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詩作からのいくつかの発想
芸術時評「詩と思想」二〇〇二年度年連載




1.「ウイーン分離派展」のことなど

 先ほどフランクフルトを経て、空路ベルリンに到着した。空から見た町の夜景の感動がおさまらぬこの時、ホテルの一室でこの原稿を書いている。「詩と思想」に「芸術時評」を執筆してくれとの依頼。出発直前、急病の誰かの代役らしい。あまりに急なことで、執筆の全期間の構想をたてることはできない。時々に感じることをそのまま記していくことしかあるまい。
 文芸や演劇と並べて芸術と一言で言うとき、美術や造形を指すことが多い。だが、もともとこの言葉は、その他のジャンルをまったく含まないわけではない。そのような心づもりで記していきたい。詩の雑誌に載る文章であれば、何かしら「詩のたしになること」を念頭に置いていくつもり。方針としては、総覧的に紹介することは避ける。展覧会などの紹介が載るころ、催しそのものは終わっていることが多い。むしろ私的な関心に徹し、琴線にふれるもののみを記しつつ、それが普遍性を持ちうるか ― その問いが、芸術の本質論の一部をなすように心がけていきたい。
 まず、年が明けてすぐ、「ウイーン分離派展」を訪れたことから。ここではあえて、クリムトやシーレにはふれない。画集が手元にないので正確な題名が分からないが、ハンス・トーマの絵が1枚あったと記憶する。もっぱら南ドイツで活動した画家だが、日本ではほとんど知られていない。夏の風景描写で、光が充ちみちているのに不思議に暗い絵。陽光が雲で遮られる一瞬、夏の輝きの示す翳り。焦げた心の陰画(ネガ)のような粘りのある画面。印象派の時代である。印象派を知らなかったわけではない。むしろ、そのちらちらする表面的な光に飽き足らず、ものの方から外光に応えて発する存在の輝きや翳りを描く。それは、リルケに代表されるその時代の叙情詩に通じる側面を持つ。昨日、出張でベルリンに着いた。時間をみつけて、旧国立絵画館を訪ね、トーマの作品の前に佇みそんなことを想っていた。印象派は、光に照らされたものを、光の側から、あるいは光に並行して見ている。それに対して、この時代のドイツ絵画のあるものは、いわば光に真向かうときその視野に入るものを描こうとする。事物は光に後ろから照らされ、輪郭の輝きを得る。印象主義から、いきなり象徴主義や印象主義へと反転せず、いわばその狭間を表現する。今回の滞在では、このような「逆光の美」を尋ねたい。作品の具体例として、興味がある方は私のホームページ「書窓の隙間より」をご覧いただきたい。ウーデ画「荒れ野の王女」。ウーデについてもいつかふれたいと思っている。
 もう一つは能「忠度」を見たこと。この修羅能が「詩」を主題とし、「詩」そのものにの意義を考えさせることについて。素人としてだが、ときどき国立能楽堂に通う。かつては言葉を追いつつ語句に集中していたが、いつもそれでは疲れる。不覚にも眠ってしまうこともある。ただ、舞に動きの出る後半部、シテの舞の一瞬の動き、その形がいつまでも心の中にもとどまっている。静止のまま言葉の歌われていく時間が、そのひとつひとつの形姿に凝縮される。今回の作品もまた。視覚の諸感覚における優位、また「かたち」の大切さを思わせた。人の生涯のある意味で長い時間も、別の人間の立場からは、そのひととともにすごすある一瞬のためにあるのかと思わされる。詩もまたそうであろう。この作品の主題、「自作への執着」、己が詩への忠度のような執着は自分にはない、と淡々と思う。限られたときのあいだ、限られた人間の心にふれる詩。そういう詩の存立も意義がないわけではない。さらに、このジャンルのうちに結合した抒情、劇、叙事の関わりについても考えたが、その追求は稿を改めねばならない。



