無季の曲
6)「自然居士(じねんこじ)」〜能にもユーモア〜
世阿弥の父は観阿弥といって観世流の元祖だ。彼の能は世阿弥のものとかなり毛色が違う。この「自然居士」は代表作のひとつで、能には珍しく、明るく飄逸味ただよう劇作品である。
シテは自然居士と呼ばれる喝食である。喝食とは禅寺で給仕などをする有髪の若い僧のことだ。自然居士は説法が得意であり、今しも東山雲居寺修復の勧進のための七日間の説法が終わろうとしていた。そこへ人買いに身を売ったという女の子(子方)が現れ、身の代として受け取った衣を寄進する。やがて女の子は人商人(ワキ、ワキツレ)に強引に連れ去られる。自然居士は説法満願がふいになるのもかまわず彼らの後を追いかけ、琵琶湖畔大津松本でちょうど船にのろうとしていた一行を引き止める。人質を返せといわれて怒る人商人たちを弁舌でもって感心させ、舞を舞ったり、芸を見せたりして懐柔し、ついに円満に女の子を連れ戻すという筋である。
シテは16歳程度で、あくまで直情可憐、こうと決めたら突っ走る20年前の青春ドラマに出てくるようなヒーローである。シテは船に乗り込んでてこでも動かない。
(ワキ) 舟よりおん降りなくは強訴を致さう
(シテ) 強訴といっぱ捨身の行
(ワキ) 命を取らうぞ
(シテ) 命を取るともふつつと下りまじい
(ワキ) なにと命を取るともふつつと下りまじいと候ふや
(シテ) なかなかのこと
(ワキ) いやこの自然居士にもて扱ふて候ふよ
とさすがの人買いも持て余す。結局、さんざんなぶって帰そうということになる。
(ワキ) のうのう急いで舟よりおん上がり候へ
(シテ) ああ船頭殿のお顔の色こそ直って候へ
(ワキ) いやいやちっとも直り候ふまじ
ここの箇所へ来るといつもふきだしてしまうのであるが、両者の対決が絶妙なセリフまわしで展開してゆくところ、是非舞台で見ていただきたい。考えてみれば人商人は正当な取引をしているわけだからなにも責められる筋合いはないはずである。自然居士のためにずいぶん損な役回りだが、よくよく読んでみると大人として一回り余裕を持って自然居士の直情をうけとめてやっているようにも見えるのだが。
なお、漱石の「吾輩は猫である」に出てくる「天然居士」という人物は彼の謡曲好きからしておそらくこの「自然居士」のパロディだろう。また、今引用した箇所を引用して、其角が「雪の日や船頭どのの顔の色」と詠んだのは有名。
5)「葵上(あおいのうえ)」〜能に保存された呪文〜
平家物語と並んで能の典拠に多いのが源氏物語である。その中でももっともポピュラーで上演回数も群を抜いて多いのが「葵上」という能だ。
実は私がはじめて能というものをみたのがこれだった。もう今から12〜3年ぐらい前になろうか、名古屋市の中心部にあるセントラルパークで無料の野外能が夏にあった。たまたま通りがかった私は、ふと暇にまかせて見物をはじめた。とくに舞台もなく、地面の上での演技だったが、そのときコンクリートの上にていねいに置かれてあった緋色の着物(あとで小袖ということがわかったのだが)の印象が強烈だったのを未だに覚えている。その時以来能にとりつかれたわけだ。
さてこの小袖を出し小袖といい、病気に悩む源氏の正妻葵上の象徴として舞台手前に出される。能の独特の小道具であり、このほかにも単なる畳が豪華な宮殿をあらわしたり、竹で組み周りを布でぐるぐる巻いたものが山だったり、能はみているものに想像力を要求する。オペラのような本物の城とみまごうばかりの巨大で豪華なセットなど一切ない。しかしかえってそれだけいっそう、印象は強く、するどい。西洋人のようになんでもごてごてと飾らねば気が済まない種族とは空間のとらえ方、考え方が根本的に違うのである。
「葵上」にはもうひとつ、不思議がある。それは呪文だ。いっこうに治らない病人をさては悪霊がついたかと、照日の巫女(ツレ)という口寄せに命じて霊を呼び出す最初のところ、
天清浄地清浄 内外清浄六根清浄
寄り人は 今ぞ寄り来る長浜の 芦毛の駒に 手綱揺り掛け
という呪文をとなえると、生霊となった六条御息所が現れるというわけだ。それから最後のところ、正体をあらわした悪霊に横川の小聖(ワキ)が唱える不動明王のこれまた悪鬼退散の呪文
ナマクサマンダバサランセンダマカロシヤナサハタヤウンタラタラカンマン
などもあって、全体におどろおどろしく不気味な興奮をもりあげるのに一役買っている。
こういう世界は現代ではほぼ消滅してしまった。恐山の巫女はともかくも、言葉というものが今のように単なる意志伝達手段に堕落してしまう以前には、ほかならぬ人の口から出た音声が不思議な力、人知を越えた力を備えていた時代が確かにあったのだ。私たちはそれをとうに忘れている。しかし幸いな事に、能を、「葵上」を、あるいは「鉄輪」をみたり聞いたりすることによってそのたとえ形骸とはいえ、かつてあった呪術的世界をかいまみることができるのである。
