抒情詩の中の〈私〉


                     川中子義勝


 


1.「抒情詩的〈私〉」とは

 詩の人称の問題について、いままた考え直そうとしている。表題を、「叙情詩の中の〈私〉」とした。これは「Lyrisches Ich」の訳語(直訳は「抒情詩的私」)である。「Lyrik抒情詩」とは元来「リラ」という弦楽器の名に由来する語で、伴奏しつつ詩を歌う吟唱詩人の職分と密接に結んでいた。ドイツ語で抒情詩は、叙事詩、劇詩と並んで、すぐれて詩人の内的情緒を表現する文学類型とされる。現代日本では、総じて「詩」という言葉が、そのような類型を指して用いられる。ゆえに、以降は「詩中の〈私〉」という表現を用いる。この表現自体はもともと文学研究の術語である。かつて詩人の伝記研究が文学研究の中心だった時代から、作品の内的解釈が要請される方向に推移すると、「詩中の〈私〉」もまた注目される主題となった。「詩中の〈私〉」を示す一例としてアイヒェンドルフの「ルイーゼに」を挙げる。

  私はあなたを歌に綴って幾度でも讃えたい、
  世にたぐいなき静謐のひとよ、
  …
  だが、いざ詩の筆を執ってお前を見つめると
  麗しくも穏やかに おまえは静かな憂いの姿で
  子供を腕に抱いて私の前にすわり
  青い眼にはいつまでも誠実と平和が湛えられている
  そんなあなたを見ると、もう私は何もかも投げ捨ててしまう―
  ああ、神を愛する者に、神はかくもすばらしき女性を与えられた。

ここで「私」は、詩を書かないと言っている、ところが、それが作品になっている。詩作品のなかで「私」と語っている者は、詩の作者(詩人)と必ずしも重ならない。作品としての詩が、そのまま詩人の告白ではないことが分かる。
 詩人が「私」と言わないこともある。「旅人の夜の歌」で、ゲーテは自分に「おまえ」と呼びかける。「待てしばし、おまえもまた休らうだろう。」このように、「詩中の〈私〉」が自己から距離を取る二人称の例は古くからあり、例えば讃美歌「装いせよ、汝、わが魂よ」にも見られた。散文では「私」の代わりに「我々」を用いる論文など、文体上の人称については、古くから技法として自覚があった。小説の場合、「語り手」と作者が同じではないことはもっと明らかで、読者はそれを当然と心得ている。これは、三人称小説のみではなく「私小説」の場合にもあてはまる。詩だけが例外ということはない。日本の戦後詩にも「詩中の〈私〉」を逆説的に用いた表現がある。田村隆一の「帰途」から引く。

  言葉なんかおぼえるんじゃなかった
  言葉のない世界
  意味が意味にならない世界に生きていたら
  どんなによかったか

ここに「私」という言葉は直接出てこないが、この詩を語る「詩中の〈私〉」は、その表現に込められたイロニーを自覚した詩人のレトリック人称として、やはり詩人自身の告白とは区別される。
 こうして見てくると、詩は必ずしも詩人の直接の告白ではないということは肯うに充分であろう。にも拘わらず、今日あいかわらず一般には、詩作品の中の「私」は詩人と同一視されるのが普通であるし、詩人もまた、自分が語り手として、一人称で己が思いの丈を語ること(「私的抒情詩」)が詩であると、あたりまえのように考えている。
 「詩中の〈私〉」という術語においても、「私」が詩の成立の出発点であるし、詩作という行為の中心であることに変わりはないので、これが私的抒情詩の氾濫とは一線を画するものと認識されないのは仕方がないのかもしれない。そうした混乱にはどのような事情、背景があるのか、以下にまず考察してみたい。