ハンス・トーマ「夏の幸福」



2.「輝くこの日光の中に忍びこんでいる音なき空虚を」

 先回は、2002年の年明けに催された「ウィーン分離派展」に啓発されたことを記した。今回はもうすこしその続きを述べておきたい。
 日本における西洋美術紹介はフランス近現代が中心。ことに印象派の展覧会は毎年のようにどこかで開かれる。その明るく洗練された画面が人を呼ぶのはわかる。だが、その偏りは明らか。その意味で、クリムト、シーレを軸とした今回の展示は、建築・工芸におよぶ絵画ジャンルをを越えた紹介も含めて意欲的で興味深かった。ただ、その全体の評価についてはきっとすでに多くの人が言及していることだろう。それで、私はむしろ寡黙な一枚、ハンス・トーマ「夏の幸せ」について先回紹介した。今回はその続きを別な側面から。
 今回の展示ではクリムトの作品の描く神話の主題(「パラス・アテネ」他)、そのギリシャ・ローマ趣味に関心を抱いた。この時代には、バルビゾン派や初期印象派からフランス美術の影響が次第に広がっていく。それはそのとおりだが、欧州全体を見渡すと、むしろイタリアに向かう画家の関心を無視できない。クリムトの他にも、悲劇の場面を擬古典的に描くフォイエルバッハ、またベックリンの情念的な神話解釈(一連の「パーン」像)など。モローなど日本に紹介された象徴主義はむしろその一端にすぎないのである。
 先回、印象主義と表現主義の間ということについて述べた。例えば、初期カンディンスキーの風景画における暖色寒色の鮮やかな対比(3月末より東京竹橋近代美術館)。だが、その色彩表現の乱舞に先立ち、たとえばベックリンの自然を描く写実的な画面にも、光が射すことによって逆に際だつ闇の強調が見られる。そしてそこから、性的・情念的な神話形象を除くところに成立するのが、トーマの風景画なのである。雄弁な神話的象徴を欠く分、寡黙ではある。しかし、暗部に繁茂する木立の描写などは、遙か昔のアルトドルファーの自然描写をも連想させ、(意外なことに)表現主義までをも伝統と結んでいく接点を形作っている。トーマは、クールベと親交を結び、ライブル他のドイツ写実絵画の影響も受けた。しかしそこには、写真への反動として写実主義から印象主義が生まれるのとは全く別な可能性が兆している。「逆光の美」と先回述べたように、光に照らされた事物の表層を横から写す印象派とは異なり、ひとが光に真向かうときその後ろから照らされる事物の配置。そこには、網膜が露光しきってしまう直前に受けとめる世界がひろがっている。人物配置の構図からロマン派の逆志向についても語られるが、トーマの世界はフリードリヒ的な自然への驚嘆とは違う。焼け焦げた網膜が反対に現代的な闇で風景を覆い尽くそうとする、その直前の眺望は遙かに現代的。そのとき私の心に響くのは、山の頂に立ち世界を「遍照」させることを願う想念、伊東静雄「わがひとに与ふる哀歌」のあの一節である。


