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お気に入り名著名言集
●感情−人を動かしている適応プログラム−認知科学選書24/戸田正直/東京大学出版会1992 より

 感情は野生環境の特徴に適合した適応行動選択システムとしての高度の合理性を持ったものである

 「理性」と「感情」の対立という古い固定観念を排除し、理性の母体としての感情を示唆した名言である。私が生涯において最も衝撃を受けた言葉であり、私の著書のすべての始まりでもある。

●ライフサイエンスの哲学/沢田允茂/講談社学術文庫1976 より

 近代の自然科学の自然現象にたいする制御の能力が拡大されればされるほど、その制御は単なる物理現象の制御だけに止まらず人間の心、あるいはその社会的行動の制御をも含まなければならなくなる。

 現代科学の限界と、自然への回帰はしばしば述べられることである。しかし、デカルト的自然科学の誤りは、すべてを精神のないモノとして扱ったことではない。人間を別のものとして除外したことである。人や社会をブラックボックスとして無視したのが誤りなのである。人と社会を対象とする強力な自然科学こそが求められているのである。

●言語と人間/沢田允茂/講談社学術文庫1989 より

 心はものではなく実体でもない。意識とは心は延長するものの一つである脳というもの(物体)の行うこと(仕事)である。

 科学者には、いまだに心に物質性を求める人がいるようである。物質と現象の関係を理解しておくべきである。

●哲学の基礎/沢田允茂/有信堂1966 より

 有効な哲学の理論をつくりあげるためには、そのときの自然科学、社会科学の問題としている点、政治や道徳や宗教などの当面する問題点を理解していなければならない。‥‥‥過去の偉大な哲学者といわれる人びとは、プラトン、アリストテレス、デカルト、カントなどをはじめとしてすべて当時の数学や自然科学あるいは当時の社会や文化の提出する問題をじゅうぶんによく理解した上で、これらの諸々の問題を最もよく解決することができるような根本的なプログラムをつくったのである。

 哲学はすべてを含む学問であり、学問そのものである。哲学をするものは最先端の科学や数学などあらゆるジャンルと対決しなければならない。過去の哲学者の言葉を研究するのは思想史研究であって断じて哲学ではない。日常を哲学語へ翻訳するのも哲学ではない。
 真の哲学者は他人の言葉を必要としないのである。

●シャーロック・ホームズの推理学/内井惣七/講談社現代新書1988 より

 自然とは無限の抽選箱のようなものである。

 ジェヴォンズの『科学の諸原理』からの引用。抽選で何度もひくことによりその中の青玉や赤玉の比率が推定できるように、科学理論の確かさも検証される。
 有限の抽選箱ならばすべてをひき尽くせば正しい比率がわかる。しかし、宇宙はほとんど無限であるため人間は100%の知識を得ることはできず、それに近づくことのみができるのである。

●数学の秘かな愉しみ−人間世界を数学で読む/K・C・コール/大貫昌子訳/白揚社1999 より

 科学的な予測の役割が誤解されがちなのは、多くは「理論は予測する」という一見無害な言葉からきているもののようだ。これを聞けば人々は予測という言葉を、未来を予測するという意味にとってしまうのも無理はない。だがほんとうは、これは現在の予測を指しているのだ。

 科学理論の予測は天気予報とは異なる。調査されていない現在の情報を予測するのである。科学理論は、四次元の因果関係ではなく三次元の構造を予測するのである。

●ポパー 批判的合理主義/小河原誠/講談社1997 より

 ポパーはそれを、法則的言明はある種の事態の出現を禁止していると表現する。

 反証できる理論のみが科学理論として有効である。たとえば「どこかにネッシーがいる」などは科学として意味を持たない。そのどこかをすべてチェックしなければ反証できないからである。

 まともな哲学の問題はつねに哲学外部の切迫した諸問題に根づいており、その根が腐敗すれば死に絶えてしまう。

 哲学の問題はつねに現実世界の困難から始まるのである。

 あらゆる知識人には、まったく特殊な責任があります。知識人には、学問をする特権と機会が与えられているのだから、仲間に対して自分の研究成果を、もっとも簡潔でもっとも明瞭に、かつもっとも謙虚なかたちで説明する責任があります。‥‥‥‥‥‥単純、かつ明瞭に述べられないのであれば、そのような者は、沈黙して、言いたいことがわかりやすくなるまで仕事を重ねるべきです。