4)「邯鄲(かんたん)」〜能はアクロバット?〜
「邯鄲」の話は「邯鄲一炊の夢」として有名だ。人生の意味に悩む中国は蜀の国の青年盧生が、邯鄲の枕をして寝たところ王位に迎えられ、50年の栄華栄耀を極める。しかし栗飯が炊けたといって宿の主人が起こしにきて、はじめて夢だとわかり、昂然と悟るというお話である。
このようなよく知られたエピソードを能にするにはただ単純に筋を追っただけでは平凡である。そこで考え出されたのか知らないが、この能の眼目はわざと狭い一畳台の上で舞われる「楽」とよばれる舞と、その後の「飛び込み」にある。
普通は舞台を大きく使って舞うのだが、この能の場合には屋根をつけた一畳台が宮殿に擬せられているので、その中でできるだけ悠然と、狭さを感じさせないように舞わなくてはならない。
面をつけているだけでも視野がさえぎられているのに畳一枚の上から落ちないように、さらに四隅に立った柱にぶつからないようにするのだ。大変である。いつも見ていてはらはらする。しかし観客にとってはスリルがあって面白いのである。
このようなアクロバット的要素は、一畳台への飛び込みでその頂点に達する。
かくて時過ぎ 頃去れば 五十年の 栄華も尽きて まことは夢の 中なれば
みな消えきえと 失せ果てて ありつる邯鄲の 枕の上に 眠りの夢は 覚めにけり
楽を舞った後、主人公盧生は50年の栄華の夢からさめるところを演ずるためにさきほどまで舞っていた台を寝台とみたてて、走り込んで仰向けに寝るという離れ業を演じるのだ。
しかも枕がおいてあるのでその上にちょうど頭がのらなくてはならない。
私は不幸にしてまだこの飛び込みがきれいに決まったという舞台を見たことがない。あるときは一畳台の上の大宮を省略してしまったり(柱がないから楽である)、またあるときは期待させておいて、結局よっこらしょとただ横たわるだけだったり・・・
橋掛りから勢いをつけて走り寄り、眼にも止まらぬ早業で飛んで横たわりぴたりと微動だにしない・・・なんて技を一度は見てみたいものだ。昔は金剛流がこの手の軽業にたけていたらしいが、今の金剛流に望むのは無理か。
3)「浮舟」〜引用の織物としての謡曲〜
能の詞章である謡曲はよく引用の織物と言われる。それを最もよく示している作品の一つに、「浮舟」があげられる。
「浮舟」は横尾元久作詞、世阿弥作曲。その題名の通り、源氏物語の「浮舟」の巻に取材したものだ。諸国を経めぐる僧が宇治に着く。と川面に小舟に棹さす里の女が現れ、求めに応じて宇治にまつわる浮舟の物語を語るうち、小野の者だと言って姿を消す。僧が小野の里におもむき、読経していると、浮舟の霊が放心の体で登場し、物の怪に憑かれて入水した状況を再現する。
実在の人物でなくフィクションの登場人物が霊となって登場するのは能では珍しくない。そのなかでも「源氏物語」の人物が圧倒的に多いのは、いかに中世を通じて「源氏」が広く受容されて来たがを物語っている。この「浮舟」はほとんど全編にわたって「源氏」のテキストそのものを引用している点で特異な作品だ。
人がらも懐かしく 心ざまよしありて おほとかに過ごし給ひしを
物言ひさがなき世の人の ほのめかし聞こえしを
明け暮れ思ひ煩ひて 人みな寝たりしに 妻戸を放ち出たれば
風激しう川波荒う聞こえしに 知らぬ男の寄り来つつ
誘ひ行くと思ひしより 心も空になり果てて
あふさきるさのこともなく われかの気色もあさましや あさましやあさましやな橘の
小島の色は変わらじを この浮舟ぞ 寄るべ知られぬ
赤い字の箇所はすべて源氏物語からの引用語句である。
したがって世阿弥の書いた能と比べるとどうしても一段、落ちる。衒学趣味に走ったという感が否めない。あまりにも源氏物語によりかかり過ぎているので、ストーリー自体、なぜ後半突然物狂いのような状態で登場するのかが今ひとつ明確でない。まして源氏物語を読んでいない読者などまったく想定もしていない書き方である。
しかし引用の織物として謡曲をとらえ直せば、この作品などその究極のすがたとも言えそうだ。引用という概念が西洋文学でトレンドになっているが、わが国では和歌の本歌取りをはじめとして昔から綿々と続いている文学の伝統である。
2)「山姥(やまんば)」〜謡の迫力〜
観世寿夫という能役者がいた。50代なかばで昭和53年に急逝したが、天才とうたわれたらしい。私自身は残念ながら彼の舞台を知らない。ちなみに現在活躍している観世栄夫、観世銕之丞はその弟である。