3.「群島」、都市の美学と政治哲学をめぐる暗喩

 今回は、本年四月二日に行われた国際シンポジウムについて。ヴェネツィア建築大学教授にして前ヴェネツィア市長のマッシモ・カッチャーリ氏を招いて、ル・テアトル銀座で催された。ドイツ学術交流会(DAAD)の寄付口座、東京大学教養学部DESK(ドイツ・ヨーロッパ研究室)の主催による。氏の基調講演の表題は「都市の政治哲学をめぐって:ヨーロッパ/アジアの地‐哲学」。他に、建築家の磯崎新氏と京都大学の浅田彰氏。
 先立つ三月二七日にも、カッチャーリ氏は一橋記念講堂で「群島としてのヨーロッパ」と題して講演。現在EUとして進行中のヨーロッパ統合を「群島」になぞらえて見せた。政治的実体としては統合の理念を見いだせず、専ら経済的にバランスをとっているだけの現在の状況を、氏はむしろ積極的に評価。市場と自由貿易という自動的な経済システムに任せて、政治的な決定のあまり要らない世界を、(モアの夢想的ユートピアとの対比において)現実化されたユートピアとすら述べた。共有しているがゆえに海は誰のものでもない。海上におけるヴェネチアの繁栄は、一方で戦争し他方で貿易もするというヘゲモニー的一元性の否定にあったと。ヘルダーリンの賛歌「多島海」のイメージ、さらに橋によって個別性を守りつつ結ぶヴェネツィアの景観がその発言には反映している。かつて日本の「所得倍増」の経済優先と政治の没理念性を批判した元西ドイツ首相シュミットの言葉と比べると隔世の感。経済性だけで本当に統合の「安定」と「不可逆性」を保てるのか疑念が残るとしても、「群島」の多元性を地球へ提言する仕方は現代的で分かりやすかった。
 一方、四月二日の基調講演はよりコンパクトだった分、満席に近い聴衆のどれだけが理解できたかと思えるくらい難解なもの。シンポジウムの発言者の要約を契機にした方が紹介しやすい。浅田氏は、二七日の「群島」の提言を捉えて、カチャーリ氏が自らを区別する現在の他の立場を「海のイデオロギー」と「孤島のイデオロギー」として形象化した。前者は、アメリカ資本主義の後盾によってグローバル化した世界とその下部構造として全てを覆うネットワーク ― その混沌・錯乱にそれなりの貢献を認め、そこへの内在を是とする立場。他方「孤島」は、そのような埋没を否定するが、現実には不可能な自己切断への一義的な決断。この両者を分けた上で浅田氏は、それぞれの差違を交響させる「群島」を評価し、カチャーリ氏を持ち上げる。浅田氏の分析は見事だが、これに対するカチャーリ氏の返答が面白い。彼にとって「海」はもっと豊かなものだと。アドリア海、エーゲ海の具体的なイメージが先行しているからであろう。自らは動かずとも無媒介的な情報操作によって「天使になったかような」錯覚に陥っているという現代批判には、開かれた固有性に「身」をもって「住む」という肯定的な都市像が伴う。これには、磯崎氏が応じた。現代の都市は一概念では語り得ない。マンハッタンのような一九世紀的都市計画は不可能で、かつてのヴェネツィアのようにつねに生成・変化する。そこでは、(一方向に一瞬を定めるだけだが)政策的決断に携わる政治家と芸術家(建築家)の関わりが重要だと。磯崎氏は、劇場のような壁に囲まれた一義的空間を建築すること非現代性の認識を、カチャーリ氏と共有している。だが、そこでカチャーリ氏がテキストを書いたノーノの音楽作品「プロメテオ」についての問いは、両者の微妙な差を示して興味深かった。演奏者がまさしく「群島」のように聴衆の中に散在するこの作品演奏のために、磯崎氏は会場の設計、建設に携わった。その経験をふまえて、カチャーリ氏に、本来この作品はどのような空間をイメージしたものかと。応えて曰く。サンマルコ寺院のような空間だと。議会とか劇場とかの単一的目的のみを目指さない新しい空間を、古い建物もまた持ちうる。これは、現代性と伝統との実り多い関係を暗示する。だが、この「群島」をめぐる企画で最も興味深かったのは、思想とは「メタファー」を巡る営為に他ならないことを、再確認したこと。


4.ベルリン・街の容貌、建築から歌謡へ

 今回も主題の選択は、前回に響きあうもの。先回紹介した議論は、現代の都市空間を、従来のように四方を壁で区切って箱を築くことの不可能性について。ふたたび境界の問題をとおして、都市の容貌について考えてみたい。その格好の場所を提供するのは、「今世紀最大の工事現場」と言われたベルリン。世紀が移っても状況は変わらない。
 まずはリンデン通りの「ユダヤ教博物館」から。リーベスキントの設計したこの建物がその是非を巡って話題を呼んだことは記憶に新しい。住宅地の真ん中に稲妻が駆け抜けるような威容。周辺住民の生活の脈絡をそのまま肯定しない、共時的調和を破った建築の斬新さ。建築の意匠は展示の主題から来るもの。だが、そこでは当事者の(おそらくは)欲しない別な境界も強いられる。テロリズム吹き荒れる今日のパレスチナの状況ゆえの制約。空港のように厳重なボディチェックを受けなくては入館できないのだ。
 「ドイツ・ユダヤ史の二千年」と銘打った博物館の中に収められ、展示されているのは、律法の巻物から現代のサブカルチャー的素材まで。芸術作品と言うより、ユダヤ教に因む生活の全体を通事的に集積したもの。「ホロコーストの塔」や、メンデルスゾーン三代の展示など興味深いものもある。だが、通り抜けての率直な印象は、沢山の写真へのコメントと、流されていた近い時代の大衆音楽の雑多性。ヴァーチャルな展示を本当に「体験」するためには、ベルリンに生活することが必要。だが、その生活とはやはり周辺の住民のものではなさそうだ。誰かのための貌か。どうしてもまず壁を意識させる建築である。
 博物館を出て地下鉄に少し乗ると、かつての「工事現場」ポツダム広場に着く。ソニーの入った建築群の偉容を前にする。ティーアガルテン脇の巨大な壕は、この町の活力の象徴と化しつつある。だがその大げさな無表情には、まだこの街の貌は見いだせない。
 この原稿の載る頃、日本では再建されたベルリーナーアンサンブルの公演がある。ブレヒト由来のその鳴り物入りの前衛性。だが私には、一人の歌手の方がこの街の貌をよく表しているように思われた。ベッティーナ・ヴェークナー。忘れられたと思っていたが、この街でまだ活動していた。かつて東独支配下、抑圧の元での叫ぶような歌い方と、子供に寄せる女性の優しい視線は人々の共感を呼んだ。