 研究者は、つまらないことを大袈裟に書くのではなく、内容のあることを簡潔に表現できねばならない。

 快と幸福の追求から苦しみと悪の排除への転換

 快は人により大きく異なるため他人への幸福の押しつけは苦痛をもたらす。それにたいし、悪と苦痛はどこでもほとんど変わらない。我々はまず悪と苦痛の排除から目指すべきなのである。

 われわれの客観的な推測知は、いつでも一人の人間が修得できるところをはるかに超えている。それゆえ、いかなる権威も存在しない。

 権威とされる人物でもつねに間違いの可能性がある。批判する精神を失ってはならない。

 われわれは、誤りから学ばねばならないのであるから、他者がわれわれの誤りを気づかせてくれたときには、それを受け入れること、実際、感謝の念をもって受け入れることを学ばねばならない。
 ‥‥‥
 誤りを発見し、修正するために、われわれは他の人間を必要とするということ、‥‥‥
 ‥‥‥
 われわれは、自己批判が最良の批判であること、しかし他者による批判が必要なことを学ばねばならない。

 いかなることであっても誤りのある可能性を考え、他人の批判に寛容になってこそ進歩がある。

●物理学はむずかしくない/都筑卓司/講談社現代新書1975 より

 一番バカな人間は、分子や原子がほんとうに『ある』と思っている。
 中くらいの頭の人間は、分子や原子は『概念』だと考えている。
 利口な人間は、分子や原子をたんなる『約束』だと信じているのである‥‥‥

 都筑卓司氏の恩師の言葉。この柔軟な考えこそすばらしい。法則があって世界があるのではなく、世界があってそこに我々人間が法則を見いだすのである。分子や原子はもちろん、量子やクォークも、私たち人間と自然との約束ごとなのである。

●量子力学入門−現代科学のミステリー/並木美喜雄/岩波新書1992 より

 量子力学的粒子は「粒子性」と「波動性」を本質的側面としてもつ一つの「物理的実在」なのではないか。

 アインシュタインが嫌った量子力学の醜さを解決せんとする大胆な発言。従来の「粒子」or「波」から、「粒子」and「波」へと発想の転換を要求する。不確定性原理と決定論の整合性を示唆する名言。

●新しい医学への道/高橋晄正/紀伊国屋書店1964 より

 私たちは、医学は立派な自然科学であると思ってきた。しかし、自然科学の特徴は、いつ、どこででも、誰によっても同じように成り立つことであるといわれる。卒業して一年目の医者と、数十年の経験をへた老大家とで、同じ患者を診ても異なった診断をするようでは、医学は完全な科学といえなくなるのではないか‥‥‥

 現代、科学の発展はすさまじく、医療技術の進展には驚くものがある。ところがその医療技術を使うための医学は、いまだ科学以前の医術の集合でしかないのである。
 真に科学的・論理的なものは、誰が行っても同じ結果を生むものである。医学、特に東洋医学において熟練者との差が大きいことは、それが科学的・論理的といえないことを示している。

●おもしろ言語のラボラトリー/森俊昭編著/北大路書房2001 より

 「機械に同じことをさせることができたときに、はじめて人間の心のしくみを理解したといえる」と考える人たちがいて、私もその一人なのです。

 著者の一人、牧岡省吾氏の言葉。真の理解は言葉だけでなく行為にあらわすことができる。成果に結びつかない文章は空虚な言葉遊びに過ぎない。くだらない本を書く人にいってあげよう。「ゴタゴタいわずにやってみせな!」

●新・心理学入門/宮城音弥/岩波新書1981 より

 心理学という科学は「心」という「もの」を研究する学問ではなく、精神現象とか行動(感じることも、考えることも、すべてこれにふくめる)を研究する学問である。

 心理学は、ユングやフロイトのような非科学な直感の体系であってはならないし、逆に目に見えることだけに限定して思考や感覚について放棄してもいけない。内部構造を無視した推論ほど空虚なものはない。いかなる推論においても内部構造を念頭におかねばならない。

