9月11日のとんでもない経験(T.I氏)


まえがき(たいぞー)
 このホームページに時々タイトルの写真を頂いているT.I氏が息子さんと一緒にナイヤガラ、ニューヨークに観光旅行(9/6−>9/13)に出掛けました。  その折、ニューヨークで9月11日のハイジャック機のツインタワー激突の場に居合わせて、その時の体験を日記風にまとめて送っていただきました。  こうした場に居合わせた1旅行者の感想をお聞き下さい。  なお、T.I氏と息子さんの合作なので、ちょっと文脈のつながらないところもあるかと思いますが、不明の点はあとで訂正いたします。
それにしても、日米間の情報の伝達の速さには驚きます。   無事に帰国されることを祈っています。

  2001年9月16日
 今日、マンハッタンからコネチカット州、Danburyのホテルに移りました。テロ後の空路の封鎖が解除になるまでここに滞在します。
豊はこの前代未聞の歴史に残るような大惨事を見聞して、いや自ら体験をしてかなりの疲労でやっと安心したのか夕飯も食べずに曝睡しています。
自分も今になって落ち着いてこれまでの行動を振り返るとチョッと危険な行動をしたかなと思っています。
記憶が新鮮な内に体験したことを日記で皆さんにお伝えします。

9月6日(木)晴れ/8,900歩(4.5Km)/成田−シカゴ−バッファロー
l 成田を定刻に出てシカゴ・オヘアー空港に無事到着。席は非常口の所で3人がけ(A,B,C)を2人で、前は席なしで自由に足を放り出して・・食事以外は二人ともずーと寝っぱなし。雲の上から見た夕焼けが最高だった。

l シカゴからUA1060便、B733に乗り換えBuffalo空港にそこからTAXIでホテル(ナイヤガラの滝)まで約40分/$50(45+Tip5)、17時に到着.窓から滝のしぶきが見えるが地図を見ても全体の地理感覚がピンと来ない。明日、カナダ滝を廻るツアーのチケットをホテルで購入(9時から12時30分の3.5時間/$54/1人)。
アメリカ滝を上から見る

l とにかくまだ明るいのでひと休みして、飛沫を目当てにアメリカ滝の散策に出かける。 滝の上から暗くなるまでアメリカ滝そして向かいに見えるカナダ滝を満喫、10時半にホテルに戻る。

9月7日(金)晴れ/10,700歩(5.3Km)/カナダ入国
l 8時45分の集合に間に合わせホテルで食事(デニーズ)。9時に42人乗りのツアー・バスに乗り込んだのはなんと我々の2人、他のホテルでもPick−UPするのかと思っていたらなんと我々二人の貸しきりバス。
 Frankさんという運転手兼ガイドと3人の乗ったバスで2人とも初めてのカナダ入り。ここからが息子の英語がどのくらいかの実力の発揮処? ツアーはカナダ側の見せ所を要領よく隅みから隅みまで廻ってくれ、とにかく2人ツアー、120%満喫。

 後は夜のライト・アップをカナダ側から見ること、フランクさんに歩いていく方法を聞きバスを降りる。

l 一眠りの昼寝をして夕方5時ごろホテルを出て、一路、国境検問所のあるレインボー・ブリッジに歩いて20分。ブリッジ中央のUN旗のしたで記念撮影して再度のカナダ入り。

l 川沿いにアメリカ滝を見ながらカナダ滝の側に。 カナダ滝は常にしぶきが高く、途中雨が降っているような場所もあり、両方の滝を視界に入れその雄大さを満喫しながら暗くなるのを待つ。 やつと8時半になりライト・アップされて、滝だけが暗い中に打ち出されそれは虹でなくオーロラを見ているようだった。 特にデジカメで取った写真は連続して落下する水速に対しシャター時間が長くなるので、それは滑らかになり幻想的な写真になった。 11時にホテルに戻る。

