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未刊の詩より
    Reuiem


●譚詩・ウィンフリート伝説
                 ひとつの生の形をとどめおくために
 

   むかしむかし はるかむかしのこと。 大いなる山脈の北に広が
  る ふかい森の中を ひとりの修道士が歩んでいた。 修道士とは
  いっても そのころはまだ 勇猛な騎士と区別をつけることが な
  かなか難しい時代のこと。 その修道士はもう若くはなく 黒馬に
  またがった後姿にはたしかに 老いの衰えを窺わせるものがあった。 
  しかし その眼差しの鋭さにはなお 多くの苦難や 鍛錬の日々を
  乗り越えてきた者のみが持つ 不屈の意志が表れていた。

   修道士の名前は ウィンフリート。 はるか大海の彼方 ウェセ
  ックスという町に生まれた。 若き日に ひとしくその町出身の同
  名の叔父 そう 時の教皇グレゴリウス二世に ボニファテイウス
  の名を授けられた あの高名な聖人の招きで この堅い大地 大陸
  を訪れたのだ。 ボニファティウスが 先祖伝来とはいえ まやか
  しと迷信の集積にすぎなかった 土地の神々の教えと闘い ついに
  かの邪神トゥールの象徴 ガイスマールの樫を切り倒したとき 若
  者ウィンフリートもその従者の一人だったという。

   爾来 ウィンフリートは この勇ましい叔父を誇りとし 模範と
  仰ぎつつ その生涯を歩もうと志した。 自らはひそかに そのよ
  うな果敢な心を欠くという 憂いを抱いていたけれども。 正直を
  いえば ボニファティウスが かの敬虔な修道女リオバを ドイツ
  伝道のために招き タウバービショフスハイムに 女子修道院を築
  かせたとき 姉のように慕っていた この女性から別れがたく ウ
  ィンフリートも 故郷を後にした。 真実はそのような事情であっ
  たから。 もちろんこれは他人に言えることではない。 リオバそ
  の人のほか これを知るものは誰もいなかった。

   時はひとを育み 試練はひとを引き上げる。 なるほど 献身の
  契機においては いささか勇ましさを欠いたかもしれぬ。 だが 
  叔父ボニファティウスの 信頼と支援とに応えんとして ウィンフ
  リートの自立心は鍛えられた。 さらに 希な機会とはいえ 心優
  しいリオバは 彼の心を察し 「やがて天のみ国にて み使い同士
  のように見えるまで」と 彼のはやる心を鎮め、励ましの言葉をか
  けてくれた。 これに応えてウィンフリートも 己が立場をわきま
  え 「一人の人を愛することが許されないのなら 俺は世界中の人
  を愛そう」と誓い その誓いを果たすべく いくどとなく困難な伝
  道の旅へと出ていった。

   そのような自制と 克己心こそが まことに若者の心を鍛え 大
  いなる業へと備えさせる。 いつしかウィンフリートは 北の辺境
  の各地で 異教によりたのむ幾多の人々を神に立ちかえらせ いた
  るところに修道院を築き 叔父の後継者と目されるまでに ひとび
  との信頼を勝ち得るに至った。 その名望は 大いなる山脈の南に
  も聞こえ ついには 教皇じきじきの委託を受けるまでに。 教会
  が西と東とに別れてよりこのかた 訪れる者も希な 東の地域を導
  くべく 再び宣教の業を始めるようにと。 かくしてウィンフリー
  トは 従順に辺境の地に向かって旅立ったが これが運命の旅とな
  るとは 自らは知るよしもなかった。

   この道をたどってゆけば 遙かな先はフリュギアという 東の果
  て まさに世界の果てる所に至ったとき ついに夜が暮れ 日々の
  糧も底をついた。 道沿いに人家はまばらに見えるが どの家も警
  戒して 訪れる者に堅く扉を閉ざし 息をひそめている気配。 こ
  れでは今夜は 野に宿営を張らざるをえない 食料の調達も不可能
  かと 一行が覚悟と決めたとき 薄暗くなった道を誰かが歩んでく
  る。 夕闇に浮かび上がった その姿は一人の少女。 丁寧に礼を
  つくし 一行を招く。 どうぞ今宵は私どもをお訪ねください 父
  母がそう申しておりますからと。 これはありがたいと 歓喜の声
  があがるなかで ひとり声もないのはウィンフリート。 娘の姿か
  たち また物腰のひとつひとつが、 あまりにもリオバそのひとに
  似ていたのだ。

