇であって攻撃ではないのにたいし、憎しみは攻撃であって威嚇ではないということである。
 憎しみは、愛の対象を喪失した時に、その原因にたいして抱く感情である。基本的には人間への感情だが、対象を擬人化することにより他の生き物や自然現象に向かうこともある。地震で自分の子供が死亡すれば、地震を憎むことも可能である。
 異なる宗教の信者には憎しみの素地がある。宗教の神とは、愛──無償の利他的行為を献上する存在である。ところが多くの宗教は異教の神を否定している。否定とは、愛の対象にたいする攻撃に等しいので、他の宗教の信者を憎むことになりやすいのだ。
 愛には家族や共同体を維持させる力がある。それを破壊に導くような行動への罰則として憎しみが発達したのである。他人の愛を尊重しないものを罰するのである。
 しかし、実際の憎しみの行動は法律が代行することになっており、法律違反となる。現代社会では、憎しみの効果は法律によって万人に保証されるため、行動は押さえなければならない。
 憎しみは、人類特有かもしれない。雌のゴリラは、自分の子供を殺した雄をそのまま配偶者とすることがしばしばある。チンパンジーには、戦争や子供殺しが記録されているが、報復というのはない。ゴリラやチンパンジーには憎しみはないのかもしれない。
 
.【哀れみ】とは何か?[感情04-13]
.悲しみの共感が【哀れみ】
 哀れみは、悲しみから共感による分岐をした感情である。
 他人の不幸な話を見聞きするとかわいそうと思い哀れみを感じる。他人の不幸にたいして寄せる同情の気持ちのことである。
 哀れみを感じると、不幸な人に援助しようとする。貰い泣きすることもあるし、そっと肩を抱いてあげたり、黙ってそばにいてあげたりする。
 通常、感情はそのまま伝染するものだ。ところが、悲しみは不快なものであるため、そのまま伝染すると、悲しんでいる人を避けてしまうことになる。そのため、快不快を越えた感情として哀れみが登場することになったのである。
 哀れみにより集団が協力が強化されるだろう。悲しみから分岐した感情であり、悲しみの中に愛の行動を結び付けたものといえる。
 
.【罪悪感】とは何か?[感情04-14]
.【罪悪感】とは愛の喪失の予感
 罪悪感は、後ろめたい、申し訳無い、すまないともいう。そして、責任感もこの変形と考えられる。
 罪悪感は、悲しみから予測による分岐をした感情である。
 罪悪感は、愛する人の期待を裏切ってしまったと感じたときに生じる。宗教的な罪悪感も、神と呼ばれる人格の期待を裏切ったと感じることである。
 このとき、裏切ったのは自分の愛する人の期待であって、愛してくれる人の期待ではないので、相互に愛しあっている必要はない。
 しかし、実際には自分を愛してくれている人を裏切った場合も、たいていは罪悪感が生じる。愛してくれている人に、愛をまったく抱かないことはあまりないからだ。
 罪悪感の大きさは、愛の大きさに比例する。より強く愛する人にたいしては大きく罪悪感を感じる。
 罪悪感では、悲しみと恐怖を折衷したような表情する。これは、相手の援助──すなわち、許しを乞い、かつ服従を示すものである。
 その行動は、謝ることである。「すみません」という。強い罪悪感では土下座なども行われる。行動力が低下し、人目を避ける。反省し、原因について思考する。
 また、服従心が高くなる。人の指示に従うことにより、愛を回復しようとする。その場から逃れることができない感じがあり、相手の言葉を待つのだ。その後、償いの行動を取りおぎなおうとする。これも、愛の回復を期待するためである。
 また、罪悪感は不快なものであり、犯罪など社会を脅かす行動を抑制する効果もある。
 