そんなにも小さな手
ちっちゃな指、
叩いたらだめ、
壊れてしまうから。

 … 
そんなにも小さな耳
鋭いわ、放っておけば。
怒鳴りつけたらだめ、
聞こえなくなってしまうから。

そんなにもきれいな口
何でも話してくれる。
禁じたらだめ、
何も言わなくなってしまうから

 … 
そんなにも小さな心
のびのびと自由だわ。
苦しめたらだめ。
壊れてしまうから。

そんなにも小さな背骨
まだ外にとびだしていない。
屈曲(まげ)たらだめ、
折れてしまうから。

背筋のとおった素直な人に
育てばいいわ。
背骨のない人ばかり
もう多すぎるから。

満場の拍手が録音されている。彼女がそのような喝采で迎えられることはもう無いかもしれない。東西統一からちょうど一〇年。『道』という先頃のCDには、その状況を映すフレーズがある。「言葉の無力さにしばしば私は苦しんだが、反抗と希望を捨てたことがなかった」と。しかし、ユーゴスラビアやクルド問題などを経て、「人はもうこれが何番目の戦争かを数えもしない」。統一後の「この新しい大ドイツは私に言葉を失わせる」とも。ギター一本を携えたかつての粗削りの歌いぶりから、その歌がフォークロア的に洗練の度を加えているのは、あるいはこの状況に呼応するのか。しかし、印象的なのは「ロマ(ジプシー)の誇り」という歌詞に象徴される、被抑圧者の眼差しをなおも志向する言葉。明確な境界が失われ、むしろ壁が内面化され世界へと拡大された分、貌の意義が曖昧になった。そんな時代と街の容貌を、一面ではあるにしても、彼女の歌は示しているように思われる。


5.シュテットルの言葉 − マルク・シャガールの世界

 今年初めに封切られた映画「耳に残るは君の歌声」。小さな映画館ではまだ見られるかもしれない。幼時に別れた父を娘がはるばる尋ねるという古典的な筋書き。ロシア東欧から西欧を経て合衆国へのユダヤ難民の移動を時代背景とする。ナチスという悪玉が迫る危機の状況下で、ユダヤ娘とロマ(ジプシー)の男との恋と別離。悲しみと苦難を越えていく少女の遍歴はメルヘンのような展開。だが、かつての東欧ユダヤ人村落の描写や、時折重要な役を果たすイディッシュ語の響きなど、興味深い点がいくつか。
 主人公の少女は、その村の略奪・崩壊をかろうじて逃れ、遍歴の旅に上る。そこには、シャガールの絵画に通い合う世界がある。かつてポーランドからロシアに広がっていた、ユダヤ人の共同体、シュテットル。「シュタット・ライン(小さな町)」というドイツ語のイディッシュ訛。ポグロム(ロシアにおけるユダヤ集落の徹底的襲撃)や、国外移住のため今日では消滅したという。シャガールの絵に登場する暗い色彩の家並み。明るく華やかな情景にも、二重写しになる彼方の記憶として片隅に。その夜と雪の景色は、むしろ明るい色彩に大切に抱かれている。最近出版された『ツァロートの道』という書物に、伏谷幸子氏の「シュテトルに育まれた絵画」との副題を持つシャガール論が収められている。彼の絵画には「イディッシュの寛容表現が視覚化され」ていると論じた部分。非常に嬉しいとき「空中に舞い上がる」と言う表現が、空中を飛ぶ恋人達に描き出される云々。『誕生日』で、恋人ベラに接吻しようとくねくねと舞う自画像は、あくまでシャガール独自の表現だろう。だが、シュテットルの言葉が、造形を深く規定するとの指摘は興味深い。絵画においても言葉は、心の奥深くを捉えている。シャガールは、晩年ロシアの土を踏む機会を得たが、破壊されたシュテットルを再び訪れようとはしなかったという。
 神の像を禁じたユダヤ教世界では、絵画芸術が奮わない。キリスト教世界には宗教画が氾濫する。だが、その大画面がそのまま心の敬虔を映し出すわけではない。宗教のラテン語レリギオには「畏れる」という意味もあるが、本当の「畏れ」から生まれた作品は多くはない。シャガール展(一二月まで国内各地で)では、晩年の画家の心を映しだす作品が目にとまった。三点の『モーセ』は指導者の孤独を描き、『ダビデ』は、栄光の王ではなく、バテシェバ事件の罪におののくその姿。『エレミア』における人間の罪性を直視する内面表現。よく目にする版画とは違う迫力。人間とは何かを訴える。ここでも絵画における言葉の重みを感じる。シュテットルに培われた旧約の伝統の言葉。同時期に開催されたカンディンスキー展と比べてみると歴然。こちらも、ミュンヘン時代の二大作は「ノアの洪水」「黙示録」の副題を持つ。しかしむしろ画家の情念の交響楽的展開といえよう。