   案内された先は 思いもよらぬことに 戸口の低い みすぼらし
  い住まい。 床とは名ばかりの 土間に粗布を敷いた所に 炉が切
  られている。 だが 待っていた老夫婦は この生活には何の引け
  目も 恥ずるところもないというふうに 一行を暖かい言葉で迎え
  る。 老人が惜しげもなく 蓄えの小枝を炉に投ずるそばで 老女
  は夕餉の準備にと 梁につるした乾し肉をおろし これまた当然と
  いう風に 人数分を充分に切り取る。 一行がみな 食して満ち足
  りるようにと。 二人の孫娘らしい 先ほどの少女は かいがいし
  くも二人に仕えている。 そのあいだに勢いを増した炎にまして 
  この一家の眼差し また長旅をねぎらう言葉は暖かく まことにこ
  れにまさるもてなしは 教皇ですら受けられはしないと ウィンフ
  リートの心は熱くなった。

   ささやかでも 心の豊かな饗応が済み さて一晩の床を借りると
  きとなった。 満ち足りた一行みなの感謝を伝えるとともに かく
  も旅人にねんごろな一家に 神の祝福と加護を祈って差し上げたい
  と ウィンフリートが申し出る。 老人はそれを恭しく受け それ
  はまことにありがたいことと述べて さらに言葉を継ぐ。 旅人を
  もてなすことは 私たちの喜びの糧。 むしろ私どもに欠かせぬこ
  となのです。 地上の生涯の なによりも祝福の源として 私たち
  はこの営みを 久しく受け継いでおりますからと。
                                その昔 この地
  を訪れた二人連れを 懇ろに迎えた老夫婦は 仲むつまじく齢を重
  ね 互いの死を看取ることなく 等しくこの世を去ったと伝えられ
  ております。 彼らの変身の徴として この林苑に立つピレモンの
  樫とバウキスの菩提樹。 これらの神の木を護る神官としての務め
  が そのような喜びを備えてくれるのですと。

   神の木! その言葉を耳にしたとき ウィンフリートは 従者た
  ちの心が静まり ひっそりと聞き耳を立てている気配を 背中にひ
  しと感じた。 だが 真実の愛に生きる者は 神の愛のおよぶ境を
  自ら定め そこに垣根を立てる者であってはならない。 愛とはま
  た、いずれが勝るかなどと 競い合いの言葉で語るものでもなかろ
  う。 動ずることなく ウィンフリートは 自らが身と生涯を捧げ
  る天の神とその独り子のことを語り その祝福をこころからこの一
  家のために祈った。 これにはまた喜びと感謝が返ってきた。かく
  して一夜が過ぎ 明くる朝も心よりの感謝と 祝福とを持って ウ
  ィンフリートたちはこの老夫婦の住居と森を後にした。
                                   だが しば
  しの道のりを行ったとき ウィンフリートは気づいた。 先ほどか
  ら 一行の足取りがそろわない。 胸騒ぎと悪しき予感をおぼえ 
  弟子たちに問いただすと 案の定 この伝道旅行に後から追いつい
  て加わった ルルカとその一党の姿がない。

   急いでとって返して 老夫婦の住まいを尋ねんとしたが もう遠
  くから 森に火の手が上がっているのが見える。 なんということ
  を! ウィンフリートは呪いの言葉を発しかけ 危うく口をつぐん
  だ。 森のひとところ高々と 木々の枝が折れ 木肌があらわにな
  っている そのあたりを目指すと、 地面には 倒された二本の太
  い幹が無惨に横たわっている。 その前に立ち、ルルカとその仲間
  が 斧を手に 昂然と挑むような眼差しで ウィンフリートを睨み
  つける。 今は問いただしている暇はない。 さらに 昨晩ひと夜
  を過ごしたあたりに 老夫婦の住まいを尋ねると、 その質素な住
  まいも形をとどめてはいない! 老夫婦はどこに行ったのか。 そ
  の骸に見ずにすんだのは幸いだが 彼らの姿はかき消えて いくら
  探しても見つからない。 あの愛らしい少女もどこにも見いだせな
  い。 とってかえしルルカに訊ねても 彼らの行方はついに知れな
  かった。