.罪を平気で犯す人はなぜいるのか?[感情04-15]
.愛の経験がない人は罪を感じない
 罪悪感は悲しみから分岐した感情である。
 自分の行動が原因で相手に拒絶されたとき罪悪感が生まれる。子供のころ、何か悪いことをしたとき、母親に「こんなことをする子供はわたしの子供ではない、出て行きなさい」と言われたとしよう。これらは記憶により固定され、拒絶を生み出した行動に類似する状況を再現すると罪悪感がともなうようになる。
 愛する相手を失わないために自己を変えようという感情が罪悪感であり、相手を変えようとするのが嫉妬である。
 罪悪感を感じない人は迷惑だが、感じやすい人は抑鬱的になる。他人のために常に自分を変えようとしてもできるものではない。内向的な人は罪悪感を感じやすく、外交的な人は嫉妬を感じやすいといえるかもしれない。
 成長過程で信頼関係、愛をうまく育てることができないと、罪を感じない人間に成長する危険がある。誰にも愛を抱かない人間は、罪をまったく感じず、人を平気で裏切り騙す。信頼関係の希薄な孤立した人間は、その行動に罪悪感が発生しにくく、犯罪を犯しやすいのである。
 犯罪者は、しばしば家庭環境に問題がある。愛を知らないため、失うことへの抵抗がなく、犯罪へのブレーキとならないためなのだ。犯罪者を更生させるのに、愛情をもって優しくしなければならない──わたしたちにこうしたことができるだろうか?
 もちろん、愛情は豊かなのに甘やかされたため罪悪感だけが欠如したタイプもある。そうした人に愛情を与えても効果はない。
 区別のカギは嫉妬の気持ちを調べることである。前者は嫉妬も弱いが、後者は激しく嫉妬するのである。
 罪悪感は、実際に愛する人の期待を裏切った場合だけでなく、「このままだと期待を裏切ってしまう」という予測でも発生する。これは一般に責任感と呼ばれる。この場合、たいていは愛の行動――人を援助する行動であることが多いため、罪悪感と異なり積極的なものとなる。
 罪悪感は、社会的な悪とは異なる。社会的な悪が、罪悪感として感じられるのは、あなたの愛する人が、社会悪を期待しないからである。人殺しに罪悪感を覚えるのに、戦争で人を殺すのに罪悪感を覚えないのは、それが期待されるためである。
 
.自己のしっかりした人間になるには?[感情04-16]
.アイデンティティの確立は【愛】より始まる
 責任感はアイデンティティの確立と深く関係がある。
 ピーターパンシンドロームというのがある。アイデンティティが確立されず、いつまでもふらふらと方向が定まらない人のことだ。夢や口にすることのみが大きくて、何かを成し遂げるということがない。
 どうすれば、アイデンティティを確立したしっかりした人生を送ることができるのか。そもそもアイデンティティとは何か?
 それは自己責任領域ということができる。これこそ自分がやるべきことだと確信する範囲のことである。この範囲を見つけることができた人は、自らの行動に迷いがなく力強く生きることができる。
 自己責任領域とは、自己が責任感を感じる範囲のこと。この範囲を確定することがアイデンティティの確立と呼ばれるのである。
 では、責任感とは何か?
 責任感とは、罪悪感を回避する愛の行動である。罪悪感とは愛の喪失へのおそれのこと。愛する人、好意を抱いている人の信頼を失うことを回避しようとする感覚のことである。
 そのため罪悪感を感じる人は、それを避けるため積極的に愛情を確保する行動に出る。これが責任感による行動である。
 自己責任領域を確定するには、周囲の人の愛情ある関係が必要とわかる。愛がないと罪悪感がなく、責任感も生まれないのだ。愛がないと「〜すべき」という感覚が生まれることがないのである。
 アイデンティティの確立には、愛の発達⇒罪悪感の発達⇒責任感の発達⇒責任感の確立という順序があることがわかる。
 社会に出てもふらふらして行動の安定しない人たちの多くは、愛の発達が悪いのかもしれない。人との相互協力行動の快感を身につけていないのである。人間関係の希薄な中に育ったことが原因と考えられる。
 アイデンティティの確立は、まず強い信頼関係を作ることから始まるといえる。
 