2.「私」の意味について

 詩における私的抒情詩の氾濫と述べたが、外国文学者の立場から振り返ると事態は必ずしもそうではない。ギリシャ・ローマに例と取れば、ホメロス、ヴェルギリウスの叙事詩、ピンダロスの讃歌、さらに悲劇・喜劇と時代を追って総ての文学類型が現れる。サッフォー、アナクレオン他の抒情詩の登場は比較的遅い。ヘブライの讃歌、嘆歌においても、共同体がともに担う言葉が先だっている。ヨーロッパは、この両者の詩の伝統を引き継いだが、近世に入っても、ルターから発したドイツ・コラールに例を見るように、信仰詩はまず共同体の歌として出発した。「我」の深い体験から汲まれても、「我々」の歌として創出される。「私の詩」が自覚されるのは、信仰詩から世俗詩への流れのなかで、ようやく近代の始まりに至ってである。これはデカルトの「我思う故に我あり」に発する思想的展開と軌を一にする。
 古代においては、世界(宇宙・コスモス)が秩序の中心であり、世界の中に生きる人間のもとへと神々もまた訪れてくる。中世は神中心の秩序であり、世界も人間もその被造物と位置づけられる。神は世界を超越し、その外に立つ。近世・近代において、そのような世界から人間は自らを切り離し、世界を、また神までも基礎づける中心の位置を獲得する。これは、それまで共同体と密接に結んでいた芸術が、共同体と別れ、独り立ちするのと軌を一にする。そこに、芸術の作品化が生じたが、それは芸術の孤立化をも意味した。それまでは建物の一部を構成した絵画・彫刻は、その背景から切り離され、美術館においてのみ鑑賞される。儀式・礼拝の一部だった音楽は専ら演奏会場において楽しまれる。
 詩もかつては、共同体のに仕える歌として、例えば讃美歌の言葉は、人間存在の全ての局面を表現していた。しかし個の覚醒は、信仰をも自らその領域を狭める方向へ変化させる。信仰詩の表現できなくなった主題は、むしろ世俗詩へわたされた。ドイツ詩の場合、今日的な抒情詩がうまれるのは十八世紀。最大の抒情詩人はゲーテで、自然との共感とともに表現された命の充溢がその詩を特徴付ける。私(わたくし)的な、その都度の機会に書かれた詩が、ある種の普遍性をおびる。ゲーテに象徴される転換点を経て、まさに「私」が詩作の起点・中心として文学の領域で脚光を浴びるようになる。だがこの「私」への収斂は別な側面もあわせもつ。「私」の両義性ということが言われねばならない。
 時代は、市民社会という基盤に自然科学的世界観が行き渡っていく頃。自然科学を範とし、人間は、理性の尺度で世界を基礎づける主体として(「主体的subjektiv」に)、世界の客観的叙述を推し進めていった。合理性の尺度によって、世界は客観化される。筋道だった平板さが、市民社会的な価値となる。そこに主客の?倒がおこる。主と客、主人とお客の逆転が生じるのである。客観化された世界の尺度で測られるとき、必ずしも合理的ではない人の心は疎んじられる。人間精神の内面的深みは、あいまいで「主観的subjektiv」なものとして世界の中心の座を逐われる。主人であったはずの人間が、お客だった世界から締め出され追い出されるのである。所謂「疎外Entfremdung」という事態がそこに生じる。すぐれて内面的な存在として詩人はそれを敏感に感じ取った。これに対する文学の側の対応としては、自然世界を基礎づける客観性の尺度を用いて市民社会の現実を客観的冷静に叙述していく散文作品が生まれるたが、この「写実主義」において、叙述者の内面性はかろうじて確保されることになった。
 一方で、いやむしろ軽んじられる内面性にあえて固執する立場も生まれた。「ロマン主義」の文学であるが、しかしそれは世間から見れば独りよがりの世間知らずと映ったかもしれない。シュピッツヴェークの絵「貧しい詩人」には、社会的に孤立し、内面へと逃避する詩人の姿が、ユーモアたっぷりに揶揄されている。後期ロマン主義においては、ホフマンのようにそのような詩人の立ち位置を自ら意識する作品も現れた。だがロマン主義詩人の内面への撤退は、その起点においては、芸術的営みとして、また言語の方法としてめざましい深まりと進展を示すものであった。その方法意識は「ロマン主義イロニー」として表現されるが、そこには「ドイツ観念論」の哲学に通底する知的自信を窺うことができる。「考える」という行為(=「反省Reflexion」)は、もともと光学的な概念で、光の「反射reflektieren」をイメージするものである。自己の前に鏡を立てると、鏡に映された自己によって自己が二重化される。さらにもう一枚、自己の後ろにも鏡を置くと、自己は累乗され、ついには無限化される。想像力とは、「鏡の中の鏡」に自己を映し続け、自己の内面性を無限に拡大していく運動とされた。この「自己の無限化」の行為と、卓越した個性としての「天才」や、その営みとしての「創造」の概念、また「オリジナル」な作品という思想は密接に結びついている。いずれもこの時初めて、時を等しくして産まれたのである。今日、文学芸術において何よりも大切とされる「個性」と言うことは、ロマン主義以来の概念である。文学・芸術作品の自立の思想は、ドイツ語圏に留まらない。フランスではマラルメ他の詩人が詩の中心を形式に置く芸術至上主義を唱えたが、これも斉しい思想圏内の出来事と見なせる。これが十九世紀のヨーロッパの思想・文学を規定し、明治維新とともに日本に輸入されたヨーロッパ文学の背景をなした。「詩中の〈私〉」という主題は、このような詩の主体、詩的自我の展開と深く結んでいる。