9月8日(土)晴れ/11,000歩(5.5Km)/ナイアガラからNYCに移動、夜NYC
l ナイアガラで2日間を過ごし、バッファロー空港から11時発の45人ぐらいの小さなジェット機でニュージャージのニューアーク空港へ。そこからバスに乗り継ぎNYC入り。滞在したホテルはマンハッタンの真中、ミッドタウンにあり、隣のブロックにはエンパィア・ステート・ビルがそびえ立つところ。

l ホテルに到着後早速、マンハッタンのにぎやかな街へ。薄暗くなるまで、時間つぶしに近くをブラブラし夕食をすませてから、お目当てのエンパィア・ステート・ビルからの夜景を・・・。 今までにここに上るのはこれで4回目になると思いますが今回が一番空いていて天気も良く、最高にすばらしいかったので10時ごろまで満喫。  息子に、ここよりもあそこに見えるワールド・トレード・センターのほうが高いことを話したが、まだ登ったことがなく、そして時間に余裕があっても行うとは思わなかった.

9月9日(日)快晴/22,337歩(11.2Km)/NYC、メトロポリタン・セントラルパーク
今日は、メトロポリタン美術館へ。出発は少し遅め。5th. Av.を徒歩で北へ。途中、ロックフェラーセンター、セントパトッリク教会、セントラルパークなどを見ながら美術館にようやく到着。
l 広い館内をあちこち4,5時間迷いながら見学、屋上にも。スケッチをしている人が意外と多い中、父はデジカメをぱしぱし。名画を鑑賞、美術の勉強。閉館時間になり外に出る。5時半。

l 次はセントラルパークを抜けてYoko Onoさんが住むダコタアパートへ。父は"人の家を見てどうするの?"なんとかかんとか…。"IMAGINE"の記念碑と"メイフラワーホテル"を見てセントラルパークを後にする。夕食はカーネギー・デリが見つからず、日本食のレストランへ。タイムズ・スクェアを通ってホテルへ。

9月10日(月)快晴、夕方雷雨/16,432歩(8.2Km)/UN,マンハッタン一周クルーズ
朝いちばんで国連の見学ツアー。入口ゲートで息子(俺だけ?) が臨検に引っかかり、持ち物検査。荷物をゲートの警備に預け本館へ。息子が無精ひげを生やして怪しき姿をしているから??本館の金属探査機でまた息子が引っかかりポケットの物を全部出しやっと通過。空港では通過していたのに…。かなり厳しいチェック。

l 5番目のツアーで息子は特に英語とUNの国際紛争の活動に関して勉強。UNから狭山と松本に絵葉書・・・時間がかかった事。(父がせかす!せかす!)
l 預けた荷物受け取り、国連ビルを後にした。途中、昼食を取りながら国連のあるイースト・リバー側から次のお目当てであるマンハッタン1周クルーズのハドソン・リバー側の45St.の桟橋まで歩く。

 2時30分発、3時間のクルーズ・・・自由の女神、マンハッタン先端のワールド/トレード・センターをバックにスナップ写真をバチバチ・・・( それらのビルがちょうど18時間後にあんなことになるとは!)
l ホテルに帰る途中にポート・オーソリィティ・バス ターミナルに寄り、明日の移動先であるダンバリー行きのチケット購入。 ホテルに戻り、あす14時発のバスでDanburyへ行くことに決め、それまでどうするか息子と相談、ナイキのストアーと昼食をカーネギー・デリのサンドイッチと決めてから明日のために荷持のパッキングして就寝。今日はかなり歩いたので即キュー・バタン。

