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書窓の隙間
雑録・折りにふれて(新)

 


★2001.12.29 雑記を公開する?

 ここには文章にならない、あるいは、今のところ文章にならない隻語を記していこうと考えている。折りにふれ想うことなど、少しずつ書きついでゆくことを予定している。
 誰に向かって?‐‐‐誰でもない者に。あるいは私の知り、知らない君のために。

 いわゆる身辺雑記だが、公開を意図する限り、それはやはり舞台稽古の披露のようなものとなろう。自分で聞くに堪えられないたぐいの「告白」を私は厭う。個の中で普遍性を志向する言葉だけを書きとどめておきたい。

 2001年12月より、表紙の絵を代えた。新しい絵は「Heidenprinzessin」。
画家はFiritz von Uhde。ウーデについては、1999年のクリスマスに講話として語ったことがある。いずれこのホームページに載せようと想いつつ、果たせていない。拡大は、この絵の上をクリックしていただきたい。

 2001年12月26日は、早稲田教会で高堂(高戸)要氏の葬儀に参列。劇作家として、また教文館、日本基督教団出版局の編集者として著名な方。参列者は多かった。若輩として隅に加わったが、「良い」葬儀であった。私が詩を公にしはじめてからこのかた、彼が示してくださった理解は、私にとって喜びであり励ましであった。親しく言葉を交わす機会にはついにめぐまれなかったが・・・ 詩華集『創世記』(教文館2000)に載せた私の詩2編に付された彼の解説は、私にとって大切な宝である。
 この世界に、精神の理解者を得ることができる。それはなんと幸いなことであろう。私もまた、人とおなじくそれを願ってきた。その方の凱旋を想いつつ、感謝はつきない。
 痛みとともに感謝もつきなかった古き年は、ひとつの悼みで終わろうとしている。

 九州大学の嶋田洋一郎氏より、労作「ヘルダー旅日記」(翻訳・九州大学出版会2001)の恵贈を受けた。学兄の優れた仕事に感銘は深い。いつか私もその戦列に加わり、同志を招く者となることを願いつつ・・・

★2002.1.1 新たな年に

 年を越せないかといわれた父の病状だったが、なんとか長らえている。昨年の正月には、衰えたとはいえ言葉も交わせた。10月以降、生涯の究極へむけての歩みは速やかになった。一人の生涯の締めくくりを見とどけることが、いまは課題。病院に通う母の話し相手としても、精神はつねに死と老いの問題をめぐっている。

 精神と身体の同伴がいかにもろいことか。想うことしきりである。自己という器のありようとしても。私の場合、両者のついに伴いゆけぬところから、かろうじて言葉が生まれてくるようだ。身体の危機を迎えると魂が若やぐというのは(残念ながら)本当であることを確認している。

 詩の中に物語的なものをもちこみたい。抒情詩の「ひとりよがり」の世界を他者に向けて開くことはできないだろうか。そのための試行錯誤をしながら新たな年は始まった。
 死、老い、家出、就職難などの現代的主題を「メルヘン」的な言葉にのせる試み。旧き年の塵灰の中から、君に喜びと希望を備えることのできる言葉を求めて。頓挫するかもしれないという懸念とともに。

 それがうまくいってもいかなくても、ドイツ語ホームページの改訂を予定している。1月の末くらいまでに。Hamannに関する文章をさらに数編、Hymnenまた、絵本の翻訳。絵本の言葉はむしろ、新たな響きをもって始めるべきであろうか。

★2002.1.8 学芸と死生

 1月4日。開始早々の「ウィーン分離派展」を訪れる。クリムトやシーレ。死を胚胎する生。近現代のこのような表現は昔から心を惹いた。画面に向かい合っていてふと思う。むしろ、死を正面から描いて、清らかな生を想わせるようなそんな表現ができたらと。その二つは同じことかもしれないが。

 1月6日、「The man, who cried」。今表現しようとしている主題との、不思議な一致に気づく。引きずられないようにしなくては。だが、この映画はやはりイギリスとフランスが作ったような感じ。

 1月8日。立教で今年最後の授業。主体的に何かを表現してくれと。若い魂がその時代に何を考えているのか知りたいと。教師は実はこの試験ができるかどうか危うい状況だったのだ。昨夜から父の病床に徹して泊まり込んでいる。少し好転したので、新幹線で東京へ。夜は再び立ち戻ってきた。ときおり父に声をかけつつこれを書いている。父はもう私だとはわかっていないが。書くことによって支えられて。

★2002.1.27 葬送の時を経て

 1月27日。「はじめの扉」を更新した。父の生涯を言葉で締めくくるのは子の務め。この日々、喪主としてそんなことを考えていた。

 学期末ゆえに、ほかにも締めくくることは多い。この欄も3週近く開くことがなかったが、1日に記した1月の計画は実現できそうにない。「北方の博士・ハーマン著作選」の再校はようやく出せた。修士論文など読むべきものは多い。2月末には「日本詩人クラブ」の詩論部門の審査。そのためにも数冊を読まねば。

 身が忙しいときは、心が大切なことを忘れないように、時をみつけてひたすら歩く。ほぼ毎晩、旧山の手通りに沿って40分ほど歩いて帰宅。若者たちが行き交うにぎやかな人通りの中で、かえって静かに自己と向き合うことができる。大切なこと、大切な人を想いつつ。

★2002.2.7 あれこれ

 2月2日 一月の間、多くの花とともに暮らした。花屋でも営まなければ、ふたたび身近に置くことのないほどの花と。だが、花のあるべきところに花がある。それをもう綺麗と感じられず、むしろ、茎のあいだをとおる冷気のようなものを感じていたのか。先頃、送られてきたの花の絵にふと心動いて、かえってそのような自分の姿に気づかされる。その驚き。

 2月6日 国立能楽堂で「忠度」を。舞のいくつかの瞬間が心に残っている。静止のまま言葉の歌われていく時間が、そのひとつひとつの形姿に凝縮される。ふと思った。人の生涯のある意味で長い時間も、別の人間の立場からは、そのひととともにするある一瞬のためにあるのだと。その時よ、美しかれ。能楽堂を出ての歩みは快かった。
 主題に関しては、己が詩への忠度のような執着は自分にはない、と淡々と思う。私の言葉は限られたときのあいだ、限られた人間の心にふれうるならば、それでいいと。


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