6.メンデルスゾーンのこと ―音楽・言葉・社会―

 二回つづけてユダヤ教と関わるテーマを扱った。今回も、音楽の視点から同じテーマを。西欧音楽は、(その文化全般に言えることだが)ギリシャとヘブライの両源流を持つ。両者に共通するのは、言葉と音楽の関わりの重さ。さらには、音楽が共同体に果たす役割についての自覚。音楽社会学などの成り立つ所以だが、今回これには触れない。むしろ合唱という演奏形態について。ギリシャ悲劇には「コロス」、聖書の詩編には「聖歌隊」が登場する。ともに、音楽と社会、とりわけ宗教共同体との関係において要の役割を果たした。そのような声の伝統上に、グレゴリア聖歌を起点として西欧音楽が始まる。爾来、声楽曲、なかでもいわゆる宗教合唱曲は、まさに音楽が社会との結びつき、またその緊張関係を直裁に表現してきた。それらは、西欧音楽の伝統の核心をなすと言いうるだろう。現代の合唱作品には、もちろんそのような伝統を離れたものもある。伝統から自由に表現する。それはまた、様式に必然性を獲得するために大きな困難が伴うことを意味する。
 目を転じて、日本の音楽事情。西欧音楽を導入し、これをそっくり伝統の音楽と置き換えた。その過程で、声楽・合唱も移入されたが、それらの西欧音楽に占める位置や意味、またそもそも伝統との結合・離反の意味は、どれだけ自覚されているであろう。国内外に様々な合唱団がある。その曲目次第で聞くことにしている。七月にメンデルスゾーンのオラトリオ「パウロ」の演奏を聴いた(PMS合唱団)。この作品は長く、聴き通すのに困難を覚えたが、考えさせられることは多々あった。メンデルスゾーン自らが再発見したバッハ「マタイ受難曲」に並ぶような長さ。様式上もコラール(ルター主義プロテスタントの宗教民謡)を配置して、古式の趣。音楽の伝統をはっきりと意識した作品。失敗作だが、問題の所在を明確に示す。第一部と第二部の叙述のアンバランス。前半の「パウロの回心」に比べると、後半の「伝道生涯」の叙述は明らかに軽い。メンデルスゾーン三代のことを想う。祖父モーゼスがゲットーを脱して、啓蒙哲学者の名をなしてからわずかな年月。父の改宗。子メンデルスゾーンの音楽は社会的出来事であったはず。改宗は回心とは異なる。一度も「十字架」の現れない曲は、先達バッハとは明らかに違う。パウロの回心に続く創造の父への讃美は、ユダヤ教からも可能な告白。また回心者パウロに帰される栄誉は、自然の示す創造主の栄光とともに、「栄光の神学」。ルターからバッハに至る「十字架の神学」の系譜の対極にある。キリスト教社会自体の変質(=世俗化)を映すと言えなくもないが、なによりもメンデルスゾーンの社会的位置が、この作曲の内発的契機となったはず。日本の演奏家達は、外からも内からも改宗を迫られる社会には住んでいないと(おそらくは)素朴に信じつつ、ひとりの改宗者(パウロ=メンデルスゾーン)を高らかに讃美していた。


