♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

書窓の隙間
雑録・折りにふれて

 

コーナーストーン

  毎年、夏期休暇が過ぎた頃から、「駒場をあとに」といった表題の文章が学内紙「教養学部報」に載り始める。執筆依頼を受けると「ああ、あと何ヶ月」と、誰もが漸く本学を定年退職する日を覚え、(人にもよるが、謂わば観念して)挨拶の言葉を探し始める。すでに二〇一六年の十一月号にそんな文章を記したので(執筆依頼は、気の早い話で七月であった)、これはその続編といえようか。

  駒場生活も数年を残すばかりとなったころ、学部の数多くの(!)委員会のうち「教養学部報委員会」の委員を割り当てられ、さらに委員長に就く事になった。新任や退職教員の挨拶といった定番記事のほか、ほぼ毎月発行される学部報の紙面は文理の枠を越えて多彩である。記事を提案・決定して諸先生に依頼するという編集作業は、かなり集中を強いられるもので、各専攻から選出された委員各氏の尽力はありがたかった。

  諸先生の原稿を収めて紙面が漸く埋まった頃、紙面のどこかに余白が生じることがある。紙面の片隅のその欄は小さく「コーナーストーン」と題されてきたが、そのための「埋め草」は委員が回り持ちで執筆する習い。以下に、私が記した「コーナーストーン」を引用する(初めは二〇一六年六月、次は二〇一五年三月に掲載のもの)。

  「駒場に赴任したのは八〇年代の終わり。構内はまだ舗装されておらず、少し雨が続くとぬかるみになって、服に泥が跳ねあがった。今はコミプラ(コミュニケーションプラザの略称)となった旧駒場寮の辺りは、夏は草いきれのこもった藪の様相で、その奥に隠された一二郎池はもう未踏の秘境であった。銀杏並木を歩いていて大きな青大将に遭遇したこともある。十数年後のある夜、帰宅時に二匹の狸に出くわしたと思ったのは、ハクビシンか。見つめていたら唸って威嚇されたのには驚いた。一頃、カラスと闘いながら健気に子育てをする猫の親子、また猫好きの教職員がともに日なたぼこをしている眺めに心和んだが、最近はとんと見ない。カラスの賑わいはかわらないが、一八号館に移ってからは、その飛翔を眼下に眺めるようになった。二羽が鳴き交わしながら滑空する様はなかなか優雅である。」(冬眠中)

  「十八号館十一階に引っ越してからもう十年になる。この高さになるとエレベーターは不可欠だが、授業の前は、誰もがその時に乗ろうとするためか、エレベータがなかなか来ないことがある。そのうちに待つ人の数が増えてくるが、引っ越してきた頃は、その待ち方(というか、待たされ方)にも、性格が表れるから面白かった。いらいらの思いを口に表して共感を求めるタイプ、またひたすら耐えるタイプ。最近では、みな観念したのか、後者が増えたようだ。なかには健脚で、あるいは健康に配慮してか、さっさと階段を(上り下り、とは言わず、少なくとも)下って行く人がいる。そのほうが、体だけではなく、心にも爽快かもしれない。下る方法はいずれであれ、悲惨なのは、ようやく一階にたどりつき、さあ教室に向かおうとして、何か教材を忘れているのに気づいた時である。上り下りをもう一ラウンド繰り返さなければならないが、エレベーターに非はない。机の上に用意してあったのにと、己が間抜けを思い知るわけだが、これはどうしようもない。人間だから忘れるのだ、と自ら納得して、忘れたことを忘れるようにする。最近では、忘れることを見越しているわけではないけれど、時間ぎりぎりに教室に向かうことが(比較的に)少なくなった。エレベーターが動かなくなって、徒歩で何度も上り下りしたあの震災の日から、四年目の三月十一日が廻ってきた。あの日、授業はなかったけれど。」(冬眠中)

  今では六年前となったあの三月十一日、私は十一階の自室にいたが、総てが左右に大きく揺れるなか、辛うじて机に掴まった私の足許に、両壁面の開架式書棚から本が一斉に崩れてきた(本の整理の際に脚を挫いて松葉杖生活となった)。超域文化科学専攻主任の任期もあと少しで終わりという時期だったが、翌日から、休暇中で各地に散っている学生たちの安否確認を各コースの主任や嘱託の方にお願いしてまとめたことなど、忘れがたい思い出となった。

  「冬眠中」とは、「コーナーストーン」欄の私の筆名である。思えば、研究教育に、また学内行政に「目覚ましい」活躍をされる諸先生を、駒場の見事な壁石と仰ぎつつすごしてきた三〇年であった。先日の熊本地震の際に、城郭を?落から護った一列の隅石のイメージが鮮やかだが、私の場合は、もうすこし大勢には影響のないところで、辛うじてであれ、その一所を占めることが許されたことを感謝している。コミプラ建設に先立って駒場寮廃寮の年の学生委員長に選任されたことなど忘れがたい。学生たちとあれだけ根気よく話し合ったこと、また諸先生や事務の方々の学生を思う気持ちにふれたのも貴重な経験だった。

  学生たちが教師の力をこえて能力を発揮していく、その様を見ることは教師冥利につきる。一方で、自ら様々な失敗を重ねてきた者として、困難や悩みを抱えている学生たちのことが特に気がかりであった。少なくとも話しを聴くことはできただろうか。訪ねてくれた学生たちの顔を思いおこしつつ過ごすこの日々である。


表紙に戻る