   伝承に拠れば ウィンフリートの伝道旅行は ここで終わったと
  語られている。 この後は ウィンフリート自身の行方が ようと
  して知られなくなった。 その活動が フリュギアの人々の怒りを
  かって かの地で殉教したとか あるいは 棄教して東の地で家庭
  を営んだとか 様々に語られはしたが その真相は誰にも知られな
  かった。 ひとの噂も途絶えるころ 北方フリースランドの地で 
  大ボニファティウスその人が殉教を遂げ フルダの地に葬られたと
  き その後継者として マインツの司教の地位を嗣いだのは あの
  ルルカだった。 かくしてルルカは 旅の成果をもっとも巧妙に用
  いたのだった。 なにしろ異教を祀った 名高い邪神の象徴をみご
  とに 二本もうち倒したのは彼だったから。 この地位継承には 
  おそらくは彼自身に帰すると思われる中傷 ウィンフリートの棄教
  の噂も なにがしかの力を発揮したかもしれない。

   そう この話の冒頭に描いた 老修道士のありさまとは まさし
  く そんな時期がもうずっと昔に過ぎ去ってしまった後の ウィン
  フリートの姿。 彼は殉教してはいなかった。 異邦の地で 普通
  の人として暮らしてもいなかった。 相変わらず修道士として 異
  邦の地を彷徨いつづけていた。 彷徨いつつ求めていたのだ。 求
  める想いの厳しさが その姿に強靱な意志の刻印を与えた。 その
  強さは何よりも彼の眼差しに まるで勇猛な騎士のものかと思われ
  る閃きを与えた。 さまよいつつ彼はいったい何を求めていたのか。

   ルルカの行為は ルルカの信と忠誠に拠るもので 若いウィンフ
  リートだったら 自らもそのとおり 振る舞ったかも知れない。 
  彼をこの使命へと派遣した人々も きっとその行為を賞賛したこと
  だろう。 しかしウィンフリートは そこにどうしても 人として
  の真実を欠いたものを 感じざるをえなかった。
                               信とは真ではない
  だろうか。 けれど 憤ってルルカをののしったとき 彼の中でか
  えって 信仰と情念とがふたつに分かれてしまった。 信仰は情念
  を非難し 情念は信仰との同伴を拒んだ。 そのような者として 
  もはや彼は己が何ものであるかを見いだせなかった。 ましてや地
  位ある司祭として 人を導くことなど。 そののち彼は 十数年も
  の間 各地で貧しい人々に施しをし 多くの人の命を救ってきた。
  しかしついに 独り己のみを救いえなかった。

   ある日そのようにして彼が なおも辺境の地を歩んでいくと 冬
  の気配を迎えた 色彩の乏しい土地に ドナウの谷の方角から 白
  い霧が追いかけてくる。 霧に逐われるままに歩み続けていくと 
  前方にあたらしく 大きな森が彼を迎える。 道は傾斜になり 森
  の奥へ奥へと続いていく。 ウィンフリートは一瞬ためらったが 
  耳を澄ますと道のはてに 沈黙の響きのようなものが 彼を促して
  いるように思われ 森の奥に向かおうと心を決めた。
                                  森の沈黙に促
  されるように 黙ってひたすらに 目の前の斜面をしばらく上った
  とき 道の彼方をふと子供の姿がよぎる。 一瞬のことだった。 
  幻か。 だがその姿にウィンフリートの心は躍った。 あの少女 
  リオバによく似たあの少女だ。 ウィンフリートはさらに目を凝ら
  す。 目を凝らすと たしかに子供の姿が見える。 その姿は ま
  るで鞠のように跳びながら遠ざかっていく。 嬉々としてはずむ笑
  い声は ウィンフリートを招いているよう。 彼はすぐさま決断し
  てその後を追った。 だが いくら馬を急がせても 子供の歩みは
  さらに素早く 次々と枝を移りゆく小鳥さながら。 そのようにし
  てウィンフリートを さらに森の奥深くへと導いていった。

  気がつくと ウィンフリートは森のただ中の 少し開けたところ
  に歩み出ていた。 もう子供の姿はどこにも見えない。 ふと目を
  上げれば なおも歩み往こうというその方角には どこまでもしろ
  く まだ誰も往ったことのない雪原がひろがり 丘のうえの木立を
  透けてくるひかりだけが つややかに刺繍をひろげて 慈しむよう
  に雪の肌をおおっている。 横たわる世界に寄り添うごとく。 腰
  のようになだらかな稜線を 冬はじめの日差しが 薄だいだいの色
  彩で縁取っている。 ふりかえれば 大きく昏い森のみどりが け
  むる靄のなかに その輪郭をまさに失おうとしている。 たちこめ
  る霧はますます濃くなっていき 行く手の丘も はるかにひろがる
  空も 乳色の光沢に包まれていく。

