御鎮座地 東京都荒川区南千住8丁目11番11号
 
             面足尊(おもだるのみこと)
御祭神  
             惶根尊(かしこねのみこと)
 
御創立  永禄(えいろく)4年(1561)8月(今より440年近く昔)


境内全景之図
 
御由緒
        胡録神社は、永禄4年8月川中島合戦の折、上杉の家臣高田嘉左衛門(たかだかさえもん)
       なる者戦(いくさ)に敗れ、図(はか)らずも集いし12名と共に、厄(えき)を逃(のが)れて
       落ちのび高田・杉本・竹内の参名当地に至り永住し、其の守護神(しゅごしん)たる面足尊
       ・惶根尊の両神を一祠(ほこら)に奉齋(ほうさい)崇敬(すうけい)せりし後、嘉永(かえい)
       5年9月19日神殿(しんでん)を改築せりし社なり。
       御祭神面足尊・惶根尊は、神代七代(かみよななだい)の初神(しょしん)、國之常立神(くに
       のとこたちのかみ)から数え第六代の神に当たられ、体の整い足る神、國の整い足る神と解される。
        汐入(しおいり)の辺りは、その昔、蛎殻(かきがら)を石臼(いしうす)にかけ胡粉(ごふん) 
       という人形(にんぎょう)の上塗りの塗料を造り関西方面にまで出荷する生業(なりわい)が盛ん
       であったが、今やその職人もなく家屋の土台石となっていた臼もある。境内には、古き石臼
       が奉納されている。その華やかかりし時を経て、八代目嘉左衛門の頃に汐入大根(しおいり
       だいこん)の栽培(さいばい)の地と変革(へんかく)し、人気の高い作物であったが、今では
       其の畑もなく、昭和の末頃から汐入地区の再開発の計画が進められ、平成の初期には見られた
       木造建築の旧家一方(きゅうかひとかた)もなく取り崩され、多くの地主は、高層住宅へとその
       生活を移されました。
       平成10年の計画により、当社もその限りにあらず、境内地を前方に遷座する事となりました。
       平成15年9月19日には遷座を終え、竣工奉告祭が執り行われ、12月7日遷宮委員にて
       伊勢神宮へ感謝の参詣に出かけました。








          境内末社:道祖神                刀塚              神輿庫
境内末社
           道祖神(どうそじん)は、猿田彦命(さるたひこのみこと)を祀(まつ)り、人々此の汐入(しおいり)
           の村より出るには航路の安全を願い、入るには無事を感謝し、常に安全を守護(しゅご)する神と
           して尊崇(そんすう)し、奉賽(ほうさい)の状(さま)を捧げるに草履(ぞうり)を供えて祈願す。
           猿田彦命(さるたひこのみこと)は、天孫降臨(てんまごこうりん)の折り、天八衢(あめのやちまた)
           に道案内をされた。境(さかい)の神とも云われ、禍悪(わざわい)を里の中に入れないように里との
           境に祀(まつ)られ、延喜式祝詞(えんぎしきのりと)には、「八衢彦(やちまたひこ)、八衢姫(やちま
           たひめ)、岐(ふなど)の神に、根の國(ねのくに)底の國(そこのくに)より荒(すさ)び疎(うと)び来(こ)
           む物に相混(あいま)じり相口会(あいくちあ)う事無くして・・・・」とあり四方八方(よもやも)よりの
           禍を祓(はら)い除ける祈願が記されている。
         昔境の地点は市が多く開かれ、男女交歓の場となりしに、縁結び、子授け、子守りの神と崇められる。
 
刀  塚(かたなつか)
           高田嘉左衛門は慶長五年(1600)五月関ヶ原より落ちて、「自ら刀を抜いて人は斬ってはならぬ」
           と鎧兜(よろいかぶと)を地下深く埋めた。昭和34年9月町の有志が集い汐入の開拓を永久に、
           伝えるべく埋地と伝承される南千住8丁目1の40番地付近に祀った。
           平成12年4月再開発の為、関係者総意により境内に遷され刀塚として祀る。
例大祭
        6月1日(昔古は9月19日なり)



汐入押合い祭 汐入の押合い祭といわれる神輿渡御(みこしとぎょ)は、御本社の神輿が御神幸(ごしんこう)
    され、橋場(はしば)の天王社(てんのうしゃ)と同じく神輿を舁ぐに手を触れることなく、各々肩ばかりにて
    押し合い押し合い行くにより、押合い祭という。
宮司 鏑木啓麿 記



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