 
.【希望】とその派生感情はどのように分岐したか?
.希望は知性から生まれた

         ┏━━━照れ(恥じらい、はにかみ、謙遜)
     ┏━┳━┻━━━喜び(嬉しさ、懐かしさ)
     ┃ ┗━━━━━感謝
 知性─┬┸─┬──┬──希望(野心、憧れ、意志)
    │  │  └──羨望(うらやむ)
    │  └─────自信(優越感、侮辱)
    │    ┌───無力感(惨め、劣等感、後悔、せつなさ)
    └────┴───失望(落胆、がっかり)
知性⇒希望
 知性とは、思考により未来を予測したり考えたりする能力のこと。予測した未来が好ましいものであると、そうなるように行動しようとする。このようにして希望という感情が生まれる。
 
希望⇒羨望
 共感による分岐。他人の状況を想像してそこに自分の希望を見いだしたとき羨望を感じる。
 
希望⇒自信
 評価による分岐。希望の行動が達成されることが予測されるとき自信を感じる。
 
希望⇒失望
 喪失による分岐。希望が達成されなかったとき失望が生まれる。
 
失望⇒無力感
 評価による分岐。失望が続いたとき無力感が生まれる。
 
希望⇒喜び
 状況による分岐。希望していたことが達成されたとき喜びを感じる。
 
喜び⇒照れ
 状況による分岐。希望していたことが達成されたもののそれが偶然であり、自分の能力以上のものと感じたとき照れを感じる。
 
喜び⇒感謝
 状況による分岐。希望していたことが達成されたものの、それが他者の力による場合、その相手に対して感謝を感じる。
 
.【希望】とは何か?[感情04-17]
.【希望】は強い意志を生み出す感情
 7番目の基本感情が希望である。
 希望という感情は他の系統とは少し違う。他の感情はまさしく感情らしい感情であり、興味と嫌悪から進化した古いものであるのに対し、希望はワーキングメモリから分岐した知性を中心とするものである。
 未来についての思考を行い、それが快適なものであると感じた場合、その状況になるように努力しようとする、これが希望である。
 もしも、できそうにないほどの大きな希望の場合には野心と呼ばれる。また、具体的な人物が理想像としてあると、憧れと呼ばれる。
 希望が、どんなときに生まれるのか考えてよう。
 道に迷ったときに、知っているような気がする場所に出たとき希望を感じる。まだ確信はないが、打開されそうだというとき希望を感じる。現在の状況はまだ悪いが、打開策が見えたとき、状況の好転が予測されるときである。自らに好ましい予想をすることが希望といえる。希望は具体的によい将来を考えることにより、行動にエネルギーを与える。現在の行動の促進、加速をもたらすのが希望の特徴である。
 希望は意志を生み出す。希望が行動として現れ、失われずに継続すると意志と呼ばれる。意志の強さとは希望の強さなのだ。意志が弱いと、実現が困難な希望は放棄されてしまう。強い意志を持つには、より具体的で的確なプロセスをイメージする必要がある。
 また、肯定的な過去の体験を多くもつほど意志が強くなる。子供の頃の達成の経験こそが強い意志をはぐくむのだ。
 
.【失望】とは何か?[感情04-18]
.希望の反対が【失望】
 希望から分岐した感情に、失望、羨望、自信、無力感などがある。
 失望は、希望から喪失による分岐をした感情である。失望は希望と異なる結果を体験すると感じる。入学試験に落ちるなど。そして、がっかりとして肩を落とし、行動のペースを低下させる。これは、いままでの行動パターンの評価を訂正し、反省を促す効果を持つ。
 失望には予測が不可欠である。予測に関係なく損したりするだけでは失望は感じない。また、希望は自己に有利な予測であり、不利な結果が予測されている場合には、失望の度合いが軽減される。もし希望がまったくない場合なら失望することはない。
 