9月11日(火)快晴/24,628歩(12.3km)/NYCとんでもない経験
l 10時にホテルをチェック・アウト、荷物をクロークに預けていざ5番街に・・・すると、いつも車で混んでいる5番街(&32St.)の車道に凄く人だかりで皆が南のほうを見ているので何だ!と思い見ると黒煙噴出すようにすごい勢いでちょうど5番街の摩天楼の間で見え、とっさに凄い火事だとそのときは思った。
 ここで得意なデジカメ登場、何枚か撮影。そして隣の見物人のオバサンに何が起きたのだと聞くと、飛行機がツインタワーに落ちたそれも2機。そのときは2機が空中衝突して落下したと勝手に理解、好奇心が人一倍強い自分は5番街を32ストリートから写真を取りながら南下、(俺;息子は活発に動く父に翻弄された)。 進むにつれ向こうからどんどん来る人と行く人とそして救急車とポリスカーが行ったり来たり、とにかくこの時点まで大火事と思っていた。

l さらに行くと車のラジオに人だかりでそれで初めてハイジャックされた飛行機がそれも4機がこことペンタゴン、ピッバーグに墜落したと知った。 通りにいる人の中には、泣きながら電話をしている人や、お互いの無事を喜んで抱き合っている人、ラジオに聞き入っている人などが入り乱れていた。 そのとき、皆が"Oh,my god!"と叫びを上げていたので歩きを止め見ると垂直にビルが崩れ落ちるところでメチャクチャにカメラのシャッターを切り写真をとることしか頭になかった。10時28分であつた。
そのシーンを取ってからかなり凄い事が起きたと思ったと同時に、こんな事はめったに遭遇しないので、現場近くまで行ってこの目でもう少し見たい心に駆られ、戻ろうかと思いつつここまで来たのだからとPOLICE−LINE(立ち入り禁止)のところまで近ずいた。 がかえって手前のビルが高くなり見えず戻ろうかとした矢先に恐ろしい事が・・・・。


l 路の向こうから十数人の人がバラバラと"シューティング!シューティング!"と叫びながらこちらに向かって逃げ走って来るではないか! 通りにいた誰もが(自分達も) とっさに近くの建物に全速力で逃げ込んだ。(この時父を見るともう十数メートル先に…自分の身は自分で守ろうと心から思った)。中に逃げ込むと、ガードマンの建物の奥に入れ!という言葉通りに奥へ入った。 暫くしても特に何も起こらなかった。 ガードマンに入れてくれて礼を言いビルから出た。(というより騒ぎが収まって部外者の私達に気付いたガードマンに追い出された感じだった)
 あの騒ぎが何だったのかその後も解からなかった。この惨事のショックで気が狂った人が、あるいは何かと見間違えた人が勘違いしたのか?…とにかくこの近くから離れるべくイースト・リバーの川岸に戻ることにした。

l とにかく凄い事が起きたことで、家族は家で心配しているのではと思い電話をしようと思っていたがどの電話も人の列で…。戻る途中で戦闘機が上空を舞い出し、息子がそく"F15"だと言う。 もしかしたら大きな戦争に発展するのではないか変な予感、息子に今までの戦争はこんな事がきっかけで始まっているのだと話す。
 しばらく歩くと空いている電話があったので家にコールすると我々が思っていたその何倍よりも非常に心配をしていたのには大驚き。それで今まで行動してきた事は伏せてとりあえず大丈夫だと話す。ホテルを出る前にTVは見ていたものの、今日の天気が気になり天気予報チャンネルしか見ていなかったので今まで実際に見聞した状況把握下の理解しかなかった。
 現地にいる我々よりも早く詳しくテレビで知っていた家内から我々の知らない情報を聞いたとき、とんでもないところまで踏み込んだと改めて恐ろしくなった。この間の4時間かなり心配をかけたようだ。でも、昔に比べればなんと情報の伝播(TV,電話、E−Mail)が早いことにも驚き。

l とりあえず孤立したマンハッタンでホームレスになるのを避けるためホテルに戻りさらに2日間予約をしようとしたが、キャンセル待ちで18時までのキャンセル・タイムアウト待ち。
 すでにマンハッタンは事件直後に封鎖されたのでなんとかなると、駄目なら本当に宿無し!!ホテルは予約を取ろうとする人がかなりの数いた。
l その足で日本総領事に情報収集に行ったら閉館していたが、入口で1人の領事館員が対応していたので状況を聞くと、とにかく今日はマンハッタンが完全に孤立状態にあり全く動きがとれないとの事。Danbury行きのバス・ターミナルに行ったが閉鎖されていてものすごい人だかり。 ホテルに泊まれることを願いながらホテルに戻ると幸いにOK.