●人間性の心理学/宮城音弥/岩波新書1968 より

 心理学は、哲学の遺産相続を開始すべき時期に到達したのである。そして、心理学の本質は、これらの伝統をひきついで──本書のなかで私が哲学者やモラリストの仕事を無視していないことに読者は気づかれるにちがいない──心の科学を樹立するにあることを私は疑わない。

 今まで科学では語ることのできぬものとして避けられていた人間性に挑戦した大胆な発言。愛と憎しみ、喜びと悲しみ──こうした人間性の解明こそが心理学に求められるものである。私はこの言葉を受け継いだつもりであるが、読者の評価はいかがであろうか?
 ※モラリスト=人生論者

●心理学入門−第二版/宮城音弥/岩波新書1965 より

 「大著は大悪である」というレッシングのコトバにもかかわらず、わが国には大著を良著と思いちがいをしている人が多いようであるし、形式上のむずかしさと、内容上の難しさを混同して、わかりにくい本は、抵抗を感ずるゆえに、深遠なものだと誤解している人があるように思われる。

 無能な哲学者たちに聞かせてあげたい言葉だ。形式上のむずかしさと、内容上の難しさの違いが理解できない人たちの何と多いことか!

●道は開ける/D.カーネギー/香山晶訳/創元社1984 より

 賢者には毎日が新しい人生である。

 遠い未来の心配がある。しかし、どうすればそれを避けられるのかを悩むより、一日一日をしっかり生きることが大切である。遠い未来というのは、何が起こるかわからないものである。明後日のことは、明日のことが起きてから起こるし、明日のことは今日のことが起こってから起こる。世界の変化は比例的ではなく指数的なのである。

 慎重に決断を下したら、行動に移すこと。決断に基づいてひたすら行動しよう──そして、結果についての心配はいっさい無用だ。

 迷いながらの行動ほど能率の低いものはない。選択の時間と、行動の時間を区別し、行動の時間にはわき目もふらずに突き進むことが必要だ。

 父は一分間といえども、自分の好まない人間のことを考えながら無駄な時間を過ごしたことはありません。

 アイゼンハワーの息子ジョンの言葉。人に憎しみを感じたなら思い出そう。憎しみほど非効率で自分に損失を与えるものはない。愚か者のために共倒れを目指すのではなく、自分自身のために生きよう。

 だれ一人として、私を侮辱したり、手を焼かしたすことなどできないよ。そんなことは私は許さないからね。

 バーナード・バルークの言葉。言葉の攻撃は、物理的な暴力とは異なる。言葉は聞き手がそれを攻撃と解釈してはじめて、攻撃となる。それを単なる相手の自分への態度を示すデータとして見れば、いかなる侮辱の言葉も、相手の情動的能力の低さの告白でしかないことがわかる。「私は卑劣で無能なのです」──この言葉に怒りや憎悪を覚えるのはおかしなことではないか!

●カウンセリング心理学入門/國分康孝/PHP新書1998 より

 心が貧しいとは反応の仕方がワンパターンということである。

 人に対するときに、それぞれふさわしい行動を選び出して応対できてこそ心が豊かということができる。人によって態度を変えることは、えこひいきとは異なる。人間は一人一人が異なる個性を持つ。自分から見てある二人を平等に扱うことは、その二人から見て平等であるとは限らない。人に平等に接するとは、相手を無視した蔑視的な態度なのである。日本では平等意識の強さのために、真の人づきあいが失われつつある。

●子どもとあそび−環境建築家の眼/仙田満/岩波新書1992 より

 安心してあそべる道づくりというのが、子どものあそび環境にとって、大きな課題ではないだろうか。

 見事な発想の転換である。公園だけが遊ぶ場ではない。道もまた遊ぶ場であるのだ。住宅街などの車の通行量を制御する必要があるのはこのためである

●看護覚え書/フロレンス・ナイチンゲール/湯槇ます,他訳/現代社1968 より

 しかし経験をもたらすのは観察だけなのである。観察をしない女性が、五〇年あるいは六〇年病人のそばで過ごしたとしても、決して賢い人間にはならないであろう。

 ただ漠然と生き、多様な体験をしたとしても、経験豊富になるというものではない。そこに観察と分析があって始めてそれが経験となるのである。