.【羨望】とは何か?[感情04-19]
.他人の成功に自分を重ねると【羨望】
 羨望は、希望から共感による分岐をした感情である。羨望は、他者の成功を認知したときに発生する。宝くじを当てた人はうらやましい。他の人がもっていて、自分にないものを欲しがるのだ。羨望とは、自分の希望を他人が達成したときに発生する感情である。
 発生条件が似ているため、嫉妬と羨望は同時に生まれることが多くある。知らない人が宝くじ一等賞をもらっても羨望だけだが、仕事のライバルが先に昇進すれば嫉妬の方が強く生まれるだろう。
 羨望は、他者の成功を認識することにより、自己の成功のイメージの強化し、自己の行動の促進させる効果がある。希望を強化する作用をもつと考えられる。
 羨望の行動は、ため息など。物欲しそうな表情をする。これは注意すべきものをアピールする信号である。すなわち、周囲の人の援助をひき出す効果があるのだ。
 
.【自信】とは何か?[感情04-20]
.成功を拡大する【自信】
 自信は、希望から評価による分岐をした感情である。自信とは、行動を起こす前の感覚で、「何でもできる」という感じである。希望はいつでも達成できるという自己能力の評価といえる。
 優越感は、勝利の前、他者より勝っているとの認識により生まれる。競争に勝つことを希望する場合の自信が優越感である。人間は、他人を追い越すことを希望にもつことが社会的に要求されるため、優越感として感じられることが多いのである。
 人は自信を持つと、積極的行動が多くなり警戒心が低下し油断しやくなる。他人に遠慮しなくなり傲慢にふるまう。自信過剰にならないよう気をつけたいものである。
 物事をよく考えずに、即断即決に行動する。これは成功を一気に拡大する効果と、肉体的、精神的な休息をもたらす。
 これらには自己の成功のアピールの効果もある。とくに男性のもつ適度な自信は、女性へアピールする。逆におどおどしていれば嫌われるのである。
 
.【自信】と【誇り】はどう違うか?[感情04-21]
.【自信】と【誇り】の違い
 自信は希望の系統であるのに対し、誇りは愛の系統である。自信はあくまでも自分の能力についての感情であるが、誇りは自分が他人に役立っているという感覚から来る。誇りはまさに誇るべきことであり、他人もまたそれを見て惜しみなく賞賛を与え、人々に尊敬される。
 いわゆるお金を持っていることや地位の高さの自慢は誇りではなく自信である。自信はそれをアピールしても馬鹿にされることがある。
 合コンの席で、女性に一流大学を出て一流企業につとめていることを自慢しても「だからどうなの?」と馬鹿にされるだけである。それに対し医者だったり弁護士だったりする場合は相手に尊敬されるかもしれない。前者は自分の能力をアピールしているだけですが、後者は人の役に立っていることがはっきりしているからである。
 
.侮辱とは何か?[感情04-22]
.自覚なき優越感の怒りが侮辱
 相手にたいして優越感をもっているときに怒りを覚えると、緊張感のない怒り──侮辱が生まれる。侮辱は怒りによる宣戦布告行動のなのだが、自信のため気がゆるんだままなのだ。
 注意すべきことは、侮辱は怒りによるということだ。侮辱されたからといって、相手がただ低俗な人間だというわけではない。侮辱するのにも原因があるのである。もともとあなたに優越感をもっており、そのとき怒りを覚えたから侮辱するのである。
 侮辱されることを好む人はいない。他人に侮辱されないにようにするには、怒りを買わないようにするか、相手に優越感を持たせないようにしなければならない。
 また、相手を侮辱することも敵をたくさん作るだけで褒められたものではない。しかし、侮辱した本人は自分が怒っていることの自覚はなく、侮辱したという意識も持たない。自分より立場の弱いものに怒りをあらわすときは侮辱的に振る舞いやすく、注意が必要なのである。
 