l 部屋に入るなりすぐTVを点けると、どのチャンネルもまさに映画のシーンを見ているのでないかと錯覚するほどの飛行機が突込む映像を繰り返し放映しているのを暫く見るうちに今まで思っていたよりも何倍も大変な事が起きたことに、ここでますます再認識。
l 昼頃からマンハッタン上空を戦闘機が飛んでいた。(まだハイジャック機が十数機行方不明と聞いていたので戦闘機が飛んでいる事で安心したけれど、少し複雑な気持ちだった。)この日は朝までTVを見ながらE−Mailと電話で今後の対策。
l テレビを見ながら対策を考えているうちいろいろな不安が頭の中を駈けまわり出した。 少なくとも、ついさっきまで"シューティング"事件以外は通りを歩いてもなにも不安もなく大事故でパトカーと救急車がしきりなしに走り、これも収束に向かっていると思っていたが。まず、我々が宿泊しているこのホテルはエンパィア・ステート・ビルのすぐ隣で高いビルが危険だった事を聞き、ぞーとした事(戻ってきた時はすでに封鎖されていた)。マンハッタンの総ての橋、トンネルはもとより飛行場も閉鎖され予定どおり帰国できるかである。ますます目がさえ朝になってから寝る。

9月12日(水)快晴/11,806歩(5.9Km)/孤島のNYCの一日
l 数時間の睡眠をとり朝9時ごろ起床。明日の我々の帰国便;UA801はUAのWEB情報では取りあえず飛ぶ予定にはなっているものの、直接確認するためにUAのNYC事務所に行ったがクローズしていて空振り振り、昨日行き損なったカーネギー・デリでジャンボ・サンドイッチを楽しんだ。ホテルに戻り、UAに電話をするものの粘った末、約40分待ちつながる。明日は飛ぶ予定との事、そしてTVの交通情報を確認し明日の朝一番でHOTELを出ることにし荷物をまとめTVを見ながら早めに横になった.

l ところが又心臓破りのアクシデント!! 
 10時ごろ外がなんとなく騒がしく12階の部屋の窓から下の通りを見下ろすと向かいの建物から人がバラバラと逃げ出ていて、路のあちこちからも駈けてこのホテルから離れるようにどんどん逃げ惑っているでないか!!
初めは、また"シューティング"かなぁ?"などとのん気な事を言っていたが、様子がおかしい。 廊下でも何か音がする。扉を開けるとホテルの非常放送で"直ちに避難しろ!"との放送。

 息子はパンツ一丁の裸の状態、父はステテコ。とにかくパスポート、航空券、お財布…ちゃっかり父はデジカメ、パソコン類を、息子は服を着てザックを背負って廊下へ。 他の部屋から廊下に出てきた人もパニックになっている。とにかく非常階段を一目散。外に出るとポリスがあっちにとにかく走れ! なんだか分からないけどゼイゼイいいながら一目散にブロードウエィを走った、途中"爆弾""エンパィア・ステート・ビル"と言う叫びを耳にしてとにかく走った。 通りには、寝巻きの人や裸足の人、裸同然の人までいた。かなりの人だった。しばらくしてとりあえず公衆電話から家に連絡。その直後に避難が解除されたが我々のホテル内も一応調べているのかホテルの中に入れず。とにかく、ほっとして待つ間、二人でしっかり荷物を持っている事を笑った。 約1時間後に解除になりホテルに戻ったがカウンターにはホテルを代えるのかチェック・アウトする数十人の人の列。