   そのときふと ウィンフリートには 森の沈黙の その響きが聞
  こえたように思われた。 耳を澄ますとたしかに聞こえる。 それ
  は歌うように、 そう 人の言葉で歌っているように。 あの子供
  の笑い声? そうだ きっとそうにちがいない。 「天のみ国にて
  は 人は皆み使いのよう もはや娶りも嫁ぎもしない。」 そのよ
  うに聞こえる。 たしかにそう歌っている。その声はウィンフリー
  トに 懐かしいリオバの声を思い起こさせた。 だがそれは 彼が
  久しく思い出しもしなかった言葉。もはや ウィンフリートの心を
  踊らせることはなかった。 俺はもう 天のみ国に入ることなどあ
  りはしない。 そのようにつぶやいて彼は馬を下りた。 馬を下り
  ると 押し寄せるように疲れが彼を捉える。 馬も疲れているだろ
  う。 しばらくやすませてやろうと 手綱を自由にしてやり 自ら
  も 傍らの山毛欅の根元に腰を下ろした。

   するとどこかで再び声がする。 「疲れたか ウィンフリート 
  重荷をおろせ 下ろして休め 休むがいい。」 先ほどの声のよう
  だ。 重荷だって? おれは生涯 身軽な修道士。 修道士でしか
  なかった。 おのが身の他に 担ってきたものなど何もありはしな
  い。 そのように応えようと ウィンフリートが目を上げると 重
  荷をおろせ おろせおろせ おもにをおろせ・・・
                               まるで木霊のよ
  うに 声が降ってくる それはやはり澄んだリオバの声のようで 
  しかしどこかに厳かなひびきがある。 声の降ってくる方角に 目
  を凝らすと なんということか。
                     山毛欅の枝々が 不思議にも こ
  の季節まで残していた葉を いま一斉に抛っている。 葉の一枚一
  枚が くるくるくるくると 速やかに舞い降りて ウィンフリート
  の足下を埋めていく。 大地を覆いながら 葉の輪郭はすみやかに
  薄れてゆき 大地を埋める雪の一色に変わっていく。

   ウィンフリートは その軽やかな響きに耳を澄ました。 耳を澄
  ま すとそれは とこしえに響き止まぬ くもりなく澄んだ歌の響き
  に聞こえる。 
         おろせ おろせ
        おもにを おろせ
       おろせ おろせ おろせ
      おもにを おろせ
     おろせ おろせ
               軽やかな響きは ウィンフリートの肩に降り
  膝にふり 頭に降った。懐かしい その声のうながされ ウィンフ
  リートはようやく たしかに重みを感じ始めていた肩のあたりに 
  手をやると 思いもよらず手に触れるものがある。 手に取ると 
  それはなんと 山毛欅の枝。 粗くはあるが 丁寧に細工されたそ
  の枝は 二本を組み合わせ
                   十字のかたちをしていた。

   ウィンフリートが 最後に入っていった森の一帯は やがて拓か
  れ 東のひとびとと 西の人々との 交流の境として 人が住み着
  くようになった。 そこが辺境の地であることに変わりはなく 思
  い出したように戦乱が繰り返され 通り過ぎていくため、人々の暮
  らしは けっして豊かとは言えない。だがそこでは、山毛欅やその
  ほかの照葉樹の恵みを用い 樵や木材工芸の職人たちが 彼らなり
  の産物を作りだし その生業を代々受け継いでいった。 いまでは
  年の市の木工品や 山毛欅材をもちいた人形の産地として知られて
  いる。
       その地を訪ねるならば ひとはそこで 年月を刻んだ おそ
  らくは幾千年の日々を見てきたような 一本のおおきな山毛欅の木
  を見ることだろう。 その傍らには いくらか小振りだがやはり千
  年の歴史を見つめてきた もう一本の山毛欅が 寄り添うように聳
  えているという。
  
  
                  [反歌]
  
    登攀
  
  道のはてに
  あなたが耳を澄ませていた
  沈黙のひびきに促され
  ひたすらに斜面をのぼっていく
  目を上げれば
  なおも歩みゆくその方角に
  どこまでもしろく
  まだ誰も往ったことのない雪原がひろがり
  丘のうえの木立の
  隙間を抜けてくるひかりと影だけが
  つややかな刺繍をひろげて
  いつくしむように雪の肌をおおっている
  腰のようになだらかなその稜線に
  薄だいだいの冬日が
  頬を寄せるように接している
  あのあたりの
  向こうがわの懸崖で
  あなたはついに
  聴くことができたのだろうか
  とこしえに響き止まぬ
  くもりなく澄んだ歌のひびきを



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