7.コラールをめぐって ― 詩と伝統の関わりへのひとつの示唆

 バッハ・コレギアム・ジャパンの活動については多くの人がすでに言及している。以前に「詩と思想」でも取り上げられた。鈴木雅明氏のもと、ヨハン・セバスティアン・バッハのカンタータの全曲演奏に取り組み、その清新な演奏や録音は世界に知られる。現在の演奏はバッハのライプチヒ時代、すなわち彼がトマスカントールとして、毎週のカンタータと受難曲の大作を生んだ時代に入っている。今年度は一七二四年、バッハがライプチヒに移り住んで二年目の曲を扱う。この二巡目の年は、バッハがコラールカンタータを集中して作曲した時期として特筆される。
 カンタータとは、教会歴により各聖日ごとに定まった聖書箇所、ことに福音書聖句に基づいて、その主題を音画として描き出し、礼拝に集う会衆の建徳に仕えようとするもの。バッハの属したルター派プロテスタント教会で発展した。説教の音楽版として、音楽監督カントールの役割は重要で、バッハも毎日曜のための作曲から演奏指導、トマス学校生徒の訓練と、多忙を窮めたと伝えられる。そのようなバッハの活動の原点、作曲技法上の重要な素材としてコラールがあった。これは普通、衆讃歌と訳されるが、教会民謡というべきもの。宗教改革は、聖書のみならず音楽も民衆のものとした。ルターは、専門家の歌っていたミサを会衆讃美におきかえ、そのために、ラテン語教会歌のドイツ語翻訳のほかに、みずから新作を作った。これに端を発する讃美歌創作は膨大な作品を生み、その主要な曲はまさに民謡というかたちで人々の心に根づいた。民謡といって軽く見てはいけない。ルターの「キリストは死の縄目に繋がれたり」(バッハの作曲BWV4はライプチヒ時代以前)を試しに読むことを薦める。これは、ヘルダーリンの讃歌へと直接つながっていく。
 オルガニストとしてバッハは会衆の賛美歌を伴奏するほかに、コラールの前奏曲やコラールに基づく変奏曲を沢山作曲している。また、カンタータの前後や受難曲の重要な場面にもコラールが置かれている。そして、作曲技法上興味深いのが、このコラールカンタータの手法。ここでは、カンタータを構成する他の部分、アリアやレチタティーヴォの中にもコラールの詞、あるいはメロディーが織り込まれてくる。自由詩の中にコラールの一節か現れる。それは、詩歌になぞらえれば「本歌取り」の役割と効果を担っているといえよう。バッハは単に伝統を集成したのではなく、むしろそれを素材として縦横に用いて、伝統に新しい貌を与えているのである。バッハがコラールカンタータを集中して作曲したのは比較的限られた年であることを鑑みる時、そのようなバッハの音楽活動は、言葉によっても支えられていたことを示唆しておきたい。バッハに歌詞を提供した台本作者(詩人と呼びたい)は、伝統がいかに詩想を助け、深めるものであるか、はっきりとした自覚に立っていた。彼の死が、バッハにそのような手法への集中を断念させたと推測されている。


