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書窓の隙間
雑録・折りにふれて (3)

 


★2002.4.3 パステル画を描く

 渋谷をあちこち捜し回って、黒い紙のスケッチブックを買ってきた。それから白のパステルも数本。絵の道具をそろえるときの、旅立つまえのようなうきうきとした幸せな気持ち。高校生のときと少しも変わらない。
 ほそぼそとだが、毎年の終わりころになるとペン画を描いてきた。しかし、先の年の暮れにそれが途絶えた。だが、考えてみると「ふゆごもり」の続編を作ることには初めから迷いがあった。できあがった世界を惰性で続けていくことは、自分自身の亜流となることでしかない。
 白黒だけで描くという自分の世界はかわらないが、新しい表現に取り組んでみようと思っている。
 
 ここしばらく谷山浩子のCDをよく聴いていた。周囲にあきれられるほどに。ひとを想う心の揺れや動きをさまざまに歌ったものも多いが、異質な世界や異常な状況・心理を扱ったものにすぐれたものがある。音楽の助けが大だろうが、詩の心を多くのひとに伝える才能と立場にめぐまれたひとだ。
 彼女の「僕は鳥じゃない」というCDに収められた「あかり」という1曲。比較的おとなしいことばだが、心惹かれる。その人の持つおおきな可能性をイメージで指し示しつつ、人を励ます。そんな詩をわたしも書きたいと思っていた。
 彼女の歌には、よく「ぼく」という一人称があらわれる。「少年の純粋なこころ」へのあこがれ、というより、彼女のうちにそんな「少年」が住んでいるのだろう。
 「少年」の性を持つ者としては・・・ 大人になっても「子供の気持ち」を失うまいと、決意したことなどを思い出す。エーリヒ・ケストナーの「飛ぶ教室」を読んだときのことなど。思い出してせつなくなるのは、自分がもはや少年ではないからか。
 大人の世界を知らないくせに、そんな決意をしてしまうところが純粋なのだろう。だが少年はかならず大人になる。少年の心、それはただ「失われたもの」としてのみを持ち続けることができるのだ。
 
 わたしには、むしろ「少女の心」を持ち続ける女性を描いてみたいという思いがある。これもやはり、現実には持ちえない性への思い入れかもしれない。私の内に住んでいる「少女」に形を与えてやるとするならば。そのような話を書こうとしたこともある。いまは、むしろ言葉を離れ、線と形のなかに描く心を飛ばせてやろうと思う。たとえばこの絵はそのひとつの試み。絵の上をクリック。
 



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