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書窓の隙間から
雑録・折りにふれて(2)

 


★2002.3.14 旅のおわりに

 たとえ人が、誰かのために悩み、また苦しんだとしても、その誰かがその悩みに値することを、いやそれ以上の存在であることを実証してくれたとき、そこにはよろこびが溢れ、また感謝が湧き起こる。その喜びは、ひとりの実存を外から震撼し、あたらしい命をつくりだす。その誰かをこころから祝福する想いとともに。


★2002.3.18 道の辺に立って

 贖罪の死といった重い意味でなくとも、人の死がひとを生かすことがある。身内の者の死が、ひとを、魂の死せるありさまから社会的な生へと引き戻すように。だが、ひとりの社会的な存在から、ひとを本当の命へと生かすためには、もっと深いふかいよろこびに出会うか、内から充ちみちてくるあらたな現実が必要だ。
 
 深く受けとめるということ。感受性もまたひとつの力である。だがその責任は、受けとめたその者が、自身においてのみ引きうけるべきこと。ひととともにできることではない。そして、それが力として実証されるときとは、(おそらくは別な脈絡で)誰かひとを喜びの内に活かすとき。たとえ、ささやかなものであれ。


★2002.3.21 歩み出すとき

 信仰(信念)に感情が同伴を拒むとき、そのようなありかたをなおも信とよびうるかどうか、わからない。だが、そのような心の危機を担いゆくべく託されているのであれば、ひとはそれを己が分として歩んでいくしかないであろう。
 そのような実存の形を作品化した。「譚詩・ウィンフリート伝説」を「はじめの扉」に掲載。作品と称するかぎり、それはあくまでも虚構の世界だが。


★2002.3.25 花のもとで

 「花冷え」という形容がまさに当てはまるこの日、花の集めるひかりのうちに一日を歩んできた。目黒川にかかる橋の上に立ち止まる。風に舞い散って川面に敷きつめられた織物は、いまこのときが一番美しい。世界が美しいと感じることのできるこのときは幸いだ。ふと、ひともまた美しくあれと想う。そうして願う、私のいのちがひとを祝福するものとなるようにと。

 いま、書きたいと思っている3つの主題。1.印象主義と表現主義の間の画家たちの紹介と位置づけ。2.能の「テクスト空間」に、ヨーロッパ文法の「法 Modus」概念から光を当てる。3.かつてLiedermacherのひとりとして注目された女性の今日の歌。いずれも1200字程度のスケッチとしてまとめておきたい。今回の旅の直接の成果として。


★2002.3.30 この欄の予定

 「詩と思想」という雑誌に、「芸術時評」を執筆する。25日に記した3つの主題はそのためにあたためている。第1の主題について、ハンス・トーマの作品に触発されたことを記して送った。
 この「雑録」の欄に関しては、5月にはこの時評のために参照した絵画の実例などをあげると述べたので、記載の趣旨がすこしかわることになる。
 
 東大聖書研究会で矢内原忠雄について話した。これをもとに、いまは早急に原稿をまとめねばならない。



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