8.芸術の「作品化」ということ

 時評欄の執筆も今回で終わり。初回は主に絵画を扱ったが、最後も視覚芸術・造形美術について述べて締めくくりとしたい。美術館や画廊で数えきれぬほど展示会が開かれる。評論家ではないから、全てに目配りをするわけではない。旅などの機会にふれて、関心の赴くままに訪れる。ここ一、二週は、「国境を越えて、セバスチャン・サルガド展」(東京)に始まり、「メトロポリタン美術館展」(ピカソとエコール・ド・パリ)、「スーラと新印象派展」、「日本人と茶、その歴史・その美意識」展(以上、京都)、(バウハウスの教師)「ヨセフ・アルバースのメソード展」(新潟)など。特別展に加えてそれぞれの常設展示にも出会いがある(今回は新潟市立美術館のロダン作「死の顔・花子」)。この秋は、さらに「ウィンスロップ・コレクション展」、(若年の)「ピカソ、天才の誕生」展、「ウィーン芸術史美術館展」と目白押し。画廊では、版画家の「オクイフジオ展、懐かしい場所」も。主題のはっきりと提示された展示は、初めからある程度心の構えが出来ている。大美術館の一部を取り出した展示は、目玉よりも埋め草に思わぬ発見がある。
 展示場に足をはこぶことを繰り返していると、近代芸術の特徴、ことにその「提示の場」ということについて考えさせられる。先回、共同体と音楽の関係についてふれたが、音楽に限らず、近代芸術の一特徴は、その成立を育んだ伝統の環境からの分断・独立にある。一言で言えば「作品化」ということ。宮廷・サロンからコンサートホールへ、宮殿・教会から美術館へ。ミュンスターに訪れた個人宅の壁にはピカソやシャガールもあったが、いずれにせよ、近代市民社会は、諸芸術を空間的、時間的にその歴史的背景から独立させ、例えば「額縁」の四角い枠を与えたのである。近代精神が、共同体から距離をとった「我」に価値を置いたことに呼応して。そこで芸術は、空間的・時間的に生活から切り離されることを通してその「作品」としての先鋭化を獲得した。民芸の成立が好例。享受の特殊共同体を形成した「茶」など日本の芸道にも、近代以前に溯るとはいえ、同じような問題を指摘できる。これは、文学・詩にも言えることであろう。良い意味でも悪い意味でも。例えば、山本健吉が日本文学の抒情詩化の傾向と指摘したことがそれ。そのような前提のもと、現代の社会・共同体は芸術家にどのような意味を持つか。例えば、サルガド展に見る難民、虐殺という悲惨な事柄の重さ。だがそこには、語弊を恐れずに言えば、社会的アンガージュマンというより、やはりある種の抒情性を感じる。白黒写真ということもあろう。ケーテ・コルヴィッツの版画が差し出すのと同質のもの。世界は「呻き」に充ちている。実は世界の初めから。人だけではなく万物みな(ローマ書八章二二節参照)。芸術家とは、それを聴き取り、これに自らの時間と空間の枠(限界)をもって「うた」を付与する存在。


9.詩集『ときの薫りに』のために

 こうした時評を記しつつ、一冊の詩集をまとめた。以下はその後書きのために記したものである。
 詩集の表題は、先に上梓した二冊の詩集『眩しい光』『ものみな声を』の主題を考慮しつつ定めた。視覚、聴覚につづいて嗅覚を。それは、感性や形象を通じて思想を表すという、言葉の存立についての素朴な信念に基づいている。嗅覚は、視覚や聴覚に比べれば微弱だが、より人格的・内生命的な感官である。これに応じて、詩集の主題は「いのちの薫り」をめぐることとなった。
 前詩集の後書きに「万物の呻き」を「聴く」という課題について述べた。私にとって、詩の主題や詩作の意味そのものは変わらない。嗅覚は、視覚・聴覚に比べれば微弱だが、より人格的・内生命的な感官である。本書ではこれに呼応して、モチーフは歴史的時間や人格のうちに「響き」「映って」いく。

朝ごとに聴く
鳥たちの空の深みから
舞い降りてくるはるかな旋律を ―

 世界はたんなる無機的な法則のならびではなく(ましてや事象の無秩序なつらなりではなく)、言葉であり語りかけである。世界に充ちている声なき声。事物の密かな呻き。万物は呻きつつ、ことばの芳しいかおり(=うた)を待ち望んでいる。
 「まことに被造物はみな、今にいたるまで、ともに呻き、ともに産みの苦しみをつづけている」(ロマ書8章22節)。世界の事物が、呻きつつ待ち望んでいるもの。それは、ひとの心の奥底から湧きあがる言葉。「・・・・ その人々はみな、手に竪琴をもち、よい薫りを立ちのぼらせる焚きものの器を持っていた。その薫りとは聖(きよ)められた者たちの祈りである。」(黙示録5章8節より)。宇宙の星ひとつひとつにその位置が定められているように、ひとにはそれぞれの佳い薫りが、すなわちそれぞれの深みからの歌が託されている。
 本書の三章の内、「祈りの星位」では、世界そしてあるものすべて(存在)の内に充ちている響きを、「うた」・「祈り」として受けとめる。続く「ときの薫りに」では、神話的形象や歴史的人物など、他者の薫りをつたえる「あなた」との内的対話をモチーフとするものをまとめた。「死生」や「愛」の限界状況にある人格のことばと向き合い、これを私のことばに響かせたいと。さいごの「エウロペ」に集めた詩は、そのような言葉の理解を顧みない世界、水平化した現実の状況を、あえて垂直のことばで語ってみたもの。詩の言葉で語る時、批判は寓喩となった。「エウロペ=ヨーロッパ」は地域名ではなく、時代と状況の暗喩である。



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