.【無力感】とは何か?[感情04-23]
.希望の達成不能感が【無力感】
 無力感は、失望から評価による分岐をした感情である。
 努力したにもかかわらずテストの点数が低いときなどに無力感を感じる。ただし、そのテストの点数にたいして感じるのではなく、次のテストもよくないだろうという、努力しても無駄だという予測によって生まれる。なぜ成績が悪かったのかはっきり理由があれば無力感はない。無力感とは、希望を達成することができないという感覚なのである。
 劣等感は、優越感と同様、競争社会であるため無力感が比較の形であらわれたものである。希望が相手を上回ることで、それができないと、劣等感と呼ばれるのだ。
 無力感をもっている人間は、行動の積極性が失われる。どうせうまくいかないと考えて行動しようとしなくなる。何かをしなければならないときも、どうせ成功しないと感じて、なかなか行動できず、優柔不断な人間となる。
 無力感は、記憶により失望が持続したものであり、淘汰上の価値は少ない。せいぜい行動を停滞させて、反省を生み、人生の方向転換を促進する程度である。
 草食動物が肉食動物に捕らえられると、意外に早く無抵抗になる。そのとき仲間が現れ、助かる望みを感じると抵抗を再開し、脱出できることがある。このことは、力をすべて出し尽くして倒されるのではなく、たいていは無駄なあがきをせずに食べられてしまうということだ。哺乳類には無力感があるのかもしれない。
 
.後悔とは何か?[感情04-24]
.後悔は記憶システムが生み出した副作用
 無力感のメカニズムが生む効果にもいろいろなものがある。
 愛についての無力感がせつなさである。
 愛の感情がありながら、実行に移すことができないとき、あるいはその効果が感じられないとき、せつないと感じる。片思いで愛しい人を目の前にしながら何もできないときや、子供のためを思ってしてあげたのに子供に邪険にされた母親などである。
 せつなさは、愛と無力感が同時に発生したときに生まれるのである。
 無力感が最も大きいときに行われるのが、自殺である。
 人間は、どんなに悲しくとも自殺することはない。無力感が自殺の原因なのである。自分の存在による影響力がなく、自分はいてもいなくても同じだと考えるためだ。芸能人が自殺すると後追い自殺する人がいるが、この場合も悲しさのあまり自殺するのではなく、芸能人の死を止めることができなかった無力感のため自殺するのだ。
 たくさんの人物が自殺する『ノルウェーの森』という小説は、無力感が詳しく描かれている。そのためベストセラーになったのだ。
 ただし、怒りによる自殺も多くある。政治にたいする抗議の焼身自殺や、いじめによる自殺にも多く含まれる。「おれが死ぬのはおまえらのせいだからな」と主張しているのである。
 ここまでいかなくとも、無力感には人を苦しめる要素がある。後悔はその最も代表的なものである。
 後悔とは、過去の出来事を思い出し、その状況に希望を見いだすことである。こうしていれば成功したのだと、気づくのだ。そして、過去の出来事はもはや訂正できない──当たり前である──ため、無力感を感じて落ち込んでしまう。
 しかし、時間の流れにたいして無力なのは誰でも同じだから、相手を間違っているというべきである。あのとき、このことを知っていればこんなことにならなかった──そう思っても、知らないのですから避けられるはずがないのだ。過去を過去と見ることができず、過去を現在と混同してしまうための誤解である。後悔は記憶システムが生み出した副作用なのだ。
 後悔は、将来に類似する出来事が起こったとき、過ちを繰り返さないための対策と割り切らなければならない。
 