てもとに日本コロムビアから出ていた「観世流謡曲名曲特選13」というカセットテープがある。曲目は「山姥」。そしてシテがこの伝説のひと、観世寿夫なのである。ワキは当時の観世静夫、今の銕之丞だ。
「山姥」は世阿弥作。都で評判をとっていた百万山姥というあだ名の遊君が善光寺詣でのため越後の険しい山路にさしかかる。そこに自分こそ本当の山姥と名乗る女が現れ、舞をまい山姥の山巡りの様子をみせる。というような話だが、この能は謡の内容に比重がおかれているので、ぜひ注釈つきのテキストを座右に鑑賞することを勧める。禅の用語やら難しい漢語やらが後半は連続してただ聞いていただけではチンプンカンプンだからだ。
この観世寿夫の謡はすばらしい。その後舞台や放送で幾人かの「山姥」に接したが、いずれも遠く及ばないものだった。
のうのう旅人お宿参らせうのう
という前シテの呼びかけからしてただならない気配が満ちる。低くとった音程、思い切り長くのばした「のうーーーのうーーー」という謡にははやくも深山幽谷の趣がある。
能の言葉はさらさらと読みくだすセリフと、節のついた謡とに分けられる。さらに謡には大きくわけて強吟と弱吟という二種類がある。弱吟というのは優雅で音程の幅があり、おもに女性の登場する能を中心に使用される。強吟は力強く、音程の上下があまりない謡で、神、鬼、修羅物などに使う。もちろん一曲の中でも使い分けられているのが普通だ。だが、この「山姥」は全編 強吟でできている特異な例だ。
だいたい強吟は単調になりやすく、きいていてあまり心地よいものではない。だがこのテープにはなにか憑かれたような迫力がある。おそらく最晩年の録音と思われるが、改めて人間の声というものの奥深い魅力に気づかされる。
寒林に骨を打つ 霊鬼泣く泣く前生の業を恨む
林野に花を供ずる天人 返すがえすもきしやうの善を喜ぶ
いや善悪不二 なにをか恨みなにをか喜ばんや
万箇目前の境界 懸河渺々として 巌峨々たり
難解だが、それでも観世寿夫の謡をじっときいているとなんとなく分かった気になってくるところが不思議である。このテープ、今は絶版らしいのが惜しい。それともCD化されているのだろうか。なお、観世寿夫の業績を記念して観世寿夫記念法政大学能楽賞が設けられている。
1)「小鍛冶(こかじ)」〜囃子の魅力〜
能は世界に類をみない総合芸術である。総合的という点ではオペラにも比較される。それをはるかに少ない人数で実現しているのであるが。オペラのオーケストラに当たるのが囃子方である。
何もない舞台に一番最初に出てくるのが囃子方であり、最後に引っ込むのも囃子方で、つまりは最初から最後まで出ずっぱりなのである。正面からみて奥の右端から笛方、小鼓方、大鼓方、太鼓方、と並ぶ。(太鼓は曲によっては無いこともある。)小鼓方と大鼓方だけ折り畳み式の床几を自分で持って出て、それに腰掛ける。笛方と太鼓方は正座したままであるから、二時間もかかるような長い曲の場合は大変だ。トイレなどどうするのか。座布団もないし、さぞ膀胱炎や痔になるひとが多いのではあるまいか。
閑話休題、今回取り上げた「小鍛冶」という能は次のような筋である。
三条小鍛冶宗近(ワキ)は剣を打つようにとの勅命を受けるが、適当な相槌を打つものがいない。そこへ童(前シテ)が現れ、剣の徳を讃えた後、心配せず準備せよと言い残して消える。宗近が鍛冶壇をしつらえて待っているとやがて稲荷明神の化身である小狐(後シテ)が来て相槌を勤め、ついに名剣は完成する。全体にきびきびと運ばれ、小気味よい能である。
この能は囃子を楽しむのに絶好だ。特にお勧めは後シテの出に使われる「早笛」という囃子である。「早笛」はもっともテンポの速い部類に属する伴奏で、すべての楽器が最大限の音を出す。最速、最強の音楽なのだ。言葉ではなかなか表現できないが、10年ほど前に京都観世会館で「小鍛冶」を鑑賞していてこの「早笛」が鳴り出した時、目の前いっぱいに音響の強靱な壁が立ち上がったかのような錯覚におちいったことがある。空間そのものが鳴っているのだ。よほど気合が乗っていたのであろう。それ以前も以降もあのような経験は絶えてない。
「早笛」そのものはこの曲だけではなく、鬼や神、怨霊などの登場の際に演奏される。(「賀茂」「船弁慶」「竹生島」「鵜飼」など)とにかく威勢よく走り出てくる場面に使われる伴奏といえる。
出てきた後シテは大抵「舞働(まいばたらき)」という舞を舞う。シテの威勢を示すためで、舞台を一巡するだけだが、この時も囃子が最後の方で突然テンポが速くなったりするあたり、面白いのでよく聞いてみよう。とかくシテの謡や動きばかりに気を取られがちであるが、シテが凡庸だったりすることもよくあるのでそういうときはバックに耳を傾けてみるのも一興である。