沈黙の国で
            川中子義勝                                 縦書き表示で
 
 



 此の国ではほとんど誰も話をしません
 話をする暇がないからではありません
 先にまず購入せねばならないからです
 ことばにはそれぞれ値段がついている

 誰もが好み欲しいと願うことばは高く
 安っぽい単語は値段もまた安いのです          単語(ことば)
 偉い人たちだけがことばを持っている
 値の張る語彙を存分に儲けてきたから          語彙(ことば)

 偉い人たちは話題に窮することがない          話題(ことば)
 少し偉い人も話の乏しさを覚えません
 次の作業を命じる上司の口調をまねて          口調(ことば)
 仕事場で鸚鵡返しに繰りかえせばよい

 ことばは工場で作られ店で売られます
 でも下端の従業員たちは話をしません
 黙々と仕事をつづけ黙って帰宅します
 自ら作った美しいことばが高価すぎて           高価(たか)すぎて

 帰宅して若い妻に語ることもできない
 いつか子供には贈ってやりたいと願う
 人々は大切なひとの大切な時のために
 慎ましい仕方でことばを買い求めます

 一椀の粥を分け合う疲れた母と少年は
 食卓を挟んで黙って見つめ合うばかり
 母の目に湛えられた涙と笑みに応えて
 少年もまた精一杯ほほえみを返すだけ

 涙の重みを語ることばを偉い人たちは
 涙を流すこともなく沢山蓄えています
 望みや祈りそのほかの美しいことばを
 花や鳥や星や雲などの綺麗なことばを

 仲間同士の気の利いた会話の時どきに
 書棚から辞書を漁るように引いてくる
 久しく棚に降り積もった埃がときおり
 不用意に窓を開くと舞い上がってゆく

 街の通りにはそんなことばが風に漂い
 やがて路地裏の吹き溜まりに沈殿する
 その日暮らしの家のない人々にとって
 それは大切な糧として集められる片言          片言(ことば)

 学校の帰り道で少年の目にとまるのは
 もう誰も振り向きもしない沈黙ばかり           沈黙(ことば)
 犬っころやら糞食らえやらけんか腰で
 えらく威勢のよい響きに消されながら

 石塊や草の穂が黙って合図を伝えます
 少年はそれらを大切にポケットに収め
 母が帰ったらまず話そうと思うのです
 石の上で蒲公英の綿毛が踊っていたと


     Agnes de Lestrade: La grande fabrique de mots. 独訳を参照。