.【喜び】とは何か?[感情04-25]
.【喜び】は自己成功のアピール
 希望から状況による分岐をした感情に喜び(嬉しさ)がある。希望によって予想された快適な状況が達成されたとき、喜びが生まれる。
 予測が自らの望む方向へ的中すると喜びを感じる。頭の中で予想した仮想世界と現実世界が一致することによるものである。目標を達成すると喜ぶのだ。
 野球でサヨナラホームランを打ったときの選手たちのたたき合い、ペナントレース優勝チームのビールかけ、サッカーでゴールを決めた選手の表現、試験の合格発表での跳び上がっての喜び、ガッツポーズやバンザイなどが、喜びの行動である。全身が緊張し声を上げるなど激しく興奮する。体と精神のエネルギーがあふれ出して表現するのが喜びである。まさに、狂喜乱舞することこそ喜びの極限といえる。
 予測しなかった喜びというものはない。考えたこともないことの実現は、いくら本人に有利でも喜びをもたらさない。喜びは自己の能力のアピールのため、自己の能力と認識できるものでないと喜ばないのだ。ただし、人間はいろいろなことを考えるため、考えたこともないことはほとんどない。そのこと自体は考えたことがなくとも、そのことによる結果は考えたことがあり、喜ぶことが多いのである。  たとえば、道路でトランクを拾い、その中に一億円詰まっていたとしたら、その瞬間は喜ぶことはなく、戸惑うだけである。しかし、その後、謝礼などでお金が入り裕福になったとき喜ぶのだ。
 喜びが極限になると泣き出すこともある。喜ぶべき状況が感覚連合野で認識され、それが運動連合野に送られて何か行動プログラムを生み出そうとし、このとき、喜びが大きすぎてそれを消化するのに十分な行動のプログラムを生み出すことができないと、泣いて喜ぶことになる。
 さて、どうしてこんなふうに喜んだりするのか、考えてみると奇怪な行動である。しかしこれも進化を考えることで解くことができる。
 喜びの行動は、自己の成功を仲間にアピールする行動なのだ。自分は有能だと主張し、社会における自己の地位の上昇を要求しているのである。原始時代には、獲物を自ら捕らえたとき狩猟の成功をアピールし、他人の尊重を勝ち取っていたと考えられる。
 そのため、喜びのポーズは男性において顕著であると考えられる。スポーツ選手のガッツポーズというと男性のものばかり思い浮かびますが、これは偶然ではない。
 和を貴ぶ日本では、喜びは隠される傾向にある。相撲、将棋、囲碁の勝者は決して喜びを表には出さない。他人を押しのけることを嫌うためである。
 こうした喜びは快感であるので、現在の行動の継続、再実行へと導く。これにより希望の達成への努力を強くすることができる。
 また、人間には共感能力があるので、自己同一視できる人の喜びは、自分の喜びにもなる。愛する人の喜びは自分の喜びとなる。そして、肯定的な感情がまわりに伝染することが社会的きずなを強める。みんなで喜びを分かちあうことにより、団結力が増すのである。
 喜びは進化においてもかなり後に生まれた感情である。喜びは周囲へのアピールであるから、集団行動する動物にしか存在しないだろう。また、予測できなければならないので、知性も必要で、類人猿だけにしかないのではないか。
 たとえば、チンパンジーは果実を発見すると気違いじみた叫びをあげる。発見の喜びであると考えられている。
 
.懐かしさとは何か?[感情04-26]
.懐かしさは【喜び】の誤作動
 喜びのメカニズムは、いろいろな特殊な状況を生み出す。
 一つは、喜びのシステムのおまけというべき、懐かしさである。
 子供のころなどを思い出すことにより、私たちは懐かしさを感じる。これはかつての良い思い出と現在の状況が一致する、喜びのシステムによって生まれる。未来予想でなく、過去の想起によることが喜びとの違いである。
 仲の良かった幼なじみの友人に再会したり、あるいは思い出の品物などが懐かしさを生み出す。その懐かしさによる一致はそれほど強くないので、懐かしさの行動もまた喜びのやや弱いものとなる。
 学生時代に単に知り合いだっただけで、特に親密というわけでもなかった男女が、社会人になり再会すると、恋に落ちることがある。これは懐かしさの喜びが作用して二人の関係を強くしたと考えられる。
 
.ギャンブル依存症にならないためには?[感情04-27]
.代わりになる【喜び】を作り出す
 喜びの危険な側面にギャンブル依存症がある。
 ギャンブルがおもしろいのは、喜びをもち、その成功が金銭──すなわちテリトリーの拡大につながるためある。パチンコなどは、喜びの要素──目標(出ろ、出ろ)と、達成(大当たり)を最も簡素化した形で備えているといえる。喜びの的中時には、脳にベータ・エンドルフィンが増加する。ギャンブルにのめり込む人とは、「喜び中毒」なのである。
 喜びは本来、自己能力のアピールであるから、努力と練習が必要である。ところが、ギャンブルでは自己の能力にあまり関係なく一定量の喜びがその場でただちに得られるので、これほど人気があるのである。
 ギャンブルに過剰にのめり込む人の多くは、日ごろ目標達成が少ない人かもしれない。自己決定する作業が少ない地位の低い人は、目標達成も少ないためギャンブルにのめり込みやすくなる。目標や夢を失った人もギャンブルにのめり込みやすくなる。
 ギャンブルは大きな金額が動く。ところが、地位の低い人は経済的に豊かではないため、生活にダメージをもたらすことがある。さらに、ギャンブルの場合、アピールの効果が金額に比例するため、より大きな金額を得ようと考えて投資し、悪循環を起こす。
 過剰にギャンブルにのめり込まないためには、目標をもって生活し、その喜びのアピールを受け止める家族や友人をもたなくてはならない。
 
