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田園交響曲


ベートーヴェンの「田園交響曲」が好きですか?と聞かれたら、僕はなんと返事をすればよいのだろう。 僕のような素人が云々するには余りに完成された音楽だし、一概に好き嫌いと言ってしまってよいのだろうか。
と、気難しいことを言うのは、ベートーヴェンには3番(英雄)、5番(運命)、7番、9番(合唱)と超傑作があるからかもしれない。
でも、「田園交響曲」を聴いて感動したことがありますか、と、聞かれたら、間違いなくそうした経験をもっています。

あれは敗戦の年の2、3月頃、前夜にかなりの雪が降った翌朝のことだ。
その朝は、一点の雲もなく晴れ上がり青空が広がっていた。 屋根に積もった雪も、木々の梢に積もった雪も朝日に輝いていた。 僕は2階の窓をいっぱいに開いて、この美しい風景を眺めた。 連日の空襲で陰鬱な日々を送っていたことが嘘のようなのどかな朝であった。
こんな朝にふさわしい音楽は・・・僕は「田園交響曲」の終楽章を選んで聴きはじめた。
あの気難し屋のベートーヴェンが珍しくタイトルを付けた終楽章を・・・・・。

「嵐が去った後の感謝」

この風景を眺めながら音楽を聴いているうちに、不思議な体験をした。
一口には言えないのだが、外界の風景と、僕の心が触れ合い、お互いに微妙に反応しあって、自然の中に息ずいている自分に気がついた。 それは、とてもかすかなものだが音楽を仲介者として自然と交流しているような感覚であった。
僕は今でもあの感覚をおぼえている。 そして、美しい風景に出会うと、自然に自分の心を風景の中に同一化させようと試みてしまう。

あれから3,40年の月日が過ぎて、ある年の正月、姉の家で雑談をしていて、たまたま話題が昔話になった時、不意に姉が話しはじめた。
「覚えているかしら、・・・洗足池の家で聴いた「田園」のこと、・・・雪の降った時だけど、・・・「田園」を聴いていて最後の楽章になると、あの日のことを思い出すの。」
僕は思わずハッとした。 あの日のことを姉も覚えていたなんて・・・。
というのは、僕は、あの時の状況を正確に覚えているからなのだ。 僕は2階の部屋で一人でレコードを聴いていたし、姉は、階下で確か掃除をしていた。
それに、お互いにそれほど感動していたのに、そのことを今まで一度も話したこともなかったのに。

「覚えているさ、とてもはっきりと。 雪の降った翌朝だった。 一面の雪景色、梢から落ちる雪解けの雫まで朝日に輝いて、本当に美しい朝だった。 あんな風景の中で「田園」を聴いていると、自然と人間の交感・・・というか、ベートーヴェンは自然と心の微妙なやりとりを精密に音楽にしていると思うな。
でも、驚いたな、あの時のことを覚えているなんて。」

「あたしは、変なことをいっぱい覚えているの、でも誰に話しても分かってもらえる話でもないし、・・・この話だって音楽の分からない人にしたってしょうがないし、」
「今の話、実によく分かるのだけど、あのちょっとした印象とでもいうような記憶、それでいて折りに触れて何度も思い出す記憶、自分にとっては、かけがいのない何か、・・・そして他の人にとっては全く意味のないもの、・・・でも、今日はよかったね! 少なくとも理解者が一人はいたのだから。」

本当に、40年近くも過ぎて、・・・その間に苦しい戦後の時代を挟んで、あの日の「田園交響曲」を二人で覚えているなんて、ほとんど奇跡のようにさえ思えた。
姉もまた、こんなかすかな記憶をたくさん後生大事に心にしまいこんでいる人種なのであろう。

('97.11)


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