3 ベンとエリオット

 その意味で次に、「詩中の〈私〉」についてはっきりと述べている、ゴットフリート・ベンの講演「(抒情)詩の諸問題」を、一つの典型として取り上げてみよう。――そこで「詩中の〈私〉」という術語は、むしろ「詩的〈我〉」あるいは「詩的自我」と訳した方が分かりやすいかもしれないが。
 ベンはまず言う。製作プロセスへの関心こそが、現代の「詩的〈我〉」の切実な「独白性」を表現するものであると。その上で、詩の成立過程を以下の三段階に跡づける。
 第一は、「おぼろげな創造的胚芽」あるいは「心的素材」の次元。すなわち、内面の声としての動機・主題である。
 第二段階は、「意のままになる言葉を持っている」こと。この段階での孤独な推敲の過程こそが、とりわけ現代においては「詩的〈我〉」の独白的なあり方を規定すると彼は言う。
 第三段階とは、「すでにできあがっている作品へ」到達すること。詩人(すなわち「詩的〈我〉」)は、その製作過程においては自分自身のテクストをまだ知らず、彼にとって自分の作品は「謎」でありつづける。だが、できあがった完成作品は、既にそのとおり初めからあるのであり、詩作とはそこへ帰着することだとベンは言う。「形式こそが詩」であり、「形式を与えることが詩作」であるという彼の芸術至上主義的な立場が明確に表明されている。
 だがここで注目すべきは、ベンが冒頭、また第二段階に関して「現代詩の独白的傾向は疑う余地がない」と述べていることである。詩とは「誰にも宛てられていない」絶対詩であり、己以外の何者にも支えられていないと彼は言う。芸術至上主義的な立場から、詩は専らミューズに宛てられている、すなわち誰にも宛てられていないと述べ、この「私以外の誰も耳を傾けることのない声」に耳を傾け、これに形を与えることが詩作の営みとされる。前節に辿った世界や人間の位置の変遷に翳すとき、ベンの立処は意外と分かりやすい。「対話などはすべてたわごとであり、人類は幾ばくかの自己との出会いを糧に生きている。」疎外され、自己を喪失した人間の、主体回復の営みを、すぐれて体現する存在こそが詩人なのである。「詩的〈我〉」の単独性を顕揚し、その絶対的自律性こそが現代詩の課題だと述べるとき、詩作品の成立と同時に確立される「詩的〈我〉」こそが、自己回復の刹那に他ならない。だがこれは、今日ある意味では、耳馴染んだ言い回しではないだろうか。そこには、極限化されているとはいえ、氾濫する「私的抒情詩」、またその対極としての芸術至上主義、そのいずれにも通底する動機が表明されている。
 T・S・エリオットは、その講演「詩の中の三つの声」(一九五三)において、ベンの講演を受け止めた。ベンが「謎」と述べたことをパラフレーズしつつ、表現の持つパラドクスについて、すなわちその二つの声について述べる。
 第一の声とは、ベンの固執するその声である。詩人は、自分を突き動かす「もの」に憑かれて、書いているときには何を表現しようとしているか知らない。書き上げたときに漸くその「もの」は消え失せる。詩人が「デーモンに憑かれている」と言われる所以である。詩作とは「自己治療の」プロセスであり、「デーモンからの自己解放」「悪魔払い」として、専ら詩人個人のための営みである。詩人は、聞かれることを求めていない、聴衆の存在など考えないと、ベンを肯う。
 ただし、エリオットはさらに、二つめの声として創作過程のもう一つのモメントを指摘する。「ただ作者のためだけに存在するような詩は、断じて詩ではない。」「作者が、完成前にその批評に委ねたいと思う少数の読者は居る。」作者も気づかなかったことを指摘してくれるその人々の背後に、詩人は、より多数の未知の聴衆を意識している。その人々に手渡されたとき、創作のプロセスは完成する。エリオットは、「言葉」という「場」における他者との出会いを示唆し、詩は必然的に公共的な言葉によって書かれるとするのである。ベンの言う「誰にも宛てられていない詩」にも、詩人が専心する自己治療と、その公共化という二重の目的因があるとされる。「読者には、自分たちに宛てられていない言葉を盗み聞きする楽しみがある。」
 結論を先取りして言うならば、詩を書くこととは、「私」が「デーモン」に名を与え、他者の読みうるものにすることであり、そのようにして「私たち」の「場」を目指す営みということになろうか。「私」の魂をゆさぶる「呼び声」に新たな「私たち」の場を作ることによって応える。だが、性急に結論を急がないことにしよう。エリオットは、詩人は声を「聴く」者であり、声そのものを創造(捏造)することはないと言うが、ベンやエリオットと、具体的なこの「私」には共通にしているものとしていないものがある。振り返ってみると、一九世紀から二〇世紀へ、ヨーロッパ近現代詩がともにした課題とは、個と向かい合って、向こう側から個を支えてくれるような強固な世界の喪失という現実であった。失われた世界、あるいは失われつつあった世界とは、かつてはコルプス・クリスティアーヌム(キリスト教世界)と呼ばれた。神に向かうとき、個は無なる者としてかえって、自らの存立と平安を確立しえた。そのような共同体が崩壊に瀕していたとはいえ、暫くは自然などそれに代わるもの、あるいはそれに対決する負の形にすらその「場」を与えて、個は自らを支えることが出来た。ニーチェやベンのように、「虚無」ですらもそれに代わる名となり得たということである。彼らの孤絶は深いが、辛うじてであれ彼らにとって「場」は堅く保たれてきた。伝統を異にする日本の場合に、それが言えるのか。