.拒食症の要因は何か?[感情04-28]
.【喜び】依存による脳へのダメージ
 もう一つ、喜び中毒の例に拒食症がある。拒食症の始まりは自己コントロールの喜びとして始まることがあるのだ。痩せようと決意して、減らす体重を決める。そして思った通りに体重を減らすことができると、自分の意志の達成に喜びを感じるのだ。
 これだけなら問題ないはずだが、過剰な減量――特に思春期の場合、脳の感覚を狂わせてしまうことがある。まるで飢餓に苦しむ難民のようにやせ細った身体に、美しさを感じるようになるのだ。そして、ますます過剰な減量をしてしまう。
 これは心理的なものというより実際に脳に異常が生じたもので、命にかかわる危険なものである。自分で解決することは困難なので、医師を利用しなければならない。
 
.挫折しない勉強をするには?[感情04-29]
.中間目標を立てて【喜び】を増やす
 それでは、人生に喜びを増やし快適に生きるにはどうすればよいか。
 それには、目標を立てることである。喜びは予測を達成することなので、まず将来の予測となる目標を立てることである。
 ただし、あまり不可能な目標では駄目である。達成できなければ挫折が多くなり、失望を繰り返すことになる。
 かといって、簡単な目標では、喜びようもない。
 ハッキリとした道筋を立てて、大きな目標を立てるのだ。そしてその道筋に中間目標をたくさん設定すること。
 例えば、英語をマスターするという目標なら、その途中でTOEICの点数の変遷を設定する。一年で100点アップでも、5年後500点アップとすればかなりのハイレベルが可能である。さらに一月当たり10点アップ程度を目指せば、それはそれほど困難ではない。
 目標を立てるときに重要なのは、相対的目標でなく絶対的目標を使うことである。他人との順位を目標にすると、相手次第で自分の感情が振り回されることになり、自律性を失ってしまう。
 英語の場合、TOEICはなかなか優れたテストである。TOEICはリスニングとリーディングしかなく、真の英語力は計れないという批判があるが、常に自分の前回のスコアと比較する限りこれほど安定して優れたテストはないと思われる。
 語学、資格、仕事の業績あるいはスポーツなど、何でも具体的なプランを作り目標を小刻みに立てると、目標達成の喜びが多くなり、積極的にいきることができるようになるのである。
 
.【感謝】とは何か?[感情04-30]
.他人の力による喜びに【感謝】
 感謝は、喜びから状況による分岐をした感情である。
 喜びは集団における自己アピールである。しかし、状況によってはアピールすべきでない場面もある。そうした状況に生まれる感情に感謝がある。
 喜びは自分の能力のアピールであるから、他人の能力を利用した場合には、明らかに不適当だ。たとえば、子供が、両親でなく親戚におもちゃを買ってもらったとき、「やったあ」と喜んだとする。そこで親が「ありがとうと言いなさい」としつける。結果、他人の力による喜びには感謝するようになる。恥、罪悪感とともに「しつけ」が必要な感情である。
 お金に困ったときに友人が大金をくれた場合など、他者によってもたらされた喜びにより感謝が発生するのである。
 感謝の行動は、笑顔を作ることであるが、より強ければ、泣くこともある。頭を下げてお辞儀し感謝を示す。「ありがとう」が、その言葉だ。最大の場合、土下座することもあるかもしれない。「いつかお礼をします」を意味する信号である。
 感謝は、喜びをもたらしたものへ好意を示し、相手への利他行為や人間関係を促進する。集団の結束を高めるのだ。
 外国人のサッカー選手がゴールを決めたとき、しばしば神に感謝を示す。こうした思想も、集団の結束を高める感謝の効果により発達したのだろう。あらゆる物事を神によってもたらされたとし、集団で同一対象に感謝することにより、人間関係におけるあつれきを減らす効果があるのだ。喜びのアピールがもつ他人を押しのけてのし上がる効果を減らし、妬まれにくくなるのである。
 
