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書窓の隙間
雑録・折りにふれて

 


はじめてのおつかい

 父に本を読んでもらった記憶がない。父は高度成長時代の企業戦士。子供が目覚める前に出勤し、寝ついた頃にようやく帰宅する。父の顔を見ることもまれだった。そのためか長じて一家を構えても、振るまい方が分からない。「意気地の無い」父親であった。だが「育児なし」と妻に揶揄されても、それなりに努力はしていた(のかも)。子供の記憶に、本を読んでくれる父の姿はなんとか留まったらしい。成人して、おのが興味を尋ね求めるようになって久しいが、「子供の本」という話題では(かろうじて)会話が成り立つ。

 たとえば絵本の定番といわれる『三匹の山羊のがらがらどん』。上の子は、その繰り返しの響きとともに、スリリングな展開を喜んでいた。だが下の子に言わせると、その本は『おしいれのぼうけん』などとともに、ときに怖いものを覗く思いで開き、すぐにパタンと閉じるくらいが良かったのだという。男の子と女の子の違いもあろう。下の子の幼児期は、『こどものとも』に筒井頼子(文)と林明子(絵)のコンビで『あさえとちいさいいもうと』や『こんとあき』などが刊行されていった時代に重なる。林の『とん ことり』などを手にする頃は、すでに一人で読むことを始めていた。では、読み聞かせてもらって一番思い出に残っているものは? やはり同じコンビの『はじめてのおつかい』だという。牛乳を買いにいった幼い少女。小さい声と低い背丈のため、お店の人にはなかなか気づいてもらえない。子供の目の高さから描かれた描写や暖かい色調とともに、はらはらさせつつも安心を導く筋と結末は、読みあげる立場にも心地よかった。同名のテレビ番組が放映される十年以上も前。はじめて頁を繰ったときの子供の新鮮な反応が思い起こされる。

 そのような会話の内に記憶を辿っていくと、いまひとつの「おつかい」の話が甦ってきた。それは絵本ではない。『エーリヒ・ケストナー博士の抒情的家庭薬局』という詩集に収められた一篇。「絶望第一号」と題する詩。私が手にしたのは、中学初生の頃、小松太郎訳『人生処方詩集』と題された文庫本であった。――往来を走る小さな男の子。掌に握られた1マルク。店員に「パン半分、ベーコン四分の一ポンド」と唱え、掌を開く。だが、お金がない。やがて店は閉じ、街は暮れる。少年は何度も手をひらき、裏返してみるけれども……。両親は少年をずっと待っていた。母親が心配になって探しに行く。そしてひっそりと立ち尽くしている少年を見つける。

  彼女は ハッとして 訊いた どこへ行ってたの?
  すると 彼は大声で泣き出した
  彼の悲しさは 彼女の愛よりも 大きかった
  そして ふたりは しょんぼりと 家へはいった

子供のための作品ではない。絵本を読んでもらう年齢の子供には分からないかもしれない。しかし、その種の悲しみそのものは、子供が知らない経験ではない。ケストナーが子供のために書いた作品、たとえば『飛ぶ教室』には、休暇で仲間たちがみな帰宅するなか、家の貧しさのためにひとり寄宿舎に残らねばならない少年の心が描かれている。状況や場面は多様だが、質を等しくするような真摯は、人生初期のかなり早い時期から自覚されているのではないか。

 「ふたりは しょんぼりと 家へはいった」。人生最初の絶望を味わったこの少年を母親は叱らなかった(父親はどうしたであろう)。詩の形でも人生を鮮烈に語ることができる。その意味でこの詩は、文学への覚醒を導いた作品のひとつと言えるかもしれない。『飛ぶ教室』の序章に、ケストナーは、こどもの心がおとなの心と同じ重さ持つと述べ、その心を大人になっても失わないでほしいと訴えている。嬰児にも欲心はあり、打算からまったく無縁であるとはいえない。しかし、喜びを喜びとし悲しみを悲しみと受けとめる真摯において、子供の心はより一途である。それこそ人生を歩んで行く力の源との謂であろう。


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