4 日本文学、また現代における呼応

 エリオットに対して山本健吉は日本文学の立場から深い共感を示した。彼は、『古典と現代文学』の序章「詩の自覚の歴史」において、「日本の詩の抒情詩性」ということを述べている。柿本人麻呂、世阿弥、また芭蕉といった詩人たちはそれぞれ、民衆に根ざした基盤のなかで、多様な可能性を胚胎する言語の共同体的営みの中から新様式を生み出した。彼らは開拓した新様式を自ら大成することによって大詩人と称えられたが、その新様式はその後、跡を継ぐ人々によりいっそう洗練の度を深めていく。しかし、専ら一人称抒情詩に向かうその洗練は、その最初の共同体からの離脱のゆえに、生の基盤から切り離され、もはや様式そのものをも変革するような起爆力を備えることはなかった。最初の開拓者が持した生の充溢からむしろ離れゆく洗練への志向を、山本は「日本の詩の抒情詩性」と名指すのである。
 日本文学史の長い過程を辿ることは、筆者の能力を超えるが、本稿においては山本の指摘を近現代詩のスパンにおいてのみ受け止めなおしてみたい。山本の言う「一人称抒情詩」に向かう洗練は、これまで述べてきた「詩中の〈私〉」あるいは「詩的〈我〉」に響き合う関係にあるとは言えまいか。問題は、近現代詩がヨーロッパ詩の刺激を受けて歩み始めたとき、その「詩中の〈私〉」あるいは「詩的〈我〉」をめぐる思考はどのように受け止められたかということである。明治維新以降、ヨーロッパ近代の思想・文学を模倣的に受容した際に、その「詩的〈我〉」の問題はほとんど見過ごされ、「私」は安易に、素朴な一人称的自己の情緒性と同じものとして、ただ形だけが受容されたのではないだろうか。明治維新以降に出発した日本の近現代詩が、古来からの、無常な時の変遷と自然の移りゆきに容易に自己を重ね、場合によってはそのような伝統観に容易に流されて自己同一化してしまう。そこには、一人称的自己の確立とは別の消息があり、それは日本的抒情の脆弱さとして先の戦争で露呈された。それは、日本の近現代詩が伝統の「一人称抒情詩」の延長上にあって「私」は、強烈な他者との対決による自己の自覚を経ておらず、またそのような対峙者の喪失への危機を知らないからではないか。だが、その責は日本の近現代詩だけに問われるものではない。受容の範とされたのは専ら「ロマン主義」を経て以降のヨーロッパ文学であった。前述のようにその志向は「個性」であり、失われゆく共同体の支えを補う主体回復の営みとして「自己を無限化」を標榜していたのである。これは日本伝統の情緒的洗練と親和的に結びうるものであった。キリスト教詩人に数えられる八木重吉また山村暮鳥にも、最終的には一人称的抒情の隘路を感じる所以は、彼らが受けた「ロマン主義」の洗礼によると筆者は考えている。
 ここで現代詩のさまざまな模索を逐一跡づけることはできないが、意識の有無は別として、相変わらず「詩的〈我〉」をめぐる状況があると筆者は考える。芸術至上的な自我の赤裸々な主張から「私的抒情詩」の曖昧な自己表出まで多様な景色が広がっている。「自己表出」と記したが、これは「指示表出」とともに、吉本隆明『言語にとって美とは何か』の冒頭にに出てくる術語である。いずれの「表出」においても、まず「私」が矢印の起点とされていることは象徴的である。詩や文学の出発点として、ここにも「私」が指し示されている。だが本当に「私」だけなのだろうか。
