春の夢


僕は星仲間と、時々流れ星の観測に行きます。
同じ流れ星を数十キロメートルはなれた2つの地点で写真に写すことができると、三角測量の原理で流れ星の位置や速度や、さらに、大気圏に飛び込んで消滅してしまう以前に、どんな軌道を描いて太陽の周りを回っていたかまで計算することができます。

といっても、30年も前はコンピューターはおろか、関数電卓もありませんでしたから対数表を片手に、一つの流星の軌道を求めるのに休日は朝から晩まで計算して一月近くもかかりました。 それが関数電卓ができて一週間になり、やがて、パソコンになって、データを打ち込めばあっという間に結果がプリントされて出てくるようになりました。
アマチュア天文家にとっても、 この2,30年のコンピュータ技術の進歩は素晴らしいものがあります。

流星物質は彗星が振りまいた塵と考えられていますから、流れ星の軌道が分かると彗星との関連がつけられることになります。
流れ星というのは、ほんとに小さな塵で、普段は全く見えないで、長い間、太陽の周りを回り続けていて、ある夜、全く偶然に地球とであって、大気中で燃え尽きる、その一瞬だけ見えるのです。

こんな話をすると、「大変ロマンティックな趣味ですね」と、お世辞か皮肉か分からないようなことを言われるのですが・・・。 とにかく、流れ星はその生涯の最後に、一瞬、大変重要な情報を提供してくれるのです。

でも、せっかく観測に出かけても、曇ってしまったり、雨が降ったりして、まるで星が見えないこともあります。 毎年、12月中旬の双子座流星群は、かなりの数の流れ星が見られます。 流星群の活動する期間は限られていますから、多少天気が悪くても観測の準備だけはしておくのです。

その夜も薄曇りで、カメラをセットしながら見上げる空には、オリオンの数個の星が滲んで見えるだけでした。 こんな夜は、僕達は、スリーピングバッグにもぐりこんで、じっと晴れるのを待つのです。
思わせぶりな雲行き・・・雲が薄くなったと思うと、又、次の雲に覆われてしまう。 こんなことを何度か繰り返す内に、ついうとうととしてしまいます。

「今夜はだめだな・・・おやすみなさい!」
誰かが言っています。
そして、何時の間にか、枯れ草に覆われた荒れ地の一隅で、みんな寝入ってしまったのです。

明け方近く、寒さで目を覚ましましたが、仲間はみんな寝入っているのでしょう、物音一つしません。 空は相変わらずの薄曇り、時々滲んで見えるのは、春の星座、獅子座のレグルスでしょう。 地上は、一面に霜が降りて、闇の中でも枯れ草の白い輪郭が見えます。

こんなに地面の近くに寝そべって、土や枯れ草と対面するのは久しぶりのことです。 懐中電灯のスイッチを入れると、枯れ草に降りた霜がきらきらと光ります。
ふと、バレー「白鳥の湖」の一場面を思い出しました。 北の国、氷に閉ざされた湖のほとり、舞台の一隅にスポットライトがあたって、そこに白鳥に扮したプリマバァレリーナが現れる・・・。そんな場面設定でもよいし、 それとも、また此処は、夜中に妖精達が宴をしていた跡なのでしょうか。

そんな想像をしているうちに、 突然、「春の夢」のでだしのメロディが浮かんできました。
愛も希望もなくして旅に出た青年の心を歌ったシューベルトの「冬の旅」のなかで、ほんの一時の夢、・・・花咲き乱れる春の夢をみる・・・という詩は、全体の極端に暗いムードの中で、一瞬明るい歌声となって聞こえてきます。
しかし、夢から覚めてみると、外はからすが鳴き叫び、窓には氷の花が張り詰めている・・・という詩なのですが、もう歌詞もよく覚えていません。
声もよく出ないので、歌うこともできません。でも、歌の細かいニュアンスまでとらえて思い浮かべることはできます。

昔、高校でドイツ語を習い始めた頃、シューベルトの歌がドイツ語で歌えるのが嬉しくて「冬の旅」のなかの「菩提樹」や「あふれる涙」、「春の夢」、「老楽手」など覚えたものです。
その頃、エリザベット・シューマンという美しいソプラノ歌手がいて、その透明な声が、本当に、そっと手で包まないと壊れてしまいそうで、こんな暗い歌には向いていないような気がするのですが、僕のレコードの中に彼女の「春の夢」がありました。
その時、僕の心に浮かんだのは、彼女の歌声でした。

僕は霜で光る枯れ草を眺めながら、しばらく、この歌声に耳を傾けているうちに、ふと何故この歌が僕の心に引っかかってくるのだろう・・・・・僕にとって、「春の夢」とは何だったんだろうか、と。
あの一瞬の華やかな、魅惑的な歌声は・・・。

そして、もしかすると、僕の心とはまるで違った場所にいるのかもしれない自分について考え始めたのでした。


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