.【照れ】と謙遜の関係は?[感情04-31]
.謙遜は【照れ】の進化形
 照れは、喜びから状況による分岐をした感情である。
 喜ばしい場面でも、率直に喜ばず照れを示す人がいる。
 他人の称賛を受けたときなどに、こんなに褒めないで、というとき。あるいは、喜び過ぎた直後や、うれしいことがあり、それを指摘されたときなどに照れくさく感じる。照れは、称賛が過剰であるとの認識によって生じるといえる。
 こうした照れは経験的に発達する。何か喜んだ後の失敗、はしゃぎ過ぎや調子に乗り過ぎての失敗があると、その経験が照れを作り出すのである。喜びの中に警戒が生まれ、興奮を押さえようとするのだ。
 そのため赤面の表情となるものの、恥と異なり笑顔である。喜びとそれを押さえようすることによる葛藤の表情として赤面なのである。
 照れの行動は多様だ。隠れたり、逃げたりする。よくしゃべってごまかしたり、相手の体をたたいたりなど、軽い攻撃を示すこともある。
 照れは、自己が傲慢でないことをアピールしている。他人の反感を押さえる効果がある。まったく平然と他人の称賛を受けると、格好いいが親しみにくいと思われてしまうので、それを避けているわけである。
 男性は、恥じらい──照れをうまく出せる女性を好む傾向がある。これは恥じらいを年齢の指標として用いることと、相手の上に立とうとする傾向のためと考えられる。
 照れの行動には、「以後、これを当然のこととして考えないでほしい」という意味がある。能力を越える、過剰な期待と責任を与えられることを回避する。照れの行動の後は、他人の頼みごとを拒否しやすくなる。これにより、後の行動の失敗を減らすことができる。
 照れは好感を与えることも多いが、威厳を損ない評価を下げてしまう効果もある。それを防ぎつつ信頼を得る方法に謙遜がある。
 謙遜とは、照れの作用を意識的に行うことである。照れはあまりにも子供っぽい反応であるためだ。照れの反応のほとんとが身体的なものなのに対し、謙遜はその言語的内容で表現される。照れの反応を意識された言語に置き換えることで、照れを自己の能力に取り込んで成熟していることを示すのである。
 
.信頼されるリーダーになるには?[感情04-32]
.部下に信頼されるリーダーは謙遜と感謝が適切
 謙遜と感謝は、自分の能力に対する評価を示している。すなわち、何が自分の能力によって達成されたのか、何が部下の力によって助けられたものか適切に理解していることを示しているのだ。
 謙遜と感謝を示すことは、部下を認める効果を持つのである。
 適切というのは、何でもかんでも感謝謙遜するということではない。上司自身の能力であるものまで謙遜されても、部下は喜ばない。部下はある程度は上司が態度が大きいことを望むのだ。その方が安心できるのである。
 
.【照れ】と【恥】はどう違うか?[感情04-33]
.喜びとしての照れ・怒りとしての恥
 意外に思われるかもしれないが、照れと恥は多くの感情研究では似たものとして扱われている。赤面という表情、退避行動が共通するからなのだが、照れは喜びの系統であり、恥は怒りの系統であり、全く異なるものである。
 相手が照れたり恥たりしているときに、その感情を出す行動を継続すると違いがはっきりする。相手に恥をかかせ続ければ、我慢できずに怒り出すからだ。
 それに対して照れている人をさらに褒め続けても怒り出すことは滅多にない。筋の通った言葉でしっかり褒め続ければ相手はすっかり納得して素直に喜ぶことになるのである。