ホテルの人の安全は確保されたとの話で我々はベルボーイと握手を交わして部屋に戻り、再び、家に電話をかけたらデマとの話。それは"デマだった"とラジオで言っていたと、私が先ほど家に電話をした直後に我々の今後の身の振り方を心配して娘の嫁ぎ先である親戚に(NYC在住)との電話ですでに知っていたことにまたまた情報の速さに驚き。
 部屋は、ポテトチップスが床に散乱していてその時の慌て様がよくわかった。着の身着のままでベッドに横になりとにかく朝一番で出ることにしたが寝るに寝られずUAのWEBで今日のフライトを確認したらなんとキャンセルになっているではないか! 愕然としてすぐに直接日本のUAのプリミア・デスクに電話してFLIGHTのキャンセルの確認と新たな予約を18日に確保。もうこうなったら明日はダンバリーに移動するしかないと決定。 息子はすぐに調子よくグゥー・グゥー寝ていたが私はほとんど寝られず。
後でわかったのだが我々がチェック・アウト直後、このホテルも避難命令が出て皆同じような避難があったらしい。 戻った時に解除になっていて"知らぬが仏"でそれで再宿泊できたのか? この避難騒ぎもホームレスの代償と・・・・

9月13日(木)快晴/5,315歩(2.7Km)/NYC脱出Danburyへ
l 朝一番でバスがDanburyまで行くかを確認、10時15分発でNYCを離れた。意外とスムースにいつもより順調に走れてお昼頃に到着、ホテルに無事チェックイン。とにかくここについたときは自分の家に無事戻れた感じ。ついこの間の6月末に滞在していたのでなおさらの感じがした。
l 今日、午後に開いたJFKで空港職員に扮してハイジャックをしようとした一味が逮捕され再度クローズしたとTVが報じておりまだ先が長いような気がする。 ここはとりあえず会社に近いしNYC,JFKより全く安全なのでご安心を! 豊はある程度緊張が取れたのか6時ごろから曝睡中。

9月14日(金)雨のち曇り、寒くなる 5,233歩(2.6Km)

l 夕べは2人とも良く眠れ、朝10時ごろ起きる。起きたら窓越しに鹿の親子、これでほんとにもとの気分にも戻れた感じがするが・・・・、TVのニュースをのぞいて。
l 工場で昼飯兼朝飯を取るのと、皆に挨拶を兼ね息子のために工場ツアーに出かける。出るときKentから出張中のシカゴから近くのウエスチャ−空港にやっと戻ってきたと電話あり。重役連中は皆UKから帰れず誰もいなく、Moureen Andersonさん(IAC広報担当Mgr.)から歓待を受け昼食をご馳走になる。 こちらの工場でも4名の犠牲者が出たようだ。
l 息子に工場を約1時間案内し、ホテルに戻る。歩いて帰るつもりで歩いているとBobが途中我々を見つけ車に乗せてくれた。
l 息子がこの記録に数時間かけ添削と追記をした。TVは繰り返し今日の出来事を報じていた。良くみてから数通のメールを書き、それを送ると同時にUAのWEBでFlightの確認とMSMで日本語化された関連ニュースを取りこむ。

9月15日(土)快晴、寒い(55F) 歩(Km)
l 今日は快晴でも寒くなりちょうど日本の秋から冬になる11月3日"文化の日"のようだ。今回ホテルの部屋は西側の1階で林のがけになっていてそこに鹿が現われ自然が感じられる。息子はそれを見て又寝始める。
 空には多くの飛行機雲がみられ少しずつ回復しているのが感じられる。しかし、TVのタイトルに "ATTACK ON AMERICA"(NBC)から"AMERICA'S NEW WAR" (CNN)そして"AMERICA RISING"(CBS)が気になる。 13:00
(2001.9.16)


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