9月29日(日)

お、おそろしいことに9月が終わってしまいますね。いいんだ終われば。時は流れるものなのだから、とついに達観の境地です。
前回の更新からぐーんと時間があいたのは、休暇をとって旅行に行っていたのでした。
私の予定は、8月はメリメリと仕事をする。疲れたところで、休暇をとる、というものだったのだ。でも結局8月は、暑い暑いと言って昼寝をし、9月になって休暇をとり、帰宅してからは疲れた疲れたと言って昼寝をしているなあ。
旅行は前から行きたいと思い続けていたベトナムとカンボジア(アンコールワットを見に!)に行った。腐りかかっていた脳味噌は活性化し、私は元気いっぱい・・・に昼寝をしている。
昼寝のあいまには、サトクリフの第3弾の翻訳に励んでいるところ。さて今から一仕事です。サトクリフの英文は美しく堅牢で、見事。それで、それに見あう日本語になんとか少しでも近づこうと思うと苦しいのなんのって。でも苦しかろうとなんだろうと、私はサトクリフにしがみついていて、手放す気配は皆無です。あしたの日記はなんでサトクリフがそんなに好きか、という内緒話をしようっと。

9月6日(金)

月曜日から3日間、書類の整理をしたので、五個あったかごが、なんと三個になった。おかげで私は、ここ数年なかったほど、身辺整理が進んで、もう死んじゃうんじゃないか、と思うほどだ。

そうしてね、私は仕事の意欲に燃えている!!!
きのうも一個、原稿をかたずけて、きょうもまた一個だもんね。笑いが止まらないかりんとうである。あー、なんでもっと早くこうしなかったんだろ。

でもよく考えると、あと三個残ってるんだよなあ、どうしよう。古いのが残ってるわけだから、もう用事がある書類は、少ないだろうな。
でもまとめて捨てるなんて、私にはできない。
整理できない人間は、捨てられないのだ。そのうえあの三個のかごは、長の年月、物置で日の目を見るのを、待ってたんだからね。
いいんだ、いつか分類して保存するその日まで、また眠ってれば。

ところでホームページの表紙に、ケイト・グリナウェイの絵本のなかから取ったイラストをつけた。なかなかいいでしょ?

ケイト・グリナウェイは、19世紀に英国で活躍した絵本作家で、絵本の基礎を作った三人のうちのひとり。ほかの二人、ランドルフ・コルデコットとウォルター・クレインの評価が高いのに比べて、ケイト・グリナウェイは、いまひとつ評判悪いんじゃなかろか。
だれだっけかな、高名な絵本の研究者が、グリナウェイは二流と決めつけていた。
絵本好きのなかでも、まーなんなのこの絵は、子どもをごたごた飾りたてて、子どもへの愛情が足りないんじゃないの、と眉をしかめる人が多い。

あのねー、グリナウェイが描いたのは、子どもは子どもでも、ヴァーチャルな子どもなんだよお。だからごてごて飾りたてたファッションしてても、いいんだ。
そんでねー、グリナウェイが描きたかったのは、現実と空想のあわいの世界なのさ。
そこんとこが何に似てるかというと、大島弓子のマンガに似ている。だからいつか(って近々)私は、いつかグリナウェイと大島弓子の比較研究をするからね。

9月2日(月)

ここ数日、く、く、苦しい日々が続いている。その理由は、書類の整理をしているから。私は自慢じゃないが、書類の整理がひどく苦手なんである。く、く、苦しいのなんのって。

いつもは机のまわりにひたすら書類の山を築いている。それで山が崩れそうになったとき、もしくはお客様だというので、部屋の整理が必要になったとき、その山をスーパーのかご(ごめんなさいごめんなさい。駅前の東急のかごです。駐車場に持っていって、そのままお借りしています。そのうちきっと返すからね)にドサドサと詰め込んで、物置に待避させる。

それでどうなるかって? そのままひたすらじっと待機しているのだ。だからウチの物置には、スーパーのかごが五個あって、そのうちの一個を今、整理してるんじゃないのさ。もちろんかごの中には、書かなければならない書類やら手紙やらがひしめいていて、私は自己嫌悪におちいりながら、おわびだの、言い訳だのを書いているところ。

これをやるくらいなら、仕事のほうがずっと楽しい(でも仕事よりは、仕事をさぼる方がもっと楽しいけど)。それで仕事をしたくてたまらないのだが、でも今この苦行をやらないと、私は社会で生きていけない。
あともうちょっとがんばろうと力無い声を出しているかりんとうでした。
 

過去の日記 02年8月