 「詩中の〈私〉」あるいは「詩的〈我〉」の問題を現代の主題として再度取り上げるために、ヨーロッパ文学における現代の出発点を別な観点から見直してみよう。S・キルケゴール著『死に至る病』は、文学の書物として手に取られることは希であるが、その中には「可能性の絶望」「無限性の絶望」という術語で、ロマン主義批判を述べた部分がある。先に「ロマン主義イロニー」として、「鏡の中の鏡」に自己を映す手続きについて述べた。これは人間の想像力の働きを指すものである。この力によって「自己の無限化」が達成されることをロマン主義は夢見た。「想像は一般に無限化作用の媒体である。… 一人の人間がどれだけの感情を、どれだけの認識を、どれだけの意思をもっているかということは、彼がどれだけの想像をもっているかということに、… かかっている。想像は無限化する反省である。」想像力によって、個性を拡大し、自己の無限化を実現することができるとロマン主義は唱えた。「想像力Einbildungskraft」とは、文字通り「内にein-」「像Bild」を作り出す「力Kraft」であり、イメージを駆使する能力である。想像力の意義を否定する者はいないであろう。だがそれは本当に、無限化することによって自己を実現するものなのだろうか。キルケゴールは「想像はあらゆる反省の可能性であり、そしてこの媒体の強さが、自己の強さの可能性なのである」と述べる。だが一方でまた「想像的なものとは、人間を無限なもののなかへ連れ出して、だんだんと自己自身から遠ざけるばかりで、人間が自己自身に帰ってくることを妨げるものである」と指摘する。「必然性」また「有限性」を無視した想像力の駆使によっては、自己が「希薄」となるばかりである。キルケゴールはそのような「自己喪失」の有様を、森の中で迷子になる騎士のイメージで描いている。「童話や伝説の中によくこうゆう物語が出てくる。或る騎士がふと一羽の不思議な鳥を見つけて、それを捉えようと追いかける、… しかし追えば追うほど、鳥は先へ先へと飛んで行く、そうしているうちに夜となり、彼は、迷い込んだ荒野のなかで帰路を見出すことができず、すっかり途方にくれてしまう。」
 「死に至る病とは絶望のことである。」「絶望Verzweiflung」とは、文字通り「ふたつzwei」のものの関係が失われて「分裂してしまうver-」事態を示すものである。「可能性の絶望は必然性を欠くことである」との章題から明らかなように、キルケゴールは、ロマン主義的な自己の無限化は、有限性を無視した自己喪失であると指摘した。「必然性」を欠いた「可能性」の自己拡大は、自己の希薄化を招くばかりであると。ノヴァーリスの『青い花』は、初期ロマン主義を代表する探索の物語であるが、帰還の主題を提示しつつも、叙述が停滞し、ついには未完に終わったのは、このような事情と無縁ではないのではないか。眼を現代に向けてみよう。ミヒャエル・エンデは、子どもの本の作家と見なされているが、『はてしない物語』において(果てしない=無限)、まさに想像力の働きそのものを主題とする物語を展開した。主人公の少年バスティアンは、お話の国(ファンタージエン、すなわち「想像力」の国)に招かれ、初めは武勇を重ねるものの、ついには想像力の可能性の中で迷い、帰還する意志すら失ってしまう。エンデは、まさにキルケゴールの指摘する問題を現代の状況の中で取り上げたと言えるだろう。現代は、イメージの時代と言われる。言葉は画像に追い越され、想像力を掻き立て、自己を豊かにしてくれる媒体が次々と提供されていく。主題としてファンタジーが流行り、物語りも次々と映像化されていく。「ハリー・ポッター」の流行に見られるように、これは世界に共通の文化的現象である。自己像の希薄になったイメージが、次々と流れ去っていく。だがそこに、「私」はどのように関わるのか。


5 人称ということ

 「無限性の絶望は有限性を欠くことである。」キルケゴールは、近代的人間の主体回復の希求そのものに込められた、関係の顛倒(倒錯)を絶望と表現した。その指摘の射程は人間と歴史の全般に及ぶ。ここでは、「詩的〈私〉」との関連においてのみ取り上げた。詩人の存立は、詩作の営みによってのみ基礎づけられる。詩の成立するとき、「詩的〈我〉」として詩人は自己を確保する。それはベンの述べるとおりであろう。しかし、「詩中の〈私〉」の包含する問題はそれだけだろうか。「詩的〈我〉」としての主体確立が、時代(ことに近代)の人間観に規定された問題設定に過ぎないことも見てきたが、そうであるならば、「詩中の〈私〉」は更に広い内容を含みうるであろう。
 詩が受け止めてくれる聴衆を求めて差し出されているというエリオットの示唆を顧みるならば、「詩中の〈私〉」はそのような声をも意識した「私」なのである。日本文学史を振り返るとき、詩的洗練が狭い意味での「一人称的抒情」への集束を意味するという指摘は、むしろこの「私」の声の中にさまざまな声の響きが重なっていることに気づきそれをさらに豊かに響かせていく課題として受け止められる。総てのものを自己実現のための手段・糧とする「詩的〈我〉」にとって、聴くべき者は「誰もいない」かもしれない。あるいは「誰でもない者」として私の中にしかいないのかもしれない。現代には、それほどまでに分断されている言葉の現実がある。しかし、分断されたものとして言葉はなお存在している。差し出す、受け止めるという形で場そのものを成り立たせ、働きかけてくる。
 言葉は二人称的な出来事である。出来事として新しい現実の出現に直面するとき、詩人は内なる「誰でもない者」によって揺さぶられ、そのような出来事としての声をまだ言葉とならぬ沈黙の内に「聴く」。「声」そのものを作り出すことは詩人の使命ではない。リルケが「ドゥイノの悲歌」への促しとして聴いたように、それは、私の言葉の基盤として、言葉そのものが私の内に備えてくれた声かもしれない。ツェランがそれを「誰でもない者」と名指したとき、その不在には意味の重い充填があった。日本文学の伝統はそのような他者の重みを知らないが、訪れる内面の声は、やはり言葉の出来事であり、人間存在がそれに浸されている外なるものからの訴えであることには変わりない。そのかぎり、言葉は関係への促しであり、出来事としての声の響きうる言葉の場そのものを新たに生起させるための呼びかけなのである。詩とは、その声に応えてその言葉化を目指す営みであり、そこで言葉の失われた世界、氾濫する映像によって関係性の失われた世界、死に瀕した暴力的世界が、新しい命へと更新されるとき、「詩中の〈私〉」は「言葉の中の〈私〉」として生きる自己を見出すのである。